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年未詳9月25日付け増田長盛書状(桑原二郎四郎宛て)

【サイズ】
本紙 30.0cm×47.5cm,軸装 113.4cm×59.7cm

【解 説】
○豊臣秀吉の奉行人である増田長盛が桑原二郎四郎に宛てた通知文。


○増田長盛は,広島→鞆→下津井→室→明石→兵庫→大坂の順に「次舟」(継ぎ船)によって,朝鮮からの報告を伝達するよう命じられた。


○そこで,各港へ「折紙」(手紙)をしたためるとともに,朝鮮からの報告が確実に大坂まで届けられるように,桑原二郎四郎に対し命じたのであった。


○増田長盛は,当初,朝鮮侵略の本営である肥前名護屋城(佐賀県唐津市)において武器弾薬・兵粮等の輸送を担当し,天正20年(1592)6月には朝鮮奉行として渡海している。


○同年8月,関白豊臣秀次は「大坂よりなこやへ次舟」と題する朱印状(『広島県史 古代中世資料編3所収「巻子本厳島文書」第89号)を作成している。
この朱印状を踏まえ,朝鮮に在陣する増田長盛が太閤秀吉への詳細な報告を確実に行うために作成したのが,この書状と思われる。


○宛先の桑原二郎四郎は,旧大内氏水軍出身で周防国屋代島(山口県大島郡周防大島町)を本拠とした屋代島衆の後裔であろうか。

【参考文献】
『開館5周年記念 広島県立歴史博物館 新収蔵資料展』(1994年)
『広島県立歴史博物館 研究紀要』第3号(1997年)
『平成20年度企画展 毛利氏VS天下人―瀬戸内の戦乱,そして平和―』(2009年)

年未詳9月25日付け増田長盛書状(桑原二郎四郎宛て),資料画像

年未詳9月25日付け増田長盛書状(桑原二郎四郎宛て),資料翻刻

韓国及び西日本の地図(主要港名)