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書付(村塾取立につき)

【サイズ】
本紙 24.8cm×18.2cm,仮綴 

解 説】

〇菅茶山が廉塾を開いた経緯や理由,塾に対する思いや教育方針などを簡潔に記した書付。4丁(枚)の紙から成る。

 

〇写真の部分には,村塾を開いた経緯を記している。概要は次のとおり。

1私は教えるほどの知識はないけれど,近所の子供が集まってきたので教え始めた。

2子供の親が受講料(束修)を持ってくるようになった。

3私は自分が好きな学問をしているだけなので,受講料(束修)を受け取る理由がないが,親は教えてもらう以上は,受講料(束修)を収めるのが礼儀だと思っている。

4私は,それを無理やり断れず,受け取ることにした。

5その受講料(束修)を私的に使わず,周りの人や母親に相談して(新たに)塾を作ることにした。 

6この時,父はまだ生きていて,指図を受けて着手したのだが,私が塾を作る「主意」(最終目的)を伝えないまま,父親は発病し亡くなってしまった。

 

〇父親の樗平(ちょへい)は,寛政3年(1791)2月18日に没していることから,塾を作る相談をし,建築に着手したのは前年の寛政2年頃である。そして,塾を開始したのは,寛政3年である。

〇茶山が父樗平に伝えられなかった「主意」(最終目的)とは,永久に塾が続くようにすることであった。

〇この茶山の思いが実を結ぶのは,塾が郷校となる寛政9年(1797)のことであるが,寛政3年の段階には,郷校にすることまでは考えていなかった。


書付(村塾取立につき) 【重要文化財菅茶山関係資料】
書付(村塾取立につき)【重要文化財菅茶山関係資料】

翻刻)

私村塾を取立候事ハ,私不学不徳に御坐候へ共

読書を好ミ候故,童子輩素読を習ニ参候人も有之候

而,歳時ニ束修共持参いたし候。私か存候ハの学問にて此

を可受ニあらす。 然共参候人ハ謝礼ハ可致事也。されハ受て私

か私用ニ用さる方可然候半哉と同好ニも議し,老母ニも

伺候而取立候也。

此時亡父存生ニ候而既ニ差図をうけ取懸候へとも

主意ハ未申して亡父病ニかゝり無程卒去ニ候ひき

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