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広島県・へいわ創造機構ひろしま(HOPe)と広島大学が共催した被爆・終戦80年人材育成特別プログラムの参加者が、専門家からの講義や米国でのフィールドトリップ等の研修で学んだことについて、「次の一歩は私たちから 核兵器使用の回避にむけた提案」をテーマに核兵器が使用された際のワースト・シナリオとして発表しました。こちらのページではその内容(全文)を公開します。

 

核兵器が使用された場合のワースト・シナリオ 『2045年の世界‐核兵器のない未来のために私たちができること‐』

 

制作者

・青木 真耶 (叡啓大学 2年)
・石井 寧々 (AICJ高等学校 2年)
・ウォーシャー 理彩 (AICJ高等学校 1年)
・狩谷 愛波 (武田高等学校 2年)
・小林 芽衣 (広島大学 1年)
・シンハプラタパ・ティヌラ・パハサラ (近畿大学附属広島高等学校 東広島校 2年)
・竹内 悠人 (AICJ高等学校 2年)
・中岡 宗大 (中央大学 2年)
・西田 有寿 (AICJ高等学校 2年)
・松本 啓汰 (尾道北高等学校 2年)

 

核兵器が使用されるまでの経過

登場国概要
国名 主な概要
A地域

・B国領土内にある自治政府、この地域に住む住民の中にはこの地域が独立した国であると主張する人が多数存在する。
・経済活動に不可欠な物資で世界的にシェアが高い

B国

・核兵器国
・A地域を自国の領土と主張する国

C国

・核兵器国 (A地域を支援)

D国 ​・領土内にC国の基地や軍の施設がある。
E国

・核兵器国
・B国と同盟国

国内問題が国際対立へと拡大

 20XX年、B国の領土内にあるA自治政府では若年層を中心に「自分はB国の国民ではなくA自治政府の国民」と認識する人が増え、独立志向が着実に強まっていた。C国がA自治政府を事実上支援する姿勢を見せる中で 、A自治政府の政権は「今こそ独立の機会」と判断した。
 世論調査の後押しを受け、国名や憲法改正、住民投票を視野に入れた準備を開始する。政権内部には派閥間の不満も残っていたが、自国第一主義の旗を掲げつつ「国際的な流れに沿った独立」を訴えることで世論を固めた。
 これに対しB国は強く反発し、当初はA自治政府への経済制裁や外交圧力を強め、同時にA自治政府を支援するC国をはじめとした周辺国にも牽制的な発言を繰り返したが、やがて大規模な軍事演習へと拡大し、A自治政府包囲を思わせる動きを取り始めた。

 A自治政府近隣で緊張感が高まる中で、A自治政府の産品の輸出は全て停止した。特にA自治政府は経済活動に不可欠な物資で高いシェアを誇っており、主要国の多くの産業は大きな打撃を受けた。
 C国大統領は自国の法と政治的判断に基づき、A自治政府への武器の供与及び兵力の派遣を決定した。周辺地域の安全を脅かす事態の発生を受けてさらなる自陣営の強化を図りたいC国は、主要な同盟国であるD国をはじめとする主要な同盟国に対して、応じなかった場合には同盟関係の見直しを検討するなどの強い姿勢で協力を要請した。各国が軍事力を駆使して合同でA自治政府防衛に当たることを宣言した。

 A自治政府周辺で繰り返される大規模な軍事演習はA自治政府を取り囲む形での陸海封鎖を狙うことを目的としていると見られる。B国軍の艦艇や戦闘機がA自治政府領空・領海のすぐ近くまで接近する中で政府の混乱やC国の支援撤回を装うソーシャルメディアを活用したフェイクニュースの拡散などの認知戦が展開された。
 その結果、A自治政府政府や軍の意思決定や指揮系統は混乱し、防衛対応が遅れやすい状況になっていた。

 その頃、A自治政府防空レーダーは電波妨害の影響を受けB国軍機の動きを「巡航ミサイルによる攻撃」と誤検知した。それにより防空レーダーは自動的に迎撃態勢入り、現場の指揮官は確認時間がわずかしか与えられないため航空機に向けた防空ミサイル発射の決断を下した。
 これが偶発的に「A自治政府側の先制攻撃」となり、B国軍は即座に大規模反撃に踏み切った。さらにB国はA自治政府のインターネットを世界から切り離す「サイバー封鎖」を行った。
 こうした一連の偶発的行動により、A自治政府領内ではB国と、A自治政府の艦隊・戦闘機が交戦。
 在D国C国軍基地からもC国軍機が頻繁に出撃した。そのため、D国領土周辺の空域も巻き込まれ空爆のリスクが拡大して事態は一気に局地紛争から地域紛争へと発展した。

まとめ1

情報混乱と誤認による偶発的な武力衝突

 通常であれば誤検知や誤認、誤射などは再発防止のため運用が強化されるはずだが、極度の緊張下では兵士や司令部の判断は不安定になり、誤情報への過剰反応で二度三度と誤爆が続いた。当面の間は通常兵器で攻撃を繰り返すが、事態の転換点となったのは軍事施設を標的とした攻撃が住宅密集地への誤射を招いたことだった。
 ついに民間人にまで被害が及んでしまったのである。これを機に双方の攻撃は本格化し、エスカレートしていった。
 通常戦力で優勢にあるB国は、次第にA自治政府、C国・同盟国を圧倒していくなかで、C国は事態を打開すべく、ついにC国大統領が限定的な戦術核使用を決断した。これはC国内での強い政治的圧力に加えA自治政府やC国の同盟国の要請もふまえたものであった。
 人道批判を避ける目的かつ多少の被害を出すために主要都市ではなくA自治政府周辺に展開するB国の空母など海軍の艦艇を標的として使用された。被害としては海洋汚染や船舶の損傷、数百人の兵員の死亡といった程度だったが、B国はこれを国家への挑戦ととらえ自国も核報復へ踏み切った。

限定核使用は、報復の連鎖で全面核戦争へと拡大

 限定的核使用は「最初の一発」を契機に数週間で連鎖的に拡大した。
 C国は、さらに追加の核攻撃を行った。C国側の核使用は次第にターゲットが都市近郊の軍事基地になり、その結果基地周辺に住む民間人などにも被害の規模が拡大した。
 これを受けたB国はC国への報復の選択肢を広げるため次第にターゲットを拡大させる。ついにC国同様、戦術核の使用と軍事基地だけでなくC国内の大都市近郊の軍需・輸送ハブなどへの攻撃を決断した。
 両陣営の報復や迅速な意思決定が繰り返され、百発以上の小・中威力弾頭が数週間から数か月の間に投入される。B国側のC国本土周辺の海への攻撃を受け、C国は同国と軍事的同盟関係にある国々に支援を要請し、周辺地域にも段階的に物資などの支援から軍事的支援へと関与を深めた。
 E国はこれを「機会の窓」と判断し、C国と軍事同盟のある国のE国がかつて統治していた地域に侵攻を開始する。結果として地域衝突が世界的衝突に転化してしまい核の使用がさらに拡大した。技術面ではAIによる自動目標選定や意思決定支援、新型モデルの無人機群といった新兵器が作戦の速度と誤認の危険を高める一方であった。
 C国はより効率的な核の使用のためD国にあるC国軍事基地からの核の発射を要請した。D国ではC国に核兵器を配備するよう迫られたことを受け、激しい議論が展開された結果、その配備を受け入れるとの大きな政策転換を決定するといった局面も生じた。
 こうした流れは核兵器使用の連鎖を生み、初めは軍事施設への攻撃だったものが都市部へと拡大し、多数の死傷者に加え広域に及ぶ社会・経済機能の崩壊を招く。

まとめ2

 都市は焼け、医療や電力網は崩壊し、病院や物流は沈黙した。SNSも通信も途絶え、人々は互いの安否さえ確かめられない孤立に追い込まれる。
 核戦争のシナリオでは敵の核戦力・基地をはじめとする軍事施設が優先的に狙われるとされるが、実態は違っていた。広島や長崎の史実が示す都市被害の惨状を思えば、被害の規模は計り知れない。
 やがて火災と放射線で空に舞った塵が地球を覆い、太陽光が遮られ気温は急激に低下する。北半球の農業やインフラ、都市機能が壊滅し、北半球と相互依存の関係にある南半球の経済も連鎖的に崩壊し、飢饉が発生。さらに森林や河川、海洋の循環も乱れ、生態系の崩壊が連鎖的に広がった。文明の終焉は、社会の破壊だけでなく、気候と地球環境そのものへの深刻な影響と不可分だった。

 

核兵器の使用に直面した個人の証言

 私は今日もいつもと変わらない朝をすごしていた。
 友達とカフェに行く約束をして、母が「夕飯カレーだよ」と笑っていた。その笑顔を、何の気なしに見送った。

 昼すぎ、スマホの通知が鳴り止まなくなった。
 《B国がA自治政府周辺で軍事行動》《C国が軍隊を派遣》《D国も防衛準備に入る》SNSでは「ミサイルがD国に落ちた」「政府が隠してる」など、噂と動画が次々に流れてきた。
 「本物?」「フェイクらしいよ」誰も本当のことを知らなかった。でも、街の空気だけが、いつもと違っていた。空を見上げたとき、黒い機体がいくつも飛んでいた。胸がざわついた。その瞬間、スマホが震えた。《緊急速報:避難してください》光。音。熱。何が起きたのか分からなかった。

 世界が一瞬で真っ白になって、次に見た景色は、瓦礫と煙に覆われた街だった。
 「家に帰らなきゃ」それだけを考えて必死に走った。
 信号は倒れ、道路は割れ、焦げた匂いが風に混じっていた。電線が垂れ下がり、火花が散っている。スマホを取り出したけど、電波はもちろん繋がらない。家族に連絡しても、友達にメッセージを送っても、誰からも返信はこなかった。
 「〇〇市が壊滅した」「核が使われた」「助けに行くな」誰かが「それは嘘だ」と反論して、コメント欄は罵り合いで埋まっていた。世界が壊れていく中で、画面の中も壊れていった。それでも私は、家に向かって歩き続けた。やっと家に辿りついたが、そこには何もなかった。屋根も、窓も、花の鉢も、すべてが灰になっていた。名前を呼んでも、返事は風に消えた。空は灰色で、太陽は見えない。ただ、冷たい風が吹いていた。
 その中で、私は立ち尽くしたまま、壊れた街を見つめていた。もう、どこにも帰る場所はなかった。孤独と恐怖の中で、ただ大切な人の無事を祈るしかなかった。大きな光とともに私の世界は消えた。世界は真っ赤で、泣き声が絶え間なく聞こえ、大きなビルも崩れて空が大きく見える。黒くて、濁っていて、希望のない空。私はこれからどう生きていけばいいのか。

 私は、灰の街を歩き続けた。どこかで救護所があると聞き、人の流れを追った。
 焼け焦げたビルの一角に、「臨時医療センター」と書かれた布がかかっていた。中には、包帯を巻かれた人、呼吸が荒い人、泣き叫ぶ子ども。薬の匂いと血の匂いが入り混じり、空気が重たかった。救護所の片隅にもうほぼ顔がわからない友達がいた。

 数週間後。 避難者は郊外の仮設住宅に移された。私の体には、原因の分からない発疹や脱毛が始まっていた。
 私はニュースで見た。
 「被爆したと思われる患者が増加」
 「政府、被爆者の支援せず」
 街では、ささやかれ始めた。
 「被爆した人とは距離を置け」
 「感染するらしい」
 「同じ避難所にいるのは危険だ」
 新しく通うことになった学校では被爆した人だけ別の教室に置かれた。最初は30人いたクラスも、一年後学校に来る人は15人にまで減った。
 私がスーパーに行くと、店員が無言でビニール手袋をはめた。友人にメッセージを送っても、既読はつかなかった。仮設住宅のドアに、スプレーで赤い×印が描かれていた。誰がやったのかは分からない。でも、それが意味するものは分かっていた。

 

核戦争の影響

国際情勢

 A自治政府の独立を巡る紛争から始まった核戦争は、世界規模で文明を揺るがした。
 長年にわたって最終的には機能すると誰もが信じていた核抑止が一気に崩壊したことにより、国家間の外交的信頼は引き裂かれた。さらに、国連を始めとする国際機関が停戦や和平交渉の糸口を示せなかった結果、国際社会は調停の道を失った。

各国の状況

 各国(保有国、非保有国問わず)は自国の生存と利益を最優先に掲げ、都市には行き場を失った避難民が溢れた。治安は急速に悪化し、至る所で武装集団や略奪者、闇市が横行し始める。被災者には差別の目も向けられ始め、やがて人々は常に互いを疑い、暴力と混乱が日常を覆い尽くすようになった。

個人への影響

 核戦争がエスカレーションしていく中でC国は、兵器庫最大の爆弾をB国領土に投下した。これは1945年広島に投下されたリトルボーイの約80倍の威力とも言われており、たった1発で150万人超が死亡した。(爆心地近くでは爆風と熱線により数秒から数分のうちに焼失・圧死する者が大半を占め、周辺地域でも深刻な熱傷や大量出血が医療崩壊の中で治療を受けられないまま死亡する)。
 核抑止が破綻した今、もはや核戦争を止められるものなどなく、使用される核兵器は数百発規模に膨れ上がった。即時被害のみに目を向けても、全世界で2億人以上が命を落とした。
 その上に、放射性降下物による急性被曝、医療・物流の崩壊、そして都市火災が大気へ送り込む煤による気候影響が重なり、数年から数十年のスパンでの飢餓・疫病によりさらに数億から数十億の命が失われていった。また被爆後の後遺症として発症する各種のがんや白血病によって、長期的にはさらに数千万から一億人規模の死者が生じる。核兵器の恐怖は何年たっても終わらないのだ。

核戦争のその後

 XX年後 世界は灰と化し、家族や友人の安否も依然として分からない。日常は奪われ、夢や希望すら消え去った。残された人々は灰色の世界で苦しみながら生きていくしかない。

 

むすびに

 核兵器は一度使われれば人類の存続そのものを脅かし、核抑止は破局を先延ばしにするだけで、恒久的な平和は保証されない。80年前とは違い被害の知識は高まったが、もし人々が無関心で軽率な世論を形成すれば、指導者は押し流され、再び破局へと進んでしまうだろう。だからこそ一人一人が意識を持つことが不可欠だ。
 被爆から80年。今もなお多くの被爆者や若者が核廃絶に向けて声を上げ続けている。80年たった今だからこそ私たちにできることが必ずある。
 では、あなたはどう行動するのだろうか。核抑止や核のタブーが守られなくなる時が訪れるかもしれない。では核が使われるはずがないと考えていて、本当に良いのだろうか。

 問い直す時は今である。

 未来を変えるのは、今を生きる私たちだけなのだから。

打ち合わせの様子

発表の様子

開会の様子

 

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