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収蔵文書展「災害を語る歴史資料」 2-2(2)

印刷用ページを表示する掲載日2020年6月2日

2-2 明治末以降の水害関係文書(2)

大正8年7月の豪雨災害

 大正8年(1919)7月,連日の豪雨により,四日午後から太田川の水量が急増し,広島市街地では,横川橋や三篠橋・相生橋・元安橋といった橋梁が次々に流失するという大災害となりました。当時の中国新聞は「元安川筋殆んど全滅」と報じました。また,福山市では芦田川の堤防が決壊し,市内で大水害が発生しています。17人が溺死,流失家屋101戸,全壊24戸,半壊98戸,床上浸水3423戸という甚大な被害を受けました。9月14日にも芦田川は豪雨で氾濫し,備南地方は再び大水害に見舞われました。当時の状況を写した絵葉書が被害の大きさを物語っています。


大正8年7月の豪雨災害の新聞記事(『中国新聞』大正8年7月6日)

県下各地惨状
○福山市の惨状
芦田川堤防決潰 全市浸水の危機は刻々に迫る

第一報 五日朝五時頃、福山市芦田川鷹取橋下手の堤防約二丁決潰し
濁流滔々と市中に流入し全市浸水の危機は刻々と迫りつゝあり,
市内各所の警鐘を乱打し全市民は家財を顕るの暇なく公演
(福山城)に避難しつゝあり(午前五時三十分)

△全市濁流に埋没 浸水軒上に達す
老若男女阿鼻叫喚避難民公演に押し寄す

第二報 福山全市は刻々に黄濁の海と化しつつありて其惨状即々に
名状すべからず霞町其他の各町は屋上まで浸水し全市は
全滅に瀕せんとし,老若男女は悲鳴をあげて福山公園に押し寄せ
その混乱筆紙につくし難く,避難民は朝食を喫せざる為め
飢餓に瀕しつゝあり,軍隊,警察署,市役所より救助隊を
出したるも手のつけ様なく濁流は刻々に其勢ひを増しますゝゝ


大正8年7月の豪雨災害の新聞記事(『中国新聞』大正8年7月6日)

○水魔の祟り水郷を脅す  □ 篠突く豪雨に濁流の響物凄く
□ 夜を罩めて鳴る警戒の鐘太鼓

連日の豪雨は全市を貫流せる各河川の増水となり,堂々たる濁流は
全市民を脅し刻々不安を増しつゝありしが果然四日夜に入りて太田川上流
より流下し来る巨大の木材は鉄脚の堅牢を誇る元安橋を始め
数箇の橋梁を遂に流失せしめたり,更に氾濫せる濁流は各河の沿岸を
洗ひ或は堤防の決壊となり,下水道の噴出するありて,幾百幾千の家屋を
浸水せしめ,広島市未曾有の大洪水を現出せり

△元安川筋殆ど全滅  鉄橋も跡なく流失し交通全く杜絶したり

 明治二十二年以来の大豪雨にして去る一日より四日ニ至る[ ]雨量
四石幾斗と算されたる降雨の為め,廣島[ ]付近に於て四十幾年来の
大惨害を被りつゝありたる事は昨紙所報の通りなるが,今其惨状を
詳記せんに四日午後に至り太田川の水量頓に増加し水深九尺に達し,
先づ市内北町橋,洞春橋を屠りたる後,水量水勢益々激増し,
折柄の差潮に水深は一丈二尺と注され,午後五時半

◇横川橋 東半分陥没し直ちに交通を遮断したるが,同七時管下全部の

 橋梁は危殆に陥りたるを以て,西署全員及同管内全消防夫の
手に厳重に警戒されつゝ交通遮断されたり,斯て降りしきる
豪雨は容易に其鋭鋒を収めず,刻々其猛威を増大し,
終に午後七時二十分に至り火薬の大爆発に似たる大音響と
共に墜落流失し直に同下流の電鉄鉄橋を破壊したり,

※ 記事の文章は原文のままとした。

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