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平成28年度お客様との時間

【平成28年度】 来館のお客様と過ごすひととき・・・・・「平成27年度の様子」はこちらから
いつごろ どのような
3月下旬

◇ベルギーからの青年弁護士
 大きなスーツケースを引いて来館されたので,すぐにお声をかけてみました。2時間くらいしたら京都へ向かうので,その途中だということでした。お国は,とたずねますと,ベルギーとのことです。理解するのに瞬時遅れましたが,テレビニュースの情報から,英国のEU離脱,EU本部,ブリュッセルなどの言葉が浮かび,EU本部があるんですよね,と返しますと,英国の選択が話題になりました。当方としても,ベルギーの方とお話しする機会は初めてであり,感激の気持ちを伝えました。
 話す言葉に何となくフランス語の影響を感じ,お国ではどういう言葉が話されるのですか,ということが次の話題でした。すると,最初,ドイツ語,に聞こえたのですが,よく聞くとダッチ,つまりオランダ語であることが分かりました。例によって彼のほうが多少アクセルのかかる話し方にはなりかけていましたが,国境をオランダ,ドイツ,フランスに接していることから,ベルギー人の話す言語もそれらの国の言語が使われていることがわかりました。ただし,正確には覚えていませんが,比率では顕著な差があるということでした。「言語地理学」なるものがこれに当たるかどうか不明ですが,知識の整理のためにとネット情報を仕入れると,58%がフラマン人:オランダ語のベルギー方言というべきフラマン語を話す。31%がワロン人:フランス語を話す。その他混血11%とあります。地域によってはドイツ語圏もあるということです。ついでに,国土は使用言語によって3つの言語共同体に分かれておりそれぞれに地方公用語がある,と知りました。どうもそれらしい説明をいただいたことはわかるのですが,耳に入らない語彙が多すぎました。スイスの事情とよく似ていますね,というと,似ている点もあり,独自の事情もある,という回答でした。
 弁護士であること,2週間の予定で日本を旅行しており,これまでにずいぶん旅行していること,クイズ番組などで日本に関してさまざまなことを知るようになっていることを話してくれました。
 頼山陽が脱藩し逮捕され幽閉されている間に,歴史書の草稿を仕上げたことなどはすでに当資料館で発行している英語版のフライヤーで御存じであり,そのことにまず驚かされました。頼家は武士の身分なのか,「日本外史」と明治維新の志士の心情との関係はどうなのか。現在,平成という元号を使っていることを知っているが,それはどのように決められるのか。天皇の歴史はどのくらいさかのぼるのか,などを問いつつ,そういえば最初の天皇は神武天皇でいいんですよね,などと面白い雑学を披露してくれました。じっくり座り込んで話し込むと楽しい時間が膨らむはず,という期待を持たせてくれる好青年でした。

3月下旬トロントカナダからの青年教師
 挨拶もそこそこに当方からいきなり,最近のネットニュースで面白かったのは,「カナダは当面,高校生が修学旅行で米国へ行くのを自粛する。」というニュースでしたが,聞いたことがありますか,と話を向けると,彼のスイッチを入れてしまったようです。そうなんですよ,・・・と。話しながら興奮の様子が伝わりますが,それにつれて話のテンポまで上がり,かなり拾い損ねました。強調したかったのは,今では生徒の25%が難民に関係しているのだ,ということでした。政治的話題に乗り込むつもりは毛頭ありませんが,かなりの関心事であることは十分に伝わってきました。
 頼山陽の概要を話題にすると,いつものことながら,彼はどうやって執筆のための資料を集めることができたのか,彼の著した内容は現在でも正しいと評価されているのか,と食いついてきましたが,非専門的見地で対応し,一応の理解は得られたと思います。その流れで,長崎に旅行した際にどうやらあのナポレオンのことを聞いたらしいですよというと明らかにアンテナが動いたと見えました。
 日本には数週間滞在してインターナショナルスクールの実情を視察する,というのが大きな来日の目標だということでした。当方が十分に彼の話を受け止めきれていないのがわかったかどうかは不明ですが,ずいぶんと能弁に,しかも日本文化に興味があることを示して,時間を過ごしていただいたとお見受けしています。 
 観光が主目的のお客さんとはいえ,小一時間も話すとなると,最初の場面で双方が互いの名前を紹介するほうが自然であり,もしくは別れ際にでも名乗ると気持ちが落ち着くといつも思いながら,しばしばその機を逸しています。今回はこの青年から別れ際に,名前を名乗っていただき,自然に当方からも名乗るという場面がありました。その点ではこちらの対応のあり方がまだまだ未熟だということでしょう。
3月上旬◇香川県からの父子
 車で来館されたお二人は年配のお父上とその御子息とお見受けしました。展示を熱心に御覧になったあと,山陽の軸に,山陽外史と襄と書き分けてあるのは意味があるのかという御質問があり,なさそうです,とお答えしました。さらに,大塩平八郎の研究をしていて,調べていると頼山陽との交流がわかり,来館されたということでした。
 図録「山陽の生涯」を御覧になり購入を希望されましたが,在庫切れのため,その中の大塩平八郎の聿庵宛の書と書状の箇所を複写して提供しました。関連する「風流才子の交わり」「頼春水」「頼聿庵の書」などの図録をお求めになり満足そうにお帰りになりました。
2月中旬

◇名古屋からの若い男性客
 入ってこられたのは大きなリュックに木刀らしきお土産と思われる品をお持ちの方です。宮島からの帰りということでした。図録を探しておられるということでしたのでお話を伺うと,山陽14歳ごろの癸丑歳偶作「十有三の春秋」の詩だということがわかりました。該当する図録がなかったため,その詩が掲載されている当館作成の小冊子をお渡ししました。併せて単行本「山紫水明」と「芸備の人々」もお求めになりました。
 現在は名古屋在住ですが,学校は広島で,以前にも来館したことがあり,常設展示の中に探している詩があったことも覚えておられました。

2月中旬

◇シドニー,オーストラリアからの御夫妻
 外国からのお客さんが受付に来ていることはすぐわかったものの,何となく腰の重さを感じたのは,入っては見たものの惹かれるほどではない,ということを感じさせるお客さんも時々あるからです。このお二人ははじめにガイダンスの部屋に入り,意外にじっくり展示物を見ていることが分かり,それでは,と声をかけてみました。豪州シドニーからのカップルです。シドニーは今真夏でしょうと水を向けると,そうだよ,この前は47度にまで上がったのですよ。だからこの時期に日本に来たくなったのですという明るいお返事でした。豪州訛りのほとんどないお話しぶりで,47度?と当方が復唱したので多分聞き間違いではありません。念のためにネットで情報を探してみました。すると,2月は通常20度台だが,たまに30度後半,日によって42度,43度になる,という説明を見つけ,あながち,彼のお話は誇張ではないと受け止めました。
 見た目だけで言うなら女性はアジア系のお顔立ちであり,展示の一つ一つに興味ある様子で,間が空かない程度にうまく質問を繰り出してくれました。少し変わったところでは,山陽のお父上が学者,というのはどういう領域の学問だったのですか,山陽の肖像画を見ると武士のように見えるが,武士の身分なのか,それほど各地を旅行するということはかなり裕福だったのか,このあたりの資料に使われている文字は現在のものと同じなのか,などなど。「儒教」を挙げようとして詰まり気味になると,女性がああ「儒教」ね,中国で生まれた哲学よね,と助けてくれました。
 ひな人形の展示も,じっくり御覧になっていました。内裏雛の男雛と女雛の位置は,時代をさかのぼるとある時期から逆の位置に変わり,現在はこの位置になっているようです,と生半可な情報に基づく話題に触れると,変わった背景や理由はなんですか,と足もとを救われそうになり,残念ながら・・・,と濁しました。
 お国で似たような子どもの成長にまつわる伝統文化はありますか,と問いますと,古い時代には子どもが5歳まで育つことが難しい例が多数あり,5歳の男の子にはある種の戦士の服を着せて祝うということがある,という文化人類学のひとこまがありました。神社と神道,そして寺院と仏教のことも話題になりました。宗教としての違いはどういう点なの,あなた自身はどちらなの,などと会話を楽しんでいることはわかりますが,その期待に応えるのは難しいとつくづく思う当方の力量です。いつもながら,もう少し説得力のある材料をもっているともっと話が膨らむのだが,と同じ反省を繰り返しています。
 お別れに白神社と袋町小学校平和資料館を紹介しました。1時間近い滞在時間でした。

12月初旬◇香港からの青年
受付のやり取りで,香港からのお客さんだとわかりました。若く見えるが学生さんではないという応答も聞こえました。数週間前に若いアメリカ人二人連れが来館し,そのおひとりがいかにも興味がわかないということを感じさせる態度だったことが心に残り,今回はしばらく遠くから様子を見ることにしました。
 ふと気づくと,数十分はガイダンス展示を見ていることに気づいた。引き続いて縮景園図を置く展示室もしっかり時間をかけていたることに気づきました。狭隘な偏見で,外国からのお客さんが縮景園の今昔の姿の変化に興味関心を示すとは考えがたいと思い,声をかけることをためらいながら,彼がロビーに戻ったのを見て声をかけました。
 どうしてここに立ち寄ったのか問いますと,たまたま正門の前を通りかかり風変わりな佇まいが気になったから。いろいろな書の作品があるのが面白い。実は,デザイナ-である。と話してくれました。服飾関係?と考えるのは日本特有の和製英語のせいかもしれない。どんな分野のデザインなのですか,とたずねますと,出版物に使用するグラフィックデザインです,というのでなるほど,と得心しました。香港でも書はあるが限られた人の領域になっている。草書体となると読める人もきっとほとんどいない,というので,その点は大多数の日本人にも当てはまります,と乱暴な相槌を打った。縮景園はまだ訪ねておらず,そのため縮景園全図のことではあまり話が膨らまなかったのが残念です。
 広島滞在が5日間もあるが,行程を細かく決めていない,とも。例によって袋町小学校の資料館を紹介しました。神楽のある水曜日でないのが残念です。
10月下旬

◇パリからの大学教授
 10月末の午後,日本語の不自由そうなお客さんが来館し,特別展の内容を伝えられることの難しさから少々躊躇はしましたが,常設展示室にいるのを確かめ声をかけてみました。当方としては,展示のことより,なぜここに入ってみようと思われたのですか,ということに興味があり,遠慮なくお尋ねすると,最初に「中世の歴史を研究している」という言葉があり,自分の耳を疑いました。はあ?と言いそうになるのを抑え,「大学で教えておられるのですか」とお聞きすると,パリの○○大学です。しかし肝心の○○は当然フランス語ですから聞き取れず,流しましたが,歴史学の教授であることは間違いありません。少なくとも東洋の歴史が対象ではなさそうです。
 常套手段の一つで,David Hume というイギリス人(スコットランド人?)を御存知ですか。ある人に言わせると頼山陽は,時代的にも業績としても彼に匹敵する,ということですが。すると,即座に,「もちろん知っていますよ」という反応です。生噛りの素人が専門家を相手にできるはずもなく,その程度で切り上げました。幸い,というべきか,残念ながらというべきか,この方は日本語は話すことも読むこともできない,ということがわかりました。その後,「広島の医学」の展示もひととおり御覧になりましたが,当方が提供できる内容が限りなく乏しいことも思い知らされる時間でした。

10月下旬10月の快晴の朝,庭園の見回りをしていると,被爆樹木の前に立ち説明板に注目されているお客さんがいます。御挨拶をし,被爆樹木のこと,爆心地のことなどをやりとりし,自然な流れで,札幌から娘さんを訪ねて広島に来られたことを知りました。直行便ではなく羽田経由のLCCを利用されたこと,北海道では中国からの観光客がほとんどなのに,宮島に行ってみると欧米からのお客さんがずいぶん多くて驚いたこと,などなど和やかにお話をしました。
9月中旬

◇月例の大きなお茶会が開かれにぎわう一日でした。
◇同じ日の昼ごろ,よく見るとファッショナブルな雰囲気を漂わせるカップルが来館し,東京のK大学に学ぶフランス人留学生と分かりました。最初は興味関心のほどを計り知れず,すぐに引き上げるのであれば近づかないでおこうと思っていたのですが,両展示室に随分と時間をかけているのがわかり,こちらからあらためて声をおかけしました。女性のほうはこの夏で学業を終わりまもなくフランスへ帰る予定であること,男性はまだ学業が続くこと,たぶん,お二人ともエンジニアリングを専攻されていることなどなど。いずれにしても意外と,というと固定観念になってしまいますが日本の古くからの文化に真剣なまなざしを向けているのが分かりました。なぜ,どのようなところが興味を沸かせるのか,そういうところをこれから掘り下げる価値があるかもしれない。
 平和資料館のことを話題にすると,悲しいかな半分は改築中で見られなかったのですよ,とのことです。オバマ大統領の作った折鶴はまだ見られる,ということでした。いつもの展開で,お隣の小学校の資料館を紹介しておきました。
◇同じ日の夕方,不思議なことです。またもフランス人の女性が来館しました。頼山陽の生涯の内容から同行して案内しましたが,なにか彼らの好奇心を引き寄せるものがあるのでしょう。この資料館の前を何度も通りかかっていて,気になっていたこと,明日には東京に帰る予定でありこの資料館を訪ねることができてよかったということ,そしてなによりも食い下がってわかったのは,旧日銀で今行われている展示の出品者であることです。おもむろにバッグから展示会のフライヤーを取り出し手渡してくれました。つい先ごろまで同じ会場で”メディア芸術祭”が開かれていたのですという話を出すと,もちろんご存じで,いわばその延長線上にある'Hiroshima Art Document 2016' という展示会であることを今さらながら知りました。いわゆるビデオアートという領域だということでした。一日に3人ものフランス人と話したのは…初めてかもしれない。

8月中旬

◇香港からのお客さん。3回目か。
 日本語に困難があるといういことを確認してから,展示室でしばらくご一緒しました。展示室には出品されている刀匠3人と,職方1人の写真も掲示していますが,これらの刀匠は広島とのつながりがあるのですか,などに始まり細かいところにも目を向けていることを感じます。
 展示室の一角に頼聿庵の豪快な書が掲げてあり,そういえば香港の学校では書の指導は行われているのですか,と当方から質問すると,広く行われているとのことでした。キャプションでその文字と内容を確認した当方のことは後回しにして,掛け軸の文字を読むことはできますよね,と向けますと,全体の意味はともかく,これとこれは読めますよ,こういう漢字ですよね,という気づくと奇妙な構図でのやり取りがしばらく続きました。
 常設展示も一回り御覧になり,先ほどの掛け軸の延長で,山陽が漢詩の達人であったことに触れたものの,七言絶句などに言及しようとすると,まさに絶句してしまう当方の説明力でした。
 そういえばこの方は歴史教育にも関心がありました。日本の学校教育で行う歴史教育で取り上げる対象はどの時期ですか。古代,中世,近世,近現代,とありますが・・・。どうやら香港では新しい時代だけが取り上げられる,とのことでしたが,立ち話の限界もあり,厄介な話題には深入りしないこととしました。
 さらに,このお客さんから何気なく,あなたはボランティアガイドですか,資料館のスタッフですか,との質問。その背景までは確かめていませんが,なんとこのお客さん自身が,香港のとある博物館の職員だと紹介してくれました。歴史遺産などを展示する,かなり大きな博物館ということでした。その施設名を尋ねるべきだったか。そういうことは最初に明かすべきことだと思いますがいかがでしょうか。
●この記述から数日経って思い出した話題がひとつあります。展示のお話が終わったころです。「ペンを持っていますか?実は,広島の街のあちこちで見かけて気になる文字があるのです。」といって手持ちのパンフレットに書いた漢字一文字。
そうか,漢字が読める外国人が気にするか,と納得しました。その文字は「」です。異文化からのお客さんを迎えた広島人はこういう時どのような材料を並べて説明するでしょうか。

8月上旬

◇米国ペンシルベニア州から
 午後の時間が過ぎて静かになり始めたある日,体格のいい男性が受付に現れました。さっそくお声をかけると,ペンシルバニア州とのことです。にわかにその位置が浮かばなかったのですが,御本人からニューヨーク州のすぐ南ですよ,との説明をいただきました。珍しく東海岸からのお客さんです。
 当館は歴史家頼山陽を顕彰するための資料館ですが,その関係の展示と現代刀の展示とどちらを御希望ですか,と
尋ねますと,迷わず刀剣展を御指名です。断片的な情報を提供しますと一つ一つに食いついてくる感じもあります。全くの偶然で,展示室に入る少し前に地元紙の新聞記者が取材に訪れ,学芸員がその対応をしていました。そこへこの米国からのお客さんとリラックス気分で言葉を交わしあっている様子に,この新聞記者も近づいて取材を申し入れることとなりました。ただ,御刀女子といわれるようなタイプでもなくこの男性のお客さんの回答はそれほど取材記者を喜ばせるものでもなかったような気がします。それでもちょうど学芸員もこのお客さんを気にしてくれたので,それまで当方としては,「短い刀はお守り刀として寄贈されることが多いのだそうです。」という表面的なレベルから,「刀身に施した彫刻の多くは,龍や仏陀像など仏教に関連するものであり,その彫刻があることによって刀に新たな力が付与され,邪悪な霊を寄せ付けない効果が生まれるといわれています。」あるいは,「この彫刻の先端にある文字は,梵語で仏を意味する一文字です。」などなど,それまでの当方の素人説明よりははるかに専門的な材料を提供してもらうことができ,むしろ説明役を買っている当方にとっておおいに有益だっといえます。
 日本の異常な暑さから米国の気候に話が及びましたが,本人ペースの語り口になるとしばしば咀嚼できなくなる当方の理解力でした。御本人から,実は,新宿にある刀剣博物館に行ってきました。向こうは彫刻も施されていない古刀がほとんどで,こちらの展示と見比べていろいろなことを学ぶこともできました,ということも教えてくれました。新宿で写した多くの写真をパソコンを開いて見せてくれました。会場に設置された説明板を丹念に写真にとっており研究熱心だと思いながら,パソコンの壁紙が気になり,日本のアニメや漫画をよく見ることがありますか,と尋ねると,はたしてアニメオタクかどうかは別として,かなりの愛好家であるとお見受けしました。
 旅行の予定を尋ねますと,水曜日に広島入りし土曜日の平和祈念式典にも参加するということであり,ゆったりした行程のようです。

7月中旬

米国ワシントン州ブレマトン市からの交換留学生
 呉市による米国ブレマトン市との交換留学生制度で来日された学生さんとそのホストマザーがともに来館しました。
学生が日本刀にとても強い関心を持っているということで,たまたま地元の観光案内所でチラシを見つけたのですぐに
駆けつけたとのことです。
 交換留学生ということに当方が関心を示し,日本ではどこの学校に通うのですか,とたずねますと,学校には所属せず
1か月間,ホストファミリーと過ごしながらいろなところで研修を重ねている,ということでした。そういうタイプの制度もあるか,と今さら知った次第です。さらにたずねますと,この夏休暇が終わると9月からは大学生ということでした。
 ごく基本的な説明を初めに行い,あとは自由に見てもらいました。ホストマザーのことばでは,どうも本物の日本刀を
買えるものなら買いたいようです。本人に話を向けると,いやレプリカでいいんです,というお返事でした。ふと,当方に疑問が浮かび,「アメリカでは銃の購入は簡単だと聞きますが登録の手続きはありますか。」と問うと,あるといえば
あるが,実に簡単なものです。ということでした。「では,もしアメリカ人が米国でこのような刀を購入しようとすると何か
登録手続きはありますか?」と続けると,即座に「ありません。」ということでした。日本では・・・と,少し解説を加えましたが,そういえば刀といえど,あちらでは大型ナイフと同じだろうなと一人で納得した当方です。
 しばらく時間を置いてから様子を見ると,現代刀の制作過程を紹介するビデオを実に真剣に見入っていました。せっかくだからと,YouTubeに置いている昨年の居合切りデモの動画を見せると,普通以上の興味を示していると見えました。
◇ 米国テキサス州からの男性お二人
 受付で日本語に苦労している様子があり,お相手を申し出ました。遠慮なくまずはどちらからですか,と尋ねますと
米国テキサス州からということです。さらにどうしてここを選んではいったのかと尋ねますと,前の通りを歩いていて,
ポスターが目に入ったから,といううれしい答えが返ってきました。
 いつもどおりの基本情報を提供しますと,ひとしきり熱心に観て回り,その後,常設展にも関心を示してくれました。
さらにそのあと,自分でもう一度刀剣の展示を見てもよいですか,とじっくり鑑賞していました。
 アメリカのテキサス州,と聞いて連想するものがほとんどない当方としては,むしろ相手からの話題を引出しじっくりお話に耳を傾けてもよかったか,という反省もあります。そういえば,昨年のアメリカ西海岸からのお客さんは米国の事情と比べて日本の公共交通機関の便利さに,心から感嘆していたことを覚えています。
 若いお客さんということからか,それほど顕著なことばの特徴は感じませんが,ときにお客さんがふだんの話し方をされるとついていけないこともある当方の情けないレベルでした。そうはいっても国際語を母語とする話し手と,第2言語として使う話し手とでは,はるかに後者のほうがお相手しやすい,と考えるのは当方に限ったことでしょうか。
◇ イタリアはミラノからのお二人。実は,しばらく前に突然,イタリアから当資料館にメールが入り,広島に行く予定ですが滞在の間にお茶会を体験することは可能ですか,という問い合わせがありました。ちょうど,3連休の中日に大きなお茶会が予定されていたのでそのことをお知らせすると,その日に広島に到着して宮島付近に宿泊予定だということでした。数回のやり取りで,予定を少し変更して,到着の日に当資料館で時間を過ごし,その翌日に宮島へ渡ることにする。ということで落ち着きました。
 グローバル通信の時代とはいえ,イタリアにいて当資料館のお茶会のことを見つけ出す,そのスケジュールを相談できる,というのもまさに時代が許してくれる貴重な機会だと言えます。
 昼過ぎにお二人で到着され,ちょうどお茶席を待つ時間に頼山陽の説明展示と現代刀の展示を見ていただくことができました。なんどもやっているにしては,当方の説明に流暢さと的確性が改善されていないことを自覚しながら,ふと,あなたはイタリアで英語を使うことに苦労はしていないのですか,と尋ねますと,日常生活は別ですが,仕事では当たり前に使っていますよ。実は医者なんです。各種の会議で英語は当たり前ですから,ということで素直に納得しました。そういえば,ひと月前のスペインからのお客さんも医療関係でした。
 お茶席では幸い人数の少ないグループに当たり,ゆったりとして空間と時間を楽しむことになりました。大皿からお菓子を大きな竹の箸で自分の懐紙に取り,竹で作った菓子切りで小分けして食べるのですが,そのようすを周りのお客さんも自然と注目してしまい,うまくいくと小さな拍手も起きていました。
 師匠から掛け軸,お花,茶道具などの説明が順次続きますが,そこにタイミングよく問いかけを入れるのも習熟すべきことなのでしょう。いつも感じることですが,すべての道具に,その銘,だれが作り,どのような歴史があるものなのか,すらすらと説明が並ぶことに驚きを隠せません。遠慮がなければどのくらいの値打ちがあるといわれているものなのかたずねたいものですが,たずねやすいときととそうでないときがあります。 
 遠来のお客さんが初めての体験を楽しんでいただいたことを確かめ,ついつい旅程も尋ねてみますと,東京,日光,京都,広島,大阪,奈良ということでした。それぞれの地でたっぷり時間をとってあるようです。
 少し強引かと思いながら,平和公園の前に,隣の小学校の資料館をたずねることをお勧めしますといいつつ,現地まで一緒に歩いて御案内した次第です。

6月中旬

◇ポーランドはワルシャワからのゲストです。
 朝から梅雨のピーク時のような雨の日,資料館では毎月の大きな茶会が開かれています。雨にもかかわらず茶会のお客さんの出足は好調です。
 そんな中,「ポーランドからのお客様です。」という受付からの声があり出てみると,明らかにためらいを見せている男性が一人います。やや強めに水墨画展にお誘いすると,断ることなく興味を示してくれました。ポーランドとなると当方の訪問客リストに新しい国を加えることになります。言葉はややわかりにくいこともありますが,第2外国語として普通に使っている様子です。むしろ,案内する当方の課題として,水墨画の世界をほとんど理解せず初めて接する方にその概要をお伝えしようとするという無謀さを,時間が経つごとにひしひしと感じた次第です。
 門外漢の苦しい立場を感じながらも,絵に用いられるモチーフのこと,伝統的な印象のものと現代的なもの,新しい手法に挑戦していることが分かるもの,などを無責任を承知で紹介しますと,ほぼすべての絵を注視しながら鑑賞している姿があり,当方から見るとそのことが実に印象的でした。前衛的な作風の作品に話題が及ぶと,どこからが芸術的で,どこまではそうではない,ということで意見を交わすなら,座り込んでじっくり語り合いたい,という空気を漂わせていたのも興味深いところです。
 お茶会の主催者から声を掛けられ,よければ茶席に招待したいとのお誘いをいただき,当方と一緒に慣れないお茶席を体験することになりました。約20分の間,無理して座っているのはいかにもきつかったようですが,場面を逐一しっかり
観察しつつ楽しんでいる様子がありました。
 別れ際に,なぜ広島に?と尋ねますと,「悲しい歴史があるから」という返答に,そういう答え方があるのか,と驚きながら受け止めた当方です。宮島にも行ったが,観光客が多すぎて,本来の雰囲気が損なわれている,とも話していました。
 いつもの要領で,隣の小学校に併設の資料館を強く勧めておきました。

6月上旬

スペインはマドリードからの親子です。】
 庭園でごそごそしている当方に一見ラテン系とお見受けするお二人が明るく会釈して建物に入っていきます。案じていますと,予想どおり受付から声がかかり様子を見に入ることとなりました。すぐに,お客さんのほうからスペインのマドリードからだと自己紹介をいただきました。
 頼山陽のアウトラインを説明しながら,例によってデイビッドヒュームという人物を御存知ですか,と尋ねますと知っているとの即答に続けて,「頼山陽も哲学者なのですか」という問いかけです。むしろ,歴史学者のほかに儒学者であり,書家であり詩人というべきでしょう,と返すとすぐに受け止めてくれたのが幸いであり不思議でもありました。東洋文化に対してもかなりの素養のある人物とお見受けしました。
 展示室でもしばらくおつきあいしました。頼山陽が詩人・書家であることがよくわかる展示だと思っていましたが,よくあることとはいえ,鋭い問いを次々と繰り出してきます。書の多くが七言絶句の漢詩であることを説明しようとすると,五七五の俳句のことは先刻御承知のうえで,その漢詩のルールは?という展開になりました。ここで当方の浅薄な理解が露呈します。確か7文字で4行、計28文字・・・といかにも自信なく答えざるを得ない始末となりかけます。視点をそらす意味でも,詩作の世界,その詩を書として表現する世界,さらには作った詩を吟じるフィールドがあると伝えようとしましたが,次第にしどろもどろになりかけている当方の姿がありました。
 おそらく典型的な漢詩と見える掛け軸の前に立ち,どうもこの二つは同じ詩を書き記していると見えるが,なぜ?それぞれに赤いスタンプが下に二つ,上に一つあるがそれぞれどういう意味で押したもの?という問いかけです。かなり怪しい当方の知識を承知のうえで,二つ並んでいる押印は一つは作者の本名,もうひとつはいわゆるペンペームでしょう,というと,ああ,シュウドニムね,と,話が通じたことが分かりました。
 念のため,とあとで学芸員に解説を求め,二つの押印は実名と雅号,そして離れたところにあるのは冠冒(印)という,いわば本物証明の意味がもともとあった印,という話を仕入れました。また,同じ詩の書が二つ並んでいたのは,同一の内容の詩を別々の相手に書いて差し上げたものだから,という,「なるほど!」という説明をもらった次第です。
 世間話をしているうちに,かつてスウェーデンで数年にわたり細菌などの医学の研究分野に携わり,ある日本人医師と一緒に仕事をしたが,その医師が広島に住んでいるはず~,と話が膨らむこととなりました。なるほど鋭い視点をお持ちなのだと敬服した次第です。
 受付でも水曜日ということで「神楽」公演の資料を紹介してくれ,その気になっていることがわかりました。日本の農村部に根付く力強い伝統文化をじっくり味わってほしいと願っています。

5月上旬◇庭園内で:庭園の植木の様子を見まわっていると,被爆樹木の説明板をひとしきり見入っている高齢の女性が目に留まり声を掛けました。大通りとホテルの間にも同じ種類の大木がありますよね,という程度のことでした。すると,女性がぽつりぽつりと,実は私自身が小学校2年生の時に被爆しているのですが,なぜかその場面を思い出せないのですよ。ひょっとすると,その凄惨さのあまり思い出したくないという気持ちが強く働いているような気もします。語り部としていろいろなところでそれぞれの体験を子細にお話になる方は,きっとそういうこだわりを克服しているのかもしれないと思いますよ,とのことでした。
 そういえばちょうど1年前に,元宇品で被爆し同じ会社の人たちを探しに川伝いに船を使って市内中心部に入り,被爆直後の街を歩き回った年配の男性の話を伺ったことが,この記録を重ねるきっかけになったのでした。さまざまな体験をされるかたは,他者の推測をはるかに超えるそれぞれに計り知れない思いがあるのだということを考えさせられたひとときです。
4月下旬

ニュージーランドからの御夫婦
 九州の大震災のニュースが続く中,朝からひどい雨です。震災後2回目の雨です。昼前,ニュージーランドからという御夫婦が来館しました。飛行機の旅は大変だったでしょうというと,11時間くらいだから大したことはありませんよ,というお返事です。どちらかというと御主人のほうが資料館の展示には関心が強いようです。
 「頼山陽は歴史家としてはどのように評価されているのですか。彼はどのようにしてその資料を集めたのですか。著作が印刷されたということですがどのようなやり方で印刷するのですか。当時の人々は,このような紙を入手するのは容易だったのですか。」などなど。
 前からの実感ですが,このようなやり取りを円滑に進めるにはそれなりに特殊な用語も角度を変えたりしながら伝える必要は避けられません。「藩」「大名」「お抱え学者」など。うまくつながるときは話も進みます。山陽の作品の価値や評価となるとやはり学芸員からの解説を授かる,それをかみ砕く,ということが必要であることを感じます。
 展示室の書にもしっかり目を向けていただきましたが,この詩の解説にはどういうことが書いてあるのですか,と聞かれると,「間を置かずに」という変な気負いを感じながらのスリルも味わうことができます。
 はるか南半球から来られたお客様に,東洋のしかも一見難解な資料の展示を門外漢が苦労しながら断片的な説明を加えることで,少しは距離を縮めていただくのにお役にたてたかもしれない,とは御夫婦の笑顔を見ながら勝手に当方が感じたことです。
 この雨の中を次はどこに行くのですか,とたずねますと,どこかお勧めの場所がありますか,ということですので,袋町小学校の平和資料館と県立美術館の徳川展,その隣の縮景園を地図つきの資料をお渡ししながら紹介しました。

4月初旬英国紳士,というにはかなりラフな出で立ちの旅行者がおひとり来館しました。受付では,日本語は大丈夫です,という声が確かに聞こえましたが,しばらくすると相談がある様子の問いかけが聞こえ,すぐに駆けつけると,3月末に復元された猿猴橋たもとの頼山陽詩碑の写真を見て,これはどこに行けばみられるか,ということでした。あらましを伝えつつ断片的に問いかけると,ここへ来る前に大分で,「田能村竹田」の展示を見てきた,とちょうど近くに開いていた雑誌のページを指さして教えてくれました。さらには,京都を中心に仏教美術を見てきた,県立美術館で行われている徳川展にも行った・・・。なかなかの日本通なのか。1990年に来日してから2回目の訪問だとも。
 お持ちのガイドブックは日本語で書かれた被爆樹木を紹介するものであった。同種の木が平和大通りの大きなホテルの前にもありますよ,というと,90年の時と同じくちょうどそのホテルに泊まっていて,クロガネモチがあるのを知った。ちなみに,その本にはカタカナでクロガネモチと書いてあった。
 英国ではあなたのように日本の伝統文化に関心のある方がよくいるのですか,と素直に尋ねると,ほとんどいません,私は趣味でやっているだけです,というお答えです。竹田の名前がすらっと出たり,関ヶ原の戦いが口から出たり,タダモノではないかもしれない。
 この日が水曜日だということを押えたうえで,ようやく夕方の神楽の上演を教えて差し上げることができた。また運よく,英語で説明のついた地図つきの観光ガイドブックもお渡しすることができた。
 ふと,3月にドイツから訪れたあのお二人とかなり同種の空気を漂わせていると感じた当方でした。
再びアデレードから
 午後から雨の予報が出てやや暗い雰囲気になり始めたころ,家族4人での来館がありました。声をかけると再び豪州アデレードという町の名前に,つい数か月前にも同じ町からのお客様がありました,と当方。しかしそれに加える記憶はすぐには戻りません。この同じページを下に手繰ると12月だったことが分かります。そう,あのジャンパーのお客さんでした。
 小学生低学年のお子さん二人と御夫婦。どうしてこの資料館に入られたのですか,と問うと,たまたま通りかかっただけで入ってみたのです,というお返事です。日本の伝統を感じさせるたたずまいに興味を抱いていただいたと捉えています。展示内容にもしっかり目を向けていることが分かります。お客さんの多くがどのようなことをお考えかはわかりかねますが,率直で基本的な問いに,そういう視点があるか,と気づかされます。
〇頼山陽は今でも有名なのですか? 〇彼はなぜ藩から逃げ出したのですか? 〇彼のまとめた歴史は現在では正しいとみなされているのですか。 〇どのような資料を基にしたのでしょうか。 〇日本外史のオリジナル初稿は今どこにあるのですか?などなど。この御主人は明治維新のことまでは御存じありませんでしたが,「サムライの時代を終わらせる革命の少し前の時代にあって,頼山陽の書物は当時の若い武士たちに大きな影響を与えたといわれています。」ということは強調できたと思っています。
 ちょうどその前に,高齢者のグループが訪ねてきて学芸員が解説を終えたばかりだったため,所蔵品を展示している部屋で学芸員を紹介すると,さらに真剣に資料を見ている様子がありました。スペシャリストである学芸員の説明を聞くとなおさら,それを共通語で伝えることの難しを痛感します。
 お子さん二人はその間,ロビーで折鶴づくりに熱中していました。ささやかな国際交流のひとときです。