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額字「不如学也(まなぶにしかざるなり)」阿部正精書(重要文化財菅茶山関係資料)【歴史資料】

【サイズ】
本紙 35.9cm×93.7cm、額装

【解 説】

  •  菅茶山が,神辺に開いた塾(廉塾)に掲げられていた額で,福山藩阿部家第五代の阿部正精(1774~1826)が書した四文字である。
  •  「不如学也」の出典は,『論語』「衛霊公第十五篇」の,「子曰、吾嘗,終日不食,終夜不寝,以思無益,不如学也」である。
  •  現代語訳は「食事も忘れ,眠ることも忘れて,あれこれと思索してみたが,何も得ることができなかった。地道に学ぶことに勝るものはない(不如学也)。」
  •  菅茶山が開いた塾は,寛政8年(1796)に藩への献上を願い出て,翌年に郷校となった。廉塾ともいわれ,朱子学を学ぶ塾生が集った。
  •  この額は,「文化甲子(元年)秋九月」に,江戸で「神辺駅閭塾に掲げる」ために正精(号は棕軒)が書したものであることが記されている。文化元年(1804)2月,正精は,菅茶山を江戸へ召し出し,10月に福山への帰藩に従わせた。
  •  阿部正精は,幼名を運之助,字を子純,蕉軒といい,棕軒,蕉亭等と号した。福山藩第4代藩主阿部正倫(まさとも)の三男。享和3年(1803)に家督を継ぎ,文化14年(1817)に老中に就任する。一方で,江戸藩邸内に学問所を設けたり,菅茶山を重く用いたりして,文化政策に力を注いだ「不如学也」阿部正精書

 

 

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