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収蔵文書展「災害を語る歴史資料」 1

印刷用ページを表示する掲載日2020年6月2日

土砂災害被災地の歴史と文書―八木・緑井―

 広島県立文書館では,平成26年8月に「広島土砂災害」が発生した際,広島市安佐南区八木の被災者から,土石流で被災した多数の家族写真を預り,保全活動を行いました。そこでの経験は,「平成30年7月豪雨」災害の発生を受けて本格的な被災資料レスキュー活動を行う基礎となりました。
 この土砂災害が発生した当時,よく指摘されていたのが,崩落しやすい「真砂土」という地質上の問題と宅地開発の問題であり,同時に,この地域に古くから残る言い伝えなどをもとに,過去の災害の歴史に目を向ける必要があるということも指摘されていました。
 そこで,まずは,土砂災害の被災地となった八木・緑井地区の歴史と災害を記した文書を当館の収蔵資料の中から紹介することにします。

砂防堰堤工事
砂防堰堤工事が進む八木地区(広島市安佐南区八木八丁目)

 

1 八木用水に関する古文書

 八木・緑井地区の歴史を語るうえで欠かせないのが八木用水です。八木用水は,江戸時代には「定用水」と称し,太田川西岸に位置する沼田・高宮両郡の九ヶ村にわたる地域を灌漑した農業用水路です。完成は明和5年(1768)4月28日。地元の大工で広島藩の郡中御普請御用聞大工を務めた卯之助の指揮のもと開削され,完成後も息子の桑原巳之助が用水路の諸普請を引き受け,以後桑原家が代々にわたって八木用水の管理・修繕に携わりました。
 文書館では,平成12年(2000)に桑原家から寄贈された76点の古文書を所蔵しています。

 

2 八木・緑井の水害を記した古文書

 八木・緑井地区では,過去にも土砂崩れや洪水被害が発生していたことが,古文書により確認することができます。
 文化元年(1804)の夏,緑井村の植竹(現安佐南区緑井八丁目)で「山抜」(土砂崩れ)が発生し,土石流が八木用水を約1kmにわたって埋め尽くすという被害が発生しています。
 また,洪水被害は頻繁に発生しており,「八木村旧記諸控帖」には,江戸時代の記憶に残る洪水として,寛政8年(1796)をはじめ四度の大きな洪水被害があったことが記されています。

 

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