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平成30年度

【平成30年度】平成29年度」 「「平成28年度」 「平成27年度」 
いつごろ  どのような
2月上旬 ◇中国(北京)からの4人家族
 日本語で受け付けをしているのが聞こえてからしばらくすると,中国語のやり取りが聞こえました。ガイダンスの部屋に入ったのを見計らい,こちらからお相手を申し出ました。中国人(北京)からの4人家族で,小学生の娘とその母親,及びその御両親という構成です。母親が日本語で対応できましたので,前回とは対照的にこちら側に大きな安心感がありました。日本外史の木版本を開いたページを見て,皆さんで読んでくれましたので,山陽と中国語のこと,また日本外史が上海でも売れたことなどが続きました。「外史」の意味はどう伝わりますか,とたずねますと,「外交の歴史」ですか,とのことでしたので,どうやらその意味ともうひとつあるようです,といつもの話題に展開しました。それでは,司馬遷の史記と同じ意味がありますね,と返されたのに対して,同意しながらもそこから話を深めるに至らなかったのが浅学の悲しいところです。展示室のパネルの説明をよく読むと,幽閉中に取り寄せるよう依頼した書物に「史記」があり,日本外史自体も「史記」の「世家」を手本としていることが書かれています。こちらの思い付きの説明を,そのつど中国語で御両親にも伝えていただき本当に助かりました。また,「鞭聲粛々」の詩の前に来たとき,改めて中国語での朗詠を依頼すると,娘さんと一緒に楽しそうに読んでいただきました。「泊天草洋」についても同様に,雰囲気を込めて読んでいただき,いずれも私のモバイルフォンに録音することも許していただきました。このアプローチや成果をうまく活用する方法はないものかとときどき思うのですが,今のところ個人的な喜びに留まっています。
 時間の経過を気になさっている様子もないので,引きとどめるかのように,日本語に関係するお仕事ですか,と単刀直入にお尋ねしました。すると,大学で中国語と日本語の関係について言語学の見地で教えていることがわかりました。ただ,歴史や詩は得意ではありません,とも。御嬢さんは日本の小学校で1年近く学んだこともあり,生活するうえでの日本語は不自由しないこと,また中国と日本の教育事情,よく日本でTV報道されていた大気汚染や水道水のことなどにも話が及び,最後には一緒に写真撮影の提案もいただきました。実に知的な応答が楽しい御家族でした。 
2月上旬 ◇スコットランド人旅行者と日本人女性
 夕方の閉館が近づいたころ,旅行バッグを引いた男性と日本人女性が来館しました。どう見ても到着間もない様子です。お聞きしてみると,偶然,駅からのバスでお二人が一緒になりその流れでこちらへ案内していただいたようです。また女性は日頃から書や俳画,折り紙などの日本文化を発信されていることも知り,なるほどと思った次第です。
 スコットランド人男性と対話を試みたところ,苦労に反して当方がわずかな割合しか理解できないという悲しい結果に終りました。世界言語には違いないのですが実に強い特徴があり,確かなことはほぼ断片だけだったのです。お国では大学で電子工学を教えている,日本には2週間の滞在予定で広島には2日間だということ。デイビッドヒュームはあなたの国の偉人ですよね,と向けると,名前くらいは聞いたことがあるが私はサイエンスの世界の者だからね,と発展しません。’何か’を伝えようとしてくれますがそれを吸収できない私がおりました。
 終わりごろになり,広島の冬は如何ですか,と向けますと,御存じのとおり私の国は英国の北に位置していますから,広島のほうがはるかに温暖ですよ。スコットランドは沿岸部と内陸部とでかなり違いますが,内陸部はこの季節マイナス15度になることも珍しくありません。夏になると,24時間太陽が沈むことなく・・・と興味をそそられてもこちらの吸収力がダウンしておりました。ただ,話し始めるとなかなか途中で切り込むことが難しい,そういうお話しぶりでした。どのような対処法があるのでしょうか。
12月下旬 ◇香港からの青年映像アーティスト
 年末の押し詰まった日の朝,正門の様子を見に行くと,若い男性が料金表をじっくり眺めています。挨拶を兼ねて声をかけてわかったのは香港からの旅行者ということでした。20代後半とお見受けします。ごく自然に自己紹介をしてくれて,日本には2か月の滞在予定でこれまで東京,大阪,広島と見て歩き,仕事はアーティストというので,どんな分野ですかとたずねますと,いわば映像作家で,平和問題に関する場所や日本伝統文化の施設や場所を訪ねている。一度見ただけだが「文楽」は面白い芸能だし,「能」も見てみたい,と単なる観光目的ではないことが伝わってきました。

 ガイダンス展示の説明も真剣に受け止めていることが分かります。以前,確か台湾からのお客さんが「外史」ということばは「外交の歴史」という意味にも理解できる,と言っていましたがどうですか,とお聞きすると,「外交史」と同時に,「非公式の」という意味と二通りのとらえ方ができる,ということでした。中国で武道の歴史をまとめた書物にも同じように非公式という意味で外史ということばが使われた例があるそうです。
 細かい所までは記憶に残っていませんが,この時代に文筆業に専念するとはどういうことだったのですか。武家社会に未来がないことをその歴史書で暗示していたということは,そういう書物を幕府の中枢にいた人に献上することで,支配する側から強い批判を受ける心配はなかったのですか,など穿った問もありました。

 やり取りしながら「鞭聲粛々」の掛け軸の前に来たとき,かねてから当方が念願していたことを思い出しました。つまり,この漢詩を中国語で詠むとどう響くのか,ということです。願いを伝えると快く承諾してくれたので,すぐにスマートフォンを取り出し録音をすることにしました。彼は下読みをしながら,中国語の言語としての一般的特徴も説明してくれました。中国語にはかなり多くの方言があること,ある時期に使用を禁止されて消滅した言語も多くあること,主要には北部で使われる北方語(北京語)と南で使われる広東語があること。彼自身は後者の言語域だけれど両方をやってみようと,おもむろに内容を味わうように朗読してくれました。直後に,こことここに韻を踏んでいますね,とも付け足しました。確かに両者に違いがありますが,どういう違いかは簡単に説明できません。ただ後者のほうが音楽になじむ気がしました。
中国語の不思議なところは,読み方や文法は地域で差がある反面,書き言葉としてはどの方言でも共通性がある。ただ,中国全体に通用する共通語はない,なども教えてくれました。
せっかくだから,香港の英語教育についても少しだけたずねました。現在でも小学校から英語は教えられますが,1997年に英国から返還されるまでは英語を使う機会も多かったのに比べて,返還後は激減したということでした。日本文化に関する興味関心が高いだけでなく香港事情を説明する力や接する態度に見習いたいところの多い青年でした。

12月中旬 ◇デンマークからの女子大学生
 当資料館にほぼ定期的にたずねてくる米国人が,ある日唐突に新しいお客さんを連れてきました。お聞きすると,デンマークからの大学生で,文化人類学を専攻し日本では滞在中に日本の葬儀をテーマに資料収集と調査をしているとのことでした。デンマークからのお客さんは当方としては初めてですと,感激の気持ちを伝えようとすると戸惑った風にも見えました。時間に余裕がありそうでしたので立ち入ったことも話題にしますと,アフリカ系の父が土木技師をしている関係で世界のあちこちの国に滞在経験があること,言葉は英語・ドイツ語・デンマーク語を使用すること,日本には2か月間の滞在予定であることなどを教えてくれました。とはいえ,当方のデンマークに関する基本知識は皆無に近く,連想できるのはあの童話作家くらいです。概要を検索すると南でドイツに国境を接し,全体が北海とバルト海に囲まれスカンジナビア半島の南側にあることを再認識しました。これまでドイツ・フランス・オランダからは複数の訪問がありましたが,デンマークからの来館者は最初の記録です。
9月中旬 ◇豪州ブリスベンからの御夫婦 
 昼食時間に入ったころ,年配の御夫婦が来館されました。前回のシドニーに続けて再度豪州からです。ガイダンスの部屋でひととおり頼山陽のプロフィールを紹介しますと,現在,彼の業績評価はどうなのですか,という問いがあり,学芸員から聞きかじっていたことが役に立ちました。いずれにしても,入植の歴史が18世紀に始まった国から見ると日本の長い歴史とその文化は,興味がわく対象だということです。断片的に話題を列挙しますと,
・日本の変化に富む自然風景は豪州では見られない美しさがあること,シドニーからのお客さんも豪州は見渡す限りの平野が続き,たまに低い丘が見られる様子と対照的だと感嘆していたことをお伝えしますと,全く同感だという反応でした。
・何の契機からか御夫婦のお仕事を知ることとなりました。お二人それぞれのスマートフォンに納めていた動画や画像をうまく活用して,あたかもTVのドキュメンタリー番組にふさわしい内容と展開でした。話題が多すぎてで吸収しきれません。
・もう引退しているが,農場を経営していること,主な作物は綿花,小麦,大豆,トウモロコシ,インゲンなどの野菜類,変わったものでは(聞き間違いでなければ)コウリャンもあると話しながら広大な畑や収穫風景の写真を見せていただきました。
・なにより,そのスケールが尋常ではありません。聞いた端から頭に収納しきれない情報量です。例えば,綿花が200ヘクタール,小麦が250ヘクタールという内容です。こういう時のためなのか動画を再生して見せてくださいました。収穫用の機械は目的別にあり,運搬用大型トラックを伴うこと,綿花はこういう花ですよ。収穫するとこういう形で丸めます。これは肥料を撒く機械,これは雑草を備え付けのカメラで見つけながらピンポイントで除草剤を吹き付ける機械,小麦などは殺虫剤を小型飛行機で散布するができるだけ化学薬品は使わないようにしている,などなど。
・飛行機がよく話題になるので,いったい全部で何機あるんですか,と問いますと,5機だという回答です。10人乗りはいわば旅客用,2人乗りのレジャー用,それ以外に農業用ということでしょう。自動車代わりに飛行機を使う,という感覚です。さらに桁外れに話が続きます。いちばん近い町は25キロ,お隣の家は4キロ離れていること,子どもの学校はバスが巡回していること,インターネット用のワイファイは,飛行機の格納庫に大きなアンテナを立てて町からの電波を中継して利用している。このほうが衛星からの電波よりはるかに速いこと,などなど。
・さらには,年間降雨量はせいぜい400ミリ程度だが,多い地域でも年間1000ミリくらいであること,しかしつい最近,近くの川で洪水が起きて氾濫した水に家が数日間取り囲まれたこと,日本の三陸沖の津波も広島の豪雨被害も豪州でニュースで聞いて知っていること,三原市も訪ねてきたことなども教えていただきました。
 気取った風が全くなく,久々に1時間を超えて異次元の話題を楽しむことができました。
9月初旬 ◇シドニー西部からの男性
 中高年男性おひとりの旅行者とお見受けし,お声をかけてみました。いったんロビーのイスに受け取った当館の案内資料を一面に広げどれから拾い上げようかと考えている場面でした。少々不躾を感じながらでしたが,愛想の良いお客様で助かりました。展示の簡単な御案内をしますよ,と申し出ますと相好を崩して歓迎してくれました。握手しながらお名前を名乗り双方の名前を交換することになりました。ときどきこのような展開になります。どのように類型化できるかは未だに不明です。ただ何となく似たようなタイプの方が同様の態度で接してくる感じがします。「似たようなタイプ」がどういうものであるかはとりあえず追求しません。
 ガイダンスの部屋でひととおりのことを紹介しますとまじめに耳を傾けてくださいました。広島滞在は二日間だが,日本滞在は10日間の予定で,東京・京都を訪ねてきた。日本は先進テクノロジーの国であり,京都に見られる深い伝統文化を大切に守っている国であり,その上富士山のような雄大な自然もある。その点,私の住んでいるあたりは一面の平らな土地が広がり山といってもいくつか丘が見られる程度だ。などなど,賞賛に熱が入るのを感じました。宮島は明日の予定ということでしたが,宮島に焦点化した展示を真剣に御覧になっていました。その中で帆船を精密に描いた画がありいかにも感動しながら見入っていました。「ほお,ダッチシップ(蘭船)だね。よく描いているねえ。」という様子です。もちろん当方は初耳の言葉です。新しい国であるオーストラリアの人だからこそ神秘的で長い歴史と伝統のあるこの国に関心が高まるのでしょうか。
 それにしても久々に耳にする強烈な豪州弁です。彼が気持ちを入れて話すほどに私の耳がついて行っていないという情けない事態でした。こういう時はこちらから矢継ぎ早に短い問いかけを続けることでコミュニケーションが保てるという学習も重ねています。
8月中旬 ◇スロバキアからの男性
 ちょうど受付付近にいる時,若い男性と一見保護者のような女性がいらっしゃいました。男性が大学生という申告でした。どちらの大学ですか?と口にする前にこちらの気持ちが伝わったかのように関東にある大学の名を挙げてくださいました。現在は同行の女性が広島県内の大学で指導を担当していることも教えてくださいました。その指導を仰ぎながら,林文子をテーマに博士論文に取り組んでいるということです。もちろん日本語も何の抵抗もなさそうにお聞きしました。
 それ以上にかかわりを持つことはしませんでしたが,知る機会がなかったとはいえ,同じ県内に日本の歴史を研究するロシア人,日本文学を探究する若きスロバキア人,母国で薬剤師の資格を得て広島でその活用の仕方を考えているスペイン人女性など,知りえたのはまだごく一部にしても多彩多様な外国の方が,なんと深く日本との関わりをもっていることかと驚きます。
 いわゆる’観光’とは別の視点で考えるべき分野がある気がします。
7月上旬 ◇中国人夫妻
 言葉で困っている様子はないので案内の必要はなさそうと思ってみていました。ほどなく声がかかり一緒に時間を過ごしました。日常的なことばに心配はないものの,展示や山陽の概要説明をしてもらうとありがたいという意向でした。すぐに感じ取るのは展示に対する関心の高さです。何となく直感して,大学などで日本の歴史を研究されている方ですか,と問いますと,文学を研究していますとのお答えでした。19世紀の文学・比較文学と浮かびましたが,あまり詳細に立ち入ることはしませんでした。日本の大学で同様の研究をなさっている中国人の学者ともつながりがあることがわかりました。お話の中でその学者の方が,実際に耶馬渓を訪問し,その話をこの御夫妻になさったことがある,ということです。「造詣が深い」「関心が高い」という点では,国籍は関係ないと改めて思った次第です。また,「泊天草洋」の漢詩を前に表面的なことを紹介していますと,この御夫妻も実際に天草に行ってきましたというお答えがあり,さらに驚きました。母梅颸の詳細な日誌に基づいて,当時の料理を再現した写真ですと紹介しますと,説明文を熱心に読んでいる姿がありました。
 「日本外史」の木版本を前にいつもの紹介をしていますと,頼山陽も日本外史も中国では,多分知識人の間ではかなり知られていますと教えていただきました。19世紀後半に日本外史が上海でよく読まれたことも有名ですし,日本では明治になって言文一致への動きが顕著になりましたが,同じ時代の中国の関係者がそのことを学ぶために日本を訪れ,中国でも同様の変革が始まったのですという,意外なことも教えていただきました。
マスコミ報道で知る中国の話題はおよそ断片的であり,政治的な動きのことが多いのですが,それに比べてこうして目の前で日本文化をかなり深く理解し語ることのできる方に接すると,ただただ頭の下がる思いがします。ふと,中国から1年間の予定で来日した高校生の留学生が,あるとき,日本の古今和歌集の1首を引き合いに出して日本文化のすばらしさを日本人生徒の前で語った姿を思い出しました。
7月上旬 ◇ロシア人男性
ロシアからのお客様です,という受付の声を受けておせっかいを申し出ました。勝手に推測したところでは,どうも普通の旅行者ではなさそうだと思い,背景をたずねますと,この近くにあるホテルに泊まっているんだが,広島で会議があってね。今の時間は自由になる時間だからホテルの近所を歩いているんですよ。と話してくれました。ロシアからのお客様は,覚えている限りでは初めてです,と感動した気持ちを伝えようとしましたがあまり意に介しているようには見えません。ガイダンスの部屋で頼山陽のプロフィールを紹介しながら,ふと思い出して,「ロシアの人はテレビで見聞きすると早口で話す人が多い気がします。よくテレビで見るあの首長もそうですよ。」と会話をつなぐために遠慮せずにたずねました。すると,必ずしもそうとは言えません。個人によるのではないですか。早い人もいるし遅い人もいます。国を代表するあの人もそんなに早口なほうではありませんよ。」という反応でした。
終わりごろになって,ある種の直感から,大学の先生ではないですか,と尋ねると肯定の返事が返ってきました。同時に物理学の専門家だということもわかりました。科学者ですか,と反復すると,科学は結局芸術・歴史・文学などいろいろな分野に関わりがあるんですよね,という意味のことを笑いながら付け加えてくれました。なるほど,科学史や哲学史の世界だな,と思った次第です。
7月上旬 ◇スペイン人女性(広島在住)
お話しすると日本語には全く不自由していないスペイン出身の女性とわかりました。母国では医療関係の仕事に従事していましたが,日本で通用する国家資格にはならないので,最近はその方面で通訳ボランティアを始めているということでした。そのような重要なお仕事が無報酬であることに疑問を感じますが,それ以上に口をはさめることでもありません。
そもそもは近日中に知人が来るのですが,この資料館でお茶会の体験はできないだろうか,という問い合わせが始まりでした。その後実際に来てみたということでした。初めてここに入りますが素敵な場所だと繰り返し感嘆してくれたのがうれしい限りです。この機会にと,被爆樹木のこと,月例のお茶会のこと,盛り上がっていたワールドカップのことなどを話題にしました。
6月末 ◇北アイルランドから
 庭園に15人から20人ほどの団体が入ってきたのが見えて,せっかくだからとこちらからお声をかけてみました。
ノザンアイランドと聞いたつもりで,はてとすぐには判断つかないままでした。が,後に続く話からノザンアイヤランド,つまり北アイルランドと納得しました。
お国のことにもっとこだわりたかったにもかかわらず,当方の反射神経があまりにも鈍かったのが悔やまれます。
この後の予定もあるので,ということで立ち話だけで終わったのが残念です。十数人の高校生らしき青年たちと,男性ばかりの集団でした。まっすぐ被爆樹木を目指して入ってきたようすで三々五々写真を写していました。
ひとしきり被爆樹木の生命力が話題になりました。年齢の高い数人の男性が引率教員と思われます。主にお話の相手になった男性は,庭園の手水鉢や竹を編んで作った庭の垣根が気に入ったようです。茶室前の芭蕉の木もジャパニーズバナナと紹介すると関心を示していました。自分でも庭園造りを楽しんでいて,この庭園はその視点からも素晴らしいと感嘆したようすでした。この後お城を目指すと話していました。ガイドは同行せずツアー参加者だけで行動していた彼らが,その行程に当資料館の被爆樹木を訪ねるという予定があらかじめ入っていることをありがたいと思うと同時に,そのきっかけや理由などをもっと掘り下げるべきでした。
4月 ◇豪州パースからの女性
 一人の来館者がすんなり受付をされていましたが気になってお話しを伺うと,母親が日本人であり日常の日本語は話せるが読むのは無理ということでした。展示の紹介をしながらもお尋ねすると,仕事を替わるために建築を学んでいること,日本の古い建築物や様式に関心があること,そういう目で旧日銀の建物をすでに見てきたことなどを話してくれました。話しぶりが控えめな感じであることが印象的でした。パースは大陸の西のほうですよね,とあいまいな地図を頭に描きながら切り出すと,夏には30度を超えるがこれから涼しくなる季節だということ,それに比べると4月というのにこちらは暑いですね,というお答えでした。
4月 ◇米国からの御夫婦
 九州の米軍基地で記者として働いている男性とその奥様(日本人)ということがわかりました。奥様が先に入館し全体を御覧になった後,これは御主人を呼ぶべきだと判断したとあとでお聞きしました。御主人は軍関係の記事を書く一方で日本の伝統文化に関心と知識欲が高いことを伺いました。意外な,というと失礼になるかもしれませんがじっくり展示を御覧になっていました。いつものようにお隣の小学校付属の資料館を紹介すると,すでに訪ねたというお答えです。
4月 ◇北京からの御夫婦
 日本語に多少心配を感じたので,ロビーでビデオを御覧になっている最中にお声をかけてみました。
ビデオは頼山陽と竹原のつながりを紹介するものでした。すると「わたしはこの人物を知っています。私自身が画家なんです。」,「職業画家ですか?」,「そうです。北京で水墨画をやっています。」というお答えがあり,その突然の展開にうまく返すこともできずに終わってしまいました。それほど会話を楽しもうという気持ちが強くない,と勝手に受け止めたせいでもあります。
4月上旬 ◇豪州の男性
 あまり長くお話しすることはできなかったのですが,南画展の最終日に訪れた男性。御自身も日本画をやっているということです。どのようなものか正確にとらえてなくて趣味かプロかも確かめそこなっています。ただ,コーリンオガタという名前を口にし彼のスタイルに習った絵を描いているというとでした。南画の作品をまじまじと見つめ,これは”和紙”に描かれているのですか,シルクですか。和紙はどこで手に入りますか?”画材店”ですか。”顔料”を使うのですか?などの日本語を普段に使っていることがわかり不思議な気持ちに包まれました。
4月上旬 ◇イスラエルから若いカップル
 いつものつもりで受け付けに現れた若いおふたりに声をかけました。お国はどちらですか,と尋ねますと,なんと
”イスラエル”ということです。単純につなぐ言葉も見つからず,ただただ驚きと感激を伝えてしまいました。そういえば中近東からではないかという方を街でお見かけすることはよくありますが,そういう方と実際に言葉を交わすことはまずありません。イスラエルから日本に観光で来られる方は多いのですか,と尋ねますと強く肯定されました。
 頼山陽の概略を案内したあと,初めの話題に戻り,お国では日本の伝統文化は紹介されたり興味を持たれたりするのでしょうか,とお聞きすると,映画で「七人の侍」を見ましたということでした。むしろ当方がイスラエルについてもっと掘り下げたいが,持っている知識があまりにも少ないと断ったうえで,日本のTVニュースで報道されたことは,あの大国の大統領が大使館の場所を移すと宣言したことですね。という程度しか浮かばなかったのが残念です。国の状況は今は安定しているが,波があるということを強調していました。好奇心に近い興味はあっても,手掛かりが浮かばないときは話題を深めることが難しくなる,ということを改めて感じた次第です。
 ちなみに広島に2泊,日本での滞在は2週間とお聞きし,うらやましさを隠せなかった当方です。