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規範意識向上のための教育プログラムに関する研究

印刷用ページを表示する掲載日2011年12月1日

規範意識向上のための教育プログラムに関する研究 広島大学大学院文学研究科 教授 越智 貢

発表概要

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高校生の規範意識を向上させるためにはどのような点に留意する必要があるのかという課題が、私の研究テーマであった。この研究は、主に、1.なぜ現状の方法では規範意識が向上しないのか、についての分析と2.(その分析に基づいて)どのような方向で、規範意識向上のプログラムを作成すればよいか、についての提言の二つの部分から成っているが、ここでは、時間的制約もあるので、前者に関する研究成果を中心に話しを進めたい。(ちなみに、後者の提言は、市民教育としての「長期的エゴイスト」教育の必要性を暫定的な結論としているが、本日の話では省略する)

話しは、以下のような構成で進める。1.高校生たちの問題行動について簡単に触れた後、2.当該の高校生をどのように理解すればよいか、そして3.当該高校生たちが通う高校をどのような視点で捉えれば問題解決のアプローチとして有効であるか、を説明し、さらには4.そのような捉え方をしたときに注目してよいと思われる現象({同型性」)を指摘して、最後に、問題解決の手がかりとして不可欠と思われる点に言及する。

規範意識向上のための教育プログラムに関する研究2

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高校生の問題行動に関する数字を挙げてみよう。かなりの数に上る。(公開を予定していない数字であるためここでは明示しない。なお、数枚の画像資料を使用したが、これについても公開を予定していないため、ここでは掲載しない)

 むろん、当該高校はこうした状況に対して手をこまねいているわけではない。問題行動が生ずるたびに、熱心な個別的指導が行われる。それに関わる教師たちはその指導に多くの時間を費やし、中には、その種の対処に追われる教師も珍しくない。

 指導室を作って、一日中そこで問題を引き起こした生徒を謹慎させている学校もある。かつて用いられていた自宅謹慎という方法を取りえないことが、その主な理由になっている。当該高校では、自宅謹慎が中途退学者の増加につながりかねないからである。

 しかし、そうした努力にもかかわらず、表が示すように、問題行動の発生件数は目立った減少傾向を示していない。このことは、少なくとも、個別指導だけでは規範意識の向上が望めないことを意味していよう。

規範意識向上のための教育プログラムに関する研究4

 いわゆる「教育困難校」と呼ばれる高校の生徒について、どのような印象を持っているかと質問すれば、多くの人がその外見を指摘しながら「だらしない」などというネガティブな回答を寄せる。「恐い」から近寄らないと述べる人すら見受けられる。確かに、そのように見える生徒は少なくないかもしれない。

 だが、一定期間、当該高校に通ってみると、そうでないことがわかってくる。ごく少数の生徒を除けば、むしろ未成熟と思わせるほどに素直な生徒が多いのに驚かされる。

規範意識向上のための教育プログラムに関する研究5生徒たちを長く観察していると、彼らは、素直であるばかりか、さらに何かに「耐えている」ように見えてくる。これまでの自分の生き方に耐え、現在の自分の学業のふがいなさや自分に対するネガティブな評価に耐え、さらに将来の展望のなさにも耐えているように見える。

 これを確かめるために、多くの生徒(約80名)に面接を試みたが、そこにも、そうした印象を裏付ける発言が多く認められた。しかも、彼らの多くが、所属している学校を必ずしも「本来的な生活」の場として位置づけていないことも明らかになった。彼らは、いわば仕方なく当該高校に入学したのであり、そして仕方なく当該高校にとどまっている。彼らの「本来的生活」は学校の外にある。

 とすれば、当該校にとって重要なことは、彼らの「仕方なく」という意識を払拭させるものを学校の中に構築すること、さらに言えば、彼らの学校生活を「本来的生活」と感じさせるものを学校の中に構築することでなければならないことになる。

規範意識向上のための教育プログラムに関する研究6一般に、問題傾向のある生徒が集まっている学校が教育困難校化すると思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。彼らは自らの「仕方なく」という意識を変えてくれるものを当該校に見出すことができないままに、当該校に「適応」(もしくは「過剰適応」)していると捉えるほうがより自然であるように思われる。とすれば、彼らの姿は、彼らが学校の何かに「適応」している姿である。もし彼らが「仕方なく」という意識を払拭しうる別の環境にあれば、違う姿を見せることが強く予想される。

 こうした視点で学校を考えるとき、有効な捉え方が「社会資本(ソーシャルキャピタル)」である。社会資本とは、簡単に言えば、人間関係を支える目に見えない道徳資源である。これにより、パトナムは、社会資本が豊かな組織・地域と貧しい組織・地域では、そこに関わる人々の行動傾向が異なってくることを実証した。豊かな組織や地域では問題発生が抑制される。たとえ問題が生じても、その解決のための協力関係が図られやすい。同じことが学校についても言える。社会資本の豊かな学校もあれば貧しい学校もある。いわゆる教育困難校は、この意味で、社会資本が(比較的)貧しい学校だと言うことができる。

 社会資本は、物的な資本と同様の傾向を示す。それを使用する頻度が多ければ多いほど、豊かになり、そうでない場合には、減少するという傾向(「マタイ効果」)である。「非-教育困難校」で問題発生が抑制されやすいのはこのためであるように思われる。逆に言えば、「教育困難校」は適切な処置を施さなければ、ますますその社会資本を貧しくすることになりかねない。

規範意識向上のための教育プログラムに関する研究7先に、80名ほどの生徒に面接したと述べたが、関連の全教師(約20名)に対しても面接を行った。そのことにより、社会資本の観点から学校にアプローチすることの有効性が確認された。教師もまた、生徒と同様、「耐えている」という状況が認められたからである。多くの教師が、「耐えている」生徒に対して教師の力量を発揮できない日常を「耐えている」。その結果、教師の中にも、学校を「本来的生活」の場としていない者すら見受けられた。ここには不幸な「同型性」が認められる。生徒も教師も学校の貧しい社会資本に、いわば打ちのめされているのである。

 こうした「耐えている」という状況は「無力感」と深い関わりがあるように思われる。生徒と教師の多くはそれぞれが現在の状況を打開する力がないと感じている。だからこそ、現在を「耐えている」意識を漂わせる。こうした同型的な無力感が、当該校の社会資本の向上を阻む主因だと想定される。

 とすれば、規範意識の向上のためには、両者の無力感を払拭し、それを通して、社会資本の向上を図るという方策が適切な道筋だと考えられる。少なくとも個別的な指導や「お説教」だけでは、規範意識の向上は望めないように思われる。

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 では、社会資本の向上を図るためにはどうすればよいのか。循環的な言い方になるが、貧しい社会資本それ自身を活用しつつ、徐々にその蓄積を図る以外にはない。とはいえ、難しいことではない。たとえば「学校の中」に生徒と教師によってともに共有・追求される「目標」を構築し、それを達成するための活動を生徒と教師双方が粘り強く行うことができれば、学校の社会資本は徐々に豊かになっていくことが予想される。

 当該校の多くの生徒が自らの目標を見失っている状況で、そうした活動を行うのは易しくないと思われるかもしれない。だが、ここで問題とされている目標が生徒の個々の私的な目標ではなく、「学校の中の目標」である点に留意しなければならない。「学校の中の目標」を生徒と教師が共有することができれば、学校をそれぞれの「本来的生活」の場に近づけることが可能になる。

 そのことを強く示唆する材料がある。教育困難校の中に、無力感にさいなまれていない生徒や教師が(多くないとはいえ)存在することである。クラブ活動に熱心に取り組んでいる生徒たちは無力感から遠く、また授業をそれなりに成立させ、「教える人」としての力を発揮している教師も無力感を抱いてはいない。彼らは、個人的な目標ではあれ、「学校の中」に自らの「目標」をおくことができる人々である。だが、だからこそ、彼らの存在は、「学校の中」の「共有」される目標の追求が当該校の社会資本の蓄積、ひいては規範意識向上に大きく寄与することを予測させる。

 具体的な教育プログラムは学校の状況によって異なるはずだが、少なくともそれが、生徒と教師双方によって共有・追求されうる「学校の中の目標」と無縁であるとは考えられない。

 

 

越智貢教授の写真

 

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