頼山陽史跡資料館は、広島市都心部の中区袋町5-15に所在します。この場所は、江戸時代には「杉ノ木小路(しょうじ)」に面した武家屋敷地で、頼家の屋敷がありました。頼山陽(1780~1832)は、ここで11歳から30歳までの青少年時代を過ごしましたが、21歳の時に脱藩騒動を起こし、屋敷内の一室に幽閉されました。その部屋は「頼山陽居室」として復原され、国の史跡に指定されています。
昭和10年(1935)12月、当地に山陽記念館が建設されましたが、原爆によって大破し、収蔵品の大半は焼失しました。戦後建物は修復され、社会教育施設などに利用されていましたが、老朽化が著しく危険な状態になったため、平成7年に広島県が頼山陽史跡資料館として建て替え整備しました。
頼山陽史跡資料館は、頼山陽をはじめとした江戸時代の広島の歴史と文化に関するさまざまな資料の展示・公開、調査・研究を行う施設として、平成7年11月3日に開館しました。開館以来、頼山陽記念文化財団が運営に当たってきましたが、平成27年度からは広島県が運営する資料館となり、平成27年5月1日にリニューアルオープンしました。
昭和10年(1935)、当地に山陽記念館が建設されましたが、原爆によって大破しました。戦後建物は修復され、社会教育施設などに利用されていましたが、老朽化が著しく危険な状態になったため、平成7年(1995)に頼山陽史跡資料館として建て替え整備されました。
建て替えの際には、被爆建物であることを考慮して、図面・写真・模型によって記録保存するとともに、正門や塀、石畳については現状保存し、バルコニーの手すりの一部を切り取って敷地内にモニュメントとして設置しました。資料館には、山陽記念館の模型や被爆前後の写真を展示しています。
また、庭園内にあるクロガネモチは被爆樹木です。『広島原爆戦災誌』(1971年、広島市出版)には「庭内にあった古いクロガネモチの大木は、被爆によって根株だけを残して焼けたが、5年目の昭和25年に、不思議にもその株が芽を吹き」という記述があります。被爆70年後の現在、このクロガネモチは力強く成長し、高さは5メートルを超えています。
「頼山陽先生日本外史著述宅趾」と記されたこの石柱は、昭和2年(1927)に建てられましたが、被爆によって折れてしまいました。石柱は、戦後復原されましたが、現在も被爆の爪痕が生々しく残っています。
(2)クロガネモチ (3)山陽館の石柱