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第1回 語らざるもまた展示解説

以前気付かぬ内に来館者の方に不快感を与えたことがありました。
それは解説にも大分なれて、「立派に説明し大向こうを唸らせてやるぞ」と意気込んでいた頃です。

ある日、中年女性の5,6人程のグループの方が見えられ、解説を依頼されました。
説明を始めるとリーダー格の女性がそれに注釈を加えます。
それが正しければ良いのですが、誤りが有るので私は親切心よりその都度修正していきました。

ところが、3回位の頃その女性の眉がピクピクと動き表情が堅くなってきました。
私は遅ればせながら、その方のプライドを傷つけたことを悟りました。

おそらく彼女は歴史好きで、その注釈に私の同意が欲しかったのではないか、それがグループの人たちの前で否定されたので恥をかかされたと感じたと察し、以後は無修正とし、プライドを傷つけることは無く気分よく帰られました。

それからというもの、解説に際しては一方的に説明をするのではなく、完全な説明をすべきか、来館者の方の説を伺いながら必要に応じて説明を加えるべきか、を考えるようになりました。

それから一年程経過したある日、年配の女性がお見えになりました。
「草戸千軒1展示室だけでよい」と言われましたので、ご案内し解説しようとすると、その方が私に思い出すように展示説明を始められました。
それは誤っているところは多々ありましたが、何かそのリズムを乱す気になれず、そのまま修正もせず相槌のみで過ごし、町並みと道具類をゆっくり見られて番匠の作事場まできました。

すると「私の主人は建築業でした。この博物館のこの部屋が好きで、何回も此処にきて小屋の造りから道具の使い方を丁寧に私に説明してくれました。
その主人も三年前に他界しました。今こうしてこの作事場の前に立つと、主人の元気で働いていた姿が目に浮かぶのです。今日は本当に有難うございました。」と礼を言われ帰っていかれました。

その後ろ姿を見送りながら、この博物館だけにしかない良さを、また一つ発見したという思いでいっぱいになりました。
ボランティアの解説は滔々と淀みなく立派に説明し、来館者の方に深い感銘を与えることが大切なのは無論ですが、「語らざるも又解説のひとつ」と知りました。
(解説・古文書ボランティア)