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現在地ひろしまたてものがたり

たてもの情報(16)|旧マルヤマ商店事務所


印刷用ページを表示する 掲載日:2017年10月18日

旧マルヤマ商店事務所/Former Office of Maruyama Syouten

下駄の名産地松永の産業の中心

石造りに似せたモダンな木造建築

 旧マルヤマ商店事務所1

 かつて、下駄の生産量日本一を誇っていた福山市松永町。この建物は、下駄などの履物を生産していたマルヤマ商店の本店として、1922年(大正11年)に建築されました。元々この地域では、塩づくりが盛んに行われていて、江戸時代には、松永湾の入江には、潮の製造に欠かせない燃料のための原木がたくさんありました。そして、それに目を付けたのが、実業家の丸山茂助でした。彼は、1878年(明治11年)に原木を材料にして、小さな下駄の製造小売店「マルヤマ商店」を開きます。下駄作りは、塩田で働く人々が雨で働けないときや、夜の間の副業として行われた側面もあって、優秀な職人が増えて行き盛り上がります。さらに、安価な材木の入手と、全国に先駆けて下駄の生産を機械化することに成功。安くて大衆的な下駄の生産が可能となり事業を拡大していったのです。

 そんな豊かな時代に建てられたのが、このモダンな洋館です。石造りを思わせるような重厚な佇まいですが、実は壁面をモルタルで仕上げた2階建ての木造建築です。屋根も瓦葺きの和風なものですが、パラペットと呼ばれる上部を覆う技法がうまく用いられ外観からは分からないようになっています。パラペットを始め、柱型や玄関ポーチなどに施された細やかな装飾は、職人の技術の高さとこだわりが伺えます。

 内部の構造を見てみると、いかにも大正時代に建築された洋館ということが分かります。急速に西洋化が進んだ明治時代の洋館は、西欧の様式をそのまま再現していましたが、大正に入ると、日本化された部分が見えるのです。例えば、室内に設けられた床の間。さらに、2階部分の窓が低く設計されていて、これは椅子ではなく、床に座ることを前提に作られたものと思われます。下駄づくりは、1955年(昭和30年)頃に最盛期を迎えましたが、時代の移り変わりとともに衰退化し、事務所として使われなくなった後は、近年までコーヒーハウスとして営業されてきました。

 


設計者/長谷川建築事務所
施工/1922年
住所/福山市松永町364‐1
アクセス/JR松永駅から徒歩約5分
見学/不可
撮影/可


写真データダウンロード(御自由にお使いください。)

旧マルヤマ商店事務所2

玄関の庇と,事務所入り口の少しくぼんだアルコーブの上にバルコニーを設置 (その他のファイル)(14.2MB)

旧マルヤマ商店事務所3

上げ下げ式の木製枠組の上に,わざわざアーチ窓を設置するこだわりが見える。 (その他のファイル)(13.6MB)

旧マルヤマ商店事務所4

柱頭を始め,外壁に細かく施された装飾によって,高級感が一層増して感じられる。 (その他のファイル)(13.48MB)

 旧マルヤマ商店事務所5

正面の上部には,マルヤマ商店の社章と思われるエンブレムが大きく施されている。 (その他のファイル)(10.51MB)

 旧マルヤマ商店事務所6

日本はきもの博物館のコーヒーハウスとして使用されていた1階の応接部分。洋館の奥には床の間が設置されていて,西洋風の建築に日本古来の文化を融合させようという試みは興味深い。 (その他のファイル)(11.09MB)

  旧マルヤマ商店事務所7

玄関を入って右わきにある,事務所部分も喫茶室として利用されてきた。窓枠の装飾や大きな柱等,職人の技術を体感して,マルヤマ商店最盛期の中枢を蜷田当時の賑わいが,今にも聞こえてきそうだ。 (その他のファイル)(11.08MB)


今回ご紹介した建物の地域ふれあいサロンは毎週土曜日13:30~15:30に開館しています!
詳しくは「たてものがたりフェスタ2017」のページをご覧下さい!

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