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#未来へのおりづるキャンペーン

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2025年も#未来へのおりづるキャンペーンを実施します!

  被爆80年を迎える広島・長崎から、平和へのさらなる一歩を踏み出すために、長崎県と核脅威イニシアティブ(NTI)と協働して、SNSを利用したキャンペーンを実施します。
 昨年度は、エンゲージメント数(投稿へのいいね、返信、リツイートの数)が大幅に増加したほか、アーティストのオノ・ヨーコ氏やモデル・俳優のパリス・ジャクソン氏など、多くの方にご参加いただきました。
 5回目を迎える今年のキャンペーンは、スポーツアクティベーションひろしま(※)の全面協力のもと、県内18のスポーツチーム選手やスタッフの皆様にもご参加いただく予定です。
 おりづるの写真と平和を願うメッセージをSNSに投稿し、平和への思いを世界中に広げましょう。皆様のご参加をお待ちしております!

(※)スポーツアクティベーションひろしま(SAH)
令和2年4月に広島県スポーツ推進課に設置された地域スポーツコミッション。
広島県内にある様々なスポーツ資源を活用し、地域課題解決・地域活性化を目指します。

 

 

 

 

被爆・終戦80年 #未来へのおりづるキャンペーン2025概要

 

キャンペーン期間

2025年8月5日(火曜日)~8月9日(土曜日)

参加方法

次の3つのステップで参加できます。「おりづる」に平和の思いを込めてシェアしてください。

参加方法おりづるの折り方はこちら

実施主体

広島県/へいわ創造機構ひろしま(HOPe)、長崎県、核脅威イニシアティブ(NTI)

被爆者からのメッセージ

キャンペーン実施にあたり、広島と長崎の被爆者の方からメッセージをいただきました。

 

 

島田 佳美さん(広島)

 私は3歳の時、広島市己斐町で被爆しました。原爆投下の8月6日朝、私と妹、私の実家に身を寄せておられた女の子3人で布団部屋に
頭を突っ込んだことを鮮明に覚えています。その後原爆の惨状を耳にするたびに大変なことであったと思います。
 今後、子ども・孫が、戦争のない核のない平和な世界が続くことが一番と思い、私たちに何ができるか、この歳になって一人ではなかなか行動も難しいため、「おりづるキャンペーン」を通して皆さんと共に世界に向かって平和への思いを発信していくことが出来ればと思います。
 今年は被爆80年、またノーベル平和賞受賞と広島も変化の8月6日を迎えるのではないでしょうか。
 皆さん元気に原爆の日を迎えましょう。

丸田 和男さん(長崎)

 1945年8月9日、爆心地から800メートルの所にあった旧制瓊浦中学校の1年生300人は、期末テスト最終日の英語のテストを終え、午前10時半ごろまでに校門を後にした。家路について間もなく、運命の11時2分を迎え、1年生の三分の一を上回る114人が命を落とし、再び学びの庭に姿を現すことはなかった。その一割余りの十余名はどこでどのような最後を迎えたのか遺体さえも見つからなかった。
 いまだ12、3歳の少年の身で、戦場でもない長崎で、しかも戦争が終るわずか6日前に原爆で命を奪われた学友たちの無念さを思うと、80年たった今でも強い悲しみと憤りを禁じ得ない。昨今の世界情勢を見ると核軍縮とは反対に核軍拡の方向に進んでいるといわれる。
 被爆体験を語り継ぐことは、生き残りたる者の義務であり、それは全人類に対する責務と言える。
 われわれ長崎のヒバクシャは、改めて声を大にして「長崎を最後の被爆地に」と世界に向って呼びかけよう‼

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