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平成29年度来館者

【平成29年度】 来館のお客様と過ごすひととき・・・・・「平成28年度記録」 「平成27年度記録」 
いつごろ  どのような
3月中旬 ◇米国 カリフォルニアからの親子
 玄関付近にいる当方から若い男性に声をかけますと,ほぼ同時にその保護者と思しき男性が現れました。展示に興味がありますかとたずねますと,あるという返事です。立ち入ったことは聞かずに展示の概要を紹介し,折よく公開のお茶会が開かれていることを伝えますと,おふたりとも乗り気の御様子です。さらに好都合なことに,お茶会のスタッフの中に和服の女性がおり,彼ら親子の御案内をお願いすると,快諾とともに茶席に同席して案内してくれることがわかりました。せっかくの機会だからと茶室前の庭と茶席に座っている様子をお父上のスマートフォンをお借りして写真を記録しました。ちなみに茶室ではお父上は小さな椅子に座り,御子息は初め正座に努めていました。おふたりの両脇で和服の女性が基本的なことを説明していただいたおかげで,貴重な時間が生まれたと拝見した次第です。
 お帰りの前に,押しつけがましいかもと思いながら,茶道の精神は一期一会の心だとも言われることを伝えたつもりですがどの程度届いたかは不明です。いずれにしても,こうして実際の場面で日本伝統文化を体験をすることに大きな意味がある,と思った次第です。

◇ドイツからの青年
 同日昼を過ぎたころ,今度は外国人男性がおひとりで受付に並んでいました。せっかくだからとお声をかけますと,ドイツから来られたこと,まもなく日本人の知人とここで合流することなどがわかりました。それまでの時間にということで,展示の案内をしましたが,興味を持って笑いを交えながら聞いていただくことができました。
 ほどなく日本人女性と外国人女性二人が現れ,どうも日本人女性が合わせて3人をお茶会に誘ったらしいことがわかりました。お茶が終わった後,改めて男性とお話をすることができ,旅行者ではなく昨年夏から広島の自動車会社で働いていること,以前は京都でも数か月,仕事で滞在したことなどを教えてくれました。昨年は,インドや米国から仕事で広島に来て休日に観光をしているという方にもお会いしましたことを思い出し,広島と海外の方とのつながりを改めて知ることとなりました。
3月初旬 ◇米国カリフォルニア州からの大学生10名
 庭園の紅梅が白梅に変わろうとするある日の午後,大学生10名が彼らをホームステイで受け入れているという方3人と一緒に来館しました。限られた日程の中で時間を組み入れて訪ねてくれたようです。
 ガイダンス展示室の概要に続けてひな人形の展示室にも案内しました。然るべく選ばれた10人だという予測もありますが,当方の説明に真剣に耳を傾けていることが伝わってきました。時間が限られているため,かのナポレオンとほぼ同時代の人物であること,現代で言うならマルチタレントの人物であることを紹介しました。また期待薄で「デイビッド・ヒューム」という人物を御存知ですか?とたずねますと,ほぼ全員が肯定しました。当方が驚くと,大学で哲学を勉強していますから,という答えが返ってきました。なるほど。当方は著名な評論家の記述から引用している話なのですが,その評論家氏の解説で,「頼山陽は,かのデイビッド・ヒュームに匹敵する。」という説明がわかりやすいだろうと,海外からの来館者に伝えたりたずねたりしています。以前,中国からの青年がほぼ即答で,「知っています。歴史家というよりは哲学者では?」と答えたのに驚いた覚えもあります。
 折しも展示されているひな人形の寄託者のおひとりが来館中であり,この学生たちに引合すことができました。
寄託品は昭和初期に京都で製作された大がかりな人形の一揃いであり,その寄託者自身もほぼ同時期に生まれこの人形を贈られたこと,戦時中は生活に必要がないという理由で広島の郊外に移していたため原爆に遭わなかったこと,寄託者御自身も勤労動員の仕事が続いていたのですが,学生たちは全体が半分に分けられ,原爆投下の日,彼女の班はちょうど休日が割り当てられていたため被災しなかったこと,などを改めて当方が知るとともに米国からの学生に伝えることができました。
 この広島に古くから残るさまざまな資料(史料)はどれをとっても原爆と切り離せない歴史をもっていることを再認識した場面でした。
2月中旬 ◇英国ヨークシャーからの女性
受付の様子から日本語に困っているとは見えないながら,せっかくだからと案内を買って出ました。ひな人形の展示中であり女性ならその内容を伝えやすいだろうとも思ったからです。勝手に印象を述べるますなら,物静かな話し方で控えめな態度,尚且つ知的な人物でした。この資料館を訪れる海外からのお客さんは,そういうタイプが多いとお見受けします。
タイミングを見計らって立ち入ったこともお尋ねしたところ,神戸で英語を教えて6年になること,広島訪問は数回目で,ときどき仕事目的で来ることもあること,日本文化には父親の影響もあり子どものころから関心があること,日本の大学に1年間留学し,そのころ谷崎文学を授業で読み大正時代の文学に興味があること,茶道を習い自分で点てたことがあること,書道を習い作品を家に飾っていること,十二単を体験したことがあり,自分でも着物を持っていて種類によっては着ることができることなどなど,いわば舌を巻くような日本伝統文化フリークであると知ることになりました。
もちろん終始日本語で応答ができたので誤解の少ないやり取りになったと思います。ガイダンス展示の説明にも真剣に耳を傾け,さらにひな人形をひととおり案内して回った後,おひとりの時間を作るとかなり時間をかけてじっくり御覧になっていました。
12月初旬 ◇親子二人
 書道展が開催されているある朝,庭園の様子を見ていると,旅行者と思しき二人が入ってこられたのでお声を掛けました。遠慮せずお尋ねすると,岡山からの旅行であり,以前,中学生の御子息が研修旅行で平和資料館と袋町小学校を訪ね,その折にこの資料館に入り印象深かったから,御子息に連れてきもらった,ということでした。
 そういう思い出が家族友人に広がることはこの上なくうれしいことです,というお礼の気持ちをお伝えしました。さらに岡山県の歴史関係の資料館で頼山陽に関する展示をなさったこともあるいわば同業のお客さんだということも後になってわかりました。
11月中旬

◇上海からの御一行様
 5人です,と入ってこられた女性に続き男性4名が現れました。お聞きすると上海からの御一行様とわかりました。話が進むにつれ後述のとおり少しずつそれぞれのお立場が理解できました。昨年秋,フランス人のお客さんを案内し,終りごろになってパリの大学で歴史を専門にされている教授だと知った時の冷や汗を思い出しました。展示や歴史に関して,当方は専門外であり,あらましだけの紹介になりますと前置きしました。世界共通語なら北京大学の男子学生が間に入り,日本語ならもう一人の男性が取り次ぐということがわかり,迷わず後者を選択しました。
 断片的に伺ったお話を整理しますと,主賓は上海にある師範大学(上海大学ではない)で「書」を専門にされている教授で,この日も午前中はある場所で教えてこられたとのことです。周りから呼ばれるお名前でわかった日本人男性も,お聞きするとやはり書の専門家であり,長年,上海でお仕事をされていた関係で教授とつながりがあることなどを伺いました。
 頼山陽のプロフィールを紹介するのに,いつものように「日本外史」の木活字本とそれにまつわる説明から始めました。門前の小僧ながら,話のつながりと,相手から関心を持ってもらえそうな視点を考えています。すべて中国語で書かれていること,この書物は上海でも広く流通したらしいこと,結果的に多くの幕末の若い武士に強い影響を及ぼし,幕府に対する批判を強める書となったことなどを紹介しました。書かれている漢字は古いタイプの中国語らしいのですが,少なくとも私には読めないし理解もできません,と吐露すると笑ってくれました。教授によると,文字も文法も古い時代のものであり現代のものとは違うが,十分理解できると請け合ってくれました。「外史」の意味に触れると,中国では「正史」に対して「野史」の用語を使います,と教えていただきました。
 山陽自身は若いときから文筆家として歴史に名を残したいという野望があったこと,歴史にとどまらず詩作,書家,水墨画家としても名を成しているという話題のつながりで,日本のいわゆる南画は中国では水墨画と同一であると教えていただきました。せっかくだからと昨年度当資料館で開催した「現代水墨画展」と「南画精華展」の図録をお見せし,前者はプロ,後者はアマチュアによるものと紹介しました。
 当方としては,展示に関する紹介だけでなく相手に応じた質問を投げかけ双方向のやりとりが続くことを意識していますが,その意味では話題に事欠かないお相手でした。たとえば,中国でお酒の醸造はどうなっていますか,儒教は現在の中国ではどのように評価され扱われているのですか。書は,日本の小学生には必修として教えられていますが,中国ではどうですか。などなど。日本の「書道」,中国の「書法」の話題から漢字の書体,隷書・草書・楷書と生成された変遷の話題に及ぶと,お客さんの専門領域に入り込むこととなり,特別講座を受講しているような場面も生まれました。
 女性コーディネーターが教授の疲労を心配している様子も感じ,1時間ほどで切り上げることになりました。当方にとって御一行が来館されたことは実に貴重な御縁ですという感謝と敬意を込めて,敢えてお名前をお尋ねしますと快く教えていただきました。

11月中旬

◇タイランドからのお客さま
 女性一人のお客さんが来られました。やや手持無沙汰のご様子とお見受けしました。展示に関するやり取りもそこそこに,当方がお客さんのことや現在のタイの状況に関心を持ってしまいました。遠慮せずにお尋ねすると,おひとりで旅行されていること,まず昨日広島に着きしばらく観光する予定で,そのあと大阪で友人と合流して15日の旅行だということなどをお話ししていただきました。
 さらに躊躇せず,タイのお国は現在安定しているのですか,つまり,政治的にです,と尋ねますと,少し言葉を濁すように,いろいろな勢力があるのも事実で本当に安定しているとは言えませんね,ということでした。この話題で双方向のやり取りが膨らます力量の不足を痛感しながら,日本のテレビでも国王の葬儀を伝えていましたよ,と切り出しますと,「ああ,それは先月のことですね。」ということでした。タイ国王は国民にとても人気がある,という程度のことはテレビを通じて聞いていましたが,脈絡のある質問をするにはそれなりの基礎知識が必要だ,ということをいつもながら感じた次第です。
 終りごろ,タイから日本に来られる旅行者は多いのですかとお尋ねすると,かなり多いです,と即答です。広島市内でも東南アジアからの旅行者が多いなと思う昨今です。

10月初め

◇シンガポールからの留学生とホストファミリー
 10月初めのある日曜日の昼前,市内の大学に短期留学しているシンガポールからの学生さんがホストファミリーとともに来館しました。せっかくの機会だからと案内の途中で,こちらからいろいろと質問を挟みました。むしろ座り込んでじっくり聴き取りしたいくらいでしたが,適度に配慮しながらの質問に抑えました。
 マレーシア出身で今はシンガポールの大学で学んでいること,将来はエンジニアを目指していること。マレーシアの出身だけれど中学生のころからシンガポールで学んでいること,マレーシアとシンガポールは橋でつながっていること,急速に発展したシンガポールは多民族国家であり,中でも中国系が国民の8割を占めること,などを知ることができました。言語の話題から,あなた自身はいくつの言語を話せるのですかと問うと,4つくらいでしょうか,と指を折って数えてくれました。マレー語,英語(公用語),中国語,香港で使われる中国語など。それではこの「日本外史」で使われている中国語はおよそ理解できるのですか,と聞きますと,「大体はわかりますがこれは古い時代の中国語で,現代中国語ではありません。台湾で使われている中国語が近いかも知れません。」とのことでした。
 この際だからと,あなたが受けてきた歴史教育はどのような点に焦点が当てられていましたか,と尋ねると,マレーシアの歴史とシンガポール独立からの歴史ですね,という答えがすぐに返ってきました。シンガポールの高校生や大学生は勉強が大変なのでしょう,と促しますと,すぐに肯定はしましたが,簡単に説明できるような単純なことではない,という雰囲気を感じました。国全体として教育レベルが常に世界のトップクラスにあるその背景や理由を断片でも聞きたいというこちらの意図が透けて見えたかもしれません。

9月下旬 ◇カナダからのおふたり
 小雨の降る午後,若い男女のお客さんが来館しました。カナダのモントリオールからということです。女性が日本人であることがすぐわかり,立ち入ったことですがと前置きしてその疑問を直接投げかけてみました。実家は大阪ですが,現在はカナダで二人で暮らし既にカナダの永住権も得ています。大阪を起点に何度か日本や東南アジアを旅行していますと,そうしたことを気さくに話してくれました。20代後半とお見受けするおふたりです。
 頼山陽のプロフィールを紹介するとずいぶん熱心に耳を傾けてくれました。男性から,今は趣味のようなものだけど歴史の勉強を続けていて,もしかすると歴史を教える仕事につくかもしれない。彼の家族は欧州の出であり,その歴史を考えると欧州やアジアの歴史を考えないわけにはいかない。などなど,次々と話してくれました。さらに,かつてワーキングホリデイを活用して日本で短期間仕事をした経験があること。勤務地を選ぶときにカナダと緯度がほぼ同じだという理由で秋田県を選びました。などの経験も途切れず話してくれました。
 当方から,前回のカナダ人青年との応対を思い出して,アメリカが新しいリーダーに代わってからカナダの首相が学生の米国修学旅行などを全面的に止めると宣言したことをネットのニュースで読んだがどうなんですかと水を向けました。すると,「そうなんですよ。計画されていた旅行も次々とキャンセルされて国内旅行などに代わっています。でもその結果,よかったことがあるんです。今まではカナダの歴史を考えるときも米国の歴史が中心でしたが,最近ではカナダの歴史そのものへ強く目が向けられるようになっています。歴史を考えるとき,ヨーロッパの歴史,そしてアメリカ以外ではとりわけ日本や中国をはじめとする東洋の歴史があります。カナダの歴史はせいぜい400年くらいであり,大きな流れを知る意味からもそうした世界史の観点が必要なんです。」というようなことを熱く語ってくれました。歴史に深く入るほどに能弁になるのでしょうか。
 今回の旅行が1ヶ月の行程であることに当方が驚きを見せますと,ツアーガイドの仕事をし繁忙期でなくなるとすぐに旅行を計画するのだと教えてくれました。それで生活は安定しますか,と少々批判的にたずねますと,カナダでは「若さゆえの愚かさ(無謀さ)」という言葉がありますから,とウィットを利かせて即答しました。知的な話し方で落ち着いた印象の青年でした。
9月中旬

◇米国ボストンからの男性二人
 台風のもたらす雨の中をおふたり連れの男性がためらう様子なく入館しました。アメリカのボストンからということです。都市としては初めてです。多分20代ですが,踏み込んだことは省いて,ちょうど今ここでお茶会が開かれていますが入りますか,とたずねますと乗り気の返答です。
 ほどなく次の茶席が始まることがわかり,主催者の方も同行して,せっかくだからと小雨にもかかわらず茶室前の庭園を通って茶室に入りました。台風の影響もある難しい状況の中で開催されたお茶会でしたが,午前中は盛況で,多いときは25-26人の席もありました。そのピークが過ぎた時間帯でもあり,このお二人が入るときは全部で6人の茶席となりました。
あなた方は実にラッキーだ,ほとんどおふたり専用の席になったのですから,と少々大げさに伝えました。
 数回の経験があるとはいえ当方は茶席に関してはまったくの素人です。それを見越して周りの方が積極的に助言していただいたおかげで,お菓子やお茶を受取り順に頂く基本は伝えることができました。正客と主催者の間の本来のやり取りは省かれましたが,そうした話題も織り交ぜつつ,とりわけ主催者側のおひとりがそのお椀はたぶん1万数千ドルでしょうね,冗談めかして言われますのでそのまま伝えますと,若い米国のお客様は素直な驚きを見せていました。
 また安心したことのひとつは,彼らと同席した女性のお客さんが彼らに臆せず和やかに話しかけられているのを見かけたことです。もうひとつは主催者のおひとりから,「日本人のおもてなしの原点は茶道にある。」というわかりやすい助言をしていただいたことです。一期一会を中心話題にしようと思うこともありますが,その文脈を作れないままになりがちですからうれしい助言です。
 約1時間の滞在でしたが,見るだけでなく日本文化を実体験し同じ場でその文化を継承する何人かの日本人と対話できたことは彼らにとって意味があることだったと願うばかりです。退室前に床の間を背景に,しかもお茶のお世話をいただいた着物姿のおふたりと並んで写真を提案すると大いに喜んでもらいました。
 そのあと展示を簡単に紹介し,いつものように隣の小学校併設の資料館を紹介しました。

9月中旬

◇メルボルンから3人連れのお客さま
 台風接近の影響もありしのぎやすくなった日の昼前,3人連れのお客さまがありました。いわゆるシニア世代で,御夫婦とその御友人というところでしょう。メルボルンからということです。少しだけ世間話をした後,常設展示の部屋に案内し,頼山陽のプロフィールを紹介しますと,ずいぶんと関心を示してくれました。突き詰めていうなら,この時代の文人はいわばマルチタレントということができる,というあたりはしっかり受け止めていただいたようです。
 収蔵品展も紹介しましたが,ほとんど伝えるべきものを当方が持ち合わせておらず,人生50年といわれていた当時にあって,80歳90歳を超えて活躍された文人の作品を集めた,という点は理解していただきました。掛け軸の前に来たとき,このような軸は現在でもお茶席では欠かせないアイテムであり,季節に応じて選んで掛けるそうです,とあやふやを承知の上で話題にしました。すると,彼らが京都滞在中に茶道を体験したことを楽しそうに話してくれました。正座まではしていませんよね,とたずねますと,やりましたよ,しびれて立てなくなるくらいまで,と3人そろって笑って答えてくれました。
 お聞きしたわけでもないのですが,3人のうちのおひとりの女性が御友人を指して,「この人の母親は日本人なのですよ。」と言われ,にわかに親近感が高まりました。あえてお尋ねすると,ミヤコノジョウというお返事でした。現在かなりの御高齢で病気がちだから以前のように日本に来ることはできなくなりました,というのでそれ以上話を広げることにはなりませんでした。
 この後の予定をお尋ねすると,縮景園とお聞きしましたので,それではぜひにと,いつものように隣の小学校に併設の平和資料館を紹介しました。

8月下旬

◇インドからの若い男性3人 
 現代刀の展示最終日の昼ごろ,ロビーはこれから始まろうとする刀剣鑑賞会の準備が進みにぎやかな空気になっていました。そこへアジア系の3人の男性が入館してきました。話しぶりは特徴がありますが何とか疎通できると思い,案内を申し出ました。じっくり座り込んでお話を聞き出したい気持ちを抑えて,広島へは観光ではなくエンジニアとして広島市内の会社で短期間働いていること,3人の予定はそれぞれ異なり,早い人は1週間後に,遅い人で数か月後に帰国する予定であること,広島の猛暑はそれとしても住みやすい街であること,などを話してくれました。許されるならお国の教育事情や,暗算が19の段まであると聞くけれど本当ですか,などの話題が頭に浮かんだままにして刀剣の会場へ案内しました。
 ちょうど鑑賞会を行う刀匠がおられたおかげでていねいな対応ができ,さらに刀匠が用意された数振りの真剣を手にして,振り下ろす動きを体験したり,真剣を持った姿を相互に写真撮影するなどもできました。これらの刀は本当に鋭利なのですか,という質問もありましたが,それを実証する方法がなかったのが残念です。
 同日及び前日,「ひろしまポップカルチャ2017」の催しが,旧日銀広島支店や市民プラザと併せて当資料館も会場となっておこなわれ,コスプレを楽しむ国内・国外の若者の闊歩する姿が庭園にも本館ロビーにもあふれ,なんとも不思議な空気が流れていました。またそれに気づいたインドからのお客さんたちはさらに不思議な気持ちを募らせていたようです。

8月中旬 ◇広島市内の男性
 朝,開館前に庭の様子を見ていますと,年配の男性が一人通用門から入ってきましたので挨拶を交わしました。当方が被爆樹木の近くに立っていたこともあり,その話題になりますと,広島市内在住でかつて被爆樹木を取材撮影したこと,最近では被爆建物に関心を寄せ調査した内容をブログに載せていること,などを話していただきました。
 たいていは来館者に被爆樹木を紹介してもその説明プレートを読んでいただき写真を写すくらいなのですが,この方は根元の状態を念入りに観察し,黒く焦げた跡と新しい芽が成長した所がわかること,将来のことを考えるとその樹木の管理が心配だということなど,率直に話をしてお帰りになりました。
 毎年この季節にこの場所にいると,どなたかとこうしたお話を交わしたり被爆にまつわる貴重な体験談を伺うことができるという偶然があります。
8月上旬

◇パリから一人旅の男性
 一人旅の男性とお見受けしお声をかけると,フランスはパリからの男性とわかりました。気取った風もなくバックパッカーに近い雰囲気です。現代刀の展示でしたから比較的話をつなぎやすいと思ったのですが,どうもこのお客さんは少し共通語にも苦労していることがわかります。そのわりには話の区切りでよく日本語も出てきます。あえて立ち入ってお訊ねすると,日本にはすでに1年滞在していると聞こえたので,「1月ではなく1年ですか?」と思わず聞き返してしまいました。日本の学校でこれまで日本語を勉強し,来月から日本で就職活動を始めるつもりだ,とのことです。
 日本語は中国語よりも面白い点があるが,英語をもとにできた日本語は,たとえばデパートなどのことばはとてもまぎらわしい。一つの漢字が3つも4つも読み方があるんですよね,と日本語への関心も示してくれました。
 ちょうど水曜日でしたので,強引にHIROSHIMA KAGURAの上演を紹介し,さらにお隣の袋町小学校資料館も案内しました。
 このような青年と話すたびに,どうも彼らは意識的計画的にゆったりした人生を過ごそうとしていると感じます。

7月初め ◇米国からの男性 
 がっしりした体格の男性が入館され言葉に不安がある様子を感じましたので,久々にお相手をしてみました。どことなく東洋の雰囲気をお持ちだとは思いましたが,それを察したのか,「実は日系三世なのです。」とアメリカから来られたことと併せて紹介されました。細かいことはとらえ損ねましたが,ビジネスで東広島市に滞在し,週末などに時間があると広島を訪ねているということでした。館内をおおまかに案内しましたが,ご期待に応えたかどうかは不安です。
 帰り際に,「実は祖父にお土産としてお茶漬けを買いたい。どこへいくといいだろう。きちんとした包装もしてくれるところがありがたいのだが。」というお尋ねがありました。女性職員も交えていくつか候補が上がった末,大きな交差点に面したデパートを紹介しました。お茶漬けを愛好するということはお米を日常的に食べているということか,など些末なことまで想像した当方でした。
6月下旬

◇ハンガリーからの御家族
 たいへん印象に残るお客様がありました。ハンガリーからの御家族連れです。茶室で茶道体験をしてみたい奥様、陽気で気さくな御主人とその友人、そして賢明そうな高校生の息子さんの四人です。「茶道教室は午後からなので、昼食を先にして下さい。」と外へ送り出し、その間に習字体験の準備を始めました。当館は「頼家」という江戸時代屈指の能書家の家系でもありますので、ぜひその雰囲気を味わっていただきたかったからです。学芸員が頼山陽の「千字文」のコピーを用意してくれました。
 まず茶道の先生の御協力の下、茶室で本格的な茶道を体験しました。和菓子はもちろんのこと、床の間やお道具の説明までしていただき、奥様は「素晴らしい!感激した!」とくりかえし口にされます。小さな資料館ではありますが、茶室とともに珍しい『文人庭』も備えており、海外の方にとっては大きな魅力のようです。
 その後、収蔵品展を案内しました。漢詩や文人画は難しいかなと案じましたが,学芸員の機転で文人画の小船や人物を小さなLEDライトで照らすと「ワァ~」という歓声が上がりました。皆さんから漢字についての質問が出たり、画の印象についても会話が弾み、光ひとつでこんなにも反応が変わるのだという発見がありました。
 いよいよ習字体験です。頼山陽の手本はやはり文字に気品とリズム感があり、筆が運びやすいのでしょう。心配をよそに、皆さんは楽しそうに次々と難しい字にもチャレンジしていきます。また、書いている漢字の意味も、積極的に知りたがります。高校生の息子さんは特に「張」という字がお気に入りでした。ダイナミックで強い字のような気がする、というので恐れ入りました。代わるがわるスマホで写真を撮りながら、最後は自分の名前を漢字で揮毫!?し、書いたもの全てを持って帰られました。
 日本文化に興味津々のみなさんでしたので、とても御案内しやすかったのですが、何度もお礼の言葉とともに「楽しい経験だった、忘れられない。」「色々な話ができてハッピーだった。」と、率直な感想をいただきました。凝ったイベントを用意しなくても、当館の茶室や庭、そして「書」や漢字にまつわる膨大な史料を活かしながら、やはりその「ひととき」を来館者の皆さんと共有することが大切だと気付いた次第です。 (I)