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お客様との時間 平成27年度

平成27年度 お客様との時間 


3月下旬

◇再びドイツ,ミュンヘンから
 女性の一人旅とお見受けした。お節介を申し出てしばし相手するうちに,仰々しく言うならドイツ人の国民性というのか,お国の人の人柄に共通項を見出してしまう当方でした。というもの,つい数週間前にお相手したドイツ人男性旅行者にも似たような空気を感じたからです。控えめ,静かな話しぶり,日本人の礼儀作法を知ったうえで同様の態度を返そうとする様子など。あるいは,日本文化が好きである,ということから生じる雰囲気なのかもしれません。
 タトゥーを生業にするというあのドイツ人青年のことを話題にすると,かなり広がっているが私は好まない,などに始まり笑いが混じる雰囲気が生まれました。わずかな体験で一般化する愚を承知するも,そのようなタイプの方が日本文化に興味関心を持ち,訪ねてくれるのだろう,と思ったりした次第です。
 たまたま近くを歩いていたら,ビル群の中に一風変わった日本的なたたずまいがあったので入ってみた,とのこと。日本文化に興味を持つ契機となったのは90年代にニュージーランドに2年間留学することがあり,その時に和食レストランに連れて行ってもらうことがあった。そのレストランの静かな整然とした雰囲気に鮮明な印象を覚え,以来日本のことが気になっている,ということでした。
 展示の鑑賞を妨げないように遠巻きに様子をうかがっていましたが,かなりじっくり集中して御覧になっていましした。実はコンテストで選ばれたものを展示しているのですが,どれが一席だと想像しますか,とやや意地の悪いことをたずねると,好きかどうか,という意味で選ぶならあの作品ですね。あのモチーフと陽射しがあの角度から差し込んでいるあたりが好きですね。と,やや俗っぽい質問をはぐらかされたような,しかし即座の筋道だった受け答えでした。では審査する人はどういう人なのですか,という鋭い返しもありました。
 水墨画,南画という分野について語ることを,しかも世界共通語で伝える技量も持ち合わせない当方の事情により,ネット上の日本文化紹介サイトから引用した 'India ink paintinig' 及び 'Kakejiku(hanging scroll)' の資料を渡すことで話のつながりを保つことができました。欧州の若い方が,古来の伝統美術をじっくり鑑賞しているということを不思議な構図だと思うと同時に,当館の独自性をしっかり御理解いただいたという感触が残り,心地よいやり取りとなりました。
 ネット上の観光情報案内サイトでは,体験者や利用者の意見を閲覧することで情報収集することができます。この資料館でもそうした情報サイトをうまく活用することを考えてはどうですか,という助言もいただいた。

3月上旬

◇ドイツからの青年
 久々に外国からの来館者です。「ひな人形展」には少々場違いな感じもする風采と見ましたが当方から応接を申し出ました。
 風貌だけでどうこう決めてしまう危険を承知しながらも,見るからにほぼ全身タトゥーの持ち主であったからです。
 初めに答えてくれたプロフィールは,ドイツ人であること。ドイツのどのあたりですか,の問いにはドイツ語と思しき地名を早口で言われ,実はついていけませんでしたが,ネザーランド(オランダ)との国境近くということ,そして墨絵や浮世絵に興味があること,正門に出しておいた英語のポスターが目に留まって入ってみたこと,などを話してくれました。
 ひとしきり展示のひな人形を案内して回りましたが,人形よりは壁にかけている書や絵の掛け軸に関心があるように見えました。日本に来て広島のほかにはどういうところを回ったのですか,との問いには,東京,京都,田辺市,田辺市は和歌山県ですよ,と補足されても,当方になにも連想するものが浮かばない様子を察したのか,そこから長い立ち話が続きました。
 なぜ田辺市なのか,それは合気道を趣味にしているからです。合気道の総本山のような場所,高山寺(耕三寺ではない!)があるのが田辺市であること,合気道の始祖である植芝盛平翁が顕彰されている地であることなどなど,当方としては初めて知った次第です。しかも合気道の級(英語でもkyu)が6級から1級へと上がり,その上が段(英語でもdan)であることなど,実際はさらに詳しく説いてくれましたが,当方の理解がついていくには限界に近いところもありました。しかし,日本の伝統的武術のことについて,日本人が欧州人から説いてもらう図式の奇妙さを感じずにはいられないというと,彼も笑顔を返してくれました。
 この際だからと,思い切って彼の職業を尋ねると,タトゥーアーティスト という答えが返ってきて,会話全体の関連性に納得ができます。首筋に鮮明なデザインは,きっと水墨画の意匠を取り入れていることはその世界には素人の当方にも想像がつきました。
 そこからの話がひとしきり盛り上がった次第です。電車に乗っていたり街を歩いた入りすると人の視線が気になるでしょう?と問うと,歩道を歩いていると向こうから歩いてきた人がよく近くになると突然避けるようにして歩く。日本や韓国,中国ではまだ社会的に認知されていないこと,特に日本では,タツーというと犯罪者ややくざの世界をすぐ人連想させるものであることは知っている。というようなことを率直に話してくれました。よく見ると優しそうな穏やかな表情の青年です。そのせいもあって,あっというまにほぼ1時間は相手していました。

2月下旬

 「ひな人形と春の書画展」が始まって2週間余りです。TVや新聞でも紹介された効果があり,また季節にぴったりの催しということもあり,毎日多くのお客様がおいでになります。
◇手作りのひな人形と絵を展示してくれている基町幼稚園の園児先生がた約60人が来館しました。人数の多さを心配しましたが,すべてのお子さんがもの静かに展示を見てくれていました。人形を作るお子さんの創造力と,先生がたの指導のすばらしさに感動します。
ベトナムからの留学生
 市内の専門学校で日本の大学へ行くために日本語を学んでいるという留学生と,国際センターでお世話をされている方がおいでになりました。ちょうどのその両方にチラシやポスター掲示のお願いに歩いたこともあり,営業活動のささやかな成果だと安心した次第です。
 女性留学生から質問があり,学芸員に対応してもらいました。前列で男性3人がそれぞれ道具を持っている。中央は靴だとわかるがその両側の棒状のものは何か,という質問でした。学芸員の説明では,男性は「仕丁(しちょう)」といわれ,棒状のものは傘のたぐいだということでした。
 せっかくだからと感想を求めると,日本人特有の細かい仕事に改めて驚いたとのことでした。ベトナムでも似たようなお祭りはないのですか,と尋ねると,6月1日に「世界こどもの日」がある。でもそれ以外にはない。ということです。そのような視点からも,もっと多くの異文化の方とこのような日本文化について意見交換ができることを心待ちにしています。

平成28年
 1月

 新年を迎えた開館初日。あいにくの雨模様で来館者の動きを案じていると,受付で片言の日本語を話す女性の声が聞こえました。必要最低限のことは日本語でやり取りができそうだとは判断したものの,またぞろお節介の虫が騒ぎ,案内がてらあれこれお尋ねしました。ニューヨークからきて富山県でALTを1年やっている。休みなので一人であちこち旅行しているということを紹介してもらいました。頼山陽に関するごく基本的なことだけを紹介したのですが,彼女から質問を引き出すまでには至りませんでした。この際だからと,お隣の小学校に付属する原爆資料館と西隣の旧日銀のことを紹介したところ,いずれも当資料館に来る前に訪ねたと笑っていました。
 New Yorker やParisian などと聞くと,どのような都会派かと思わず身構えてしまいがちですが,そういう一般化は無用で,それぞれのお人柄が大切だということを実感します。
 とはいえ,頼山陽の歴史的意義はわずかながら説明できるものの,彼の残した書画,そして詩作についてその評価を踏まえた説明となるともうお手上げとなる当方の案内する力がさみしいと言わざるを得ません。

12月

◇久々のaussie guy.  モミジの葉があわてたかのように赤く染まりだした12月中旬,庭園を見るだけで引き返すお客さんが増えています。その中で,ロビーの様子を伺った後,引き揚げようとしていた青年に声をかけました。少々聞きほじってみると,オーストラリアはアデレードの方をわかりました。モミジの葉が散り積もっている場所での立ち話でしたので,宮島にも行きましたか,と問うと,いや,時間がなくて,東京・岡山・広島の予定で宮島は予定に入っていないとのことでした。外国人旅行者だからと一般化してはいけないということでしょう。例年になく暖かい冬なんですよ,という話題から,日本の冬の情報を得ていて,ジャンパーが必要だと思っていたのですが,これだとなくても大丈夫ですね。というやりとり。そうだ,あちらのジャンパー(きっと英国でも)は,日本のジャンパーではなく厚手のセーターだったか,と思い出しました。
 アデレードはメルボルンのさらに南か,と検索すると,やや見当違いではるかに500キロくらい西北西にあると学習しました。なんとこの季節最高気温39度!酷暑の地からおいでになったのですね。
◇午前中,市内の小学6年生がグループごとに合わせて91名来館しました。平和学習のコースに当資料館も入っていたようで,常設展示や被爆樹木クロガネモチなどを見学していました。さらに午後には,岩手県からの修学旅行生,また中国語しか話さないお客さんも3人。中国からのお客さんが増えていることを感じる昨今,中国語での対応をせめて案内資料だけでもできるようになる必要を感じます。
◇毎年1回,12月の同じ日に開催している妙音会のお茶会が行われました。表・裏・石州・上田の合同の会です。1席目は,炭手前で湯を沸かす順序からおこなわれ,ふだんはなかなか見られない場面だということから40名近いお客さんがお茶室に入り,立ち見まで出て盛況だったようです。
◇結婚式の帰り,という若者4人組が来館しました。北海道,静岡,東京と全員が遠方から広島で行われる結婚式に集まったそうです。今夜も宿泊予定ということで,ゆっくり展示やビデオを御覧になっていました。

11月

◇下旬になると,中国新聞に記事を掲載していただいたおかげで,「新聞を見て…」という来館者がほとんどです。やはり皆さん,新聞をよく御覧になっているな,と感じるこの頃です。
香港からの女性2人
近くのホテルへ宿泊していたので立ち寄ってみたとのこと。昼の便で帰国予定であり,玄関先での立ち話となった。香港と広島間の格安便が増便したこともあり便利になったとのことです。名古屋に9か月留学していたということで,日本語がかなり上手でした。この資料館案内のパンフレットに中国語版が必要になる日はそう遠くなさそう,と感じた一コマでした。
◇前期の展示が最終日と知って来館されたお客さんが多数いました。水墨画の岡原先生のお弟子さんも教室帰りに来館し,かなり熱心に観ておられました。
長崎から来られた男性
 頼山陽が九州旅行中に作った「十二謡」という漢詩に興味が湧き,今,独学で調べている途中だと話してくださいました。お手製のとても詳しく調べたことが分かる資料も見せてくださいました。「十二謡」というからには十二首あるはずだけれど,調べてもどうしても一首わからないので,詳しい方に教えてほしい,という理由から御来館と分かりました。学芸員につなぎ,いろいろと話をされてからお帰りでした。
◇招待券をお持ちの御夫婦
 財団会員の方から資料館を紹介されたので御来館とのこと。「呉市広の公園にも頼山陽にまつわる詩碑があるけど,詳しく知っていますか?」という御質問をいただきましたが,深まりのある回答を差し上げることができず心残りでした。
◇資料館の庭で採った柚子を,ここ数年受付のカウンターに置いて,ほしいといわれる来館者には差し上げているが,今年初めてかごに入れて出してみたら,おひとり持って帰られました。採るのが少し早かったのか,まだ香りが弱いのが残念です。
◇中国新聞に「書道展」の記事が掲載されました。その記事を見て尾道から来られたお客様がいました。玉蘊展も見に行って,本当に良かったですよ,ということです。

10月

◇ひさびさにスイス人御夫婦受付カウンターでの様子を拝見しあえて声をかけてみた。スイス人で東京の日仏協会で日本伝統文化を研究しているとのこと。だから当資料館を訪ねたということもわかった。おかげで日本語には不自由していないという御主人。不思議なくすぐったさがあるが,「頼山陽が特筆されるのはどういう理由ですか」,という中心的問いをいただいた。幕末に向かう時代にあって,彼の歴史書が国体としてのアイデンティティーを形成するのに大きく貢献したといわれていることなどを伝えた。
 そういう意味で,イギリスのDavid Humeに匹敵するという見方をする日本の歴史学者の見解があることも紹介した。ヨーロッパの人から見るとこのような文化や嗜好はどのように映るのかをもっと掘り下げてたずねてみるべきだったか。とはいえ,そういう話を深めるには当方にもそれなりの理解が不可欠であることも事実である。
◇さらに東京からのお客様東京から熱心な女性お二人が御来館くださいました。神辺・福山・竹原を周り、最後に当館にお越しになられた由。
以前から当館で頒布中の図書をまとめて購入されるなど、興味を持っておられたようでしたので、常設展について解説させていただきました。
 キャプションで簡潔に解説することを心がけていますが、やはり伝えられることには限界があります。
直接お伝えさせていただくことで、理解を深めていただけたのではないかと思います。
アンテナをしっかり立てて来られるお客様だけに感度は良好で、熱心にお聞きいただきました(話すうちに熱が入ってしまい、つい話が長くなってしまいました)。
 当館に来られる方の興味関心の度合いは様々ですが、電波がつながりやすくするためには何ができるか、これからも自分なりに考え続けてていきたいと思います。(G)
 
◇東京から出張のお客様

 京から出張で広島に来られたお客様。「たまたま資料館があるのを知って,この後すぐに帰らないといけないのですが,短い時間だけど立ち寄ってみました。」とのことです。限られた時間の中で,館の内外で写真を撮ってみていただきました。(m)
◇若者二人 若い男女のお二人にお話を伺うと,東京からわざわざ,サッカーの応援に来たとのこと。男性のほうがかなりの頼山陽ファンでもあるようで,「広島に来たら必ず頼山陽史跡資料館に寄らないと。」とうれしい言葉を聞きました。(k)

9月

◇刀剣の展示を見に来たのですが・・・入ってこられてすぐ,「刀の展示をしていたと思うのだけれど,もうしばらくそういう展示はないの?」というお尋ねがありました。来年も同じころに刀の特別展をすることになりそうですが,今年はもう予定がありません,とお答えするとずいぶんと残念がっておられました。「刀については初心者だけど,研ぎ師の方からお話を伺ってみたくてね。」ということでした。解説会で刀匠の方が3人も来られたこと,真剣の試し切りが実演されたことをお話しするととても興味がある様子でした。(k)
◇男性お二人連れのお客様おふたり連れのうちお一人は2回目の御来館ということで,もう一人の方を慣れた様子で案内されていました。「頼山陽って人はすごい人なんだよ。」「DVDでわかりやすく勉強できました。」とも話してくださいました。お一人は「竹林セラピー」を広める活動をされており,竹原で教室も始めておられるそうです。「申請が認められれば竹林セラピーも森林セラピーのように国から認められるんだよ。」と情熱的に話していました。(m)
◇年配のの女性「頼家の味」という古い図録をほしいということで御来館のお客様です。残念ながら何年も前のことで売り切れておりました。お話を伺うと,数年前に山陽の母,梅し(風へんに思)の献立を再現する活動をグループで行っていたそうで,そのときに資料として「頼家の味」を購入したが,その後,お知り合いの研究者に資料をすべて差し上げてしまったとのことです。最近になり,ある研究者から相談を受け,「頼家の味」を探して当館に来てくれたのだそうです。(m)
◇岡山からのお客様旧日銀を訪ねた後,当資料館を見つけられたとのことです。「ぎらぎらとしたビルに囲まれて,こういう風情のある建物があるのはいいわね。」と表情豊かに話してくださいました。開館20周年目であることを伝えると,「まあ,20年なんかあっという間よね。この年になってもっと外に遊びに出なくちゃ,と思いますよ。」とお話になる笑顔が印象的でした。(m)◇歴史に関心の強い女性 お話を伺うと,古い家柄に生まれ歴史に年を追うごとに興味が高まっているということでした。竹原に行ったとき,頼山陽を思い出し御来館いただいたようです。10数年前に来たときのことははっきりした記憶はないが,今は歴史への興味から日本の各地へ出かけているとのことでした。江戸時代の広島の地図の展示を見て古い時代の広島での暮らしぶりに思いを馳せ,感心されていました。(y)
◇年配の御夫婦お二人で年表を見たり庭園を見たり,話し合い笑い声をあげながら展示を楽しんでおられました。中庭を背景に写真を撮って心から館を楽しんでいただいている様子でした。(k)
◇奈良県から70代の男性
 雨の中,大きなリュックにサンダル,カラフルな帽子という姿で来館されました。広瀬淡窓に心酔されているようで,人物相関図に名前が載っていたと,山陽との関係も確認し感激されていました。
 パンフレットなどに頼らず,自分の目でのんびり確かめながら散策するのが好きなんだ,とおっしゃってまた雨の中を出て行かれました。(k)
◇県内のお客様 
 館周辺の庭園を熱心に御覧になり写真もたくさん撮影されていお客様でした。お話を伺うと,以前,何度か御来館されており,奥様が当資料館の庭園をずいぶんと気に入り,御自宅のお庭も当資料館の庭をイメージにして変えたい,ということでその資料として写真をたくさん写していたそうです。
 また居室に展示されている襖絵の作者である三桝先生ともお知り合いで,御自宅の茶室の利休屏風として「枝垂れ桜」を描いた屏風製作を御相談中であると教えていただきました。
 「また来ます。」と笑顔でお帰りになりました。(m)
<東京から大学生グループが来館しました。>
 雨模様の朝,東京から先生お二人に引率された女子大学生10人が来館し,ちょうど居合わせた学芸員の解説に1時間余り真剣に聞き入っている姿がありました。御専門との関係がどうだったでしょうか。特別展が終わった後で,頼山陽を中心とする展示なっていたことが幸いでした。

8月

<パリからの御婦人と>
 現代刀の展示最終日に,おひとりで御婦人が来館され,この夏を締めくくるにこれ以上はない,といえる楽しいひとときとなりました。パリからのお客さんは二組目です。ただ,お一人で旅行ですかと尋ねると,夫は別行動で,あとで連絡をとることになっているのですよ,と笑っていました。パリジャンスタイルか?とまでは控えました。
<日本を代表する三人の刀匠と>
 三人の刀匠による展示解説と居合切り実演に一日でおよそ150人の御来館。かなり御高齢の方から、青年、お嬢さんと多彩でした。刀匠の皆さんと折々にお話を伺うことがありました。みなさん、生き様もお仕事も究極の姿を追求されている,そのような印象を持ちました。他の人とは違う、今まで人が挑戦したことのない創作、より高次の作品創り、それでいて後進育成や美術刀剣界全体の将来を考えている、芸術家プラス何かを追求している、そのようなことを感じることがあります。
 キャリア教育で、本物の職業人、最高レベルというに値する達人などの人物に接することの重要さを取り上げることがあります。半端な修行では到達できない積み重ねがあってこそげんざいのそれぞれのお姿がある、そういう方の放つ刺激を青少年に及ぼすことは貴重な場となるはずだ、と考えます。
  おかげさまで当資料館が刀剣の展示を初めて八年目になるようです。広島県内に日本を代表する刀匠がおられること、そのつながりで岐阜県や宮崎県の刀匠と広がりが生まれていることを知るにつけ、この上なくありがたいことと感じ入っております。
<スイスはローザンヌからの青年お二人>
 台風15号襲来の午後、男性二人連れのお客さん。外見でいうなら東洋系と西洋系の組み合わせで、少しためらいながらたずねると、お二人ともスイスはローザンヌの大学生。アジア系の一人は両親がベトナム人だが、御本人はスイス生まれだと話してくれました。
<日本人男性三者三様>
 筋金入り?とお見受けする男性来館者三様。それぞれお一人ずつの来館で、気楽にお声をかけてわかったことです。Aさんは山口から。常設展「頼山陽の生涯」をじっくり御覧になり居室も隅々まで見ているようでした。山口といえば、今なら吉田松陰、妹の文が中心話題だろうからと、日銀フリースペースの「花燃ゆ」ポスター展のことも紹介しましたが、興味関心の対象は頼山陽に焦点化されていたようだとは,後になって思ったことです。
  Bさんは新潟からわざわざ当資料館を目指して訪れたとのこと、北陸地域で新幹線が開通したとはいえ、東京との行き来が便利になったことに比べると新潟ー富山間は私鉄が繋いでいて不便なのですよと教えてくれました。ネットで当資料館のことを調べて知り、願いが叶ったという様子でした。歴史研究家、あるいは歴史を教えるお仕事かもしれないと思ったが、確かめてはいません。
   Cさんは旅行の帰りと拝見したとおりの訪問。とはいえ、名古屋から所用で広島に来たけれど、御実家が愛媛にあり、かねてから当資料館のことが気になっていたとのこと。展示の半分が現代刀に変わっっていたことが少し申し訳ない気がした。ビジネスマンながら深く掘り下げた趣味の世界か、はたまた大学などで専門的研究と繋がりがあるという動機からの来館かは、推測ながら後者の可能性が高いとは当方の推測です。

<再びイタリア,ミラノからの御家族>
 イタリアはミラノからの家族三人。同じ街から二組目のお客さんを迎えるのはどういう偶然でしょうか。例によってなぜここに立ち寄ったのかを尋ねると,昨日、門が閉まっているときに通りかかり、門に貼ってあった写真ポスターを見たからといううれしい返事が返ってきました。主には息子さんが応答してくれましたが,言葉の不自由さがあったのか,あまり話が盛り上がらなかったのは,当方の話の向け方,聞き出す態度や力の問題とも思ってしまう。
<オーストラリア北部とのこと>
 さらに一人の中年男性の訪問者が見えました。頼山陽の展示室に先に入っていたので、追いかけるように案内を申し出て,お話を向けますと,オーストラリアのかたでメルボルンからシドニーへと移り、現在はさらにオーストラリアの北端に近いところに住んでいるとのこと。つまりは赤道直下にちかいのでしょうか。いつかのアメリカ人と同様、母国と比較した日本の交通機関の印象が強いようでした。とりわけ新幹線、その便数の多さと時間の正確さ、そして東京の地下鉄の便利さは、車中心の生活と比べると、ガソリン代も以前に比べバカにならない時代であり、驚嘆に値する、とかなり強調した気持ちが伝わりました。日本文化への関心もさることながら、来日してそうした雑談相手を求めているようにも感じましたが,一人旅かどうかまでは聞きそびれました。ひとしきり案内を終えると、ロビーでじっくり刀剣づくりの紹介ビデオを見て後に,あいさつをしてお帰りになりました。もっと掘り下げるべきだったか。。。
イタリアのミラノから>
 若いラフな格好の男性二人連れ。当資料館から一番近いHホテルに泊まっているが、前の通りを歩いていたら、面白そうな写真と門構えが気になって入った,とのことです。もちろん日本刀を見たいということがわかり,遠慮せず問いかけると、イタリアはミラノからのお客さんとわかりました。お仕事は?とまではさすがに遠慮したが,一人は控えめな態度、もう一人が積極的に尋ねては要点をイタリア語で伝えているように見受けました。身近で聞くイタリア語のリズミカルな響きが面白いが,御当人はごく遠慮がちに話していました。時間があればゆっくりビデオをご覧になるとあらましが理解していただけると思いますよと勧めたが、今日のうちに東京へ向かうとのことでした。イタリア人というとテンションの高い陽気な国民とステレオタイプ化しそうなものですが、このお二人はかなり落ち着いた真面目タイプと見た次第です。
<地元の人>
 受付で待機していると、来館者の中に特に熱心な方がいらっしゃいました。玉鋼をルーペでじっくりご覧になっていたのです。お話を伺うと、「自分は古代刀がもともと好みだが、現代刀を見に来てみた。古代刀には輝くような美しさはないがじっくりとした深い魅力がある。広島には大山刀というのが安芸区瀬野にあった。」など、刀についていろいろなお話を伺い,改めて頼山陽史跡資料館の存在を実感しました。(y)

【パリからの若いカップル】
 フランスはパリからの若いカップルをお迎えし楽しいひとときがありました。なるほどという雰囲気をしっかり漂わせた都会派青年の好印象とファッション雑誌から飛び出したような垢抜けした明るい雰囲気がありました。火山の警戒が報道される九州の桜島や阿蘇への行程もこの後予定している,と楽しそうに教えてくれました。

【上海からの若いカップル】
 上海からの若いカップルをお迎えし,和やかに時間を過ごすことができました。あえてお尋ねすると,男性は上海の高校で教える先生,女性は銀行勤務とのことでした。上海では市内出身の人と市外から流入した人とでは,仕事をするうえで待遇の差があることを聞いたが,今でもありますか,と立ち入ったことをたずねると,10年くらい前はあったようだが,今はないと思うという回答でした。時間があれば,テーブルについてじっくり意見交換や情報交換したい気持ちになったひとときでした。

8月6日

 ちょうど非番と重なり,この機に平和記念式典のようすを見に歩きました。7月の末から山口でボーイスカウトの世界ジャンボリーが開かれており,広島市内いたるところでその制服を着たグループを見ていましたが,式典の日もかなりの数の関係者が訪れていました。当館に戻ると,被爆樹木クロガネモチを取り囲むように15人から20人くらいの大人の外国人観光客の姿があり,館内の刀剣展のことを案内しました。が,多くの方は刀剣よりも,当日開催されていたお茶会を楽しんだ様子がありました。

8月【オランダからの御夫婦】 
 ボランティアガイドの方から外国人のお客さんをお連れしたいという連絡を受け,お会いするとまたもオランダからの御夫婦でした。どうやら日本の伝統的な小さな家屋を見てみたい,という要望に対し,本館の史跡となっている居室を紹介したらしいことが分かりました。資料館と刀剣の案内に対しては気に入っていただいた感触があります。

【メキシコからの留学生カップル】
 メキシコから来日し京都の大学で学んでいるという留学生が来館されました。当方としてはメキシコの人と始めてお話の機会をいただくこととなりました。来館の経緯は聞き落してしまいましたが,刀剣を見るためにという目的は押えました。

香港からの青年教師と
 ロビーですれ違った時には日本人青年と思っていたお客さんが,香港からの旅行者と分かりました。香港の中学校で複数科目を担当するチューターの仕事をされているとのことでした。日本の漫画から日本文化に興味を持ち始めたこと,なにより,来館したのは,旧日銀を見た後,本館正面入り口のポスターを見て飛び込んだという何でもないことがうれしい来客でした。

7月オランダからの4人家族
オランダからの4人家族をお迎えし,実に運よく刀匠三上氏が所用で来館していたため,興味深い時間を共に過ごすことができました。近隣のGホテルから案内したチラシを見ていただいたことが分かり,さらにうれしい出会いでした。

【サンフランシスコからの4人家族】
  三交会の大きなお茶席が開かれる日,市内の大手Rホテルからの電話で,ある外国人旅行者が日本でのお茶席を体験したいと相談しているが,受け入れていただけるかとの打診があり,サンフランシスコからの4人家族をお迎えすることとなりました。

6月初旬

【被爆体験者のお話】 
  御高齢のある来館者が展示を御覧になったあと,御挨拶をしていますと,偶然にもこれ以上はないともいえる被爆体験をお聞きすることになりました。

5月中下旬 5月下旬 4月の終わり頃から研修訪問と思しき小学生や中学生のグループをよく見かけるようになりました。平和公園やその周辺の記念碑、東に向かって旧日銀ビル、そして袋町小学校や隣接するマルセルジュノー博士の記念碑を巡る行程であろうと推測できます。早いグループは朝8時過ぎには行動開始しているようです。
  思いがけず当資料館にもこのような訪問を受けます。すぐにどこからの訪問かと尋ねますと,岐阜県、兵庫県、山口県などが聞かれました。雨の中を5人余りが皆レインコート姿で現れた小学生のはきはきした態度が印象的でした。学校の事前指導や家庭教育のことを想像してしまいます。
5月中旬袋町小学校とその平和資料館 
 当資料館から最も近いという教育機関ということで,袋町小学校とその平和資料館を訪ね,御挨拶ともに本館のチラシの紹介を依頼しました。
平成27年
5月1日
頼山陽史跡資料館のリニューアルオープンセレモニーが開かれ,これまでの頼山陽文化財団による運営から,広島県の直営施設として再スタートすることとなりました。式には県議会,県教育委員会,地元経済界,あるいはこれまでさまざまに当資料館の運営を支えていただいた方々など,その広がり,多方面からの注目と期待が寄せられていることを改めて痛感する一日でした。