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草戸千軒1展示室「よみがえる草戸千軒」

草戸千軒1展示室

 中世の港町「草戸千軒」の町並みの一角を、発掘調査の成果に基づき実物大で復原しました。
周囲には、遺跡から出土した資料が用途別に展示されており、復原の根拠を具体的に理解することができます。

草戸千軒の再現

実物大復原全景イラスト

 草戸千軒町遺跡は、福山市街地の西部を流れる芦田川の川底に埋もれた、わが国を代表する中世の集落跡です。長年にわたる遺跡の発掘調査によって、中世の瀬戸内に栄えた港町・市場町の様子が解明され、そこで活動した人々の生活文化が鮮やかによみがえってきました。

 この展示室では、発掘調査の成果に基づき、草戸千軒の町の一角を実物大で復原してみました。この中に入れば、皆さんもきっと草戸千軒の町の様子が体感できることでしょう。

町のただずまい

 中世に「草津(くさづ)」とか「草井地(くさいぢ)」と呼ばれていた草戸千軒。
 町の一角には市の立つ市日の時にぎわいを見せる物売り小屋が並ぶ。さまざまな品物を売る店が所狭しと並び、中世の雰囲気を漂わせている。市場の奥にはこの町に居住する職人―鍛冶(かじ)・足駄(あしだ)づくり・塗師(ぬし)―の住居と番匠(ばんしょう=大工)の作事場(さくじば)がある。これらはいずれも中世を代表する職人で、この町の担い手であった。町屋の後ろにはこの町の人々が協力して建てた御堂があり、人々から篤い信仰を得ている。御堂のかたわらには墓地があり、供養するために参る人が後を絶たない。
 中世に栄えた草戸千軒の一角を想定復原したもので、今からおよそ650年前の実物大復原である。草戸千軒町遺跡で検出した遺構をもとに、この町の典型的な情景を集約表現した。なお、初夏の黄昏(たそがれ)時を設定し、商品や植物などで表現している。

草戸千軒の栄えた時代

 たたずまいの想定年代は、草戸千軒が都市としての体裁を整えてきた南北朝時代を中心とする広義の室町時代である(14世紀代)。この時代は日本歴史上稀にみるスケールの大きな南北朝の内乱が起こった。その結果、例えば村では血縁的・同族的な結合から地縁的な結合へと移っていき、また町ではそれまで遍歴することによって生業を営んでいた商工民や芸能民などの非農業民が、流通の結節点に定着して各地に中世都市が成立し発展したように、社会に計り知れない影響を残した。室町・戦国時代になると民衆の台頭はめざましく、村では惣(そう)の結合が見られ、町では商人たちが自治権を獲得するものもあった。社会的な分業が進み、戦国時代頃には鍛冶(かじ)・番匠(ばんしょう)など100を越す職種も見られた。

町家

 町家は石敷道路の両側に広がる。鍛冶屋の建物(下イラスト)は掘立柱(ほったてばしら)ではあるが、柱等の部材も自然木ではなく、また建具にも加工を加えるなど、ある程度番匠(ばんしょう=大工)の技術が見られる。屋根は板葺で、棟は一木割材で押さえ、石を置いている。壁は土壁塗りである。入口には疫病除けの茅の輪(ちのわ)が見える。内部は仕事場の土間と生活空間の板の間とに分かれ、仕事場が神聖なことを意味するために境にはしめ縄を張っている。ここに復原した鍛冶屋は、鎌・鍬(くわ)・鋤(すき)などを作っているという想定である。人員構成は親方夫婦・子どもと3人の通いの職人で、親方と職人1人が依頼された品物を製作している。2人の職人は炭きりおよび刃研ぎを行っている。おめでたいことでもあるのであろう、ハレの食膳が用意されている。子どもはつい今し方まで独楽(こま)遊びをしていたのであろう、無造作に独楽が置かれている。鍛冶屋の外には、近所の子どもが忘れていったと思われる毬杖(ぎっちょう)がある。
 鍛冶屋の向かいには二軒長屋がある。足駄(あしだ)づくりと塗師(ぬし)の住居という設定である。同じ棟ではあるが、塗師屋はほこりを嫌うため土壁造りとし、足駄屋は板壁で窓扉は網代(あじろ)造りである。屋根は鍛冶屋と同様に板葺きで、棟を杉皮で押さえて石を置いている。塗師屋は夫婦という設定で、夫は漆椀の絵付をしている。塗り終わった漆器を乾かす穴蔵である風呂の入口は開放され、内部には製作途中の漆椀や漆皿が見える。この頃から民衆の間でも食べ始められた精進料理が並べられている。疫病除けのため入口には茅の輪が、内部には呪符(じゅふ)が掛けられている。一方、足駄づくりは夫婦と息子という設定である。父親は下駄の鼻緒に穴をあけており、息子は下駄の台を製作している。母親は夕食の用意をしている。内部には古びた病除けの大般若経(だいはんにゃきょう)の転読札(てんどくふだ)が見える。
 なお、足駄屋のかたわらには菜園があり、ウリやヒョウタンが植えられている。鍛冶屋のかたわらの空き地には共同井戸がある。洗濯もここで行われ、日々の生活に忙しい主婦の語らいの場でもあった。

鍛冶屋の復原イラスト

番匠の作事場

 町屋の一角には、御堂の修理をしている番匠の作事場がある。『春日権現験記』『石山寺縁起』『当麻曼荼羅縁起』などを参考に再現した。壁の下地である木舞(こまい)作りと、くり縁の正面の扉などを補修する作業を行っているという想定である。なお、屋根葺職も入って葺き替え中である。
 作事場の北側と物売りの小屋の西側には柵がある。町屋を囲む柵の一部という設定である。夏にはさまざまな疫病が流行するため、疫病除けに効き目があるとされる五大力(ごだいりき)の呪札が門柱に掛けられている。

御堂と墓地

 御堂は町の人々によって建立されたもので、建てられてから30年ほど経過している。風雨によって傷んできているため、修復をしているという想定である。御堂は『一遍上人絵伝』に描かれている方形(ほうぎょう)造りの堂とした。御堂の内部には、木造地蔵菩薩坐像を安置している。御堂のかたわらの墓地は『餓飢草紙』(がきぞうし)を参考にし、石積基壇の上に由緒ある五輪塔を立て、その周囲には小さな石塔を配し、石塔の後ろには板塔婆(いたとうば)を立てた。(下イラスト

御堂と墓地イラスト

市場と船着場

 船着場近くの市場には、荷揚げした商品を一時的に置いておく差掛け小屋と、草葺の物売り小屋とがある。草葺小屋は自然木を利用した股木使用の掘立柱建物の屋根に葦を葺いたもので、壁はなく開放的である。物売りについては、出土遺物などを考慮した。壺売りをはじめ、活魚・干魚・貝・海藻・塩・山鳥などを売る店、米・豆・野菜・莚(むしろ)などを売る店がある。ほかに油や土器(かわらけ)を朸(おうご)で担いで売りに来ている人もいる。
 草戸千軒では多くの堀割を検出している。したがって、実物大復原も海岸から堀割で少し入った地点を想定し、商品を運搬してきた船が荷を下ろしている情景を再現した。出土した舟形をもとに、当時の絵巻物に描かれた刳船の構造を参考に設計した。