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小学生ボランティアガイドの活躍 ~11歳の瞳が見つめる平和~​

 

原爆ドームとガイドの画像

 

原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された「平和記念公園」。国内外から多くの人が訪れるこの場所で、平和を訴える活動ができればと、数多くのボランティアガイドが活躍しています。小学5年生(取材当時)にして、英語でガイドを務める佐々木駿(ささき しゅん)くんもその一人。駿くんがガイドを始めたのは小学2年生の頃だったといいます。

最初に平和記念公園に興味を持ったのは小学1年生の時。広島市内へ出掛けた際に原爆ドームを見て、あの建物はあんなにボロボロなのにどうして残されているんだろうと疑問に思って母親に尋ねたところ、「じゃあ一緒に調べてみようか」と、広島の被爆や復興の歴史について深く知るようになったのだそうです。

0歳の頃から幼児向け英語教材で遊んでいた駿くんは、5歳になる頃には日常会話ができるくらいの英語をマスター。外出先で外国人を見かけると自分から話しかけに行くなど、幼い頃から積極的な性格でした。「自分が知った広島の歴史を、広島を訪れる観光客に伝えたい」「もっと海外の人とコミュニケーションを取ってみたい」と感じていた駿くんに、「だったら人がたくさん来る平和記念公園でガイドをしてみたらどう」と、母親から提案されたのだといいます。

 

原爆の自作の資料で外国人観光客に平和記念公園をガイド

 

スタートした当初は、外国人とおしゃべりする延長線上でガイドを実行。「どこの国から来たんですか」「広島へは何を見に来たんですか」といった他愛のない質問から始め、平和記念公園や慰霊碑の由来などを説明していったといいます。持参したノートには大きく「フリーキッズガイド」の文字を書いて掲げ、駿くんが独自にまとめた資料を一緒に持ち歩きました。広島の歴史や平和記念公園の説明だけでなく、自身の曾祖母も被爆者であることや、その人生についても語り、“自分事としての平和”を発信。スタートした当初から毎月2回程度平和記念公園を訪れ、少なくとも1日に5グループほどを案内しています。

 

原爆の子の像の前の画像2ガイドした外国人に自分で折った折り鶴をプレゼントすると、とても喜ばれるという

 

駿くんの活動に感銘を受け「あなたのやっていることはとても素晴らしい」と賛辞の言葉をかけてくれた人や、グループハグで感動を伝えてくれた外国人もいたそうです。駿くんがガイドのユニフォームとして身につけているキャップとビブス(ベスト状の衣類)には、そんな海外の人たちが書き残していった感謝や応援の言葉がびっしりと書き込まれています。このキャップとビブスは駿くんが使っていた英語教材の販売会社から提供されたもので、海外の方もボランティアガイドと認識しやすかったのか、これを着用し始めてからガイドの依頼が増えたそうです。

 

ガイドの様子の画像ビブスにはガイドを受けた観光客のメッセージが隙間なく書き込まれている

 

「これから学校の勉強や部活で忙しくなってくるかもしれないけど、出来る限りこの活動を長く続けていきたいです」と話してくれた駿くん。そんな駿くんに平和への思いを尋ねると、「そもそも戦争は、互いのことを理解しようとしなかったり、相手の意見を受け入れないところから引き起こされるんだと思います。僕自身は誰の性格も受け入れられるようになりたいし、みんながそうなれたらもっと平和で素晴らしい世界になるんじゃないかなと思います」と答えてくれました。

さらに2024(令和6)年、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞したことにも触れ、「核廃絶のきっかけになってくれたらうれしいです」とも言及。「ガイドを続ける中で、質問されて分からなかったことを調べたり新たな史実を知る中で、戦争によってどれだけ多くの人が亡くなり、傷ついてきたのかを改めて感じました。莫大な時間もお金もかけて結局たくさんの人が死んでしまう戦争というものは、本当に無くさなくてはいけないものだと思います。なんで戦争が起きるのか、まったく理解できないです」と、力を込めて語ってくれました。

“戦争は無くさなくてはいけないもの”――まっすぐな瞳で、駿くんがそう表現した言葉の意味するところを、先を歩いてきた私たち大人は、もっと真剣に考えねばならないのかもしれません。

 

【お問い合わせ】

ワールド・ファミリー株式会社 広報室
03-4580-9406

 

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