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現在地ひろしまたてものがたり

たてもの情報(19)|福山城伏見櫓


印刷用ページを表示する 掲載日:2017年10月25日更新

福山城伏見櫓/Fukuyama-jo Fushimi-yagura

築城の際に京都の伏見城から移築

城郭建築の典型的な構造美


福山城1 

JR福山駅の新幹線上りホームからもその姿が見えることで有名な、福山城。中でも駅に一番近く、目と同じ高さに見えるのが伏見櫓です。福山城は、1619年(元和5年)に譜代大名・水野勝成が、江戸幕府から備後地域の統治を命じられその拠点として築城されました。当時福山城は、日本5大名城に数えられるほどの規模で、築城以来、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き、廃藩置県に至るまで備後地域の中心を担ってきました。第二次世界大戦の空襲で、天守閣を始めほとんどの建造物が焼失してしまいましたが、この伏見櫓は奇跡的に戦禍を免れ、現存している貴重な建造物として国の重要文化財に指定されています。

 伏見櫓と呼ばれる由来は、1622年(元和8年)、将軍・徳川秀忠が、京都・伏見城の一部を移築させたという伝承があったためです。これは、1954年(昭和29年)の解体修理の際、梁の部分に「松の丸東やぐら」と陰刻されているのが発見され、事実であることが実証されました。ちなみに伏見城は、豊臣秀吉が隠居後の住まいとして建築したもので、その後、徳川家康が再建した史実上重要な名城でした。しかし、一国一城令のため廃城になった際に、水野勝成が家康といとこ同士で近しい関係であったことから、一部の櫓が福山城へと移されたのです。

 構造は、3層に分かれた本瓦葺き。一番下の初層と、真ん中の二層は、柱の間隔と平面も統一されています。さらにその上にやや小さめの三層が乗っており、下の二層が東西方向に棟を付けているのに対し、三層は南北方面を向いた入母屋造りの屋根が付けられています。外部は北を正面にして、東、西、南に多くの窓を設置。塗装は、初層と二層が白亜塗りで、三層を塗籠めと呼ばれる、土などを厚く塗りこんだ頑丈な壁でできています。こうした構造や手法は、城郭建築の歴史上、初期の様式を残したもので、慶長年代の典型的な建築物として、福山市民の手で大切に保存されています。


設計者/不詳
施工/17世紀初期
住所/福山市丸の内1福山城
電話番号/福山市教育委員会事務局 文化スポーツ振興部文化課 084‐928‐1117
アクセス/JR福山駅より徒歩約5分
見学/内部非公開(11月3日のみ公開)
撮影/不可


写真データダウンロード(御自由にお使いください。)

 福山城2

正面にある北側にはほとんど窓が無く,他の三方向に窓が多く設置されている。 (その他のファイル)(12.76MB)

福山城3

太い梁が重なる丈夫な造り。2階梁には,伏見城の一部を証明する隠刻が見られる。 (その他のファイル)(11.13MB)

 福山城4

福山城天守閣は,現在福山城博物館として開かれ,歴史的な史料の展示を行っている。 (その他のファイル)(10.37MB)

 


今回ご紹介した建物は11/11(土)に一部特別公開されています!
詳しくは「たてものがたりフェスタ2017」のページをご覧下さい!

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