わたしたちの誇り「サンフレッチェ広島」は創立30周年!
ひろしま自慢 |
みなさんは、4月24日が何の日かご存じですか?我らがサンフレッチェ広島創立30周年記念日です。広島県民であれば、「サンフレッチェ広島」を知らない方はおそらくいらっしゃらないのではないでしょうか。
チームと一緒に歳を重ね、サンフレッチェ広島との思い出がたくさんという方も多いはず。30歳を迎えたサンフレッチェ広島の軌跡を振り返ってみましょう。
目次
1992年 紫の戦士たち「サンフレッチェ広島」誕生!
1992年4月24日、47団体の出資により、広島市をホームタウンとしたプロサッカーチーム「サンフレッチェ広島」が誕生。翌年のJリーグ開幕に向けスタートを切りました。
チームの名前である「サンフレッチェ」は、日本語の「三(さん)」とイタリア語の「フレッチェ(矢)」を合わせて作った造語で、「三本の矢」を意味しているそうです。このチーム名は広島に縁の深い戦国武将毛利元就の「三本の矢」の故事から名付けられているとか。広島県民であれば、このエピソードは耳にした人も多いのではないでしょうか。
記念すべき開幕戦では、開始1分で当時のキャプテン・風間八宏選手が、Jリーグ日本人初ゴールを記録して、絶好のスタートを切りました。
リーグ戦成績(1993年~1995年)年度 | 所属 | 年間順位 | 順位 |
---|---|---|---|
1993年 | サントリーシリーズ | 5位 (10) |
6位 |
日本信販・NICOSシリーズ | 5位 | ||
1994年 | サントリーシリーズ | 2位 (12) |
優勝 |
日本信販・NICOSシリーズ | 4位 | ||
1995年 | サントリーシリーズ | 10位 (14) |
10位 |
日本信販・NICOSシリーズ | 12位 |
※()はチーム数
1996年~ 「日本一の育成型クラブ」を目指して!
1996年頃から、クラブの経営難により、主力選手たちが続々と移籍してしまいます。選手の放出と同時に、観客動員の減少も一気に加速。
一方で、主力選手の退団と比例するかのように、若手選手たちがグイグイ成長していきます。そこで、チームは「日本一の育成クラブ」を目指す方針へと舵を切っていきます。若手選手を積極的に起用して、チームの立て直しを図りました。この方針は現在のチームにも残っています。サポーターがチームに親しみを感じるのはこういう方針が影響しているのかもしれませんね。
伸び盛りの若手選手が主力へと成長し、ベテラン選手との融合で堅守速攻のスタイルに磨きがかかっていきました。
リーグ戦成績(1996年~2001年)年度 | 所属 | 年間順位 | 順位 |
---|---|---|---|
1996年 | J | 14位(16) | |
1997年 | J 1st | 12位 (17) |
10位 |
J 2nd | 13位 | ||
1998年 | J 1st | 10位 (18) |
13位 |
J 2nd | 9位 | ||
1999年 | J 1st | 8位 (16) |
6位 |
J 2nd | 8位 | ||
2000年 | J1 1st | 11位 (16) |
10位 |
J1 2nd | 11位 | ||
2001年 | J1 1st | 9位 (16) |
13位 |
J1 2nd | 3位 |
※()はチーム数
2002年~ サポーターと共に乗り越えた挫折
少しずつ上昇機運に乗ったと思われたチームでしたが、2002年にクラブ初のJ2降格を味わうことになってしまいます。選手の皆さんはもちろんですが、ここまで一緒に戦ってきたサポーターの皆さんもとても悔しい思いをしたのではないでしょうか。
J2降格を受けて、大幅にメンバーが入れ替わりますが、苦しい中でも1年でJ1への復帰を決めます。
J1復帰後もすぐには上位進出とならず、苦しい状況が続いていました。そんな中待望のストライカー佐藤寿人選手がチームに加わります。エースとして素晴らしい活躍を見せ、チームを7位へと押し上げました。
2007年。前年の好調を維持して、上位進出をうかがう好位置につけていました。しかし、終盤なかなか勝利をつかむことができず、屈辱の2度目のJ2降格が決定してしまいます。
ところが、ここで折れてしまうようなサンフレッチェ広島ではありません。ピンチをチャンスに変えて、翌年の2008年は全節首位、勝ち点100という圧倒的な力で早々にJ1復帰を達成します。
リーグ戦成績(2002年~2008年)年度 | 所属 | 年間順位 | 順位 |
---|---|---|---|
2002年 | J1 1st | 15位 (16) |
15位 |
J1 2nd | 14位 | ||
2003年 | J2 | 2位(12) | |
2004年 | J1 1st | 12位 (16) |
13位 |
J1 2nd | 11位 | ||
2005年 | J1 | 7位(18) | |
2006年 | J1 | 10位(18) | |
2007年 | J1 | 16位(18) | |
2008年 | J2 | 優勝(15) |
※()はチーム数
2009年~ WE FIGHT TOGETHERでつかみ取る勝利
J1に戻ってきたチームは、快進撃を見せることになります。ユースで黄金時代を築いてきた若手選手たちがチームの中心となり、力を発揮することになったのです。
その後、2010年にはヤマザキナビスコカップで、初の決勝進出を果たすなど、チームの勢いは止まりません。後方から徹底的にボールをつないでゴールに迫るサッカーに多くのサポーターが魅了されました。
2011年には、2006年から続いたペトロヴィッチ監督体制が終わり、チームは新たなステージへ向かいます。後任の監督はチームのレジェンド 森保一氏が務めることになりました。ペトロヴィッチ氏が築いたサッカーを継承しながら、守備の改善に着手し、チームはどんどん力をつけていきました。その後、2012年、2013年、2015年と3度優勝します。広島の街もとても盛り上がりましたよね。
ちなみに、サンフレッチェ広島のユニフォームの左胸には3つ星が輝いていますが、これはJ1リーグでの優勝回数を表しているそうです。どんなチームでも付けられるわけじゃない、貴重な星です。
リーグ戦成績(2009年~2019年)年度 | 所属 | 年間順位 | 順位 |
---|---|---|---|
2009年 | J1 | 4位(18) | |
2010年 | 7位(18) | ||
2011年 | 7位(18) | ||
2012年 | 優勝(18) | ||
2013年 | 優勝(18) | ||
2014年 | 8位(18) | ||
2015年 | J1 1st | 優勝 (18) |
3位 |
J1 2nd | 優勝 | ||
2016年 | J1 1st | 6位 (18) |
4位 |
J1 2nd | 10位 | ||
2017年 | J1 | 15位(18) | |
2018年 | 2位(18) | ||
2019年 | 6位(18) |
※()はチーム数
2020年~ コロナ禍でも屈しない、若手選手たちの躍動
2017年には佐藤寿人選手の移籍や、森崎浩司選手の引退などレジェンドたちが去り、チームは新たなステージへと向かっていくことになります。出場機会を得た若手選手たちの活躍は際立っていきました。若手選手の成長や活躍が観られるのもサンフレッチェ広島を応援する楽しみの1つですよね。
しかし、2020年には新型コロナウイルスの感染拡大により、リーグ戦が中断。チームも完全に停止することになってしまいます。7月にリーグ再開後も無観客試合が続き、スタジアムから歓声は消えてしまいました。
コロナ禍になる前と比べると、大きな声で応援歌を歌ったり、その場で出会った人とハイタッチで喜び合ったりすることは難しくなり、サポーターによっては会場に足を運ぶのも難しくなった人もいると思います。応援の形は少し変わってしまったかもしれませんが、全力でサッカーと向き合う選手たちから、勇気と感動をもらえるのは、コロナ禍前も今も変わりません。
リーグ戦成績(2020年~2021年)年度 | 所属 | 年間順位 | |
---|---|---|---|
2020年 | J1 | 8位(18) | |
2021年 | 11位(20) |
※()はチーム数
これからも わたしたちのハートを狂わせる ゴールを見せてくれ
30歳を迎えたサンフレッチェ広島は、今年も私たちに勇気と感動を与えてくれるはずです。今シーズンはまだ始まったばかりです。一体どんなドラマが待っているんでしょうか。2024年には新しいサッカースタジアムの開業も予定されていますし、ワクワクしながら、これからも県民一体となって、チームを応援しましょう。
ちょっとお久しぶりな方も、実はまだ試合を見たことがない方も、試合を是非チェックしてみてください。きっとサンフレッチェ広島の虜になりますよ。
そして、広島県内のすべてのトップスポーツチームを県民全体で応援するプロジェクト、Team WISHがスタートしています。我らがサンフレッチェ広島、サンフレッチェ広島レジーナの選手も登場するので、是非ご自身のLINEからご参加ください。