広島が誇る世界遺産、嚴島神社の知られざる魅力とは?
ひろしま自慢 |
現在、日本国内で登録されている世界遺産登録数をご存知ですか?正解は・・・23件 (2021年1月現在)。世界トップはイタリア・中国の55件ということで、日本は現在12位のランクインとなっています。意外と高順位?の印象でしょうか。その内、広島県に所在している世界遺産は「嚴島神社」と「原爆ドーム」。どちらも1996年 (平成8年) に登録され、今年で登録25周年を迎えます。ところで、そもそもなぜ嚴島神社と原爆ドームが世界遺産に認定されたのでしょうか?知っているようで意外と知らないその魅力に、今回は迫ってみましょう。
どうして、海の中に神社があるの?
嚴島神社は、推古天皇が御即位された593年に佐伯鞍職 (さえきくらもと) によって御創建されたと伝えられ1400年以上の歴史を持っています。「神を斎 (いつ) き祀 (まつ) る島=嚴島」として島全体が神の島として崇められていたため、陸地ではなく潮の満ち引きするところに社殿が建てられたそうです。
また、「安芸の宮島」とも呼ばれるこの島は瀬戸内海に浮かび、太平洋の松島、日本海の天橋立と並んで日本三景にも数えられ、深い緑色の森林景観と海、そして鳥居の色鮮やかな対比は日本を代表する景色となっています。島内最高峰の弥山 (みせん) は現在も原始林で覆われ、貴重な自然環境が残されています。
平安時代を伝える木造建物
島を背後にした入江に、木造建物が立ち並ぶという日本でも珍しい神社ですが、建造物群は平安末期の建築後、鎌倉時代に焼失してしまいました。現在まで2度の再建を行っていますが、精密な修復作業により創建当時の様子が残されています。平安時代を今に伝える大変貴重な建物なんですよ。
平清盛の美学が盛りだくさん!
この建造物群を造った人物が、広島の地で安芸守となった平清盛です。寝殿造りを取り入れて1168年に建造しました。海中にあることに加え、平安貴族の邸宅様式だった寝殿造りを神社に採用したこともユニークですよね。清盛は、鎧甲冑や刃剣類など多くの美術工芸品を嚴島神社に奉納していますが、中でも国宝「平家納経 (へいけのうきょう)」は彼の美学が集結され、歴史的にも装飾経の代表作として重宝されています。あの、ホテルオークラ本館建築時に大倉喜七郎が世界へ発信する日本の美学として参考にしたのも平家納経なんですよ。嚴島神社宝物収蔵庫にて定期的に一部公開、複製は宝物館で常時公開されていますので、こちらも必見です!
伝統祭典を見てみよう
当時の様子を伝える祭典が年間を通して開催されていますので、その一部をご紹介します。
清盛まつり
平家一門の嚴島神社参詣行列をモチーフとした平安絵巻を思わせる仮装行列。毎年春に開催され、平家一門の武将や公達、白拍子や物詣姿などに扮した一行が春の訪れを華やかに演出する人気のイベントです。
舞楽
舞楽とは、インドや中国、朝鮮半島を経由して日本に伝えられた音楽と舞のことです。鎌倉時代に平清盛が大阪四天王寺から楽所を宮島に移したことを機に盛んに奉奏されました。現在も嚴島神社に伝承されている芸能ですが、発祥の地インドも含めてアジア各地ではほとんど残されていないようです。
新生!宮島口旅客ターミナル
海の中にある幻想的で優美な嚴島神社。改めて1400年の歴史に触れてみると、平安時代の様子が垣間見えそうですね。原始林が残る自然環境と日本の伝統文化を伝える神社として、世界に誇れる唯一無二の遺産です。
2020年2月には、宮島口のフェリー乗り場「宮島口旅客ターミナル」が新装。これまで2つに分かれていたフェリー乗り場が1か所に集約してさらに便利になりました。広島県主催の「魅力ある建築物創造事業」の一環として開催された建築プロポーザルにより計画された新装ターミナルは、建築家・乾久美子さんが手掛けたということで、建築界でも話題となりました。新旧共に魅力あふれる宮島・嚴島神社。改めてその長い歴史を感じてみてくださいね。