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人がいてこそ街は生き続ける。大自然の豊かさ来て見て触れて

人がいてこそ街は生き続ける。
大自然の豊かさ来て見て触れて

JINSEKI BASE

岸本 恭子 さん

2023年7月25日

メインビジュアル

地域資源を生かした商品づくり。街の存続をかけた挑戦

家業を継ぐ――。小学生のわが子が作文に書いた文言を見て、岸本さんはハッとしました。両親から継いだ創業60年の車屋を守るという心意気はうれしいものの、彼が大人になった時、果たしてこの街はちゃんと存在しているだろうか?という不安に駆られたそうです。

神石高原町

現在8000人あまりの神石高原町の人口は、2060年には3000人にまで減ると予測されています。岸本さんは、「人がいなけりゃ、商売どころじゃない!」と、やるべきことがスッと見えてきたと話します。「人を増やす」ために、大自然を満喫してもらって関係人口を増やし、その体験を入り口に移住者も増えてくれたら…。

そんな願いを込めて、ご当地キャンプブランド「JINSEKI BASE」を立ち上げました。耕作放棄地で栽培した生姜シロップは、ビールと混ぜたらカクテル「シャンディガフ」に。竹林放棄対策で伐採した竹は虫除けアロマキャンドルに。地域の問題を解決し、モノづくりを通じて地域のプレイヤーをつなげ「モノ」に神石のPRを託すのが「JINSEKI BASE」の仕組みです。

JINSEKI BASE

田舎暮らし体験の「拠点」、移住への関心の入り口に​​

​​​車屋の一人娘として生まれた岸本さんは、両親のためにゆくゆくは神石に戻ると覚悟して、高校で街を出ました。場所を問わず働けるスキルを身に付けたいと、当時はまだ走りだったウェブデザインの世界へ飛び込みます。そして、大学時代に知り合った夫と‘07年に神石に戻り、高校生から小学生までの3人の子を育て、家業を営みながらウェブの仕事をこなしています。

神石高原町の魅力について、人の温かさだと話す岸本さん。人口は少ないけど、常に「人の目」があって、お年寄りが若い人たちを温かい目で見てくれるといいます。「せっかく人が少ない街に来てくれたんだから」と大事にしてくれると感じているそうです。

まちの人と話す岸本さん

8月には、築100年の古民家を改装し、田舎暮らしの体験施設を兼ねた「JINSEKI BASE」の活動ハブをオープンする予定です。

「故郷に縛られている? 確かにそうかも。でも、帰る環境があってよかったな」と笑って話す岸本さん。雲海も、天の川も、蛍も見えて、子育て施策が充実した神石。農業をやるために首都圏から移住した人から「こんな生活があるなんて気づいたもん勝ち。早く来ればよかった」と言われ、喜んだそうです。

笑いながら話す岸本さん

「JINSEKI BASE」がいずれ、移住者の働く場所にもなる。そんな風に育てることができたらと願いながら、岸本さんは励んでいます。

紹介人物画像

岸本 恭子(きしもと きょうこ) さん

JINSEKI BASE

広島県神石郡神石高原町で、車屋の一人娘として生まれる。高校で地元を離れ、大学卒業後は、場所を問わず働けるウェブデザインの道へ。2007年、大学時代に知り合った夫と共に神石高原町へ戻り、3人の子育てと家業、ウェブの仕事をこなす中で、「JINSEKI BASE」を創業。標高700メートルに位置し、年間を通して冷涼で自然豊かな神石高原町で、キャンプに適した地域の魅力的な製品をキャンプブランドとして全国に広める事業を展開。天空キャンプやテントサウナなどを通じて田舎暮らしの魅力を体験してもらいながら、神石のことを深く知ることができる場を提供し、過疎化が進んでいる町を盛り上げようと励んでいる。