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考え続ける。答えが出せなくても、それぞれの「平和」求めて

考え続ける。
答えが出せなくても、それぞれの「平和」求めて

Peace Culture Village専務理事

住岡健太 さん

2023年8月25日

メインビジュアル

平和活動の持続可能性を切り拓く。

原点は祖父母の被爆体験

29歳以下の広島の若者たちが修学旅行生にガイドをする、「ピース・ダイアログ」。住岡さんは、本事業に取り組む平和教育団体「Peace Culture Village」の運営に携わっています。無償のボランティアではなく有償の事業として進めるのは、活動の持続可能性を考えたため。住岡さんのもとへ多くの方々から声がかかっているそうです。

住岡さんの活動の原点は、被爆した住岡さんの祖父母。小学生で被爆者救護をした住岡さんの祖母は、命を救えなかった苦しみや後悔を吐露していました。住岡さんは「なぜこんな経験しなきゃいけないの」と、幼心に感じたといいます。

しゃべる住岡さん

東京の大学時代、アメリカやアジアなどを旅し、世界観を揺さぶられる体験を重ねた住岡さん。帰国後、その体験を基に学校の友達の前で「世界平和」を語ったところ、変わり者扱いされたそうです。

「言っているだけの人」から脱皮しよう。そう考えた住岡さんは、教師になるという夢をくすぶらせつつ、飲食業界などでがむしゃらに働きました。

終わらない問い。

誰もが自由に、それぞれの視点で学び伝える​​

​​​​転機は6年前、教師だった住岡さんの父親が59歳で急逝したときでした。元々教師になりたいと思っていた住岡さんに対し、住岡さんの父親は「教師になっても健太のやりたい教育はできないよ」と生前語っていたというそうです。その言葉を思い返したとき、「型にはまらず自由にやれと」伝えたかったのでは、と感じたそうです。

「人はいつか死ぬ」ということを突きつけられ、やるなら、いつかじゃなくて、今という想いから、引き寄せられるように2019年に広島に戻りました。

階段前の住岡さん

被爆者が年々減り続ける広島と、どこかで常に紛争が絶えない世界。その中で、広島に来る人たちとともに「平和って?」と考え、学びながら、伝える活動ができたらと考えた住岡さん。

「べき」論が多い広島の空気感にも窮屈さを感じてきたからこそ、次世代の若者たちが、自分らしく平和活動をできるよう後押ししたい。その思いから、スポーツだったり、食だったり、核兵器廃絶だけではなく、個人の問題意識を尊重して平和を広くとらえる「平和×〇〇」という考え方を提示しています。「平和活動」は一部の特殊な人たちが取り組むことではなく、誰もがそれぞれのフィールドでできること、と裾野を広げていきたいと語ります。

レストハウス 希望の川

「過去の歴史を通して『平和』について考えられるのが、広島の価値だと思う。広島人としてももちろんだけど、『地球人』として広島のために尽くしたい。」という住岡さん。

現在、これまで広島で培った蓄積を、長崎へ、知覧(鹿児島)へと広げています。

住岡さん正面写真

「どうして戦争はなくならないの」という疑問に対する、答えの探求は続いています。

 

紹介人物画像

住岡 健太(すみおか けんた) さん

Peace Culture Village専務理事

広島出身。被爆三世であり、幼い頃から祖母の被爆体験を聴いていた。20代にはアメリカ留学、アジア一人旅を経験し、25歳で起業。
経営する飲食店が第6回居酒屋甲子園にて準優勝をした事をキッカケに多業種のプロデュース事業を開始。 「平和をつくる仕事をつくる」をミッションに掲げるNPO法人Peace Culture Village (PCV)へ参画。同法人専務理事として、平和×◯◯を軸に持続可能なアクション・ソーシャルビジネスを考える機会を提供している。
2022年度にはグッドデザイン賞、若者力大賞、国際交流基金地球市民賞を受賞。
2023年にはG7広島サミット パートナーズプログラム「次世代シンポジウム」へ登壇。