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岡村 俊一さん(演出家)

印刷用ページを表示する掲載日2016年1月9日

岡村さん

私にとってひろしまとは、平和を歌う街です。 

 <プロフィール>
 岡村 俊一(おかむら しゅんいち)さん
 
 
 広島市出身。演出家、演劇プロデューサー、映画監督として活躍。
  平成3(1991)年演劇制作会社「R・U・P」設立に参加し『蒲田行進曲』、『つかこうへいダブルス』、つかこうへいの作品、彼の追悼公演『広島に原爆を落とす日』を演出。
  その他『あずみ』、劇団EXILE公演など話題作品を発表するなど注目を集める。   

<インタビューの映像(概要)はこちら!>

”遠まわり”でも、そこに生きた人たちの意思が
正しく残るような、面白みのある物語を残したい。

“あの日(8月6日)”を知る僕たちの親世代は、みんな、本当は言いたいことがいっぱいあるんですよ。それなのに黙っているんですよ。あれだけ多くの人が亡くなって、被爆に対する偏見や差別などを受け、口に出せない心の叫びを抱えながら肩身の狭い思いをして生きていたんです。家族には話すこともあるけど、他の人には理解が出来ないことなので決して言わない。広島はそんなことが沢山起きていたような感じがする。不思議な町ですね。

演出中の岡村さん日本にはいろんな演劇人や演出家がいますが、私の手元に1枚カードがあるとしたら、僕は「平和」にカードをきりたいと思います。原爆やヒロシマという言葉に対して敬遠する感じ。これが一番恐ろしいことだと思っています。そんな他人事感を払拭できるのが、お芝居やフィクションの力ではないでしょうか。
 例えば、“戦うんジャー”みたいな凄いスーパーヒーローみたいなのが出てきて、彼が『解決するんじゃ!』と言って奔走する物語。観た人は『ところであれって何のこと?』という。しかし、そこに目を背けたままでいいの?というメッセージを必ず込める。それくらい“遠まわり”でも、そこに生きた人たちの意思が正しく残るような、面白みのある話や物語を残していきたいんです。

ヒロシマは、一番お芝居にするのが難しい題材なんですよね。なかなか単純に踏み込めないので、詳しくなっていくと膨大な量に。ただ「おじいちゃんが死んで悲しいよ」「旦那が死んで悲しいよ」では、多分その苦しみや痛みは伝わらないと思います。お芝居中の何処かで心の中のメッセージを出す時には、単純な言葉になり過ぎないように。いろんな形での表現にトライしては挫折、トライしては挫折を繰り返しています。そういうものを創り上げなければ、役者や演出家としてそこに2時間座ったり泣いたり怒ったりしている意味がないですから。そこにメッセージを込めていくのが、僕たちの仕事ですね。

僕たちの世代は、今の時代、今の日本に生まれたありがたさを感じている世代です。特に親たちの世代には敗戦の影が色濃かったと思います。「負けたからこうなんだ。でもそれいえねぇし」という状態から頑張って立ち上がってきたんですね。悲しさと憤り。それを明るくするために、歌がある。音楽がある。それを楽しく伝えるために物語がある。お芝居はそんな順で発展していったものだとしたら、観劇は単純に楽しいというアプローチではなく、積み上げられた歴史の方が重要なことを感じて欲しいですね。

ひろしまは、人がいて、大切な文化を継承している。
実はお宝満載。

 ひろしまの宝として思い浮かぶのは熊野筆ですね。平成23(2011)年のサッカー女子ワールドカップで、なでしこジャパンが金メダルを取った時に、国民栄誉賞の副賞として、筆の産地・熊野町の化粧筆が贈られました。これが僕にとっては衝撃的でした。外から見ると原爆によって歴史がパッと塗り変わってリセットされたかに見えるのに、実はそこには歴史とともに、古くから息づいている文化があった。そして世界から認められている技術だと世に知らしめた。
ひろしまには人がいて、いろんな歴史を継承していて、お宝が埋まっていることをひろしま人自身に自覚させた一番良い例だったと思いますね。

だから皆さんもひろしま人であることに誇りを持てばいいと思うんですよ。カタカナの“ヒロシマ”にも誇りを持てばいいし、もがいているカープにも誇りを持てばいい。今の思いを、より強い形に、より深いものにしていく考え方を持てば、変わるんじゃないかな。もしそこにある話や思いが言えなくて困っている人がいれば、言う方法は教えてあげるよ。これが僕の仕事だから。

どんな笑いも、どんな悲劇も、
フィクションの力を上手く使って残していく。その時が今。

ちょっとした場所があれば、お芝居なんて誰でも出来るんです。そんな中で“お芝居という意味での表現”をひろしまで作り岡村さんたいと考えています。もしそんな集まりがあるなら、僕はひろしまへ駆けつけます。その土地で、そこでしか表現できない感覚をじっくり練り上げていけば、熊野筆のように、そこから世界へ羽ばたくこともできるんです。

 今、僕が大切にするのは“フィクションの力”です。作り事だという前提だからこそ言えることがあります。桃太郎や金太郎がいてね、など語り始めるフィクションを武器にすれば、何だって物語にできるのです。どんな笑いも、逆にどんな悲劇も。戦後70年のひろしまは、そのフィクションの力を上手く使いながら、いろんなことを残していく時に来ていると思います。

私にとってひろしまとは、“平和を歌う街”です

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