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現在地ホットライン教育ひろしま > 豊かな心を育てる道徳教育コーナー > 子どもに伝えたい「心に響くちょっといいはなし」
心に響くちょっといい話
道徳教育推進1-基盤・体制づくり(H14~H17)
道徳教育推進2-人材・体制づくり(H18~H20)
道徳教育推進3-中身づくり(H21~)
成果等の普及-ネットワークづくり
児童生徒の心に響く指導の充実
指導資料集等
冊子等掲載資料
リンク(国立教育政策研究所)
リンク(広島県立教育センター)

子どもに伝えたい「心に響くちょっといいはなし」

 子どもたちに伝えたい

心に響くちょっといいはなし

ハートのイラスト

 「心に響くちょっといいはなし」は,日ごろの生活の中で出会った心温まる出来事,子どもたちの生き生きとした姿に感動した話など,みなさんの心に残ったちょっといいお話を広く県民の方々に紹介していただき,ほのぼのとした心の輪を広げることを目的としたものです。

 

いい話一覧

※テーマは,「道徳の内容項目」を短い言葉で表したものですが,統一した表現はありません。

タイトル

テーマ

タイトル

テーマ

職場体験で学んだこと勤労,感謝真心あいさつnew礼儀,感謝
家族のように思いやり,感謝困難に立ち向かうくじけない心希望と勇気
先輩へのありがとうよりよい学校生活,集団生活の充実心優しい子供たちに感謝思いやり,感謝

 菊づくりの1年

自然愛護,感謝

素直に言えない家族への思い

 家族愛

真心を感じて親切,感謝,奉仕感謝の気持ちでいっぱいです感謝,親切
やさしい兄弟に出会えて思いやり,感謝車窓から見た出来事礼儀,勤労
高校生の礼儀に感動礼儀うれしいお便り思いやり,感謝
連携で救った犬の命生命尊重,動物愛護さりげない優しさに思いやり,家族愛
広島の出張で思いやり,感謝感動をありがとう郷土愛
まさに『青春』勤勉努力,愛校心子どもを信じて~子どもの成長に学ぶ 思いやり,信頼友情
初めての給料日(事務職員の配慮に感謝)感謝,家族愛記憶に残る「別れと旅立ちの日」愛校心
息子のひと言感謝こんな子どもが育っています思いやり,親切
寒い朝の出来事思いやり,役割と責任一本の道思いやり,奉仕
手伝いましょう思いやり,感謝「リセット」役割と責任
道徳の時間信頼友情赤いかさ思いやり,植物愛護
地域の餅つきにて郷土愛落書きをしました正直
当たり前のことをしただけです思いやり,感謝神様への贈り物自然愛,家族愛
電車での落とし物親切,公徳心週末のバスの中で思いやり,親切
通勤帰りの車内で 親切,感謝電車での落とし物 思いやり,親切
Kクンのコート 思いやり,感謝電車での出来事 思いやり,親切
なんくるないさ~。 思いやり缶コーラ 生命尊重,家族愛
スーパーで出会った女の子 家族愛バスカード 親切
初詣で貰ったお年玉 思いやり,家族愛冬のブランコ 郷土愛
小さな手袋と大きな靴下 家族愛ある冬の日のある島での話 親切,感謝
善意のリレー思いやり,親切雪の通学路 家族愛,愛校心
夕焼け空の下に「感動の心」が・・・ 自然愛,郷土愛Y先生からの手紙 感謝
心は海を越えて 郷土愛心温まる「学校だより」思いやり,感謝
生徒が考えた「豊かさ」とは 理想の実現,家族愛,感謝修学旅行の思い出 友情
夕焼けのビッグレインボー自然愛,畏敬の念伝統の継承愛校心
共に生きるとは・・・よりよい方法を見つけていくこと創意工夫,動物愛護ホタル動物愛護
新聞配達はエンジンを止めた思いやりカーネーション感謝,家族愛
春よ来い夢,希望つみ木思いやり
クゥちゃんの死生命尊重,動物愛護しげん回収勤労,奉仕
発表会勤勉努力,家族愛絵手紙の向こうに親切,家族愛
出会い誠実,思いやり,責任ゆうくんの宝家族愛
親子ふれあいキャンプに参加して自然愛,家族愛父の日、母の日の贈り物

家族愛

命を真剣に考えている子供生命尊重卒業式で感動!!友情,愛校心
父の気持ち家族愛寒い中での温かいはなし協力,役割と責任,奉仕
母のノート家族愛知らない方に子どもへの教育をしていただきました。感謝
母が私を救ってくれた生命尊重,家族愛我が良き先生感謝,愛校心
氷の道路にて親切私をわくわくさせた学校へ行こう週間親切,感謝
手紙思いやり大竹高校生徒のボランティア活動親切,奉仕
お弁当基本的生活習慣,家族愛バスの中で………勇気,親切
含蓄のある言葉感謝予期せぬお礼状礼儀,感謝
旅の贈り物礼儀「ありがとう」の言葉がうれしい礼儀,感謝
心の掃除思いやりつばめの宿動物愛護
母の思い,娘の思い家族愛母の宝物家族愛
亡き友と卒業信頼友情,生命尊重天国に旅立った奈菜ちゃんへ思いやり,生命尊重,動物愛護
心のやさしい東志和小学校のみなさんへ思いやり,生命尊重,動物愛護息子に感謝家族愛
ちょっと早いバレンタインデー思いやり,感謝かわいい手紙親切
「多くの出会いから学んだこと」友情ありがとう夢,努力,感謝
「よかった,みんながよろこぶぞ」家族愛ゴミ拾いをする人公徳心
息子のため,懸命に働くお母さん家族愛世の中まだまだイケる。と,思わせてくれた子供たちに感謝思いやり,親切
現在小4の娘が学校に行けなくなったのが2年前思いやり,友情開発途上国の医療活動を志す医学部生公共の福祉

→「心に響くちょっといいはなし」記入のページへ

真心あいさつ

 年齢:50代 性別:男性 職業:教職員 住所:安芸太田町

【 「地域のために役立ちたい!」と始めたあいさつ運動】「おはようございます!」聞こえなくても心に届くよ,真心あいさつ!

●「どうせやったって…」,「どうせ自分なんか…」,「どうせみんなは…」「どうせだれも…」
「どうせ」で始まる言葉は,なんだか投げやりなあきらめや,きめつけ,軽蔑などの気持ちを反映して伝わってきます。
 本校の校門前には車道があります。朝は,人よりも車のほうが多く通り過ぎます。「通るのは車ばかり…」「どうせすぐに通り過ぎる」「どうせ車の中の人には聞こえない」「どうせ知らない人ばかり」「だから挨拶なんかしたって無駄!」
 『どうせ…』,『どうせ…』と思うと,ときとして正しい心が別の心に取って代わろうとします。

●本校では生徒たちが朝早く校門前に並び,道行く人たちに挨拶をしています。「地域のために役立ちたい」という思いから始めた挨拶運動です。
 朝は人よりも車の多い時間帯であるだけに,賛否意見を交わし合い決めた挨拶運動でした。
 「確かに,車の人には聞こえないかもしれない」
 「でも,どうせあいさつするのなら,大きな声ではっきり口をあけて,丁寧におじぎをしよう!」
 「みんなで決めた取組だ。どうせやるなら,笑顔で車の中の人の心にも届く挨拶をしよう!」 

 「どうせ」という言葉は不思議な言葉です。「どうせ」とあきらめかけたり,一歩踏み込めず躊躇したりする気持ちがあっても,前向きの一歩の「勇気」さえあれば,「挑戦」の心を引き寄せ,ときには「感動」を連れてきたりもするものです。そのことを筒賀中の生徒たちが実証してくれました。

 ●校門で挨拶をする生徒たちの前を,つぎつぎと車が勢いよく通り過ぎていきます。巻き上がる砂ぼこりのなか,生徒たちは挨拶を続けていました。

 「このごろ筒賀中の生徒の挨拶はとてもええよ。そのせいか,車の中から挨拶をかえす人が増えてきたんですよ」「はじめは,こうした光景は見かけんかった」

「校門近くになるとスピードを緩める車もあるんよ。そして,車の中から生徒さんたちに『おはよう』と挨拶される。こっちにも声は聞こえんが,そのように口が動いとるけえわかるんですよ」

「また,それに対して生徒さんのほうも,笑顔を返しながら『ありがとうございます』と頭を下げとるんです。朝からとてもええ気持ちになります」

 ●感心されながら話されたのは,長年欠かすことなく毎週生徒の登校時に交通指導をしてくださっている地域の方です。その方との話を教頭が嬉しそうに私にしてくれました。
 おかげで生徒たちは,入学前からもその方に見守られ,励ましの声かけのなか,大きな事故にあうこともなく元気に登校することができています。本当に感謝でいっぱいです。

●校門前を通り過ぎる車。毎朝,挨拶をつづける生徒たち。彼らの挨拶の声は,聞こえないはずのドライバーの心に届いていました。車を減速し挨拶を返していただいた方にも感謝です。その方の「大人としてのマナー」は,本校生徒の心に印象深く残ることと思います。ありがとうございます。
 「真心こめた挨拶」は,人の心も動かしていくのだと生徒たちが教えてくれました。
  「たかが挨拶。されど挨拶」筒賀中生徒たちに「感動をありがとう!」と言いたい。

●先日,生徒会長のAさんが校長室にきて,私に提案してくれました。校内での「立ち止まって挨拶」の運動と,校門だけでなく小学校前での地域や小学生に対する挨拶運動への拡大案でした。
 我々教師は,こうした「地域のために役立ちたい」「私たちに何かできませんか」という生徒たちの熱い思いを精いっぱい応援していきたいと思います!

職場体験で学んだこと

 年齢:10代 性別:女性 職業:学生 住所:尾道市

 私の学校では五年生になると,校区内にあるお店などで職場体験をします。私は,将来の夢がパン屋さんになることなので,パン屋さんで職場体験をさせてもらいました。店長さんや従業員の皆さんのおかげで,緊張していたけれど,とても楽しく仕事ができ,あっという間に二時間が過ぎました。その中で私が学んだ事は三つあります。

 一つ目は,お客様のために工夫している事がたくさんあるということです。例えば,私が最初にさせてもらった袋の準備です。お客様がいそいでいる時など,パンを早く袋に入れる事が出来るようにというお店の人の優しさだと思いました。お客様を第一に考えるということを学びました。

 二つ目は,普段私が何気なく見ている物でも,お店の人が一生けん命がんばっておられるのだという事です。例えば,私がおさせてもらったお店の名前のハンコもその一つだと思いました。お店で売られているパンがこのお店の商品だということを分かってもらうためにおしています。私は,ハンコをおす前は,おすだけでかんたんそうだと思っていたけれど,実際にやってみたら,きれいにおすためにはとても力が必要でした。何枚も何枚もおしていると,手がつかれてきました。かんたんそうな仕事でも大変なんだという事がよく分かりました。

 三つ目は,売るための工夫をしているという事です。「ラスク」を袋につめる時,見た目をよくするために,うらのこげた部分を下にして重ねていくと良いということを教えていただきました。やっぱり袋への入れ方一つの工夫で,見た目が全然ちがうという事がよく分かりました。

 店長さんや従業員の皆さんが,おいそがしい時に,私たち二人にやさしくていねいに教えてくださり,私はとてもうれしかったです。このお店で職場体験をさせてもらって,ますますパン屋さんになりたと思うようになりました。また,相手の事を考えて行動する事や一つ一つの事を最後までていねいにするという事を学んだので,これからの私の生活に生かしていきたいです。店長さん,従業員の皆さん,本当にどうもありがとうございました。

家族のように

 年齢:30代 性別:男性 職業:公務員 住所:竹原市

今年から市内ではあるが職場が変わり,慣れない仕事内容に忙しくいしていた。
もうすぐ40歳での,大きな変化にいつしか顔もこわばっていたように思う。

ある時,そんな私に
「よっ どうや新しい職場は?」
と声をかけてくださる方がいた。
前の職場で大変お世話になった,私のおじいちゃんくらいの方である。
「ちょっとそこまできたけえ,顔見に来たんよ。」
とニコニコ話をされた。
私もいつしか,ニコニコ顔。
なにか,なつかしい,温かい気持ちになった。
少し話した後,
「がんばっとるか心配じゃけえ またくるわ。」
と笑いながら帰っていった。
大学からふるさとを離れ,広島で生活しているが,
こんな声をかけ,思ってくださる人のおかげで今があるのだなあと思った。

家に帰って,妻や子ども達を抱きしめ,実家に電話をした。

困難に立ち向かうくじけない心

 年齢:20代 性別:男性 職業:教職員 住所:江田島市

 中学校1年生の道徳の時間に「木箱の中の鉛筆たち」(出典:「中学校の道徳1 自分を見つめる」あかつき)という資料で授業をしました。主人公が挫折から希望を見いだしていく姿と自分自身を照らし合わせて,夢や将来に向かい頑張っている将来の自分へメッセージを書きました。その内容をいくつかご紹介します。

 〇私は今,努力していますか。あきらめやすい性格だから,努力しているか分からないけど。夢は叶えられていますか。好きなことに夢中になるタイプだから,きっと叶えられているかな。あきらめそうになったり挫折しそうになったりしたら,将来の良い自分を思い描いてみて下さい。絶対にその夢をあきらめないで,自分を信じて突き進んで下さい。

 〇途中で夢をあきらめたくなる時があるかもしれないけど,あきらめたらそこで終わりになるよ!だからあきらめずに努力し続ければ,その夢は自分にとっての第一歩になると思うよ!

 〇途中で「自分はダメだ・・・。」と思っても,自分が「絶対に叶えてみせる」といった夢なのだから,最後まで努力をし続けて。あきらめることは悪いことではないけど,まず自分の力を試して,納得がいくまで頑張って。

  困難に直面すると挫折し,物事をあきらめがちな中学生ですが,乗り越えようとする強い意志に感動しました。

心優しい子供達に感謝

 年齢:40代 性別:女性 職業:その他 住所:尾道市

 小学校二年生の息子が,二学期の途中から,毎朝,学校に行くのを嫌がるようになりました。それまでは,元気に楽しそうに学校に通っていたので,急に息子が朝,家を出るのを渋るようになり,びっくりしました。息子も学校に行こうという気持ちはあるらしく,寝る前に次の日の荷物の準備をし,朝起きると,朝御飯を食べ,制服に着替え,玄関まではなんとか出るのです。私も,息子を励ましながら,手をひいて,家から二十メートルほど離れた登校班の集合場所まで送って行こうとするのですが,泣きながら息子の足は,そこで止まるのです。息子が通っている学校は,登校班といって,近所の子供たちが集まって,高学年の子供が班長や副班長になって並んで通学することになっています。息子が学校へ行き渋るようになって,私は,他の子供達が学校へ行き渋る息子のために学校に遅刻してはいけないと思い,玄関前で泣いている息子を置いて,班長さんに先に行ってくれるように声をかける日が何日か続きました。なぜ学校に行くのが嫌なのか,息子にいろいろ聞いてみるものの,何も言わない息子にどうしたものかと親の私もとまどい,毎朝玄関先で泣く息子の手を握りしめながら,私も涙が出てきました。
 そんな日が何日か続き,その日も,班長さんに先に行ってくれるように言いに行った後,玄関先で息子をなだめていたら,登校班の副班長さんと四年生の男の子が息子を迎えに戻ってきてくれたのです。私は二人が遅刻してはいけないと思い,お礼を言って,先に行くように言うと,
 「僕達は大丈夫。僕達が遅れたら,先に行った班長さんが,ちゃんと遅れた理由を先生に話してくれるから。それよりも,○○君が,この間から一緒に僕達と学校に行けないのが心配。登校班のみんなもすごく心配しているよ。○○君,僕達がいるから,一緒に学校に行こう。」
と言って,泣いている息子の手をにぎりしめてくれました。私が何を言っても行き渋っていた息子も,その言葉を聞くと,泣き止んで,学校に行く気になったようでした。男の子達は,
「おばちゃん,明日から,僕達が玄関まで迎えに来るよ。○○君,待っててね。さあ,行こう!」
と息子の手を引っ張って学校に連れて行ってくれました。その言葉どおり,次の日から,男の子達は毎朝息子を迎えに来てくれ,息子も行き渋ることなく,学校に通えるようになりました。
 息子が登校班で行けなくなってから,登校班のみんなが心配してくれていたそうです。みんなで迎えに行くと,みんなが遅れてしまうので,班長さんは,班のみんなを学校に連れて行き,副班長さんと息子と仲の良かった四年生の男の子が迎えに行くことにしようと相談してくれていたそうです。そのおかげで,息子はあんなに行き渋っていたことが嘘のように,今では元気に学校に通っています。息子のことを気にかけ,子供達で相談して,息子のために行動してくれたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そして心の優しい素晴らしい子供達がいることを知ってもらいたくてお知らせします。本当にありがとうございました。

先輩へのありがとう

 年齢:50代 性別:男性 職業:教職員 住所:福山市

 本校では,1年生から3年生まで縦割りで,体育大会や文化祭での合唱などに取り組んでいます。そして文化祭後には,後輩から3年生へメッセージを書いて贈っています。それらの中から,先輩の姿や行事をやり遂げた充実感にあふれたメッセージをほんの一部ご紹介します。

 ○先輩方が大きな声を出してくださり,大きな声を出すことができました。来年は私たちが引っ張っていきます。本当にありがとうございました。(2年生 女子)

 ○今まで先輩方が教えてくださったこと,しっかりと生かせたのではないかと思います。私たちを最後までサポートしてくださった先輩方,かっこよかったです。2年生になったら,1年生をしっかり支えてあげられるように頑張ります。ありがとうございました。(1年生 女子)

 ○この文化祭と体育大会を通して,それぞれの得意不得意があるのに,何に対しても本気で取り組む姿を見て,先輩方の成功させたいという気持ちがとてもよく伝わりました。先輩方が卒業しても,この素晴らしい伝統を続けていきます。(1年生 男子)

  進路の実現にむけて不安でいっぱいの3年生ですが,後輩から贈られたこのようなメッセージを励ましに,自分の素晴らしさを自信にして頑張ってもらいたいものです。

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素直に言えない家族への思い

 年齢:20代 性別:男性 職業:教職員 住所:福山市

 中学校1年生の道徳の時間に「三六五×十四回分のありがとう」(出典:「中学生の道徳1 自分を見つめる」あかつき)という資料で授業をしました。手術前に母親にあてて書いた少女の最後の手紙が題材で,話を読みながら涙する先生や,話を聞きながら涙する生徒もいました。家族の大切さについて改めて考えを深めることができた時間となりました。その時の感想を,いくつかご紹介します。

 ○お母さんがいるのは「あたりまえ」,家族がいるのも「あたりまえ」。健康に過ごせているのも「あたりまえ」。だけど,あたりまえのことがあたりまえであるとは限らないから,私は今すごく幸せだと思いました。大切なお母さんやお父さん,兄や妹がいて,大切にしていきたいです。

 ○自分もこうして学校に来れていること,友達と遊べることは全部,お母さん,家族の支えがあるからだと分かりました。今まで「うるさい」とか「いなくなればいいのに」とか思っていたこともあったけど,お母さんがいなかったら今の自分はなくて,大切な家族だと思いました。

 ○“やっぱり人は愛されて生きて”その愛があるから,どんなことにも打ち勝つことができるんだなと思いました。もし,近くにそのような人がいたならば,全力で自分にできることを探して,助けになれればいいと強く思います。この気持ちを忘れずに,これから生きていこうと思いました。

 なかなか素直になれないこともある中学生ですが,こんなことも考えているのだと,心が温かくなりました。

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菊づくりの1年

 年齢:50代 性別:女性 職業:教職員 住所:福山市

 本校では,地域の方にご指導いただきながら,年間を通して,6年生を中心に菊づくりに取り組んでいます。菊づくりの活動を通して子供たちは,本校の正門に掲げている「菊を見つめる 菊が見つめる 菊を育てる 菊が育てた 私たち」という言葉の意味を実感していました。達成感や充実感を感じるとともに,植物の生命の力に驚き,生命の尊さを感じ,多くの方に支えられていることに気づき感謝する気持ちも高まりました。そんな本校の児童の感想を紹介します。 

 4月から菊づくりを始め,今まできれいに育てられたのは,去年の6年生が冬至芽を大切に残してくれたり,平盛さんや園芸部のみなさんが協力してくださったりしたから,今年菊をきれいに咲かすことができたのだと思います。3本立ての作業のときに,平盛さんが私のために私の鉢を誘引具で曲げる作業をやってくださって,そのとき優しく分かりやすくていねいに教えてくださったことが忘れられません。 

 4月から協力し合い,毎朝,菊の水やりをしたり,わき芽をとったり…。さし芽のころのあんなに小さな菊が,ここまで大きく成長してくれたこと,とてもうれしく思うし,「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。菊の世話をするにつれ,わたしも菊に育てられているような気がしました。 

 ぼくは,植物にも命があるということを学びました。今まで植物を育てたことはあまりなくて,学校でしたときも,水やりなんか忘れて,全然関心がなかったけど,菊は水やりをするとそれにこたえてくれるように咲くので,今まで無駄になった花にはあやまりたいです。 

 わたしは,今までの6年生をみてきて,「菊の世話って,そんなに楽しいのかな。」と疑問に思っていましたが,菊を育てると,子どもを育てているような気分になって,別れるのが悲しくなったくらいです。わたしが菊から学んだことは,生き物を育てるときの責任,そして思いやりです。ときどき,水やりするのを忘れたり,作業が面倒になったときもあったりしましたが,しっかり世話ができたと思います。半年という長い時間をかけたはずなのに,それが短く感じました。最期も,「ごめんね。ごめんね。」と一つ一つ,一本一本の菊の花やくきにあやまりながら,片付けをしました。 

「きれいな花を咲かせてくれてありがとう。」
 菊の片付けをしました。私は,今まで大切に育ててきた菊を根から切るのは,とてもいやだったけど,菊に「ありがとう。」と言いながら切りました。そして,その後,私は底のあみの係だったので,土の山のところに行って,底のあみの回収をしました。これから,あのきれいな菊を見られなくなるのは悲しいけど,来年の6年生にきれいな菊を咲かせてもらいたいです。

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感謝の気持ちでいっぱいです

年齢:10代 性別:男性 職業:学生 住所:呉市

 僕は中学3年生です。2月4日(火)選抜(1)の受検に行きました。とても,大変だったけど,感動した出来事がありました。次の日,学校に行き,先生に話したら,すごく感動的な話なので県の教育委員会に「心に響くちょっといいはなし」というコーナーがあるから投稿してみたら,と言われたので書き込みます。
 朝,広島駅で広島港行きの電車に乗った。乗り場は混んでいて,人混みに追われるように広島港行きの電車に乗った。僕は中電前で降りるつもりだった。電車の中で張り紙を見て停車する電停を確認していると,車内放送で停車駅が,段原とアナウンスがあり路線を間違えて違う電車に乗ってしまったことに気づいた。あわてて運転手さんに,中電前に行きたいと伝えると運転手さんは,次の的場で降りること,そこには電停が二つあることを教えてくださった。
 的場で降りてその電停におられた方に広島港行きで中電前に止まる電停を教えてもらった。僕は教えてもらった電停へ行き,そこにおられた方に中電前に止まりますかと聞いた。
 その方は,どうしたのかと聞いてくださった。僕は泣きながら,「受検で高校に行く途中なのですが電車を間違えてしまった。」と言った。
 その方は「ついておいで。」と言われ一緒に電車に乗り八丁堀で降りた。そして,タクシーを止め,タクシーの運転手さんに1000円札を出し,「この子を国泰寺高校まで連れて行ってくれ」と伝え,僕に「頑張ってね」といって去っていった。僕は何がなんだか分からなくなっていて,御礼も言えないままにタクシーに乗った。
 集合10分前に着いた。間に合った。電車の運転手さん,電停を教えて下さった方,そして八丁堀まで連れて行き,タクシーに乗せて頂いた方,そしてタクシーの運転手さん。みなさんの温かい配慮に感謝の気持ちでいっぱいです。

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真心を感じて

年齢:50代 性別:男性 職業:教職員 住所:大竹市

 地域にあるコミュニティサロンで,玖波に住んでおられる方から「敬老会で,うれしいことがあったんですよ。」と,笑顔で次のようなお話をいただきました。
 毎年,大竹市立玖波小学校区の敬老会が玖波公民館で開催され,この敬老会に玖波小学校の4年生は全員参加し,合唱を披露しています。今年は9月15日(月)に行われ,4年生児童が元気よく合唱を発表し,お年寄りの方から大きな拍手をいただきました。その時の出来事だったようです。
 敬老会終了後,会場の机や椅子の片付けが始まった時に,4年生の女子4人が,その方に,「何か私たちも,お手伝いができることはありませんか。机や椅子を片付けましょうか。」と尋ねてきたそうです。その時の表情や言い方がとても明るく,自然だったので,この子たちの真心を感じて,とてもうれしかったということでした。
 ステージに上がり,ただ歌を披露するだけでなく,「自分たちは参加させていただいているんだ。」という『感謝の気持ち』や「役に立ちたい。」といった『奉仕の気持ち』がこの方の心に響いたのです。
 地域の宝である子供たちが,人生の先輩である地域の方に添えた真心,そんな心をこれからも育んでいきたいと思います。

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車窓から見た出来事

年齢:50代 性別:女性 職業:教職員 住所:北広島町

 信号待ちの時,何気なく自動車販売会社のショールームを眺めていました。すると,お店から出て行く一台の乗用車に向かってお辞儀をしている一人の青年が目に留まりました。きっと自分が担当するお客様を見送っているのでしょう。
 わたしは,出て行く乗用車に向かって深々とお辞儀する青年を『折り目正しいなあ』と思いながら眺めておりましたが,信号待ちの間ずっとお辞儀を続けている青年の姿に胸を打たれました。時間にして二十秒はあったと思います。
 やっと顔を上げたその表情は,実に爽やかでした。義務的ではなく,心からお客様に対する敬意を表していることが分かりました。わたしは,この青年のような心根で人と接しているかを自省するとともに,この青年の生き方を見習っていこうと心に誓ったのです。

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やさしい兄弟に出会えて

年齢:50代 性別:女性 職業:教職員 住所:北広島町

 最近,わたしが感動した出来事を紹介します。
 わたしの母と孫にまつわる出来事です。
 わたしの母と1歳8ヶ月になる孫はとっても仲良しです。先日も一緒に実家近くの児童公園に遊びに行きました。孫は「ブランコ遊び」が大好きです。さっそくブランコめざして走っていきました。そこには先客がいました。二つあるブランコに二人の兄弟がそれぞれ立って勢いよく漕いでいたそうです。小学校一年生くらいの弟と,四年生くらいのお兄ちゃんだったそうですが,孫がこちらをめざして走って来るのを見つけると,お兄ちゃんはブランコを漕ぐのをやめて,孫に「はい,どうぞ。」と譲ってくれたのです。孫は嬉しそうにブランコに座り,漕ぎ始めました。母は(漕いであげよう。)と,後ろに回って背中を押そうとしました。しかし,孫は自分で漕ぎたかったようで,後ろを見て『やめて。』という視線を送ったので,母はやめて様子を見ることにしました。
 すると,その様子を見ていた弟の方が,ゆっくりと手本を示すように漕いで見せたそうです。孫はそれが分かったのか,一生懸命にまねて漕ぎ始め,上手に遊べるようになったのが嬉しくて,意気揚々とした様子だったそうです。
 ところが,孫が勢いよくブランコを降りた途端に勢い余って前に転び,膝小僧を擦りむいてしまいました。それを見たお兄ちゃんは,猛スピードで走り去ったかと思うと,手に絆創膏を持って戻ってきました。そして,孫の膝にやさしく絆創膏を貼ってくれたそうです。
 孫はまだうまくしゃべれませんが,嬉しそうに,何度も何度もお辞儀をして,「ありがとう。」の気持ちを表したそうです。
別れるときに,男の子の兄弟は孫に向かって,「またブランコで遊ぼうね。」と優しく声をかけ,姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれたそうです。
 帰るとすぐに母は,児童公園での出来事をわたしに話すと,「あのやさしい兄弟に出会えて,心から感動したよ。あの兄弟のことを,この子もきっとずっと憶えているじゃろうね。」と, 孫の頭を撫でながら話しました。
 この話を聞いたわたしも感動して,しみじみ心が温かくなりました。

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うれしいお便り

年齢:90代以上   性別:女性 職業:その他 住所:府中市

 亜季ちゃん,今日は運動会の案内を有難う。私は亜季ちゃんの顔を知らないけれど,お便りを見て,可愛く,やさしい人だと思いましたよ。 
 今の時代は,電話で話をすることが多くて,便りをくれる人が少ないです。亜季ちゃんからの便り,うれしくて元気が出ました。有難う。 
 運動会には組体操をするのですネ。私も見るの大好きよ。見に行きたいのですが,残念な事に私も25日に踊りの会で府中にいくので,ごめんネ。せっかく案内をくれたのに仕方がないネ。でも,お互いに頑張りましょう。
 組体操,上から落ちないように。亜季ちゃん,がんばれ。がんばれ。応援しているよ。
 元気でネ。便り,うれしかったヨ。 サヨウナラ。

92才のおばさんより

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高校生の礼儀に感動

年齢:60代以上   性別:女性 職業:その他 住所:安芸高田市

 先日,バレーボールの観戦のため,神辺旭高校に初めて訪れました。 
 私は,県北在住なので,東部の学校の実態も全く知りませんし,60代後半の夫婦ですので,最近の学校の状態もよく分かりませんが,生徒の礼儀に感動しました。出会う生徒さん全員挨拶されるし,帰りの坂道で,車の方に身体の向きを変えて頭を下げられる姿,長い人生で初の感動,驚きでした。 
 日本人としてこんな若者が育っていることに誇りと嬉しさを覚えました。たぶん,あちらこちらからお褒めを頂いていると思いますが,スポーツで勝った以上のことを日々の生活の中で実践されていることに敬意を表します。
 こちらに帰っても,神辺旭高校の生徒さんの話をしています。息子も体育教師,孫が中学・高校生,夫も中学生のバレーの指導をしていますので,見習わせたいと思います。
 神辺旭高校のファンになりました。

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さりげない優しさに

年齢:60代以上   性別:女性 職業:その他 住所:呉市

 「ありゃ!ない!!」 最近,物忘れが多くなったおばあちゃんの口癖である。
 今日も美容院に連れて行った後,買い物がしたいというので,ちょっと離れた大型スーパーに寄った。夕方,帰宅して車から降りるときに,この言葉。「何がないん?」と尋ねると,「あれよ,あれ!ほら,膝に掛ける・・・。」
「あぁ,ブランケットのこと?えっ!昨日もらった・・・。」 昨夜,84歳になったおばあちゃんの誕生日プレゼントにと息子夫婦が届けてくれたものである。しかも,今朝出掛けに「ばあちゃん,何でも大事にとっとかんこぉに使わんにゃ」と,おじいちゃんに促され,「それも,そうよのぉ。」と,わざわざ家に取りに戻ったのに・・・。とても悲しい気持ちになった。
「おばあちゃん。心当たりがある?」「車から持って出たかいね?」「いやぁ・・。」と,うつむき加減に首を振る。せっかくもらったプレゼント,しかもおろしたてなのに・・何としても探し出したい!記憶の糸をたどる。美容院を出たときは間違いなく,車にあった。・・・となると,スーパーか!
  しかし,スーパーへの往復は1時間かかる。夕飯の支度もしなくちゃいけない。とりあえず,スーパーに電話することにした。かすかな期待。残念ながら現段階で落とし物は届いていないが,届けば連絡をしてくださるということ。それを伝えると,悲しそうな顔のおばあちゃん。
 冬の日暮れは早く,外はもう真っ暗。仮に,スーパーの駐車場やおばあちゃんが歩いたところを探したとしても見つかるかどうかも分からない。 「縁がなかったんかのう。」というがっかりした言葉に突き動かされるように,「おばあちゃん。駄目もとで探しに行ってみようや!」と車のエンジンを掛け,出発。
 駐車場に着き,お昼に車を停めたあたりをぐるぐる回る。外灯はあるものの,深緑に黄色のラインが入ったブランケットはどこにも見当たらない。 「やっぱり無いかぁ・・。」とため息をつき,とりあえずお店に入ろう車を移動させていると,「あれっ?あれじゃないん!」
 なんと,探し求めていたブランケットが,駐車場内の看板に引っ掛けてもらっているではないか! 「あぁ,ありがたい。」と手を合わせるおばあちゃん。・・・そういえば,お昼に来た時は満車で,停めるところがなかなか見つからず,たとえ停められたとしてもだいぶ歩くようになるので,お店の入口付近でおばあちゃんに降りてもらって車を移動させたのだった。その時に,ブランケットが座席から落ちたのだろうが,それに気付かなかったのだ。
 どこの誰かは分からないけれど,路上に落ちたブランケットに気づかれた方が,そのままでは車に踏まれると思い,汚れないよう看板に掛けてくださったのだろう。 そのさりげない優しさのおかげで,今日もブランケットは,おばあちゃんの身体と心を温めている。

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連携で救った犬の命

年齢:50代   性別:女性 職業:教職員 住所:安芸太田町

  夕方5時前,職員室で仕事をしていると「先生,犬が大変です。穴に落ちて出られません。」2名の子どもが,ハアハア息を切らせて学校へ走ってきた。よほど焦っていたのだろう。ハアハア言いながら状況を必死に説明しようとしている。話の内容からすると,どうも学校前の道の駅の駐車場でのことらしい。とにかく,状況を把握するために走ってその場所に駆けつけた。 そこには,8名の子どもたちと加計高校の男子生徒,ALTの先生と一匹の犬がいた。排水管から猫を追いかけ2匹の犬が入り,猫と1匹の犬は出てきたのだが,もう1匹の犬はマスの水に落ちてしまい,排水管の中に入り込んだらしい。その様子を子どもたちが見ていたのだ。そんな子どもたちは,心配そうに排水用のマスをのぞきこんでいる。よく見ると1匹の犬が排水管の中にいる。とにかく,中の様子を見るためにふたを開けようということになった。しかし,そのふたは,グレーチングでしっかり閉まっていて,開けることができない。ちょうどそこにバスが停まっていて,運転手さんが工具を持って来てくださった。それで,少しこじ開け,高校生と大人4人で何とかふたを開けることができた。
 マスには水がたまっていて,犬がいる場所まではゆうに2メートル以上の高さがある。高校生が「僕がおります。」と制服から体操服に着替えた。しかし,水の深さが分からないことと,そこで,おびえている犬に触ることは噛まれるという危険性もあるのでストップをかけた。 ずっとそばにいた子どもたちは,「犬が水に落ちたらかわいそう。」「助けてあげて。」ととても心配そうに見ている。しかし,時間が過ぎるばかりで,家に帰る時刻が過ぎてしまっていた。子どもたちは,後ろ髪をひかれる思いで,何度も振り返りながら家路についた。とにかく,私達だけではどうしようもないので,助けを呼ぶことにした。役場に電話をしたり,商業観光課まで高校生が連絡に行ってくれたりした。何人かの方が駆けつけてくださった。そんな中,奔走してくれた高校生は,次の用があるため「後は,よろしくお願いします。犬を助けてやってください。」と頼み,その場を後にした。
  マスの中に入る人,噛まれないようにアドバイスをする人,犬を引き上げる人・・・,それぞれ,犬を助けたいという思いで必死だった。みんなの協力のもとずぶぬれの犬を助けることができた。思わず,「よかった。」と拍手がわいた。もう1匹の犬と一緒に来たらしく,その犬も喜んでいるようであった。2匹の犬は住民生活課に引き取られていった。その後,防災無線でも「迷い犬」と放送された。 次の日,学校に来るなり子どもたちは「先生,昨日の犬どうなりましたか?」と口々に聞いてきた。「無事,助けてもらったよ。」とその時の写真を見せたら,「ああ,よかった。」とホッとした表情をしていた。「怪我していませんでしたか。」「それから,その犬どうなりましたか。」など,矢継ぎ早に聞いてくる子どもたちに,「大丈夫,元気だったよ。飼い主を探してもらっているよ。」というと,とても安心したような顔をしていた。
 朝,10時に住民生活課より,「飼い主の方が来られました。ご協力ありがとうございました。」とメールが届いた。さっそく,そのことを子どもたちに話すと,大喜びをしていた。 昨今,犬猫の殺処分が多い中,必死で助けようと思った人たちと,命を大切に思う子どもたちの優しさにふれた出来事だった。

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感動をありがとう

年齢:60代以上  性別:女性 職業:その他 住所:安芸太田町

   先月,平成25年度「みんなで作ろう ひろしま自慢」発表大会(西部地区大会)が,私の住まいの近くで開催されたので,行きました。10校の小・中学校の児童・生徒によるステージ発表がありました。
 ステージに立った子どもたちの顔つきは引き締まって,輝いていました。本当に一生懸命の発表でした。目頭が熱くなり,胸がいっぱいになるような強い感動を覚えました。一生懸命ってすばらしいですね。発表が終わった時の子どもたちの自信に満ちた表情は,今でも忘れられません。このような子どもたちが育っているといううれしさで,幸せな気分になりました。 ステージ発表の最後をつとめた戸河内中学校の発表,「故郷を思う気持ちと,おもてなしの心を込めた全校合唱」は,70人の声がひとつにまとまって響いてくる素敵な歌声でした。にたにたした表情の生徒は一人もいません。男子も女子も,70人全員が,指揮者の指先に全神経を集中して一生懸命歌っている姿は見事でした。感動しました。戸河内中学校のスローガン「一生懸命が かっこいい!」まさにその姿を見ることができたように思いました。
 一生懸命さに心を打たれた,感動いっぱいの発表会でした。発表者のみなさん,ありがとうございました。一年の終わりが近づき,今年一年を振り返ると,この発表会は今年のすばらしい出来事のひとつになりそうです。 来年の発表会には,さらにたくさんの人の参加があることを願っています。

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広島の出張で

年齢:  性別:男性 職業:会社員 住所:大阪市

 出張で広島に来ました大阪の会社員です。
 本日,昼2時半ごろ広島駅のATMでお金を下ろした後,タクシーに乗ろうとしたとき,
「誰かATMでカードを忘れた方いませんかー。」
と,ものすごく大きな声で叫んでいる女子高生二人組がいました。もしやと思い,近づいて確認すると,それは私のキャッシュカードでした。 急いでいたので「ありがとう」と一言しか言えなかったのですが,駅前で人通りが多いのにもかかわらず,見ず知らずの誰かのために大声で叫んでくれた二人の女子高生に,改めて感謝の気持ちでいっぱいです。
 おかげで,私の大切なキャッシュカードを紛失せずに済みました。 
 乗り込んだタクシーの運転手の方も,「すごい子達やなー」と感心しておりました。
 自身の勇気ある行動とは思いますが,広島県での教育の質の高さも垣間見えた気がして筋違いかもしれませんが,こちらにメッセージを送らせて頂きました。
 「大声で叫んでくれて,助けていただいたこと,本当に感謝しています。ありがとうございました。」
 どうか,二人にもこのメッセージが届くことを祈ります。

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子どもを信じて~子どもの成長に学ぶ

年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員 住所:県内

 本校は昨日から6年生が修学旅行に行っている。
 私は今年度の修学旅行にあたり,願っていることがあった。6年生の中に不登校傾向の子どもがおり,その子にもぜひ参加してほしいという事である。
 修学旅行出発前日,その子は母親といっしょに登校して来た。後で知ったことであるが,前の日,クラスの友達が「修学旅行にいっしょに行こう。」と誘いの電話を入れていたらしい。
 昨日(修学旅行出発当日)の朝,一抹の不安と期待をもって子ども達の集合を待った。しばらくして,次々登校してくる子ども達の中に,その子の姿を見つけた。少し不安そうにも見えたが,誘いの電話をしてくれた子どもをはじめ,何人もの子どもたちが声をかけていた。
 当たり前のことであるが,その子がいつ登校してきても教室にその子の居場所があるように,機会をとらえてはクラスの子ども達に,その子の話題を提供していた担任の地道な努力が実ったようで胸が熱くなった。
 今回「修学旅行にいっしょに行こう。」と声をかけた子ども。そして,その呼びかけに応えて修学旅行に参加した子どもの成長がうれしい。
 今回の出来事で改めて,子どもを信じて待つことの大切さを学んだ。
 今朝,団長から「全員元気で,2日目の見学地に出発します。」と連絡があった。団長の電話の声がいつにもまして,はつらつとさわやかに聞こえた。

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まさに『青春』

年齢 :40代性別 :女性 職業 :その他 住所:福山市

 先日、娘の通う高校の文化祭に行ってきました。
 娘いわく、「文化祭の1番の見もの」の『クラス対抗歌合戦』
があったのですが、そこでの感動した出来事を紹介します。

 3年生のあるクラスでした。
 幕が開く前、しーんと静まり返った体育館に、
ステージから女の子の大きな声が聞こえてきました。
『できる、できる、できる』
すると、クラス全員でしょうか、
『できる、できる、できる』と。
 鳥肌がたちました。圧倒的な存在感でした。
 幕が開き、ダンスとともに響く大きな歌声。
 誰一人、暗い顔をしている生徒はおらず、
みんなが輝いていました。
 毎年、この3年生の姿をみて後輩達が育っていくのだなあと思うと、
娘のクラスでもないのに、涙がでてきました。
 この高校は部活動が盛んと聞いています。
 部活動をしている生徒はクラスの練習に参加するのも大変だったのでは
ないでしょうか?
 それでも、準備・部活・勉強と上手く時間をやり繰りし、
たった5分ほどの発表に全力で練習を重ねる生徒たち・・・。
 最近は、「一生懸命に何かをすること」を恥ずかしいと感じている子どもが
増えたように思っていましたが、「何事にも全力」で頑張っている子ども達が
たくさんいるのだなと改めて考えさせられました。
 まさに『青春』ですね。
 帰ってきた娘によると、あのクラスは優勝したのだとか。
「先輩すごかった~!来年はうちらが優勝するんじゃけえ。」
と目を輝かせて話してくれた娘に、心の中でエールを送る母でした。

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記憶に残る「別れと旅立ちの日」

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:安芸高田市
 それは私が小学校5年生の時だった。卒業式当日、私に卒業生を会場に案内する役目が与えられた。少し重い気分で、仲の良かった6年生や苦手だった6年生の顔を思い浮かべながら体育館から教室に向かった。
 教室の前まで来ると入り口は閉まっており、入りづらかったが、思い切って入り口を開けた。「準備ができました。会場へどうぞ・・・」と言うと、一瞬の間。
 何か間違ったことを言ったのかと躊躇したその時、担任の先生が「じゃあ・・・行こうか!」と呼びかけると、6年生のみんなが笑顔で「はい!」と応えた。小さくも大きくもない声だった。
 涙が出そうだった。色々なことを思い出した。少し大人びた卒業生はどの顔も清清しく、まぶしかった。こんなふうに自分も卒業の日を迎えたいと感じた。
 あれから35年以上がたった今でも、あの時のまぶしい6年生教室が忘れられない。

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初めての給料日(事務職員の配慮に感謝)

年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員 住所:安芸高田市
 この4月初任者が配置された。初めての給料日前日のことである。最近は給料も振り込みになっているので,現金を手にする感動はない。いつもは,本校でも給料日前日に担当の事務職員が給料明細書を職員に配ってくれる。
 4月の給料日前日,出張から帰ると,私の机の上にメモ書きと封筒が置いてあった。事務職員からのメモで「明日は給料日です。生まれて初めて給料をもらう職員がいます。校長先生から明細を渡してあげてください。」と書いてあった。
 事務職員の配慮にほのぼのとしたやさしい気持ちになれた。
 早速初任者を呼び,私の初めての給料日のことや,当時の社会の様子等を話して親孝行をするようにと声をかけ給料明細書を渡した。
 後日,初任者が私の所に来て,「先日は有り難うございました。校長先生に言われたように私なりの親孝行をしました。」と報告してくれた。
 何気ない出来事であるが,事務職員に感謝するとともに,初任者が事務職員のように,周りの人に配慮ができる教師に成長してくれるよう願っている。

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こんな子どもが育っています

年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員 住所:府中市

 小学校1年生の連絡帳にこんなことが書いてありました。
 寒い日の午後、娘と同級生の小学校1年生男子の2人が訪ねてきてくれました。遊びに来てくれたのかなと思い、「ごめんね、○○(うちの娘)、しんどくて寝てるんよ。」と言うと、「知っとるよ。学校で毛布をまいとったけえ。遊びにきたんじゃなくて、これ。」と言って、○○がどこかで落としたリップクリームを差し出してくれました。「○○」と書いていたので、それを見て、家まで届けに来てくれたのでした。寒いのに、わざわざ・・・
「ありがとう。よく届けてくれたね。寒いから、早く帰りよ。自転車、気をつけてね。」と言うと、「うん。じゃあね、おだいじに。」と、言ってくれました。
 落し物を拾って、名前を見て家まで届けてくれた事も、「おだいじに」と声をかけてくれた事も、とても嬉しかったです。
 来てくれた2人は、そんなたいしたことしてないよ、という顔でさあーと帰っていきましたが、大人でもなかなかできない親切な行動だと思いました。
 こんな優しい心の友達が育っていることが、とても嬉しくて先生へお知らせします。学校でも先生からほめてあげてくださいね。

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息子のひと言

年齢 :30代性別 :女性 職業 :教職員 住所:沖縄県

 家族でさくらを見に行った帰りのこと。2時頃、ちょっと遅めのお昼をとろうと、レストランに入りました。ものすごく混んでいて注文をとるのに30分。注文したものが来るのになんと1時間かかっていました。
 家族みんな自然と無口になり、隣の席の家族は「待ちきれない」と言って帰ったほど。みんなイライラしていました。私も帰りに一言文句を言ってやろうかと考えていました。
 一番先に長男の注文したものがきました。「いただきます」の前に、小学1年生の息子がひと言。「たくさん待ったお陰で、おいしく食べれるね!」
 トゲトゲだった心が一瞬にしてあたたかい気持ちになりました。
 私達はその後、みんなおいしく昼食をいただくことができました。

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一本の道

年齢 :40代性別 :男性 職業 :教職員住所:庄原市

 県北に,今年一番の大雪が降りました。
 朝起きて窓の外を見ると,外は真っ白,40cmぐらいの雪が積もっています。
 ああ,また,今朝もこの雪道を通勤するのかと,少し憂鬱な気分で家を出ました。
 すると思った通り,道はつるつる,車も列を作ってノロノロと動いています。

 「えっ,あぶないなー。」
 そんな時,一つの光景が目に飛び込んできました。
 歩道に積もった雪を避けているのでしょうが,小学生の集団が,車道を歩いているのです。
 横を通る車も,恐る恐るスピードを緩めながら通り過ぎている様子が伝わってきました。
 わたしは,反対車線を通っていたのですが,
 「気持ちは分かるけど,ちょっと考えて歩いたほうがいいんじゃないかな。」
 と,少し通勤の遅れのイライラも加わって,その小学生の集団の様子の非常識な行動に少し憤慨しながら,その場を通り過ぎました。

 そして,その日の夕方,仕事からの帰り道,朝のそんな光景もすっかり忘れて,車を運転していたときのことです。
 一人の男の人が,歩道で何かしています。
 よく見ると,スコップを持って,雪をかいているようです。
 その時,ハッと気づきました。
 その場所は,今朝,小学生の集団が,車道を歩いていた道なのです。
 きっと,その男の人も,今朝,その光景を見たのでしょう。
 しかし,それを冷たく見るのではなく,この人は,「この小学生たちのために何とかしなければ・・・。」と考えたのでしょう。
 よく見ると,雪の歩道に,一本の道が,延々と続いています。
 この道を作るために,この人は,何時間,雪をかき続けたのでしょうか。
 寒い北風の吹く冬の夕暮れの中で,何を考えながら,雪をかき続けたのでしょうか。

 明日の朝,驚きの表情を浮かべながら,笑顔でこの一本の道を通るであろう小学生の子どもたちを思い浮かべた時,何か胸が熱くなるものを感じ,バックミラーに映る,真っ赤な顔で汗をかきながら雪をかく男の人を,私は見えなくなるまで見続けました。
 その後ろに続く一本の細い道とともに・・・。

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寒い朝の出来事

年齢 :40代性別 :女性 職業 :その他住所:三次市

 冬のとても寒い朝,交差点で右折しようと信号を待っていた時のことです。
 右前方の歩道で登校中の子どもたちにちょっとした事件が起きていました。
 一人の子が,立ち止まって動こうとしないのです。黄色いランドセルカバーをしているのでたぶん1年生だと思われる小さな女の子は,動こうとせず小さくかぶりを振っています。
 黄色い班長旗を持っている女の子が,小さな女の子の声を聞こうと一生懸命に腰をかがめていました。何度か背中に手を添えているのですが動こうとしません。
 そのうち前にいた男の子が走って,やってきました。その子の手にも黄色い班長旗が握られていました。
 その間,二人の班長さんは,待たされている通学班の子どもたちにも時々声をかけている様子で,誰も文句を言う様子もなくおとなしく待っています。
 車を運転している途中のこと,声をかけてやることもできず,様子を伺う他ありませんでした。信号が変わり,その場を後にしましたが,どうも気にかかりその場に戻ってみました。その場に子どもたちの姿はもうありませんでした。
 高学年とはいえ,まだ小さな小学生が,こんなにも優しくしっかりしている様子に,寒い寒い朝でしたが,心温まる思いでした。 

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「リセット」

年齢 :20代性別 :女性 職業 :その他住所:東京都

 とある中学校の3年生全員が文化祭で劇をやると言うので,そのお手伝いをしに1週間,期間限定の臨時講師的な感じで中学校に通っていたときのことです。役者から道具関係,音照,映像など,3年生全員がなんらかの係に入っているので,私たちのメンバーが各々得意とするポジションを担当して,生徒のみんなと一緒に芝居を作っていきました。もう,ほんとに感動しました。
 もともと,教えてあげるものなんて何にも持っていない私たちは,みんなにずっと教えて貰いっぱなしでした。
 私として一番の壁は,やはり「言葉」でした。方言は勿論,普段何気なく使ってしまう乱暴な言葉や,社会に出た大人なら素通りするであろう何気ない言葉や行動が,彼らを傷つけてしまうのではないか?と,いろいろと考えて心配しました。
 それから,舞台専門用語の変換です。上下(かみしも)は勿論,出ハケを「行く/戻る」に変えたり,「プリセット」を「準備」に変えたり,尺寸をセンチに変えたり…。でも,そこは生徒・彼らの方が柔軟で,うっかりこっちが「ここで役者がハケて来るから・・・あ,戻って来るから」と言い直すと,次からは「ここで役者がハケてくるんね」と,彼らの方から言ってくれたりしました。本当にみんなすごい!
 役者の子達はもちろん,裏方の子達の台本まで書き込みがいっぱいで,ボロボロになっているのを見て嬉しくて泣きそうになりました。
 「教えに行く」なんて気持ちは毛頭なく,「みんなと芝居を通じて遊びに行く」という感覚で東京から向かった広島だったのですが,最後には「彼らに誰かとものを作るということを教えてもらいに来たんだな!」とハッキリと思いました。
 「誰かと何かを一緒にやる」「目の前の事を一生懸命やってみる」という事に関して,私たちよりもよっぽど優れている生徒・彼らに学んだことを宝物にさせてもらって,リセットされた自分を大事に,また次の舞台現場に行きたいと思います。みんな,本当にありがとう!

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手伝いましょう

年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員住所:広島市西区

 先日,私の勤務する学校に,県民の方から電話がかかってきました。ちょっといい話なので,ご紹介します。電話の内容は,次のとおりです。

 「自分は建設会社でトラックの運転手をしている。今日,資材の運搬のため一人で国道2号線を走っているとき,何かのはずみで,積んでいた資材が荷台から落ちてしまった。自分ひとりで片付けると相当時間がかかり,国道も大渋滞してしまうと焦っていたところへ,自転車に乗った丸刈りの高校生の一団が通りかかり,『手伝いましょう。』と言うが早いか皆で資材を拾い集めてくれた。おかげであっという間に片付き,道路も渋滞せずにすんだ。片付けが終わると,高校生たちは,どこの誰とも名乗らず風のように去って行った。近くのコンビニで,あれはどこの高校生だろうかと尋ねると,○○高校ですよ,と教えてくれた。よい教育をしている,と思って電話した。」
 調べてみると,その高校生たちは,本校の野球部の2年生でした。
 実は,この話にはもう一つエピソードがあります。その運転手の方は,手伝った生徒が野球部の生徒とはご存知なかったのですが,電話の最後にこうおっしゃいました。
 「自分は△△高校の出身だ。今年の夏の高校野球広島県大会の準々決勝で,○○高校に負けたときには,随分悔しい思いをした。しかし,今日のようなことがあると,○○高校になら負けても不思議はないなあと思う。」

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赤いかさ

年齢 :40代性別 :男性 職業 :教職員住所:庄原市

今,外に降る雨を見て,ふと思い出した出来事があります。
あれは,そう・・・,6月,梅雨空の続くある雨の日のことでした。

放課後,1人の子が,
「先生,木にかさが引っかかっています。」
と職員室へ呼びにきました。
行ってみると,木の枝の少し高いところに,赤いかさが1本,開いたまま引っかかっています。
取ってみると,かさに1年生の女の子の名前が書いてありました。
「きっと,風でも吹いて引っかかったのだな。今頃困っているだろうな。」
「でも・・・,引っかかったのなら,職員室まで言いに来たらよかったのに。」
と思いながら,家の方に電話をしました。
その子はまだ帰っておらず,お家の方に事情を説明して,明日返すから心配しないようにその子に伝えてほしいとお願いして電話を切りました。
すると,しばらくして,その女の子のお父さんから,学校に電話がかかってきたのです。
そして,
「実は,・・・。」
と言いながら,娘から聞いたことを話してくれました。

「かさが木に引っかかって取れなくなったんじゃなくて,
 娘がわざとその木に引っかけてきたそうなのです。
 私も驚いて,どうしてそんなことをしたのか聞くと,
 娘が言うのには,その木はとても大切な木なんだそうです。
 かわいい実がたくさんなる木なんだそうです。
 実を採っていたら,突然雨が降り出して,どうしようかと困ってしまったそうです。
 そこで,持っていた自分のかさを思わずその木にかけて,その大切な実に雨が当たらないようにして帰ってきたそうです。」

「いやー,本当にお騒がせな娘です。
 困ってしまいますよ。
 まあ,そういうわけでしたので,大変お騒がせしました。」
と言うお父さんの声は,どこかしら,少しうれしそうでした。
次の日に,赤いかさを取りに来た女の子の少しはずかしそうな顔を見ながら,
私の心も少し温かくなったことを,つい昨日の事の様に覚えています。

今日もこの雨の下,どこかで,やさしい心を持った子がかさを持ちながら,困った顔をしているのではないかな,
と少し心配に,そして,ほのかに期待しながら,窓の外に降る雨を,今,見ています。

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道徳の時間

年齢 :40代性別 :女性 職業 :公務員住所:県内 

 今年も「せらの子」の文集が発行されました。子どもたちが書いたみずみずしい文章に引き込まれるように一気に読みました。その中で,次のような小学校6年生児童の作文がありました。

 道徳で考えたこと

 ぼくは,毎週の道徳の時間が待ち遠しくてたまりません。ぼくは,道徳の本をもとに勉強することが楽しいです。いろいろなお話が道徳の本にのっていて,それをもとに自分のことを考えられるからです。また,道徳の時間に友達の意見を聞けるから,自分の考え方が変わってきます。いろいろな人や出来事から自分の生活を振り返ることができます。
 道徳の学習の中で一番心に残ったお話がありました。それは「父の開校記念日」というお話です。父の学校が新しい学校に建てかえられたため,なくなったというお話でした。学校がなくなっても,心の中に,自分の通っていた学校やそこでの思い出がいつまでも残っていることを学びました。
 そのお話から,ぼくの通っていた保育所が合ぺいして建物が使われなくなったことを思い出しました。今では草がたくさん生えていたり,ガラス窓が割れたりしていて,ひどい状態になっています。ぼくの思い出のつまった保育所があれ放題になっていたので,とても悲しくなりました。しかし,きれいだった頃のことや,友達との思い出がいっぱいあります。それは,こわそうと思っても,絶対にこわれません。
 ぼくは,今まで,何回か転校してきました。初めの学校を転校する時,,友達が車の絵をくれたことを今でも覚えています。 「だれにもあげてはいけないよ。」 と言ってくれました。それは引越しを繰り返している間に,どこかへ行ってしまいましたが,友達の優しさは今でも覚えています。
 今,ぼくは○○小学校にいます。ここで,小学校最後の一番いい思い出をつくって卒業できると思います。それは,○○小学校にもいい友達がたくさんいるからです。今の友達とは,必ず同じ中学校へ通います。何年たっても忘れられない思い出を,友達とたくさん作っていきたいです。
 学校の思い出とは,友達や先生,学校でいっしょに過ごした人との思い出です。だから,転校しようと,建物がなくなろうと,思い出はいつまでも心にきざまれています。このようなことを道徳の時間に学びました。

 道徳の本のお話から,様々なことを感じ,考え,自分の生活のことについて考えている,このお子さんの感性がすばらしいと思いました。 道徳の時間というのは,子どもたちの心を育てる大切な時間ですね。
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落書きをしました。

年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員住所:広島市東区 

 先日,帰り支度を始めた頃,「校長先生に,地域の方からお電話です。」と,取次ぎを受けました。
 電話に出ると,氏名を名乗られた女性の方が「○○小学校2年生の娘のことなのですが,昨日,学校からの帰り道,広島観音高校のそばを歩いている時・・・」と切り出されました。私は,てっきり,本校の生徒が事故でも起こしたのかと心配したのですが,その方は,「友達と口げんかをしたことが原因で,娘が高校の塀に落書きをしてしまいました。それを聞いて,昨日,娘と二人で落書きを消しに行ったのですが,今日,見てみると,うっすらと残っていました。申し訳ありません。娘とかわります。」と続けられました。
 電話をかわった小2の娘さんは,とても緊張した声で「高校のへいにらくがきをしました。ごめんなさい。」と言いました。
 私は,落書きはいけないことだということをあらためて諭した後,「でも,○○さんはそのことを正直に言えて,ちゃんと謝ることができたねえ。それは,立派なことだよ。」と言うと,「はい!」というとても元気な声が電話の向こうから返ってきました。
 その日は,いろいろなことのあった一日でしたが,この電話のおかげで,気持ちよく家路につくことができました。正直であることは,ひとに元気を与えるものだということを学んだ一日でもありました。

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地域の餅つきにて

 年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員住所:東広島市 

 年の瀬も迫った,休日に近所の公園で餅つきが行われていた。毎年,地域のサークルや自治会が中心となって行われているそうだ。「よいしょ」「よいしょ」という威勢のいい掛け声と,子どもたちの楽しそうな声がするのでぶらりと公園に立ち寄ってみた。
 公園の水のみ場の近くにはもち米を蒸す蒸篭が2組,中央には,土嚢袋で固定した石臼が2臼あり,地域のおじさんたちが中心となって餅つきをしていた。その周りには,孫を抱いたおじいちゃん,おばあちゃん,若いお母さん,小学生から中学生の子どもたちで賑わっていた。
 石臼のそばには,子ども用の杵が用意され,それで餅をつこうとする子どもたちが行列を作っていた。
 幼稚園ぐらいの女の子の順番が回ってきて,餅をつこうしたときである。お父さんらしき人は,臼から少しはなれたところで,娘の姿を写真に撮ろうとしている。女の子が杵を持ち上げるとその重みでふらふらしている。「おじさんの頭をつかんようにせえよ」と餅を反すおじさんのことばに,周りは大爆笑。女の子の振り下ろした杵は,餅ではなく,石臼の角に命中し,これまた大爆笑。
 蒸篭の周りも長い行列があった。蒸しあがった熱いもち米にごま塩をかけて食べるために並んでいるのである。蒸篭担当のおじさんは自慢げに「こうして食べるんがうまいんで」といいながら,子どもたちの手に蒸しあがったもち米を乗せ,ごま塩をかけている。このことを聞きつけた,子どもたちのお母さんたちも行列をつくり,手のひらの上に載せられたごま塩米を「熱い,熱い」といいながらも美味しそうに食べていた。
 つきあがった餅は,公園の隣にある集会所に運ばれ,丸められていた。おばちゃんやおばあちゃんたちの出番である。おばあちゃんの餅をちぎり丸める手際はさすがである。その周りには,「うちは,もう7個食べたんよ」「できたてのおもちは美味しいね」「みんなで作ると楽しいね」と,できたてのお餅をほおばる子どもや,自分で丸める子どもたちであふれかえっていた。
 小さな子どもからおじいちゃん,おばあちゃんまで,世代を超え,みんなで手間暇をかけてついた餅,美味しくないはずはない。温かい年の瀬の休日であった。

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神様への贈り物

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員住所:廿日市市 

 我が家では毎年春になると,旬の味を求めて妻と近くの山へ山菜採りに出かける。特にこの季節のたらの芽はてんぷらにすると甘くてとても美味しい。
 今年も妻とこの味を求めて山に出かけた。ところが,毎年たらの芽が採れる場所では,枝や幹が折られたり,倒されたりして,頂芽だけでなく側芽を含め芽全体がもぎ取られているのだ。
 旬を味わう楽しみが奪われたというより,人間の身勝手さ,貪欲さに寂しい気持ちになった。
 その時ふと,私は,祖母の話を思い出した。祖母の家の庭に植えてある柿にまつわる話である。
 秋になると,真っ赤に熟した柿の実を採るのが小学生の私の役目であった。その折,祖母は柿の木の上のある実のいくつかを必ず残すようにいわれていた。祖母は,「神様への贈り物」と幼い私に説明していたが,それは,鳥たちにも柿の実を残し,生を受けたものが自然の営みのなかで共に生きていくことへの教えであったと今になって思う。残した柿の実は,共生する生命たちへの贈り物なのである。
 今年の山菜の収穫はいつもより少なかったが,祖母の姿を思い浮かべ,共生する生命に感謝しながら旬の味覚を家族で味わった。

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当たり前のことをしただけです

年齢 :50代性別 :男性 職業 :教職員住所:広島市 

  私の勤務する学校に,近所の方が,次のような便りを届けてくださいました。ちょっといいはなしなので,ご紹介いたします。

 「先日,妻がスーパーでの買い物を済ませ,家に帰ったら財布がないのに気がつきました。あわてて通った道を辿りましたが結局見つからず,交番に届けました。半ばあきらめておりましたが,翌日広島西警察署から連絡をもらい,財布は無事に手元に戻りました。拾っていただいたのは,東広島市から広島観音高校に通う高校生でした。すぐに礼状(薄謝を同封)を出して,本来ならこれでめでたしめでたしのはずですが,何と本人さんから丁寧な返事が届いたのです。感動したので,全文ご紹介します。

 はじめまして。今日学校から帰るとお手紙が届いていました。
 僕は,当たり前のことをしただけなのに,こんなにも喜んでいただきとても嬉しく思っています。それからお金(薄謝というんですね,勉強になりました)を沢山いただいてありがとうございました。大切に遣わせていただきます。
 僕は小さい頃からサッカーを習っていて,高校に進学する際,憧れの観音高校を選びました。夢は観音サッカー部のレギュラーとして国立競技場のピッチに立つことです。これからも観音高校の校訓である「文武両道」を目指してがんばります。
 この度は,本当にありがとうございました。どうかお身体を大切にしてください。

 ○○

 さわやかな青年に出会ったということで,本当に清々しい気持ちになりました。育てられたご両親もまた素晴らしい方なんだろうと想像がつきます。
 皆さん!ぜひ「観音高校サッカー部の○○君」を応援してあげてくださいね。」

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週末のバスの中で

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員住所:東広島市  

  明日は土曜日。仕事を終えた私は,自宅に帰るための広島市内の停留所からの高速バスに乗り込み,ほっとした気持ちで外を眺めていた。
  ふと,バスの通路を隔てた隣の席を見ると,小学校3・4年生くらいの女の子が,窓越しに母親らしき女性に手を振っている。女の子の横の席には,ふくらんだリュックが置いてある。私は,きっと泊りがけで,おじいちゃん,おばあちゃんの家にいくのだろうと思った。
  広島駅前のバス停で,両手に重そうな買い物袋をもった中年の女性がバスに乗ってきた。その女性は買い物袋を体の前後に持ち,狭い通路を進みながら空いている席を探している。車内は,横の席に荷物を置き2つの席を使っている人が多く,ほとんど空いていない。私も2つの席を使っている一人だった。私は横の席を空けるため,荷物をひざの上に置こうとしたとき,あの女の子がその女性に向かって「ここ空いています」と小さな声で言いながら手招きしているのである。思わず,私はひざの上に置こうとしていた荷物をまた,横の席におき,女性がどこの席につくのか気になりつつ,また外を眺めるふりをした。しばらくすると「ありがとね」の女性の声。「いいえ,どういたしまして」と女の子の声。その後は,通路を隔てた隣の席から,私にかすかに聞こえる程度の2人の楽しそうな話し声が続いていた。家族のこと,学校のこと,勉強のこと・・・・。しばらく私は隣の席から聞こえてくる会話を楽しみ,その後は眠気に負けしばし休憩。
  我が家の近くのバス停を知らせるアナウンスが聞こえ,目が覚めた。隣では,まだ2人の楽しそうな会話が聞こえてくる。バスを降りるため席を立ち,隣の席に目をやると。女性が買ったのであろうパンを2人が分け合って美味しそうに食べていた。女の子の小さな親切が小さなバスハイキングに発展していたのだ。
  私はバスを降り,我が家に向かいながらこんなことを考えていた。あの女の子は,おじいちゃん,おばあちゃんにバスの中で出会った女性のことをどんな顔でどんな話をするのだろうか,おじいちゃん,おばあちゃんが孫のための作った御馳走をどれだけ食べられるのだろうか・・・。明日からの休みはきっといいことがありそうだ。 

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電車での落とし物

年齢 :10代まで性別 :女性 職業 :学生住所:呉市 

  私が電車に乗っているといつものように気付くのが,隅に隠すようにして捨ててあるお酒のカップです。つい最近は,お酒のカップを置く現場を見たばかりです。
 しかし,いつもお酒の匂いや飲んだあとということが気になり拾えずにいました。ジュースの缶などは普通に拾えるのですが,お酒となるとなぜか拾いにくくなってしまうのです。
 そして今日,四十代半ばの男性が隅に置いてあったお酒のカップを蹴ってしまった音で私は(またある・・・。)と思って,その男性の方がどうするかを見ていました。すると,その男性は,最初ためらいながらもお酒のカップを拾い,下車されました。私はその姿を見て,みんな拾うのは嫌ですが,そこでどうするかが大切である事を学びました。
 前回投稿した「電車での落とし物」で勇気を出して行動に移す事を学んだにも関わらず,また,今回行動できませんでした。改めて教えてくれたこの男性に感謝し,またこのような事があった時は,ためらわず行動していきたいです。
 そして,これを見ていただいた方には,もう一度電車のマナーについて考えてもらいたいです。よろしくお願いします。

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電車での落とし物

 年齢 :10代まで性別 :女性 職業 :学生住所:呉市 

 私が部活のため電車に乗り込んだ時のことです。
 隣の座席の男性が,財布をひらいたところ10円玉だったでしょうか・・・,ともかくお金を落とされたのです。それに気づかずに財布をしまわれたのを見て,私は「落ちましたよ。」と声をかけようとしました。
 しかし,知らない人という抵抗からか,なかなか言い出すことができませんでした。すると,私よりずっと遠くの席にいた若い女性の方が,「落とされましたよ。」と,わざわざ近くに寄って,お金を手渡されたのです。
 私はその人の行動と,男性の笑顔を見て,自分が(知らない人だから・・・。)と,言い出せなかったことに対してとても情けなく思えてきました。
 電車は,他にも席の譲り合いなど,人間関係をつくる,すばらしい乗り物だと思いました。そして同時に,私もあの女性のようにためらいなく声をかけ,行動できる人になりたいと思いました。

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通勤帰りの車内で

年齢 :40代性別 :男性 職業 :教職員 住所:県内  

私は,10月から山陽本線を使用して通勤するようになりました。
その日は,疲れから車内で眠ってしまい,終点の広島駅(19時21分着)に着いてもそのまま眠り続けてしまいました。
すると,一人で乗っていた男子高校生が,肩をトントンとたたき,「終点ですよ。」と言って起こしてくれるではないですか。見ず知らずの私にわざわざ声をかけてくれたことに,感謝するとともに,本当にさわやかな気持ちになることができました。
私が逆の立場だったら,声をかけてあげることができただろうかと,勉強させられた瞬間でもありました。

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電車での出来事

 年齢 :40代性別 : 職業 :公務員 住所:県内

 朝,通勤電車での出来事です。
 私が通勤で利用する山陽本線には広島中・高等学校の生徒が多く乗車しており,いつも熱心に学習している姿を見て,たのもしく思っています。
 制服からすると広島中学校の生徒ですが,通路で,もどしてしまいました。本人は突然の出来事に呆然としておりましたが,周囲の乗客も,どうしてよいものか,とまどっておりました。私はとりあえず,読みかけの新聞を床の汚物にかけ,本人に残りの新聞紙で手を拭くように勧めました。他の乗客もティッシュなどを渡しましたが,床の汚物を処理するにはちゅうちょしておりました。
 すると,広島高校の女子生徒数名が駆け寄り,先ほどの新聞紙で床を拭き始めました。私は,汚物を当然のように,さっと拭き清めて,片づけていく彼女たちに,とてもびっくりしました。
 中学生も救われた気分になったでしょう。
 私も朝から,とてもすがすがしい気持ちになれました。

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Kクンのコート

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内 

 冬場でも伊達の薄着(実は単なる暑がり・・)で通しているが,さすがに先日は参ってしまった。
 早朝(といっても7時半は回っていたが)用あって屋外に立っていたのだが,風もけっこうあって10分も立つと身体の芯まで冷えてしまった。
(今日ぐらいはコートを持って来るべきだったな・・・)と反省しつつ,仕方なくズボンのポケットに手を突っ込み,足踏みをして我慢をしていた。

 ちょうど出勤してきた同じ職場のKクンが軽く会釈して私の前を通りすぎて行ったが,少ししてもどって来ると,自分が着ているコートを脱いで「着てください。」と差し出してくれた。

 スリムな体形の彼の細身のコートは,太めの自分には少しきつかったが,コートのインナーに残る彼の温もりがとても暖かく感じられた。
 それにもまして,わざわざ戻ってまでコートを貸してくれた彼の心の温かさと,細やかな心遣いが私の身体を芯から暖めてくれた。(ちょっと大げさ・・・)

 Kクン本当にありがとう。

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缶コーラ

年齢 :30代性別 :女性 職業 :その他 住所:県外  

 毎年,夏休みになると,我が家の小2の息子と小6の娘は,二人だけで東北にある私の実家に行き,ほとんどの日々を過ごします。
 しかし,今年に限っては,私も一緒に行って過ごしたのですが・・・これには理由がありました。
毎年,子どもたちが行くたびに,いろいろなところへ遊びに連れて行ってくれる私の叔父が,今年は病を患い入院していたのです。
 私は,叔父の様子を聞いて知っていたのですが,子どもたちには,行きの新幹線で話しました。
「今年はね,おんちゃんは病気で入院しててね,あんたたちの事も,はっきり判らないかもしれないんだよね。でも,おんちゃん!って一生懸命話しかけたら,判るかもしれないよ!」・・・と。
 二人は,いつになく真剣に聞いていました。そして,病院に到着。
 去年までの元気な姿と,全く別人です。身体は痩せ細り,口をきくこともできない・・・そんな叔父の姿を見て,大人の私でも,一瞬,息を呑みました。

 するといきなり!息子が「おんちゃ~ん!ボク,来たよ~(o^∇^o)ノ!わかる~?」
とベットへ駆け寄り!!つられて娘も
「おんちゃ~ん!○○だよ~!遅くなってごめんね~!」と。
 すると,それまで意識もうつろな叔父が,歯をむき出しにして(⌒~⌒)ニンマリと笑ったのです!!
 実は,数日前,一時危篤状態になっていて,誰も叔父がこのような表情をしてくれるとは思っていなかったようです!!
 驚きは,それだけではありませんでした!
 その日を境に,叔父は次々と奇跡を起こしてくれました。人工呼吸器を外し,自発呼吸をはじめました。
 私は,毎日付き添いし,寝泊りしている間も,たくさん昔の話や,私たちの近況など,話していました。うなずいてくれるだけで,嬉しかったのです!
 そうしたある日,言葉を発する事など,もうないと思っていた叔父の口から,

「さ・・んこーや・・・」と言う言葉が出てきたのです!!
「ナニ?さんこーやって,何?おんちゃん!?」
 私の問いかけに,何度も「さんこーや」を繰り返します・・・。
 何度目かに「かん・・・こーら・・・」と・・・。
「缶コーラ??缶コーラ飲みたいの??」の私の問いかけに,,今度は黙ってうなずく叔父・・・。
「でもね~缶コーラはさぁ~,炭酸きついしさぁ・・・もう少し,良くなってからでないとね。でも,のど乾いてるんだよね??」
 看護師さんに事情を話したところ,氷水をスポンジに含ませ,口元にやってあげることを勧めてくれました。
 それでも,なんだか嬉しそうにしていた叔父の様子を,私は,帰宅してから,子どもたちに話しました・・・。

 しかし,その数日後。
 私が付き添いを始めて,ちょうど10日が過ぎた日・・・。
 叔父は,息を引き取りました・・・苦しむ様子を殆んど見せず。
 家に,無言で帰ってきた叔父・・・それをただ,呆然と見つめ,われに返った瞬間,大声を上げて泣き出した子どもたち。
 通夜・・・葬儀の準備と,大人たちは慌しく動き始めます・・・。
 そんななか,息子が私のところへ来て「ママ,ボクのさいふ,ドコ?」と聞くのです・・・。
「ここにあるよ。でも何買うの?」と聞くと,「ジュース買ってくる」というので,さいふを渡しました。
 近所の店で買い物をし,帰ってきてすぐ「コップ3つちょうだい」というので,渡すと,叔父のいる部屋へ持っていきました。

「おんちゃ~ん!かんコーラ,買ってきたよ~!おねえちゃんのぶんと,ボクのぶんも分けるね!でも,少しずつなんだよ!ボクお金あんまりなくってね。3人で,かんぱーい!!」

 そう,息子は,覚えていてくれたのです!!
 私が,叔父の缶コーラの話をしていた事を・・・。
「おんちゃんが,お家に帰ってきたら,飲もうね!」といっていたことを。

 普段は,優等生の姉の影に隠れ,どちらかというと要領の悪い息子です・・・。
 でも,こんなに優しい子に育ってくれているんだ・・・いや,叔父をはじめとする,みんなに育てられているんだ・・・と思うと,感謝のナミダが止まりませんでした。
 あの日,飲んだ缶コーラの味を,一生忘れないで,育っていって欲しいです・・・。

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なんくるないさ~。

 年齢 :20代性別 :女性 職業 :学生 住所:県内 

 明日は大事な試験。
 前日にもかかわらず,友達と試験内容にもなっている水泳をしに,プールへ行きました。早く帰りたいのもあり,みんなでタクシーに乗ることにしました。そのタクシーの中での出来事です。
 運転手さんは話好きの方なのか,乗ったときからいろいろ話しました。明日に試験を控えていることも話題になりました。偶然,その方のお子さんが自分たちの目指す道に進んでおられ,話が盛り上がりました。また,運転手さんの故郷は沖縄で,そこの美しい景色の話もしてくださいました。
 そして,目的地が近づいてきたとき,運転手さんが「なんくるないさでいっておいで」と,今までやってきたことを信じて,あとはなんとかなるさで,笑顔で楽しんでおいでと言ってくれました。
 前日で,緊張気味の私たちでしたが,それを聞いてからは,肩の力が抜け,あったかい気持ちでタクシーを降りました。ほんのつかの間の,一瞬の出会いでしたが,ほんとに素敵な,忘れられない出会いになりました。

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バスカード

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内  

 先日,息子とバスに乗った。
 バスに乗る前,息子に「ちゃんと最後までやるんよ。」と言い,バスカードを2枚渡しておいた。降りる際に,息子が「大人1人,子供1人。」と言ってバスカードをカードリーダーに通したまではよかったが,1枚目で料金不足で,2枚目でもなお不足が生じた。
 手持ちのカードがなくなった息子は,少し困ったような顔をして私の顔を見る。
 今度は自分があわてる番だった。
 鞄の中の小銭入れをさぐるが,これがなかなか出てこない。ようやく出したものの,今日に限って1円玉と5円玉ばかりでこれまたぜんぜん足りない。
 バスカードの残金額をよく確認しなかった自分が悪かったのだが,通勤時間帯のことでもあり,降りる方も多く,どたばたした姿を見られて恥ずかしいやら焦るやらで,思わず息子に「何しょんね。しょーもないね。」と言いそうになった。
 そのとき,肩を「ポンポン」と叩かれた。
 振り返ると同じ職場のNさんで,「ニコッ」と笑って「たちまちこれ。」と言って自分のバスカードを差し出してくれた。
 Nさんの機転の効いたちょっとした厚意であったが,おかげで他の乗客にさほど迷惑をかけることなくバスを降り,また,子供に八つ当たりするという,みっともないまねをして父親の株を下げずに済んだのである。
 温度計も既に30度を越えようかという夏の暑い朝だったが,それを少しの間忘れさせてくれるような爽やかな,ちょっと嬉しい気持ちにさせてくれる出来事だった。
 Nさんホントにありがとう。

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スーパーで出会った女の子

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内

 ♪よ~く考えよ~,お金は大事だよ~という某CMがある。
 商品を購入する際にはよく比較検討して無駄な出費にならないようにということであろうが,大きい出費のときは慎重になるが,小額になればなるほど案外無駄遣いをすることが多い。
 お金も,お札はめったにないが,小銭はしばしばぞんざいに扱っている。ポケットに入れたままにしたり,何でもないところに置き忘れてしまったり,反省すること度々である。
(すっかり忘れたころに思わぬところから出てくると,それはそれで嬉しいものではあるが・・・)
 お金といえば先日こんな光景に出会った。
 帰宅途中に夕食材を買うため,いつものスーパーに寄ったときのことである。
 大変込み合う時間帯の上,ゴールデンウィークを控えて特売品も多く,店内はとても混雑していた。
目当てのものを買い物籠に入れ,レジに並ぼうとするものの,どのレジも長蛇の列で空いているところを探すのに一苦労した。ようやく,やや列の短いところに自分のカートを滑り込ませ,レジ近くのラックにある週刊誌を手にしてめくりながら,自分の順番が来るのを待っていた。
 自分の前は3,4歳ぐらいの女の子を連れた若いお母さんだった。レジの打ち込みが終わるとお母さんはレジ係の人に代金を渡し,それから娘さんに
「ちゃんとおつりを預かってきてね。」
と声をかけてから,少し離れた台のところで購入したものの袋詰めを始めた。
 その女の子は,レジ係の人からおつりを受け取るまでの間,身動きもせずその小さな両手を胸の前に揃えて待っていた。
 レジ係の人がレシートと一緒に
「はいおつり。お利口さんね。」
と声をかけておつりを渡すと,その女の子は揃えた両手をそのままレジ係の人にゆっくりと差し上げ,おつりをとても大事なものを渡されたかのように受け取り,その手をまたゆっくりと胸の元の位置まで戻して,そのまま母親のところまでそろりそろりと歩んで行った。
 まるで,一つの儀式に立ち会っているような感じだった。年頃からしてその子の頭の中にはお金だから大切にという思いは,特別にはなかったであろう。逆に,知っていてそんな大げさな所作をすると,何かしらいやらしく滑稽に見えると思う。
 お母さんの言い付けを守り,それに一生懸命応えたいというその女の子の小さな純粋な気持ちが,小さな身体全体に,一挙手一投足ににじみ出ていた。それがその子の所作をとても可愛らしく,微笑ましく,すがすがしく自分の目に映り,心洗われる感じにしてくれたのだと思う。
 自分も普段ならおつりをレシートごとポケットに突っ込むところを財布に収め,2パック買った卵を割らないよう気をつけながら家路を急いだのである。

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冬のブランコ

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内 

 実家の近くに公園がある。
 遊具といってもシーソーとすべり台,それにブランコが3人分あるだけの「猫の額」という言葉がしっくりとくるような小さな公園だ。敷地が上下2段になっていてその段差が2メートルぐらいある。遊具は下の段にあり,上の段とはコンクリートの階段でつながっている。
 幼稚園から小学校の低学年までの間,家に帰ってからの遊び場所はこの公園だった。昭和40年前半,新興団地だったこの地域は人口が急増し子どもも多かった。
 また,公園の近くに老夫婦が営む駄菓子屋や,はやっていた塾があったので,ここへ来れば必ず誰かがいた。
 先日実家に帰ったときに,なんとなく公園に寄ってみた。日曜日の午後2時,天気は上々にもかかわらず子どもは一人もいない。高齢化の波はこの団地にもおしよせている。駄菓子屋も塾もとっくの昔に店を畳んでいる。それに,いまどきボール投げもできないような狭い公園で遊ぶ子なんていないのであろう。
(むかしは順番待ちして乗ってたんだけどな・・・・)
 三つあるうちの真ん中のブランコに座り,ゆっくりと漕ぎながら当時の情景を思い浮かべる。時折「キィ~ッ」とかすれたような音が冬空に響くが,ブランコが寂しさを訴えかけているかのようにも聞こえる。
 ふと,当時よく「靴飛ばし」をやったことを思い出した。ブランコを漕いで勢いがついたところで,半脱ぎにしていた靴を足に振りをつけて前方に飛ばし,その飛距離を競う他愛のない遊びである。たまに,半脱具合と足を振り出すタイミングが合わなくて靴が後方に飛び,道路を挟んだ家の庭に飛び込むこともあった。この公園では,上の段に届かせるのが当時の僕らの目標だった。
 ブランコを勢いをつけて漕いだ。漕ぎながら,左靴のつま先で右靴の踵をちょっとずらす。なおも勢いをつけていくと,公園の上の段が目の高さまでに降りてくる。
(いまだ!)
後ろにたたんでいた右足を思いっきり前に振り出した。
「すぽっ」と右足を離れた靴は綺麗な放物線を描いて飛んで行き,めったに届くことのなかった上の段に軽々届いた。ブランコの位置からは見えないが,はるか奥にまで達したようだ。
 靴を拾いに行くのは片足ケンケンである。
昔はなんとも思わなかったが,腹回りに余計な肉がついた中年の身には片足で階段を上るのはいささかしんどい。が,ここは昔の作法どおり片足ケンケンである。靴は公園の外周りの側溝の中に落ちていた。
(記録更新!)思わずニヤッとしたがすぐに空しくなった。
 そこからブランコの方を振り返る。昔の背丈ではこの位置からブランコは見えなかったが,今,真ん中のブランコだけが悲しげにゆらゆらしているのが見える。

(もう一回やってみようか・・・)
 と思ったとき,向こうから女の子が二人,自転車に乗ってこっちにやって来るのが見えた。あわてて靴を履き公園を離れ,たまたま通りかかったかのように歩く。すれ違うときに二人が「ブランコしようね~」「うん」と話しているのが聞こえた。
 なんとなく救われたような,ほっとした気持ちになった。

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初詣で貰ったお年玉

年齢 :40代性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内 

 TVの時報が午前零時を告げるのを聞いてから,例年どおり近くの神社へ初詣に出かけた。境内には既に長い行列ができ,参拝を終えて家路につく人の流れと交錯してかなり混雑していた。参詣者の吐く白い息と,参道両脇のイカ焼きや焼きとうもろこしの屋台からの湯煙が混じり合いながら夜空に立ち上る様は,毎年ながらの光景ではあるが,新年を迎えて厳かな中にも浮き立つような気分にしてくれる。
(去年より幾分暖かいから人出も多いな・・・)と思いながら,自分も表の歩道まで続く列の最後尾に加わった。
 自分のすぐ前は,幼い兄弟を連れた夫婦とその祖父と見受けられる5人づれだった。
若い父親は,左手で弟を,右手で兄の手を握り,つま先から這い登る冷気をふり払うかのように小刻みに足踏みをしていた。しばらくして,父親がぐずりはじめた弟を抱きかかえようとして,兄とつないでいた手を離したときに,列が少しだけ前に進み,自分がその父親の立っていた位置にずれ込んだ。
(あれ?)
不意に,小さな柔らかい手が自分の右手の指先に絡んで「きゅっ」と握り締めてきた。
目を下に遣ると,ジャケットのフードを目深に被ってうつむいている兄が自分の手を握っているのが見えた。
(ははぁ,お父さんと間違えたか・・・)
手を離そうかと思ったが,一寸考えてその子の手を「きゅっ」と握ると,応えるかのように「きゅきゅっ」と握り返してきた。
 ついさっきまで父親の手をしっかり握っていたその子の手はとても温かかった。その温もりを分けてもらいながら,「きゅっ」「きゅきゅっ」と,やりとりを楽しんだ。そのうちにその子も(何か変だぞ?)と思ったか,おずおずと顔を上げて自分と目が合うと,どぎまぎした表情をみせ,助けを求めるように母親のコートの袖を引っ張った。親御さん達も気づいて,ことの次第がわかると大笑いとなった。
 自分が参拝を終えたころには,境内の参詣者もややまばらになってきていた。風も少し強くなりはじめ,急に寒さを感じてきたので,振舞いの甘酒で体を温めながら,つい今しがたの出来事を思い返した。
 ためらいもなく「きゅっ」と握ってきた小さな手。
 その手を通じて,その子の無邪気さや父母の情愛,穏やかな家族の情景が自分に沁み入ってきたような気がした。そう思いながら,自分の右手を見つめると,手のひらにその子の手の温もりが「ぽわっ」と甦ってくる。その温かさを失わないように右手をそっと握り,
(かわいいお年玉ありがとさん。君も,弟も,父さん母さんも,お爺ちゃんも,みんなみんな,今年もきっと良い年だよ。)
と独りごちながら,帽子を深く被りなおして神社を後にした。

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ある冬の日のある島での話

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:広島市  

 先日,所用である島に行きました。
 普段ならデッキから景色を眺めながらのんびりと・・・ですが,12月に入って急に寒さが厳しくなり,また,風も幾分強い日だったので,揺れる船の潮に汚れたガラス越しに,海鳥が風に抗いながら寒々とした冬空に舞うのを眺めながらの船旅(まぁそこまで大げさに言うのもナンですが・・・)となりました。
 桟橋には定刻よりやや遅れて着きました。もともと島に渡ってから昼食をとるつもりだったので,道すがら食堂ぐらい見つかるだろうと歩き始めました。ところが,意外に休みのところが多く,メニューが気に入らないなどと探すのに少し時間をとられ,結局,思っていた時間よりも遅く,土産物屋とレストランが一緒になっている店に入りました。
 食事を終え,さて,目的の場所まで歩いて行くのに残り時間と距離に少し不安を感じたので,若い男性の店員さんに手持ちの地図を見せて,
「この家まで,ここから歩いて15分ぐらいですよね?」
と軽い気持ちで尋ねました。ところが,その若い店員さんは,若干首をひねり,地図を手に取りひっくり返したりしはじめたので,(あちゃ!知らなかったんだ)と若干焦り,
「いいです。多分,この前来たときはこの道を行ったような気がしますから。すみません,お勘定してください。」
と言って店を出ようとしたところ,その店員さんが,ほかの女性店員さんを巻き込んで,「ああでもない,こうでもない」と話をしはじめました。
(大げさになっちゃったなぁ・・・)と思っていたら,突然,男性店員が,「一緒に行きましょう。車を出します。」と言われました。(えっ!仕事中だよ?)と思い,
「いやいいです。まだ時間が充分あります。それにお忙しいですから,この前の道を行けばここに出ますよね?」
と断りましたが,「いや,どーせ,暇なんですから。」と一言。
(確かにお客さん自分の他にいないけど,「暇だ」なんて言っちゃだめだろ。店長さん怒るよ)と,ひょいと店長さんを見ると,店長さんも「うんうん,車で・・・」などと頷いています。(おいおい,店長さんも,頷いてたらダメだよ・・・)と内心少しあきれましたが,
 結局「じゃあお言葉に甘えて・・・」と車に乗せていただきました。
 道中(といっても車で5~6分程度ですが),先日降った雪の話などをし,家の前まで送ると言われるのを,無理に断って手前で降ろしていただきました。
 用事も済ませて桟橋までの帰り道を歩き始めましたが,途中なんだし,一言お礼ぐらいは・・・と思い店に立ち寄りました。さっきよりはお客さんがいるようなので,少し安心して店内に入り店員さんにお礼を言いました。
(何で安心しないといけないのか変なのですが,実際にそう思いました。別に,また「暇だから桟橋まで送る」なんて言い出すんじゃないかなどと思ったわけではありません。)
「手前で降ろしちゃって悪かったですね。道わかりました?」と申し訳なさそうに言われる男性店員さんに,こっちの方が恐縮してしまい,
「いやいや,おかげで助かりました。また来たときは寄らせてもらいます。」と言って店を辞し,予定の船で島を後にしました。
 島の人情味と言っては大げさかもしれません。また,接客商売だからその辺は少し差し引いてと思われるかもしれませんが,
(さりげない,さらりとした親身さ,親切心って・・・,思っててもなかなかできないんだよな・・・)と,明かりの灯りはじめた夕暮れの街を車中から眺めながら,次第にほのぼのとした気持ちになっていったのでした。
 なお,お礼だけ言って手ぶらで帰るのも悪いと思い,その店で買った饅頭が思いのほか旨く,二重にほのぼのとしたのは言うまでもありません。

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小さな手袋と大きな靴下

年齢 : 性別 :男性 職業 :公務員 住所:広島市

「おとうさん てぶくろがわらっとるよぉ」
と,突然娘が言い,右手を私に差出してきました。
 見ると,赤い小さな手袋の,親指と人差指の付け根のところの糸が少しほつれて小さな穴があいていました。娘は,指をぱくぱくさせて
「ほらぁ あはは」
「ほんまじゃ,笑っとるねぇ」
と私。
 それじゃあと私も靴下を見せて,親指のところにあいた穴をもごもごさせて,
「ほれ うわはっはっ」
「おとうさんのはおおわらいじゃね」
と娘。
 ちいさな手袋がちいちゃく「あはは」,大きな靴下が大声で「うわっはっはっ」
 娘と顔を見合わせて「あはは」「うわっはっはっ」。
 日曜日の昼さがり,外は雪景色,街のきーんと張り詰めた空気が,ほんのちょっとだけ緩みました。

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雪の通学路

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :教職員 住所:県内 

 今年の年末は,思いがけず2度の大雪となりました。
 私の勤めている学校にも30~40cmくらい積もりました。ところが,車道は除雪されても,歩道は除雪されません。低学年の子どもの登下校には,とてもつらい状況です。
 そこで,学校からの通学路の歩道を歩いて,道をつけることにしました。誰も歩いていない,深いところはひざまである雪の中をおよそ2時間かけて,国道沿いの歩道を往復しました。長靴の中に雪が入るし,足は棒のようになりました。
 歩きながら,自分が子どもの頃を思い出していました。
 昔は今に比べて積雪量も多く,30cm位の積雪は珍しくありませんでした。こんなときは必ず,母が朝早くから家の前からメイン道路までの道を除雪してくれていました。
改めて,母の愛情を実感でき、心の中で「ありがとう」と言いました。
 子どもたちは,しんどいことや面倒なことを避けず地道に取り組んでいる大人の姿を,じっとみています。
 そして,子どもたちが大人になってしんどさを感じたとき,親や身近な大人の頑張っていた姿は,きっと心の支えになることでしょう。

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善意のリレー

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:広島市 

 日曜日の昼下がりのことでした。
 中電前の電停で見かけたできごとです。
 白い杖を持たれた目の不自由な中年女性の方が,市電の上りと下りの電停のちょうど真ん中あたりの横断歩道の上でまごついておられるような様子でした。
 信号も点滅しはじめたとき,すれ違った老夫婦が
「どっちへいくんの?駅?じゃぁこっちじゃ」
と手を引いて駅方面の電停まで来られ,赤に変わった横断歩道を急いで渡って去っていかれました。
 次に,電停にいた中年の夫婦が,その女性に
「そんなに前によったら電車にはねられるけ,もうちょっと下がりんさい。次の電車が駅行きなんじゃけど,私ら己斐じゃけぇねぇ・・・」
と後ろに押しやったところで,
「わたしら駅へ行くけぇ,一緒に乗るわぁ」
と若いカップルの声。
 それぞれかけた言葉はちょっと荒っぽかったような気もするけど,心温まる世代を超えた善意のリレー,まだまだ世の中捨てたものじゃないですね。

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Y先生からの手紙

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:広島市

 ちょっと前のことになります。
 私が小学1年生のときの担任のY先生(女性)がこの春定年退職されました。
もう30年余り前のことになりますが,目元がキリッとした声のよく通る先生で,先生になりたての頃の若さ一杯の颯爽としたY先生の姿は今も鮮明な記憶として残っています。
 卒業した後も年1回の年賀状のやりとりは続いていましたが,30年という時を経てもなお,私の記憶の中のY先生はいつも小学校1年生のときの若々しい姿でした。(頂く年賀状が今流行の家族の写真入りのものでなく,文字と絵のものだったこともありますが・・・しかし添え書きされる自筆の字は昔ノートに書かれたものと変わらない端正なものです。)
 「まだまだ老け込むには早いです。人生これからです。」
 などと月並みな激励の手紙をしたためたところ,やや間をおいて返事の手紙をいただきました。
 近況の報告に交えて「私もおばあちゃん1年生になりました。」との文字。めでたく初孫御誕生とのことでしたが,単なる「おばあちゃん」ではなく「1年生」と書かれた文字に,いつも新たな気持ちでというY先生の前向きな姿勢,孫と一緒に私もまだまだ成長していくんだという思いや,孫を授かったという無上の喜びなど色々な思いが込められているように感じました。
 「おばあちゃん1年生ですか。頑張ってください。」
 と心の中で再度先生にエールを送ると,記憶の中の先生のキリッとした目元がゆるんで,少しはにかんだように見えました。

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夕焼け空の下に「感動の心」が…

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:呉市

 私の家の近くの道路の両側には,数十メートルにわたって,マリーゴールドやサルビアなど,赤や黄色の花が咲いて,通る人々の心を和ませてくれています。
 聞くところによると,この花は,地域を「花いっぱい」にしようと近くの小学校で苗を育てられ,配られたものだそうです。その後の管理は,地域へお願いしているようで,近所の人が水をやったり雑草を抜いたりして大事に育てています。
 夏のある日の夕方のことでした。
 ご近所に住むおばあさんと3歳くらいのお孫さんが,一輪車に水がいっぱい入った大きなバケツを乗せて,花の所へ行かれていました。そのお子さんは,植えられている花にひしゃくを使って水をやり始めたのです。小さな両手でひしゃくの柄を持って,大事そうに花に水をやるお孫さん。その横で,笑顔でじっと見つめているおばあさん。とてもほほえましい光景でした。水は1回では足りないので,再び一輪車を押して,何度となく家から水を運んでいました。30分くらい水やりをされていたでしょうか,終わった後,おばあさんがお孫さんに,「○○ちゃんが水をやってくれたので,お花が喜んでいるよ。」と言われたとき,そのお孫さんは,両手を挙げて「やったー」と喜んでいました。夕焼け空で真っ赤に染まった空の下で,小さな心に「感動の心」が育ったのではないでしょうか。
 そこには,今でもマリーゴールドが咲いています。犬の散歩で毎朝その横を通る私は,咲いている花に心和ませてもらっているとともに,あの日の小さなお子さんの笑顔を思い出します。

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心は海を越えて

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内 

 ある中学校の研究会で,とても素敵なお話が紹介されていました。
 その中学校では,京都への修学旅行で広島県をPRするという取組みが行われています。「広島PR」をテーマとした「総合的な学習」の一環として,事前に生徒は厳島神社や原爆ドームなど,方言や古典,お好み焼きなど広島県内の産業や文化などについて調べます。そして,実際の修学旅行先の京都で地元の人に声をかけ,アピールするというものです。
目的がはっきりしているので,内容だけでなく,伝える方法についてもきっと生徒は意欲的に学習したことでしょう。
 そして,迎えたPRの当日,中には断られたりすることもあってすべてがうまくいったわけではないそうですが,多くの方に話を聞いてもらうことができて,生徒は充実して過ごしたそうです。
 さて,この話には続きがあります。
 後日,滋賀県にお住まいの大学の先生から学校に電話がありました。京都で生徒の「広島PR」を聞いてくださった方です。説明が大変分かりやすく,また協力して作ったと思われるパンフレットも丁寧な手作り,お土産のしゃもじも嬉しかったとのことでした。
 そして,さらに,この話は続きます。その先生が先般ロサンゼルスへ出張した際,ロス在住の広島県出身の一人暮しの高齢の女性に,パンフレットやしゃもじをお土産に持っていったところ,涙を流して喜ばれたとのこと。そのご高齢の女性は足が不自由になり,今となっては広島に帰省することが難しくなっていることもあり,大変懐かしがられたということでした。
 私はこのお話を聞き,自分の心までも温かい気持ちになりました。一つの「出会い」が新たな「出会い」を生み,そして,さらに予想もつかないところで新たな「出会い」を生む,何物にも代え難いものを得た子どもたちは,本当に貴重な体験をしたと思いました。
「何でもパソコン」でできてしまう時代に,生徒自らが心を込めて作った手書きのパンフレットは,きっと海を越えて温かい心まで運んでくれたことでしょう。

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心温まる「学校だより」

年齢 :40代性別 :女性 職業 : 住所:県内 

 先日,子どもが毎月発行される学校だよりを持って帰りました。学校の様子が良く分かり,読むのを楽しみにしています。その中に,6年生が修学旅行へ行った時の話が載っていました。それを読んで,子どもたちの心がしっかり育っていると嬉しく,私の心も温かくなりましたので紹介します。

 『修学旅行にいきました こんなうれしいことがありました』
 9月16日・17日,6年生は関西方面に修学旅行に行きました。仲間との集団生活で培ったもの,また,東大寺や平等院鳳凰堂,金閣寺など実際に目で見ることを通して深めた歴史学習など,子どもたちはたくさんの宝物をもって帰りました。
 この修学旅行の前日,職員室のわたしの机の上に,かわいらしい「てるてる坊主」が置いてありました。「元気で行ってらっしゃい。」というメッセージまで添えられていました。感激して喜んでおりましたら,なんとてるてる坊主をもらったのは,わたしだけではありませんでした。6年生全員がもらったのです。誰にもらったのでしょうね。1年生からのメッセージ付きプレゼントだったのです。
「晴れたらいいね。」「元気で行ってきてね。」
こんなお手紙が添えられていました。
 実は,1年生と6年生はペア学年になっており,1年間いろいろな場を通して決められたペアで活動するのですが,このペアになっている1年生から相手の6年生へのプレゼントだったのです。このてるてる坊主がそれぞれの鞄につけられて,修学旅行のお供をしたことは言うまでもありません。(もちろんわたしも連れて行きました。)
 大阪で乗った観光バスの中で
「1年生のおみやげ何にする?」「あんなかわいいてるてる坊主をもらったものねえ。」
6年生のひそひそ話が聞こえました。よほどうれしかったのでしょうね。
 ところでおみやげはどうなったのでしょうね。6年生の担任に聞きましたら,一人一人にお手紙とあめ玉2個が届けられたのだそうです。うれしそうな顔をしてあめ玉をなめた1年生の顔が目に浮かぶようでした。今までに食べたことがないくらい甘くおいしかっただろうなあと思いました。
 人と人との関わりの中で,相手の温かな心を感じながら生きていくことの大切さを,子どもたちはしっかりと学んだと思いました。とてもうれしい修学旅行になりました。

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修学旅行の思い出

年齢 :20代 性別 :男性 職業 :学生 住所:県内 

 小学校6年生の修学旅行の時,同じクラスのN君は風邪で旅行を休んだ。
 私たちはクラスのみんなで少しずつお金を出してお土産を買うことにした。お金を集めていると,もう一つのクラスのT君がスッとお金を差し出してきた。私たちの担任が,「クラスが違うからお金を出さなくてもいいよ。」
と言うと,T君は,
「僕も友だちだから。」
と言ってお金を先生に渡した。
 私は子どもながらにその子のことを尊敬し,あたたかい気持ちになったのを今でもはっきりと覚えている。
 この夏の広島県教員採用試験にT君は,見事合格した。彼のような思いやりのある子どもたちが育っていくことだろうと思う。
 T君が教師になってくれてよかった。おめでとう!そして頑張れ!!

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生徒が考えた「豊かさ」とは

 年齢 :40代 性別 :男性 職業 :教職員 住所:県内 福山市

  社会科の授業で生徒と「豊かさ」について考えました。その時,生徒が書いた作文を紹介します。

 『心の豊かさは,人生の豊かさにつながる』

 私は,自分の人生を豊かに過ごしたいと思います。ただ,私の考える豊かさとは,あふれる物や何でも買える大金ではありません。自分の体や心の状態が豊かであることだと思っています。また,それは自分ひとりだけでは決して得られるものではなく,他人との関わりにより得られるものだと思います。
 確かに,生きるためには多少のお金は必要だし,現代の生活から通信機器や電気製品などをなくすと,便利さに慣れきってしまっている私たちは生活に困ることでしょう。でも,たくさんお金があっても,自分が病気で体調がいつも悪ければ精神的にもまいってしまうでしょう。また,私がテレビで見た大富豪の人は,一生遊んで暮らせるほど莫大な財産はあるが,家族も友達も全くおらず,生きがいと呼べるほどの楽しみもない,ただ人生を浪費しているような生き方をしていました。私は,そんな生き方を知った時,何て哀しい生き方をしている人なんだろうと思いました。だから,経済的には豊かすぎるほど豊かでも,決して心は豊かにはなれず,自分の人生も豊かにはできないと私は思いました。
 むしろ,経済的に苦しかったり貧しかったりしても,心がいつも豊かであれば,人生の豊かさも得られるのではないかと思います。子どもの私が言うのも何だか生意気ですが,心が豊かであるためには,信頼できる友人がいること,笑顔を絶やさないこと,生きがいや夢をもつことなどが必要だと思います。それはどれもお金のかからない,自分の気持ちひとつでできることです。そして,そういったことに価値を置き,大切にしたり心がけることで得る心の豊かさは,そのまま自分の人生の豊かさにもつながると思います。だから,私は家族との絆を大切にし,自分の心にいつも希望と充実感で満ちているような生き方をしたいと思います。

『私の心が豊かになる瞬間は…』

 私の心が豊かになっていると感じる瞬間は,家族みんなで笑いながらご飯を食べる時です。というのは,たとえ小遣いをたくさんもらえても,両親とも仕事が忙しくて全く話ができなかったら嬉しくないからです。私は貧しくてもいつも家族が仲良く,一緒に笑ったり泣いたりするほうが嬉しいからです。だから,私は将来忙しいけど儲かる仕事よりも,休みがちゃんとあって,家族とふれあったり自分の趣味を楽しめる時間がとれる仕事に就きたいです。
 その他にも,とっても小さな事ですが私にはそんな瞬間があります。私が学校へ行く時,あいさつを返してくれるかなあとドキドキしながら会った人にあいさつをしたら,ちゃんと「おはよう」と返してくれました。その時心の中が温かくなったのを感じました。あいさつをして良かったと強く思いました。また,私が係として生活日記『仲間と共に』を一人ひとりに配った時,「ありがとう」と言ってもらえただけで,「いえ,こちらこそありがとう」と思わず頭を下げてしまいそうなくらい嬉しい。この時もあいさつを返してもらった時のように心の中が温かくなります。こういった心が温まった時が,心の豊かさを感じている時なのだろうなあと思います。私はこんな瞬間をたくさん感じられる生き方がしたいと思います。

『豊かさは身近にあった』

 高度経済成長以降,多くの人々は経済的な豊かさこそ,人生の豊かさにつながると考えていた。でも僕は,人生の豊かさとは多くの人があたり前に感じている,ごく平凡な日常生活にあると思う。
 でも,それは失って初めて分かるものかもしれない。人間,欲を持たない人は一人としていないと思う。僕はカラーテレビを持っているが,やっぱりプラズマや液晶テレビも欲しい。他にも自分が欲しい物はたくさんあるし,その数が増えれば正直嬉しいと感じるだろう。
 しかし,地震や火災などによって生活のすべてを失った時には,気付くかもしれない。物は金で取り返すことはできるが,大切な家族や場所を失えば同じ生活は二度と取り戻すことができないということを。
 そう考えると,僕は自分の周りにあるすべてがすごく大切で,平凡な日常生活こそ実は人生の豊かさにつながっているのではないかと感じる。親がいて,家があって,学校があって,友達がいて,先生がいて,勉強ができて,食べる物があって,安心して寝ることができる。このあたり前だと思われる生活が送れなかった時代もあっただろう。この上なく,今の僕たちを取り囲む環境は豊かなのである。便利さや物に囲まれる生活を追求する人生ではなく,友達や家族を大切にし,環境を守り,支え合える社会を創りながら生きていくことが最も豊かな生き方だと僕は思う。豊かさは平凡な日常生活の中に眠っており,それに気付いて大切にする人は,豊かな人生を歩めるのではないか。人生の豊かさは身近にあると僕は思う。

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夕焼けのビッグレインボー

年齢 : 性別 :女性 職業 :学生 住所:県内 安浦町 

 今日,とってもゆう大なものを見ました。とってもきれいなものでした。
 ななななんと,とーっても大きくてきれいな「にじ」を見たのです。
 最初,犬の散歩のと中で見つけて(あっ,にじ!)ぐらいにしか思わなかったのに,どんどんどんどんはっきりとした色が出てきて,思わず橋にこしかけて見ていました。
「ワー!きれい!大きいなぁ。」
雲でてっぺんの部分がかくれていたけれど,とっても大きくアーチがえがかれました。
「大きーい。すっぽり自分がにじの中に入っているみたい。」
 そのとき,にじと夕焼けが重なったときだったので,とっても得した気分になりました。
 にじは歩いて渡れそうでした。

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伝承の継承

年齢 :30代 性別 :男性 職業 :教職員 住所:県内 安浦町

 整然と同じ向きに揃えられた40足のくつ。
 夏休み中,音楽の練習にやってきた子どもが次々と体育館入口にならべたくつの様子です。
 だれかがきちんと揃えるように注意したわけではありません。これは,先輩から受け継がれたことであり,子どもたちは当たり前の行動としてやっているだけです。
 でも,よく考えてみると,これは当たり前のことであっても,続けていくことは並大抵のことではないと思い,うれしくなってきました。ただ単に音楽の演奏技術を向上させるだけでなく,先輩から受け継いだすばらしい伝統を継承することによって心までも育てているのだなということに気がついたのです。
 そして,先輩から受け継いだこの伝統は,途切れることなく後輩へ引き継いでほしいと願ったしだいです。
 子どもたちから,とても気持ちのよい朝をプレゼントしてもらいました。

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ホタル

 年齢 :10代まで 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内 安浦町

 ホタルを見に行きました。
 はじめは,おばあちゃんがもってきたかいちゅうでんとうで,てらしました。草が生えているところは,空のほしみたいでした。
 つぎにはしをわたりました。わかれ道がありました。左の道へ行くと,ホタルがたくさんいるばしょになります。おにいちゃんが,あみでホタルをつかまえました。
「かわいそうだと思わんのん?」
と言いました。
 一回だけ,けっこんしているホタルを見ました。おにいちゃんが,
「あっ,このホタルそろそろしんでしまうね。」
と言っていました。わたしは,
「そうか。かわいそう。」
と言いました。
 帰る道の間,ホタルを見ながら帰りました。わたしは,
「ホタルになってみたい。」
とつぶやきました。
 まい年,ホタルを見に行きますが,ことしは少なかったようです。らい年は,もっといっぱいホタルが見たいな。

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共に生きるとは・・・よりよい方法を見つけていくこと

年齢 :30代 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内 安浦町
 わたしの家にはつばめの巣がたくさんあります。
 特に納屋には,既にいくつもの巣がかけられており,その下はふんでいっぱいで困っ
ているのですが,新たに家の入口の上にもつばめが巣をかけ始めました。
 そのつばめ夫婦は新婚らしく(?)どうしても新居がほしい様子で,いくらその場所
から追っ払ってもまた,そこに帰ってきては巣づくりを始めます。わたしは入口が泥や
ふんで汚れていくのがいやで,何とか追い払うことばかり考えていました。
 先日,おじいさんがその巣の下にたなを作ってくれました。追い払うことばかり考え
ていたわたしに対し,つばめと仲良くやっていこうと知恵をしぼってたなを作ったおじ
いさんの優しさに,わたしは自分の心のせまさを感じたのでした。
 困ったことに対して,自分の都合でひとつの解決方法しか考えないのではなく,より
よい解決の仕方を考えていくことが大切であると実感しました。

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カーネーション

 年齢 :40代 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内

 今年も「母の日」がやってくる。
 毎年,私は,ふたりの母に,心ばかりの贈り物を続けている。
 あるときはブラウスや手提げ袋,またあるときはコーヒーカップ…,決して高価なものではないが,毎年自分でも楽しみながら選んでいる。
 でも,ここ数年は,心引かれてやはり定番のカーネーションに落ち着いた。それも,思いっきり派手で元気な色を選んでしまう。今年は,真っ赤とピンクのカーネーションが寄せ植えされたものを選んでみた。
 小学生の時,「母の日」を前にして,担任の先生が,ご自身の亡くなったお母さんには白いカーネーションを供えるということを話してくださったことがあった。先生のお母さんが既に他界されていたことはもちろん,白いカーネーションの存在すら知らなかった私は,先生の話に大きなショックを受けた。確か図工の時間だったと思う。画用紙いっぱいに母の顔と横に赤いカーネーションの絵を描いていた私は,先生の白いカーネーションを想像してたまらなく悲しくなったのを覚えている。
 「亡くなったお母さんには白いカーネーション」なんて,今の時代はそんなことにこだわる必要はない。でも,真っ白なカサブランカや胡蝶蘭に比べて,同じ白でもカーネーションには,あまりにも寂しさを感じてしまうのはなぜだろう。
 すでに,70才を超えたふたりの母は,病院と縁が切れない日々ではあるが,何とか元気にしてくれている。
 今年も色鮮やかなカーネーションを贈ることのできた幸せに感謝したい。お母さん,いつもありがとう。

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新聞配達はエンジンを止めた

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :教職員 住所:県内:大野町

  早朝の新聞配達,ご苦労さまです。我が家へ届けてくれる新聞屋さんは,我が家を通り越し,次の家にバイクを止めて,歩いて届けてくれます。 おかげで,エンジン音で起こされることはありません。
我が家の前は坂になっていて,次の家がその頂上です。順に配れば楽なはずですが,坂の途中から発進すれば,当然エンジン音は大きくなります。我が家の前を通過するときは惰性で通り,頂上からはエンジンをかけずに降りていきます。
もちろん,頼んだわけでも,そうする理由を尋ねたわけでもありませんので,私の想像なんですが,きっと思いやりにあふれた温かい心の持ち主なんだと思っています。
明け方,暴走族の音がうるさくて起こされてしまったときに気づいたのですが,確かめたくて,次の日も早起きしたのを覚えています。

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つみ木

年齢 :10代まで 性別 :男性 職業 :学生 住所:県内:安浦町

 今日 おいのこうすけとつみ木をして遊びました。ぼくは,こうすけがつみ木をわたしてくれるから,そのつみ木でおしろみたいなのを作ってあげました。でも,こうすけはこわすのがとくいです。だからおしろはかんたんにこわされてしまいます。それでも,こうすけがよろこんでいたからうれしくなりました。

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春よ来い

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :会社員 住所:県内

 出張帰りの私は,18時50分の東京駅発「のぞみ」に乗り込んだ。
 座席に着くとまず,夕食用の駅弁を食べることにした。ふと隣を見ると,全く同じ駅弁を食べようとしている女の子。高校生くらいの年格好で,つい「同じ駅弁だね。」と声をかけてしまった。すると彼女も「奇遇ですね。」と笑った。
 東京駅にはかなりの種類の駅弁があったのに,その中から全く同じものを選んだ偶然が彼女と私との距離を一気に縮めた。しかも,行き先は同じ広島駅ということもわかり,彼女と私はぽつぽつといろんな話を始めた。
 今回,彼女は,受験のための上京で,ぱんぱんにふくれあがったトランクの中味は,殆ど受験対策の参考書だという。そして,将来建築関係の仕事に就きたいと明るく夢を語ってくれた彼女は,本当に輝いていた。
 彼女の夢を理解し,応援してくれている吉永小百合ファンのお父さんのこと,最近坂口健二の写真集を買ったという明るいお母さんのこと,屈託のない彼女とのおしゃべりは本当に楽しく,時折私たちは声をあげて笑いあった。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
 いつもなら,もてあまし気味の4時間が,この日だけは特別早く感じられた。
 広島駅に着き,乗り換え時間が8分しかないことを気にして,足早に駆けていく彼女の後ろ姿を見送りながら,私は祈らずにはおれなかった。
 楽しいひとときをありがとう。そして,すてきなあなたに必ず「春」が来ますように。

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しげん回収

年齢 :10代まで 性別 :女性 職業 :学生 住所:県内:安浦町

 今日,しげん回収がありました。そこにはトラックや車がたくさん出入りしていました。ゆたしは,カン,ざっし,新聞紙などを分けて大きなトラックに運びました。いろんな人が持ってきてくれたので,すごくしげんがありました。ほかに牛にゅうパック,ダンボール,ぬの,びんを分ける仕事をしました。もうどれもトラックいっぱいでたいへんでした。でも,たくさんの人とやるとすごく早く終わりました。
 わたしは「リサイクルはたいへんだけど,いいことになるからいいな。」と思いました。

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クゥちゃんの死

年齢 :10代まで 性別 :女性 職業 :学生 住所:県内 :安浦町

 わたしの家にはクゥちゃんというハムスターがいました。いましたというのは,クゥちゃんはもう永いねむりについたからです。
 その日,お母さんは調子がよくなくて寝ていました。わたしは,おばあちゃんの家にとまっていて帰ってくるまでの様子はわかりませんが,クゥちゃんは朝元気で回し車をまわしていたそうです。大好きなチーズも食べていたそうです。
「クゥ,クゥ・・・・・クゥ・・・お母さん,クゥが動かんよ。」
「ほんまに!?」
と,ゲージをのぞきこみました。お母さんは,
「ああ,もうこれは死んどるわ,つらいねえ。」
と言いました。
 わたしは,泣いて泣いて泣きました。
 おじいちゃんに言ってクゥちゃんをゲージから出してもらいました。わたしは見るのがつらかったのです。おじいちゃんは気をつかってかすぐにハンカチで包んでくれました。
 クゥちゃんはわたしの家に来て7か月になりますが,みんなから愛されて幸せだったと思います。クゥちゃんはもうかえってきませんが,わたしの心の中でいつまでも生き続けていくと思います。

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発表会 

年齢 :10代まで 性別 :女性 職業 :学生 住所:県内 :安浦町

 この前,ほいくしょの発表会がありました。
 みんないっしょうけんめいにがんばっていました。
 わたしの弟もがんばっていました。
 でも,おうちに帰ってから,弟はうまくできなかったとないていました。
 わたしは「〇〇くんなりにいっしょうけんめいやったのだから,なかなくてもいいよ。」
といいました。
 弟は,あんしんしたようになくのをやめました。

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絵手紙の向こうに

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内
 「可部線が廃止されるまでに,ぜひ一度,三段峡までの旅がしてみたい。」これが両親のとりわけ母の強い願いでした。
ちょうど紅葉のシーズンなので,混雑が予想されるだろうから休日は避けて,平日に二人してゆっくり行って来たいということでした。
病後の母の体調を心配しつつも私は時刻表でJRの発着時間を調べ,「いざとなったらタクシーにするんよ。」と送り出しました。
案の定,帰路は一部分タクシーになったようですが,お天気にも恵まれ,車窓の景色は最高,河原で食べたお弁当はとってもおいしかった。」と喜んで帰ってきました。
でも,この旅には,何ものにも代え難いおみやげがあったのです。
カメラを忘れてしまった両親に,呉から来られていた方が写真を撮ってあげようと快く申し出てくださり,先日それに絵手紙を添えて送ってくださったのでした。
写真の中で両親は微笑んでいました。すてきな方との出会いが両親の旅を一層思い出深いものにしてくれたことは言うまでもありません。その方の温もりのある絵手紙は,まさに温かいお人柄が感じられるものでした。ご親切にしていただき,本当にありがとうございました。 

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出会い

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内 

: テレビで特集番組をやっている。交通事故の真相が明らかにされないまま,加害者の罪が確定した。事故当時,加害者は飲酒運転だったにも関わらず,亡くなったオートバイの被害者にも非があるとされ,判決はあまりにも軽い罪。被害者の両親は「このままでは娘が浮かばれない。真実をとにかく明らかにしたい」と願い,「交通事故鑑定人」なる人に調査を依頼する。そして,ついに遺留品やオートバイから被害者には何の落ち度もなかったという事故の真相が暴かれていくというものだった。
しかし,未だに真相が明らかにされず,犯人が見つからないままの「ひき逃げ事件」は依然として多いと聞く。人を傷つけたのにそのまま逃げる,人として決して許されない行為……。

 私には,忘れられない出会いがある。
大学の時住んでいたアパートは,坂道を上った山の上にあった。もう少しだけ上ると大きな団地に続き,買い物など日常の生活に不自由はなかったが,通学や外出は常に坂道の登り下りを伴った。
アパートにピアノが置けなかったため,いつも大学の練習室を利用していた。普段は静かな朝の練習室も,レッスン日ともなるとさすがに混雑し,順番をとらねばならないほど繁盛した。
レッスン日のその日は確か2月,前日からの雪があたり一面を真っ白に覆う寒い日だった。アパートを出てすぐの坂道を下り始めたところで,後ろから車の近づく音,できるだけ道の端に寄り,やり過ごそうとしたときだった。何かに腰のあたりを押されたところまでは覚えている。気が付いたときに,まず目に入ったのは,真っ青に広がる空だった。その次に見たのは,上からのぞき込む男の人の顔。我が身に降り掛かかった事態をすべて理解するまで,そう長い時間はかからなかった。
雪道でスリップした車に押され,そのはずみに,私は道路から1メートルくらい下の田圃に落ちたのだった。
立ち上がった私に,運転手の男の人は,「申し訳ありません。病院に…。」と言った。私は動揺し,その場に立ちすくんでいた。その人は,散乱した教科書や楽譜を一つ一つ拾ってくれた。だんだん,ことの状況が飲み込めるようになってくると,今度は無性に恥ずかしくなった。レッスンのことも気になったし,コートもあまり汚れていない。脱げた靴を探して履きながら「別に何ともありませんから。」とその申し出を断った。差し出された名刺だけもらって,大学への道を急いだ。
レッスンも無事終わり,安心したのか急に体の変調に気付いた。腰と特に足に痛みが走る。よく見ると足首には内出血,うっすら血もにじんでいる。急に恐くなり,家に電話した。母からの連絡を受けた父が勤め先から駆けつけてくれ,とにかく近くの病院へ行くことになった。レントゲンの結果は異常なし。足首のけがの治療と腰には湿布薬。「今日だけは一応安静にしておいてください。」ということだった。
病院からアパートに戻る途中,私と父は改めて現場を見た。雪道で車のスピードが出ていなかったこと,落ちたのがたまたまガードレールがないところだったこと,田圃の雪がクッションになったこと,それらが幸いしたのだった。安心した父は,夕方帰っていった。

 その日の夜,アパートのブザーが鳴った。出てみると,朝の運転手さんが立っていた。「本当に申し訳ありませんでした。」彼は,深々と頭を下げた。
 そして,足首の包帯に驚き,「大丈夫ですか。」と尋ねた。見るからに気のやさしそうな人だった。病院に行ったことを伝え,「たいしたことないですから。」と言った。彼は,かえってこちらが恐縮するほど,何度も何度も頭を下げ,帰っていった。

 2日めの夜も,同じようにブザーがなった。今度は二人,職場の上司という人と一緒にその運転手さんの姿があった。彼は,「足は大丈夫ですか。他に痛いところはないですか。」心配そうに尋ねてくる。何だかおおげさだ,そこまでしなくてもいいのに…。

 3日めの夜,いささか煩わしくなった私は居留守をつかってしまった。足音が遠ざかるのを待ってドアを開けると,足下に小さな花束がひっそりと置かれていた。後味の悪い思いがずっとつきまとった。本当に心配して寄ってくれたのに悪かったなと思った。きちんと断わろう。「もう,お見舞いは結構です。」今度はそうはっきりと言わねばならない。

 4日目,勇んでドアを開けると,そこに運転手さんの姿はなく,代わりに女の人が立っていた。何とねんねこばんてんに赤ちゃんを背負ったまま・・。「このたびは主人が申し訳ないことをしました。今日は仕事が遅くなるので主人は来れません。」そうか,あの運転手さんの奥さんなんだ。赤ちゃんもいたんだ。背中の赤ちゃんはほっぺが真っ赤,まっすぐな目で私を見ていた。
次の瞬間,私はその場で,かえるのように跳びはねていた。もう1回跳びはねた。まだまだ足りないような気がして3回めを跳びはねた。今思うと,ご夫婦の誠意に答えねばならないと必死だったのかもしれない。驚いた表情の奥さんに,私は,言った。
「見てください。もうこんなに元気です。お見舞い,本当にありがとうございました。どうぞ,もう大丈夫とお伝えください。」
奥さんは,最後に深く一礼し,雪の中を帰っていった。ご主人と人柄が重なるような,ていねいな印象の人だった。
あの赤ちゃんは,きっとこの両親の生き方を見て,これからまっすぐに育っていくにちがいないと思った。決して自分を偽らない生き方をする。そう教えてくれた今も心に残る出会いの一つである。

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ゆうくんの宝

 年齢 :40代 性別 :女性 職業 :教職員 住所:県内 :安浦町

 昨日の夕方,帰るしたくをしていたゆうくんの机の横に,色水の入ったビニル袋がぶら下がっているのを発見。
「ゆうくん,これ何?」
「・・・・・」
それは,ちょうど金魚すくいで入れてもらうような袋でした。わたしは,その水袋が床に落ちて水びたしになることが心配でたまりません。
「どうしたん,これ?」
すると,ゆうくん
「金の水・・・。きれいじゃけん・・・。」
どうやら,それは図工の時間絵をぬるときにできた水入れの水の色がとてもきれいだったので流して捨てるのをもったいなく思い,ビニルに入れて大事そうにずっと机の横にぶら下げておいたものらしいのです。
その色があんまりきれいなので感動し,おうちの人にも見せたいと思ったのでしょうか。家に向かうゆうくんの手には,その水袋がしっかりと握られていました。

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親子ふれあいキャンプに参加して

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内:福山市 

 7月19日~20日,1泊2日で,福山少年自然の家の主催事業「親子ふれあいキャンプ」に参加させていただき,とても楽しかったです。
 私たち家族にとっては,夏休みの初っ端,華々しい幕開けとなりました。
 小学生の二人の子どもも,そして私も大満足で,またキャンプをしたくてたまらない状態です。
 なんといっても,たっぷりと自然を感じられたこと,飯ごう炊さんやダッチオーブンを使ったダイナミックな調理,薪割りなど,日常からかけ離れた体験が,新鮮で面白かったです。また,暗闇の中,少し離れたテントまで移動し,初めての寝袋も恐る恐る楽しめました。テントの中での子どもとの語らいも忘れられない思い出となりました。
 早朝の豪雨のため,楽しみにしていたカヌーが中止と聞いて残念だったのですが,スタッフの「命をかけてまですることはない。迷ったときは,安全を選ぶ。」というその精神に深く感銘しました。
 また,参加者全員をキャンプネームで呼ばれることも,個人としての尊重と感じられ,嬉しかったです。
 私にとって今回最高の思い出は,人と人のふれあいでした。当初の目的には,かけらもなかったことですが,初めて出会った人と仲間となり,交流し,心通い合うことが大きな感動でした。
 このキャンプを通じて,家族の絆を強く感じるとともに,子どもたちのやさしさやたくましさを発見することができ,感動体験となりました。
 帰り際,スタッフにお礼のあいさつをしたくても涙で声になりませんでした。
 今改めてみなさんどうもありがとう。
 自然の中でまた会いましょう。 

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父の日、母の日の贈り物

年齢 :50代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:県内:福山

 下宿しながら大学で学んでいる息子が母の日、父の日にささやかながら心のこもった贈り物を送ってくれました。父母に感謝と思いやりの気持ちを述べている手紙を読みながらも、息子の精神的成長がうれしく思えるものでした。

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卒業式で感動!!

 年齢 :40代 性別 :男性 職業 :自営業 住所:県内

 今日も息子は元気に地元の高校へと通っています。思い起こせば3年前,荒れる中学校の様子を見聞きする中,親子とも不安な気持ちで入学しました。親としては「勉強は得意でなくとも,せめて学校だけは楽しく通って欲しい」と願っておりました。けれど,垣間見えるのは荒れる中学校の様子ばかりでした。やがて,わが子もそんな学校へ行きたがらなくなり,転校の話が家庭の中で自然に出ました。わが家では,経済的・地理的なことだけでなく,「卒業生として私も私の親も通った同じ公立中学校にわが子を通わせたい」と考えて入学させたのに,こんな事が家族の話題になることが悲しくてなりませんでした。その秋に,中学校の体育館が焼失しました。学校も地域も騒然とする中で,「来年は新入生が減るのでは」という噂が流れました。わが子のことが気になりながらも,こんな時に転校を言い出すことが母校への裏切りになるような気がして,私には言えませんでした。
 2年生になると,新しい校長先生のもと新しい体制で「学校再生」が行われました。先生方の毅然とした態度での対応や生徒会を中心に生徒達のがんばりも見えはじめました。失敗することもあったようですが,息子に聞くと「みんなで考えて直していってるんだ。呼びかけたらきっとみんなも分かってくれる。」と言いました。また,地域でも次第に中学校への不満の声は減り,逆に応援しようという雰囲気も出てきました。私も地域の一人として,登下校する生徒へわが子と同じく声をかけ,気になることはドキドキしながらも中学校へ知らせました。
 3年生になる頃には学校は落ち着き,生徒達も積極的に物事にあたっていました。体育大会ではキビキビと楽しく競技をし,文化祭では生徒により地域の伝統的な踊りを披露しました。また,全校合唱では,年末によく耳にする「第九」をなんとドイツ語で歌っていました。ここまで学校や生徒が変わるのかと驚き,やっと親として安心して学校に通わすことができる,卒業生としてもわが母校を胸張って言えると思いました。
 そして3月12日。息子の卒業式に父親として初めて出席しました。仕事柄,参観日などにはいけずにさびしい思いをさせてきただけに,「父さん,母さん,今日,この時まで学校に行かせてくれて,毎日弁当を作ってくれてありがとうございました。」という言葉が心に響きました。この言葉で3年間の親としての苦労は一瞬に忘れ去られました。多くの感動で包まれたとてもよい卒業式でした。
 わが子の3年間は,ドラマのような劇的な変化と感動のラストを迎えられました。私は,学校・生徒・保護者がそれぞれの立場で努力すれば,短い時間でも素晴らしい中学校に変革できるということを身をもって体験できたと思います。卒業式での生徒会長のあいさつが,後日の学校便りで紹介されたので今も大事に持っています。これを読むたび,「わが子も同じ時を生き,乗り越えてきたのだなあ」と思うと涙が止まりません。長くなりますが,それを紹介して終わりたいと思います。今後とも,子どもたちが生き生きと通えるわが母校であり続けて欲しいと願い,地域の一員としても母校を支えていきたいと思っています。

〈卒業生からの答辞〉
 小さな花や大きな花,1つとして同じ物はないから,ナンバーワンにならなくともいい,もともと大切なオンリーワン。
 今朝,教室に飾られた花を見て,僕はこの歌を思い出しました。僕らが文化祭で歌った歌です。覚えていますか。
 3年前,この体育館で先輩達に迎えられ,僕たちは○○中学校の生徒になりました。その頃の○○中学校は,かなり荒れ放題でした。廊下・階段にガムが吐き捨てられていたり,トイレに煙草の吸い殻があったりしました。そして10月17日,体育館がたばこの火で全て燃え尽きてしまいました。ほんの数時間で何も残っていない状態になっていました。今思えば,その頃の学校の状態では当然の結果だったのかもしれません。それから,テレビに出ました。それはもうごく普通の中学校ではなくなった瞬間でした。「荒れる中学校」という名前が付いたのです。その時のショックは大きかったし,学校の中にいながら何も出来なかったことを後悔しました。それからの僕達は,○○中学校を立て直すために今まで出来ていなかった事に本気で取り組みました。あいさつや掃除,授業に向かう姿勢などを真面目にやってきました。今度はがんばっている姿をちゃんと見てもらおうと,文化祭などの合唱や劇も一生懸命やってきました。しんどい時もあったけど,みんなでやってきました。そうやって,中学生であるべきマナーや行動を身につけていきました。
 また,僕達は1年生の頃から,仲間を思いやる気持ちを大切に考えてがんばってきました。それは,授業中の教え合いや学校に来れていない仲間への声かけなどがそうでした。結果,学習旅行では4クラスとも全員揃って行くことができました。僕達の3年間の本当に嬉しかった思い出です。こんな優しさの部分だけが思いやる気持ちではないことも中学校生活で気づきました。時には,友達を指摘することが必要だと思いました。服装などのことを通して,指摘しあえる仲間こそ本当の親友なんだなと思いました。これは,これからの生活で重要なことだと思いました。
 こんなたくさんのことを一緒に学んでこれた仲間たち。いつも友達のことを温かく受け止めてくれた仲間たち。ここにいる3年生のみんなが僕には宝物です。別れていくのは辛いけど,みんなきっとそれぞれの道でがんばっていく,そう信じていれば僕もがんばっていけるような気がします。
 1,2年生の皆さん,今日まで先輩として僕たちを認めてくれて,一緒にがんばってきてくれて,本当にありがとうございました。僕たちはただ一生懸命日々を送ってきただけで,皆さんに何を残してこれたかは分かりません。でも,君たちは僕たちと同じでなくてもいいのです。皆さんの一人一人の一生懸命が,必ず新しいよりよい○○中学校を創っていけると思います。「信じよう!!支え合える友達は大切な宝物」です。だから,いつどんな時も仲間を大切にみんなでがんばって下さい。
 ○○中学校でこうしてがんばってこれたことは,ここにいるすべての人達のおかげです。父さん,母さん,今日,この時まで学校に行かせてくれて,毎日弁当を作ってくれてありがとうございました。まだまだ未熟な僕たちはいろんな事で心配かけると思いますが,これからもよろしくお願いします。先生方,いろいろ迷惑をかけたと思います。提出物や授業,クラブではお世話になりました。楽しく学校生活が送れたのは,先生方のおかげだと思います。勉強した内容は少しは忘れるかもしれませんが,ここで3年間,先生方と過ごした日々はずっと心の中に残っていくと思います。
 僕たちは,それぞれすばらしい心を持っています。そして,それを大切にしながら,いろんな夢に向かって○○中学校を卒業します。すばらしいオンリーワンを目指して,みんなとの思い出を大切にして,○○中学校から世界に飛んでいきます。

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命を真剣に考えている子供 

 年齢 :30代 性別 :女性 職業 :会社員 住所:県外:福岡県

我が家には小学4年生になる男の子がいます
ある日の夜,子供が布団の中に入って声を殺して泣いていたので
"どうしたの?"って聞いたら,"さっきTVで命のお話したでしょ?
その事を思い出して泣いてたの"って
子供は子供なりに命の事を考えてる
その後,この世に生を受けたものは必ず死を迎えることなどを話した
現在は物が豊富な時代で命の事を考える人が少ない中
いつまでも いつまでも命の事を考える人になって欲しい

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父の気持ち

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内

 市内へ通勤するようになって2年が過ぎた。片道1時間半かかるこの経路は,実は27年前に父が通勤していたと同じ道のりでもある。先日,所用で市内に出かけるという父と,久しぶりに同じバスに乗り合わせることにした。
「お父さんも昔,毎日この道を通っていたんだよねえ。」
「まさか,親子で同じ道を通うようになるとはね。」
「私は行きも帰りもほとんどバスの中で寝てるけど,お父さんも,寝てた?」
一方的に私がしゃべり,父は微笑みながら黙ってそれを聞いていた。
 しばらくして,バスが峠道にさしかかったとき,突然,父が「ここに小さな社があるが,知っているか。」と言う。峠を下りきったところにひっそりとその社はあった。正直なところ,その存在は知っていたものの,特に気を留めたことはなかった。というより,無信心な私は,ほとんど連日眠り込んだままで,通り過ぎている場所でもあった。何と父は,その社の前をバスが通り過ぎる時,毎朝心の中で手を合わせていたと言うのだ。
「何を祈ることがあったん?」
驚いて尋ねると,父は真面目な顔をして,
「道中の安全と家族の無事。」
その言葉に再び驚いた。往復3時間あまりの通勤途上,父もきっといろいろなことを考えていたのだろう。仕事のことはもちろん,母のこと,私たち娘のこと,自分の健康のこともあったかもしれない………,当時は今ほど交通時事情もよくなかったし,安全についてもきっと不安が大きかったことだろう。
 そして,当時の私は高校生,まさに多感な時期で,父とじっくり話をすることはあまりなかったように思う。家に帰れば仕事の話など一切しない父だったし,朝早く出て夜遅く帰ってくる父に,私は反発こそしなかったが,いくらか距離をおいていたかもしれない。だから,父がこの道のりを日々どんな気持ちで通っていたのかなど,知る由もなかった。父は,そんな当時の私にどんな思いを抱いていたのだろうか。
 私もあと数年で,そのときの父の歳になる。自らが「親」になって初めてわかる「親」の気持ちというものがあるが,今の私は,道中の安全と家族の無事を願う当時の父の気持ちが少しだけ理解できるような気がした。

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寒い中での温かいはなし

年齢 :20代 性別 :女性 職業 :会社員 住所:県内:福山市

: 広島県立福山少年自然の家主催事業「子ども自然体験クラブ☆冬☆~寒さに負けるな!ビバーク体験」でのこと。
 多少春の兆しが感じられるものの,厳しい寒さが続く2月半ばの土曜日,日曜日,1泊2日で小学3年生から中学2年生の26名と一緒にボランティアとして参加した。
 今回のボランティアは5名(高校生1,大学生2,社会人2)で,子どもたちと初めての「ビバーク体験」を敢行することとなった。
 さて,今回は開会行事からなにか雰囲気がいつもとは違い,子どもたちの表情に緊張と不安がありありと感じられた。しかし最初のプログラム"お互いを知り合うゲーム"になると子どもたちはあっという間に緊張感がほぐれて,すぐに仲間づくりが出来た様子で楽しいランチタイムとなった。
 午後は,里山の中で,今夜の寝床を作る作業が待っている。子どもたちは真剣なまなざしで説明に聞き入っていた。班編成は4班で小学3年生から中学2年生までだいたい同じように分かれて,私たちボランティアがリーダーとして加わった。さっそく班毎に分かれての秘密基地作り,先ずは,リーダーを中心に作戦会議だ。
 里山のどこでどうやって寒い夜を過ごすか,みんなで知恵をはたらかせての話し合い。そして思い思いの場所での基地作りが始まった。基地の場所探しに苦労する班,ビニールシートやシュラフ,毛布などをせっせと準備する班,延々と作戦会議を続ける班など,子どもたちの表情からも一生懸命さが伝わってくる。そして,中学生を中心に落ち葉集めや整地,枯れ枝を支柱代わりにしての屋根作りと,夜の天気を気にしながらのアイデア満載の寝床が出来あがった。子どもたちは自慢そうに寝そべったり,他の班の出来具合が気になるのか,こっそり覗きにいったりと,落ち着かない様子。
 日も暮れて辺りが静まった午後7時,いよいよテント生活が始まった。さっそく楽しそうな話し声や歌声が真っ暗闇の森の中のあちらこちらから聞こえてきたかと思いきや,心配していた冷たい雨が降ってきた。雪ではないのがせめてもの救いか。しかし基地の中は雨音も気に留めないのかどこも楽しそうだ。9時になりそっと他の班を偵察してみると,寝静まっている班があるかと思えば隠し芸や合唱が聞こえている班もある。盛り上がっていた私の班も中学生が皆を上手く落ち着かせて,10時半過ぎには寝静まりとうとう夜を越すこととなった。雨音は依然として絶えない。深夜1時と3時にベースキャンプに問い合わせたところ,外気温は3℃でどの基地も静寂とのことであった。安心してもう一眠りと思ってシュラフを持ち上げたところ何やら冷たく濡れているようだ。基地の中を見渡してみると,子どもたちの周辺にまで浸水してきており,継続か避難か決断を迫られる。外に出てみるとどうやら屋根の隅から雨水が伝って中に入っているようだ。心配していたことが発生した。子どもたちは私の動きを察してか目を覚ましてしまった。ベースキャンプからは,建物に移ったらどうかと勧められるが,全員健康面に変化はないし,大丈夫。子どもは「もう少しここへ居たい!5時半には山を降りるから居させてほしい」という。子どもの意思は堅い。やむなく寝る場所を確保するとともに,何時でも下りられるよう避難場所にストーブを準備していただくこととした。雨は遂に夜通し降り,止むことはなかった。約束どおり5時半ちょうどに下山した。驚いたのは,所長をはじめ職員の方,運営団体の方が避難場所に待機し,心配して見守っていてくださったことだ。早速子どもたちはストーブを囲んで暖をとった。
 6時半過ぎには他の班も全員元気で降りてきた。どの班も思ったより暖かかったし,ぐっすり眠れたようである。どうやら私の班だけがアクシデントに遭ったようで,子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 後のふりかえりでは,基地の出来具合いの良し悪しや体験談だけでなく,作戦会議や基地作りの過程のなかで,「人の意見を聞くこと」「自分の思いを伝えること」「みんなで力を合わせたこと」など,自分のことだけでなく,集団の中での自分と仲間とのかかわりについて聞くことが出来た。どの子も達成感と満足感に溢れ,そのうえ人を思いやるやさしくて温かい気持ちが,私にはうれしくて,言葉にならなかった。
 厳しくつらい体験であったはずの2日間は,子どもたちのかけがえのない笑顔と生きる知恵に勇気付けられ,私にとっても忘れられない感動体験となった。
 5年生のAさんは、帰り際私にそっと手紙を差し出した。
「リーダーこの2日間ありがとうございました。みんなちゃんと協力できたと思います。J(5年生)はみんなをまとめてくれていました。M(3年生)は楽しそうににこにこしていました。そしてT(中学2年生)はやさしくみんなに声かけをしていました。それにM(5年生)が楽しいことをたくさん言っていました。それとY(5年生)はみんなに気をくばっていました。本当にありがとうね。一番きつかったことは,やっぱり『テントづくり』です。でも一番楽しかったのも『テントづくり』です。『たきびをかこんで』はとってもあたたかかったです。とても楽しかったです。またきたいです。」
 再び眼にこみ上げてくる熱いものをこらえるのがつらい。
 いよいよお別れだ。「ありがとう!」「またくるね!」何も言わないが,そっと握手を交わす子,「また来てね!」「よく頑張ったね!」さわやかなフィナーレだ。
 手を振るたくましい後姿に,心配して過ごした一夜の疲れも吹っ飛んだ。
 次回もまた頑張ろう!

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母のノート

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内

 母が,心臓の手術を受けるために入院したときのことです。
 絵手紙の好きな母は,日々「書くこと」を楽しみ,家計簿の隅には小さなメモ風の日記を欠かさないような人でした。そんな母は,入院するとさっそくノートを買いこみ,その日のできごとを書き綴っていました。
「○日 採血,心電図をとる。」
「○日 執刀医の先生から手術の説明,主人と娘二人も同席。『人工弁』というものを始めて見た。」
「○日 主治医の先生が『明日の手術頑張ろうね。』と言ってくださる。」
というように手術日までの約一週間,ノートにはその日のできごとが記録されていました。
 やがて当日,母を手術室の前まで送り,父と姉,私にとっては長い待機の時間が始まりました。
 私は何をする気も起こらなくて,ふと母のノートに目をやりました。でも,今朝のページを見て,私は愕然としたのです。何とそのページに書かれているのは,一文字だけ。それもよりによって記されていたのは,「完」の一文字だけでした。姉にもそのページを見せました。そして,母は何も言わなかったけれど,危険性の伴う手術だけに覚悟を決めていたのだろうかと話しました。次の瞬間,たまらなくなって,このままこのノートを終わらせてしまっては,同じように母の命も終わってしまうような気がして,私たちが続きを書こうと決めました。まず,手術室に向かうときの母の様子を書いてみました。それから同室の方が見送ってくださった時の様子なども,できるだけ思い出して書いてみました。書くことで気を紛らわせていたのかもしれません。
 そして,3時間以上にも及んだ手術は無事終わりました。
 ノートには,執刀医の先生からの説明の言葉とともに,感謝の気持ちで「無事成功,ありがとうございました。」と書き添えました。それから,ICUで麻酔で眠っている母の手を握ったとき,温もりを感じた感動もノートに書きました。翌日,麻酔から目覚めた母が始めて発した言葉「今日,仕事は?」も記録しました。それ以降は,このノートを決して終わらせてなるものかという思いで,姉と交替で書きつづけました。「酸素マスクがはずれた。」「始めて,お粥を食べた。」「立って歩けた。」……回復を願い,治療記録として書き続けました。また,書くことで,私たちの気持ちも楽になっていったような気がします。
 実は,この話には,続きがあります。
 手術から1週間が経過し,普通に雑談が交せるようになったころのことです。私は母に思い切ってノートのことを尋ねてみることにしました。「お母さん,手術の日の朝,ノートに『完』と書いていたでしょ。やっぱり覚悟しとったん?お姉ちゃんも私もびっくりしたんよ。」と聞いてみました。それを聞いた母は,「何のこと?」と,きょとんとしていましたが,しばらくして「ああ,あの日はね,『浣腸』をしてもらったことを書こうと思ったけど,漢字が思いだせんかったんよ。」と一言。「ええー,何それ。浣腸の「浣」だったら"さんずい"がいるし,「腸」は盲腸の腸でしょうが。」「ありゃ,そうかいね。」それから,二人で大笑いしたことは言うまでもありません。落語の「落ち」のような笑い話,これまでの私たちの心配は何だったのかということです。その後すぐ,姉にも電話し,またここでも大笑いです。
 でも,こうして笑い話にできた幸せを,今,私たち家族は心からかみしめています。

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知らない方に子どもへの教育をしていただきました。

年齢 :30代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:県内

 先日,習い事から帰る次男を迎えにいつも通り駅に行きました。車に乗った子どもの様子がいつもと少々違うことに気付き,「何かいやなことがあったん?」と聞くと,「財布を落とした」と力のない返事。よほどショックらしく,ひどく落ち込んでいました。出札の方法を聞くと,正直に言ったら駅の人が「今度から落とさないように気をつけてね。」と,元気づける声をかけてくださったとのこと。そのことに感謝をしながら,落としたかもしれないという広島駅に電話をかけてみることにした。長男に至っては,「盗まれたんじゃない?」とまで言う始末。日頃からマナーの悪い大人の行動を見慣れているせいか,このような言葉が自然と出てきた。私自身も,きっと届いていないだろうと,半ば諦めて落とし物の部署に電話しました。
 「特徴は?」との問いに説明すると,「届いてますよ」と予想外の言葉。「え?本当ですか?」と,つい驚いて問い返してしまいました。聞けば,若い女性がホームで拾ったということで届けられ,権利を放棄して行かれたとのこと。名前を伺いましたが,告げられずに帰られたとのこと。本当にありがたく感謝しております。日頃から,「危ない」とばかり子どもたちに教えていた自分を反省し,まだまだすばらしい人はたくさんいらっしゃるのだと,改めて考える機会を与えていただきました。やはり,子どもの教育は悪いことからではなく,いいことで行うべきだと思います。そのような世の中になってもらいたいと心から思います。
 拾っていただいた方には,本当に感謝しております。ありがとうございました。
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母が私を救ってくれた

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:県内 :広島

 私が下宿生活をしていた学生の頃のことである。自分自身が生きることに行き詰まりを感じ,自殺を考えるようになった。当時の私の日記を読むと自殺が隣の部屋に居るようだと書いてある。長いトンネルの中にいて,はるかに出口が見えるか見えないかわからないような感覚であった。そんなある日,夢の中に母が現れた。毎日もくもくと働いている母の姿が見えるのだが,その時,私は胸の中に強く思わされることがあった。母のためだけでも私は生きて行かねばならない。一人息子の私が死んだら,母はどうするであろうか?その思いが私をして自殺を踏みとどめさせた。後年,そのことを思い返す時,涙でもって母に感謝する。母の愛が,私を救ってくれたのである。

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我が良き先生

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:県内 :福山市

 我がN小学校では先生が積極的にサッカーを教えて下さいます。それも土曜日の休みまで頑張っておられます。ついつい「先生ジュースでも飲んでくだしゃー」といらんおせっかいをしてしまいます。特に,この寒い中,汗を流しながら頑張る先生を見ていると,私もあと二十歳若ければ,先生になりゃーよかったと思いました。自己主張と平行に守りに入った先生は保護者としても魅力を感じませんが,我が良き先生は人間としても魅力を感じます。勿論,子どもたちは我々よりもっと敏感ですから,私以上に魅力を感じている事でしょう。この先生のおかげで学級崩壊もなくなり,我が子のクラスも安定してきました。一時期塾での学力テストも下がっていましたが,元に戻り安心しています。もっと嬉しい事に,お陰で先日のサンフレッチェのテストに合格した子どもがいます。先生がサッカーを始めてくれていなければ,力を秘めたこの子の実力を引き出す事は出来なかったと思います。
 教師とは,子どもだけじゃなく我々保護者にも周囲の人たちにも夢を見させてくれる職業だと思います。労働基準とは,嫌で嫌で食うために仕方なく仕事をする人を救う為の法律で,この先生のように労働基準は守らないけど,必死で子どもの力を引き出してくれる方には,県民としてはそれ以上の報酬をあげても無駄だと私は思いません。私も三人の子どもをこの学校へ通わせ,このような先生にお会い出来たのは初めてです。もっと以前からお会い出来ていれば良かったと思います。そしたらPTA活動にももっと積極的になれたと思うし,教育に今以上関心を持てたと思います。
 勿論,ご理解とご協力を頂いている学校長や教頭先生,教務主任,先生方々に感謝申し上げます。我が子もあと二ヶ月で卒業です。長男から10年間お世話になり,PTA会長も経験させて頂き,私自身もお世話になりました。学校とはいつまでもそんな所であって欲しいです。

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氷の道路にて

年齢 :50代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内 :大野町

 雪が降った翌日,私が車を運転中のことです。廿日市西高校の野球部の生徒さん2人が,雪と氷が残っている歩道を走っていました。しばらく行くと日赤の看護大学の前で中年の女性のバイクが転倒していました。女性は雪道の事故にわなわな震えている様子でした。先ほどの生徒が車道に出てバイクを起こしたり,手当をしていました。その後ろではトラックが待っていました。誰もが車から出て行くと自分の方がスリップするので,ことの成り行きを見守っていました。生徒さんはよくやってくださって,有り難うございました。久しぶりにとてもあたたかい気持ちになりました。
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私をわくわくさせた学校へ行こう週間

年齢 :60代以上 性別 :男性 職業 :その他 住所:向島町

 回覧で廻ってきた学校だよりに「学校へ行こう週間」の案内が書いてありました。11月1日から1週間,毎日どこかの学級でパソコンを使った学習をしているとのこと。82歳の私にはもう子どもも孫も小学校とは縁がありません。でも,今の子ども達がどんなことを勉強しているのか興味があったので学校へ出かけることにしました。
 子どもさん達の「おはようございます」という元気な声に迎えられパソコン教室へ入りました。そこはちょうど1年生がパソコンを使って足し算の計算をしているところでした。「どうぞ」と案内されて,あいたパソコンの前に座りました。どうしたものかと戸惑っていると隣の席の子どもさんが親切に教えてくれました。そして,この私にもマウスが使えるようになったのです。そして私も1年生と一緒に計算の結果に一喜一憂し,楽しく勉強をすることができたのです。わくわくした気持ちで次の日から毎日学校に通いました。さらに,学年があがるとインターネットを使って調べたり,デジカメで撮った写真を編集して文集を作ったりしています。小学生でこんなことまでできるのです。私にはまねができませんが,子どもさん達の姿を見ているだけで頼もしく思え,明るい気持ちになりました。
 最終日は5年生の「EM講習会」に行きました。子どもさんが司会をし,今までやってきたことをプロジェクターを使って説明し,その後,みんなにぬかを使ってEMぼかしを作らせてくれました。いろんな質問にも堂々と答え,私の子どもの頃とはずいぶん違うなあとここでもびっくりしました。
 学校へ行こう週間が終わり,少し寂しい気持ちになっていたら,鉛筆書きのきれいな字で1通の手紙が届きました。あの親切にしてくれた子どもさんが,EM講習会へ行ったことに対して丁寧な礼状をくれたのです。私は,うれしさで何歳も若返ったような気がしました。土産にもらったEMぼかしが発酵したら学校へ持っていって子どもさんに見てもらおうと今からわくわくしています。
 こういう立派な教育は,先生方のご努力のおかげと感謝しています。学校へ行ってみてよかったです。

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手紙

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内

 先日,連れ合いの実家に戻った時のことである。
 何気なくテーブルの上にあった薬箱を見ると,はがきサイズに切って作られた画用紙のかわいいメッセージが入れてあった。
 文面には,「おじいさん,おばあさん,寒くなるけどかぜをひかないで元気でがんばってくださいね。○○小学校5年○○○○より」と,一字一字丁寧な文字で書かれている。
 裏を見ると近くの小学校名がゴム印で押してある。きっと学校全体で取組まれたメッセージなのだろう。
 また,画用紙の隅っこには,折り紙で小さな「きのこ」を2つ作り,貼り付けてあった。そのきのこには笑った顔が描いてあるので,まるで2つのきのこが顔を寄せ合って仲良く話をしているようだ。
 思わず,「お母さん,かわいいですね。これどうされたんですか。」と尋ねてみた。
「この間,持ってきてくれとったんよ。近頃の子どもは,字も上手じゃし,折り紙も上手に折るし,何でもようやるよねえ。」
 母は本当に嬉しそうに目を細めた。
 毎日服用する薬箱の中に入れているので,きっと何度も見返したのだろう。
実家は,こたつもストーブも出ていて,すでに冬の支度,これから寒くなるけれど,母にとってこのメッセージは,一足先に「冬」を通り越し,ぽかぽかとした「春」の温かさを運んでくれたにちがいない。

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大竹高校生徒のボランティア活動

 年齢 :40代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内

 ある方からこんな話を聞きました。
 大竹高校では,地域と交流しながら花を植えて育てているということです。
 大竹市玖波に住所のお年寄りが,花を植えたいのだが,身体が不自由なので植えることができないでいるという話が,大竹高校の校長先生の耳に入ったそうです。このことを校長先生が生徒集会でお話をされたそうです。
 すると,野球部の生徒4人が自分たちの家の近所だという事で,自主的に練習休みの日に行って,花を植えてあげたというのです。
 そのお年寄りはたいへん喜ばれて,学校へお礼のメールや感謝状を出されたとのこと。

 大竹高校は地域と交流しながら花を植えて育てているということですが,同時に生徒の心も育てているんだと感動しました。

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お弁当

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :公務員 住所:県内 

 親元を離れて大学生活を送る娘からのメールは,気まぐれである。
おしゃべり感覚で,日に何度も送られて来る日もあるかと思えば,5日間くらい何の音沙汰もなく,結局しびれを切らしてこちらから「生きてる?」と送らねばならないこともしばしばである。
そのことを友人に話すと,「でも,連絡があるだけまだいいよ。女の子はいいね。うちなんか男の子だからね,全く音信不通よ。ただし,お金がなくなったときだけは別だけどね。」とこぼしていた。
まあ,時々連絡があるだけでもよしとするか。
そんなある日,娘からのメールが届いて驚いた。
何と,料理に目覚め,お弁当まで手作りを始めたとのこと。親元にいるときは,ほとんど台所に立つこともなかったので,まさに,どういう風の吹き回し?という感じである。
さっそく「お弁当のメニューは何?」と送信してみると,「卵焼きと豚肉のショウガ焼き,ポテトサラダ」とかえってきた。
これは本格的,「それはすばらしい。レパートリーがどんどん増えそうだね。」と送信しておいた。
数日後の新しいメールがまたまた傑作である。「ちゃんと野菜を食べる生活をすると,身体も心も元気になるね。お母さんも野菜を食べなきゃだめよ。」
暗に,お弁当づくりが三日坊主を克服していることをアピールしている。ここは素直に,返しておこう。「はい,わかりました。お母さんも極力野菜を食べるようにするよ。」
娘が一人暮らしを始めるときに,最も心配したのが健康に直結する食生活のことだったのでまずは一安心か。
「毎日作らねばと気負うとしんどくなるから,ぼちぼちおやりよ。」続いてくれればいいなと願いを込めて・・・・・送信した。

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バスの中で………

年齢 :10代まで 性別 :女性 職業 :学生 住所:県内

朝の通学バスの中のできごとです。
眠りこんでいた私は,横に人の気配を感じて目が覚めました。
見ると,赤ちゃんを抱っこした若いお母さんです。
肉付きのよいその赤ちゃんは,ぐっすりと眠っている様子でした。
抱っこしておられるので,とても重そうです。
席を譲ろうか,どうしようかと思いました。
私は今まで人に席を譲ったことがありません。
「何と言って声をかけたらいいのだろう。」
迷っていたそのときです。
私の前に座られていた女性がさりげなく若いお母さんの手に触れて,何も言わず席を立たれました。
「ありがとうございます。」
若いお母さんは,嬉しそうにお礼を言ってその席に座られました。
そして,バスを降りるとき,「さっきはありがとうございました。」と前の方に立たれていた女性にお礼を言って降りて行かれました。
横に鞄を置いて,席を独り占めにしたり,足を投げ出して座る人がいて転びそうになったり,いつものバスは頭にくることも多いけど,その日のバスは違いました。
特に声をかけなくても目で合図して席を立てば,席を譲りたいこともわかってもらえるかなあと思いました。
今度こそ,勇気を出せる私になりたいです。

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含蓄のある言葉

年齢 :50代 性別 :男性 職業 :その他 住所:県内

 仕事に行く道すがら車の中から必ず目を向ける一枚の掲示板がある。
 ある寺の掲示板であるが,法話等の案内とともに模造紙大の大きさで筆でかかれた言葉が常に含蓄を含み考えさせられる言葉ばかりなのだ。
 先月は,「人生やり直しはできないが,見なおしはできる」だった。
 今月は,次のように書かれていた。
 「頭をさげる 頭がさがる このちがいは大きい」
 確かに頭をさげるというのは自らの意識に基づいて行う行為であるし,頭がさがるというのは意識はしなくても人間としての本能,根源的な感性に基づく自然の中での無意識の行動と言えるのかもしれない。
 他人の行いを見ていて感動したとき,あるいはしてもらったことに対して感謝の念をもつとき人は自然に自らの頭を自然と下げていく。
 今日の社会にあってこうした自ら頭をさげたくなる場面は少なくなっているのだろうが,その無意識の行動を支えている「感謝」という気持ちはいつの時代にあっても忘れてはいけないことである。
 やって当たり前,してもらって当然という価値の中からは感謝の気持ちは生まれてこないし,社会貢献の考え方も生まれる余地はない。
 今の時代,親から子へ子から孫にこうした感謝であるとかいつの時代にあっても変わらない人としての生き方を含蓄のある言葉とともに語っていくというのは必要なことではないだろうか。
 「実るほど頭をたれる稲穂かな」
 いつものお寺の掲示板,次はどんなことを教えてくれるのだろうといつも気になりながら通勤の道を急ぐいつもの朝のひとときである。

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予期せぬお礼状

 年齢 :50代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:県内

  先日,職場の若い同僚に頼まれて裏山へクワガタ虫を採りに行った。この年になっても少年時代の心は衰えず,思いもかけず久しぶりにワクワクした気分を味わった。やぶ蚊に刺されながら,汗だくになってめぼしいクヌギの木の洞(うろ)を丁寧に見て回った。いい年の大人が100円ショップで買った虫かごを首から下げて木に取り付く姿を遠くで女房が笑っていた。幸い成果はあった。梅干の入っていたプラスチック容器に穴を空けて,腐葉土を敷いた。小さな虫たちを入れて眺めると幼い頃の感情が蘇えるようだった。
 翌日,意気揚揚と容器を下げて出勤し,同僚に手渡した。30代の若い同僚も,少年時代を思い出してか形相を崩した。しばしのクワガタ談義で職場は賑わった。
 後日,予期せぬことに出会った。クワガタを所望したのは,若い3児の父でもあった。小学2年生を筆頭にちょうど虫に憧れる年頃である。私は,この同僚から1通の封書を受け取ったのだ。開けて見ると,中には幼い子どもたちからの手紙があった。便箋一杯にクワガタ虫の絵を書いて,「おじさん くわがたいっぱい ありがとう おせわを いっぱいします」と習いたての大きな文字が踊っていた。片隅には,「くわがた虫ありがとうございました。子どもたちは大喜びで,虫かごにかじりつきです。」と母親からの一言が添えられていた。
 このようなうれしい礼状を頂いたことはなかった。近頃では,親が子どものすべきことをなんでも取り上げてやってしまい,子ども自身が社会的な体験の中で自己責任を学ぶことがなくなっていると聞く。私は,この同僚を心から褒めた。そして,若い世代にも,大切なことをきちんと伝える親がいることを頼もしく思った。
 私は,この予期せぬお礼状をもらって心を育てることの大切さを痛感させられた。
 早速,礼状への礼状を書いた。子どもたちはどんな気持ちで,私からの手紙を読んでくれたろうか。子どもたちの心に何かが生まれただろうか。クワガタを求めて木に取り付いたときと同じようにワクワクしたのだった。

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旅の贈り物

 年齢 :60代以上 性別 :男性 職業 :その他 住所:岡山県

 前略
 5月22日仲間5人で,開館5周年記念の平山郁夫展を見るべく電車で尾道駅で降り,バス停まで歩いたところで,心配していた雨が降り始め,前途が案じられる旅の始まりでした。
 しかし,バスでしまなみ街道を渡り,途中でバスを乗りついで美術館に着いたときには,薄日もさしており雨の心配がなくなったことを喜び合いました。
 美術館では,平山郁夫さんの業績と心を温かくしてくれるおうど色と,心に静かさを与えてくれるブルーの色の絵にふれ,感動し癒されました。
 昼食を終え,耕三寺の門をくぐると羽を広げた孔雀に迎えられ,寺の歴史にふれた後,背中にはじけるような孔雀の鳴き声を聞いて驚きましたが,羽を広げた孔雀に出会えたことにこれから良いことがありそうだと喜びあって寺を後にしました。
 美術館の横に出て交差点に向かっていたときでした。
 青信号で歩き始めた4,5人の小学生がすれ違う観光客に「こんにちは」と,元気な声で挨拶をし,観光客からも「こんにちは」と対応する声が聞こえました。
 この町にふさわしい良い子が育っているなと思いながら車道を横切り,美術館の前のバス停でバスを待っていました。
 学校帰りの小学生か三々五々バス停に集まってきました。まもなく14時32分の東廻りのバスが到着しました。子どもたちは行儀良く並んで乗降口を開けて待ち,わたしたちに,口をそろえて 「お客さんからどうぞ」と勧められたのには驚きました。
 「君たちからどうぞ」と勧めましたが,子どもたちから「どうぞ」と促されて,先にバスに乗りこみました。
 平和を愛する平山郁夫さんを育てた町を,また,この町を訪れる人もみんな大事にしようとする心が子どもたちに受け継がれて育っている姿にふれ,わたしたちはみんな感動していました。
 停留所で次々とバスから降りる子どもたちに,わたしたちは,感謝の気持ちをこめて「ありがとう」と礼を言いました.子どもたちは,「さようなら」と挨拶をしてバスを降りていきました。わたしたちの気持ちが伝わったのか,動き出したバスに手を振っていた子どもたちのさわやかな姿が,今でも目に焼きついております。
 絵から感動を受け,温かい町の息吹を感じさせてくれた子どもたちの,嬉しく心温まる旅のプレゼントを添えてもらってありがとうとお伝えください。

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「ありがとう」の言葉がうれしい 

年齢 :60代以上 性別 :男性 職業 :その他 住所:県内

 つい最近地域の学校へ出かける機会がありました。参観日ではなく,わたしたちが取り組んでいる活動について,「総合的な学習」で子どもたちに話をしに出かけたのです。
 わたしたちがやっていますことは,そんな大げさなことではなくほんのちょっとしたことです。誰かに話をするようなことでもなくましてや学校で・・・と考えましたが,先生の「是非お願いします。」という強い要望で引き受けることにしました。
 それから数日の間,どのように話をしようか。子どもたちが興味をもってくれるようにどんな資料をもっていこうかといろいろ考えることが多く仕事もなかなか手につきませんでした。
 10分以内ということでしたので特に伝えたいことを中心に原稿を作り,読み直してはまた直し,当日の朝まで原稿とにらめっこをしていました。また,話すだけではよくわからない部分もあると考えて,模造紙を使って絵を描き,資料として用意することとしました。
 いよいよ教室に入り,わたしの話す番がきました。先生から私が話しやすいようにと前もって紹介していただいたり,先生のお話もわたしが話すことにつなげていただいているようでした。
 しかし・・・・子どもたちの前に出るとあがってしまい,原稿をせっかく作ったのにどこを話しているのかも分からず・・・・持ち時間はあっという間に過ぎてしまいました。
 「これでは分からなかっただろうな」という思いと「やっぱりことわればよかった」という後悔する思いがしました。
 ところが,先生から「よくわかりました。子どもたちも大変勉強になりました。」という言葉とそれに続けて子どもたちの「ありがとうございました」という言葉と大きな拍手でさっきまでくよくよしていた気持ちがいっぺんにふきとんだのです。
 わたしの知り合いの中には,同じように学校へ行き,子どもたちの前で話しても何も言ってもらえず自分の話したことが,どうだったんだろうという思いだけが残った人がいます。
 子どもたちを伸ばしていくためには評価することが大切だといわれていますが,わたしたち大人であってもやはり何も言われないのと評価をしていただくとでは随分ちがいます。
 この学校では,つたないわたしの話を子どもたちの「ありがとう」の言葉とともに先生に評価していただきました。
 これから多くの学校でわたしたちと同じように子どもたちに向かって話をする人が増えると思いますが,わたしの体験したように先生や子どもたちからちょっとした評価をいただけるとありがたいと思います。
 また,学校で話してもいいかなと思います。

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心の掃除

年齢 :20代 性別 :女性 職業 :会社員 住所:県内

 私の職場に,毎日トイレの掃除をしてくださる方がおられます。たまに掃除中にトイレに行くことがありますが,「入ってもいいですか。」と声をかけると,いつも「いいですよ。どうぞ,どうぞ。」という声がかえってきます。明らかに掃除のじゃまなのに,気持ちよく対応してくださいます。時には,「床がぬれとるよ。すべらんようにね。」という声もかえってきて,こちらが恐縮してしまうほどです。
 別の機会にあるスーパーのトイレを利用したときのことです。入り口に「清掃中」の看板が立ててありました。中をのぞくと掃除は終わっている様子で,どうしても我慢できず,「入ってもいいですか。」と声をかけました。すると,返ってきたのは「看板が見えんのん?」の冷たい一言。確かに悪いのは私。でも,その冷たい言葉の響きに,ショックを受けてしまいました。
同じような状況の中でのまさしく対照的な二つのできごとです。
 職場のトイレ掃除をしてくださる方は,汗びっしょりになって掃除をされていて,トイレを出るとき,私は,「ありがとうございます。」という言葉が自然に出ます。そして,汚さないようにきれいに使おうと思います。
 トイレだけでなく,利用する者の心まで磨いてくださるすてきな方だと思います。

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つばめの宿

年齢 :40代 性別 :男性 職業:その他 住所:県内

 今年は,例年に比べつばめの来るのも早かったようで,まだ田に水の入らない3月20日頃から飛びまわっていました。
 そして,1週間もすると例年のように納屋の入り口付近に2,3組のつがいが巣づくりをはじめます。田に水が入るころになると巣づくりのピッチもあがり,4月の中頃になると数個ずつのたまごもかえったようで小さな鳴き声が聞こえるようになってきました。そうなると,親鳥はもう大忙しで,えさとなる小さな虫を探して終日飛び回ります。
 5月も中頃になると,ひなも随分成長したようで,親鳥が巣に帰るたびにえさをねだる鳴き声も日増しに力強さが感じられるようになってきます。ひなを驚かさないように納屋の周辺を通るときは物音を出さないように,下に落ちたふんの始末もこっそり行います。また,この時期になると天敵であるへびの来襲も心配で,へびが上れないように巣の周辺のものを片付けたり,鳴き声が聞こえないと心配になって用も無いのに納屋のあちこちを歩き回ります。
 先日のことでした。ひなのからだも随分大きくなり,えさを求めるとき巣からからだ半分以上のりだしていた一羽が,とうとう落ちてしまったのです。私が見つけたときは,落ちてからそんなに時間が経ってはいないようで,ひなはか細い声で鳴いていました。親鳥も巣の中の異変に気がついたようでしたが,どこに我が子がいるか分からないようで納屋の入り口付近に心ぼそげにとまっていました。
 私は,とっさに脚立を出し,手袋をはめてひなを巣にもどすことにしました。落ちたひなはつかまれても身じろぎもせず,ただされるままになっていました。3mはあろうかという巣に私の持ってきた脚立では届かず,一番上に立ってやっと巣に届くかどうかというところでした。ですから,巣に押し上げるのがやっとですわりのいい位置に戻せないままとなりました。
 しばらくすると親鳥が近づいてきましたが,いつものように巣に近寄らず暫くの間はまわりをまわっていました。
 そのときです。「ピーピーピー」と巣の中からえさを待ちきれなくなったひなたちが一斉に鳴き始めました.地面に落下したあのひなもその鳴き声の中にいるようでした。その鳴き声を聞いた親鳥はすぐに巣に近づき,いつものようにえさをやり,何事もなかったかのようにすぐ飛んでいきました。
 これから,ひなが自分で飛べえさが探せるようになるまで心配の日が続きます。
 最近,洗濯物等が汚れるとかで家につばめの巣をつくるのをきらう方もいるようですが,田の害虫を退治してくれるつばめたちのために,うちの納屋はこれからもつばめの宿として提供することにします。

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母の思い,娘の思い

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :その他 住所:県内

 この春から長女が親元を離れ,東京で大学生活を始めることになりました。将来の夢の実現に向かって着実に歩き始めた娘を心から応援したいという気持ちと,一方で会いたいときに会えない寂しい気持ちも予想以上に大きいと感じるこのごろです。
 3月の引越しの日,上京して,長女と高校生の次女と3人で荷物の片付けをしていました。表面上はにぎやかに作業しながら,こうしていても確実に別れの「とき」は近づいているということで心は揺れていました。
 荷物も片付いていよいよ別れのとき,私は,バス停まで送ってくれた長女に無理して笑って手を振り、バスに乗り込みました。胸にこみ上げるものを感じましたが,別れた後一人きりになる娘に最後に泣き顔を見せては不憫だと思いました。ここで絶対泣いてはならないと思いました。
 でも,バスに乗り込みバスが走り出したんだとたん,これまでの緊張の糸が瞬時に解けて涙があふれてきました。傍らの次女が「お母さん,私というものがおるでしょうが。」とひょうきんに肩をたたいて励ましてくれました。その気持ちも嬉しくて笑っているのか泣いているのかわからなくなりました。
 ちょうどそのとき,遠い日の思い出が鮮やかによみがえり,まさに情景が重なったのです。
 今から28年前,私の姉がやはり親元を離れ,短大に進むことになったときのことです。当時高校生の私と母は,引越しの手伝いに出かけました。気丈な母は,荷物の片付けやら当座の買い物,大家さんへの挨拶をてきぱきと済ませました。そうしていよいよ別れることになったとき,駅まで見送りに来た姉に私たちは笑って手を振り,汽車に乗り込みました。汽車はホームを離れ,私たちは何も話しませんでした。それからしばらくして,窓のほうを向いたまま動かない母に気付きました。見ると肩を震わせ,静かに泣いているのでした。気丈な母の泣く姿など,私はこれまで見たことがなくて,正直うろたえたのを覚えています。何か声をかけなくてはと思い,「お母さん,私がおるでしょ。」と言ったのでした。その私の言葉に母は笑い,泣き顔といっしょになって顔がゆがみました。

 まさしく,繰り返される「母の思い」であり,「娘の思い」であると思いました。
 12日の母の日に,長女からメールがとどきました。
「お母さん,いつもありがとう。お母さんのおかげで私はいつも元気に日々をおくっています。お母さんも元気でおってね。」

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母の宝物

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:県内

 先日,わけあって住み慣れた家を処分することになった。引っ越し荷物の整理をしていると物置の隅の方からボロボロになった菓子箱が出てきた。開けてみるとそこには昔懐かしい写真の他に幾つかの封書と紙切れが詰まっていた。だれがこんなものを大事にとっておいたのか分からない。父に聞くと,お母さんにちがいないということになった。思えば母は,何でも大切にとっておく性分だった。どんなガラクタでも捨てられないといっては,どこかへしまい込んだ。おかげで我が家の物置はどこもいっぱいだった。
 その菓子箱の中から,私の幼いときの写真と一緒にほんとに懐かしいものが出てきた。原稿用紙に赤ん坊の写真が貼り付けてあり,自分の出生の逸話が記されていた。それは,小学校1年生の時に,私が書いた作文であった。そこには,出産の時,母の命が危なかったことや両親の願いが記されていた。もっと驚いたのは,小学校1年生から高校を卒業するまでの成績表のすべてが残されていたことだった。毎年,学期末には通知票を親に渡した。別段,褒められた覚えもなければ,叱られた記憶もない。きまって「神さんに上げておきなさい」といわれて神棚に載せて手を合わせた記憶だけが残っている。
 先日,初めて我が子を小学校にやった。この子は,どんな人間に成長するのだろうか。できれば立派な人間に成長してほしい。あれやこれやと期待も膨らんだ。そのとき,母の菓子箱のことを思い出した。母が,あの作文や成績表を捨てられなかったわけが分かった気がした。我が子の将来に対する期待。母は,我が子への希望を捨てることができなかったのだ。今にして思う。私は,母の期待に応えただろうか。母に胸を張れる生き方をしているのだろうか。物置の片隅にあったボロボロの菓子箱が,今は私の宝物である。

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亡き友と卒業

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:広島市安佐北区

 3月10日、広島市立の中学校で3年間お世話になった我が家の長男の卒業式に出席した。彼の同級生N君も一緒に卒業した。
 N君は小学校時代から闘病生活を余儀なくされ、中学校に入学しても休みがちだったと長男から聞いた。
 1年生のときには、何とか出席していたものの2年生のときには、ほとんど出席できなかったという。詳しくはわからないけれど、折に触れて我が家の長男が付き合っていたらしい。
 そのN君が、今年1月に懸命の治療の甲斐なく旅立った。あと少しで卒業だったのに…
 葬儀には、級友をはじめとする同級生が参列し、校歌を斉唱してN君をおくったという。
 卒業証書授与式では、緊張した生徒たちが、名前を呼ばれるごとに元気よく「はい」と応え、壇上に上がり校長から証書を受け取る。
 「N・・・。」 
 担任がN君の名前を呼んだ。2人の生徒が歩き出し、壇上に上がった。ひとりがN君の遺影を携え、もうひとりが証書を受け取った。二人はN君のクラスメートだった。
 卒業式終了後、教員や保護者、在校生が卒業生たちを見送った。担任に先導された卒業生は見送りのトンネルを笑顔いっぱいにくぐり抜けた。
 長男のクラスが、N君の遺影と共にやってきた。日ごろ何もしてやれない私は、精一杯の拍手を贈った。
 突然、列が止まりN君の遺影を囲むように輪ができた。
 「僕たちはNに生きることの大切さを教えられました。Nの分までしっかり生きようと思います。写真は(肉親の方に)お返ししますが、Nは僕たちの心にいます。いつかNとまた会えるような気がします。」
 クラス代表が大空に顔を向け、精一杯の声で想いを述べたとたん、何が始まったのかわからなかった周囲の者は、皆、心打たれ、熱いものが頬を伝っていた。
 このことは、誰に言われたことでなく、クラス全体で考えたことだという。
 学力は劣るが、この輪の中に我が家の長男がいたことを私は誇りに思いたい。
 公立高校の合格発表前だが、そんなことよりN君のことを真剣に考えている我が家の長男、そして級友のみんなを思いっきり褒めてやりたい。

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天国に旅立った奈菜ちゃんへ

年齢 :60代以上 性別 :男性 職業 :その他 住所:東広島市

 東志和小学校から「奈菜」ちゃんへお手紙をいただきました。その一部を紹介させていただきます。

ななちゃんへ
 みんなにお手がみありがとう。 こうつうじこというのはとっても、こわいものだね。
わたしは、けいけんしたことがないのでわからないけど、あぶないじこだね。わたしも、ななちゃんみたいなやさしいねこちゃんがほしいなとおもいました。
1年生
天ごくのななちゃんへ
 ななちゃんいたかったね。しょうがっこうの、1ねんせいのみんなは、ななちゃんのこと、かわいそうだなとおもったよ。ななちゃん天ごくでも、きをつけてね。1年のみんなもきをつけるからね。いつまでも、ななちゃんのことみまもるからね。
1年生
天ごくへいったななちゃんへ
 ななちゃんは、とてもやさしい人にひろってもらったんだね。おじさんとおばさんと、ななちゃんとちゃたろうくんとで、くらしたんだね。ちゃたろうくんは、こうつうじこにあってもたすかってよかったね。ななちゃん、かわいそうにね。わたしは、さみしいよ。
1年生
ななちゃんへ
 ななちゃんは、車にはねられてしんでしまったけど、ななちゃんが天国から、「車に気をつけてくださいね。」といってくれました。ぜったいそのことはまもります。わたしもななちゃんを、どうろのそばによせてくれた人みたいに、やさしくなりたいです。
いつまでも、わたしたちのことをみまもってください。
2年生
ななちゃんへ
 ななちゃんのてがみを、先生がよんでくださいました。いきものってたいせつなんだなと思いました。どうぶつがはねられたりびょうきになったらいやだよ。天国からみまもっててね。おねがいだよ。わたしの犬がしんだときさみしかったよ。みんなでないたよ。
2年生
ななちゃんへ
 2月26日の朝 ななちゃん天国に行ったね。ななちゃんと茶太ろうくんとおくちゃんでいっぱいあそんだよね。たのしかった。またあそびたいよね。かわいそうだね。
 ななちゃんひとりぽっちで、だいじょうぶ。みんなにあいたいよね。ひとりぽっちでがんばってね。
2年生
ななちゃんへ
 ななちゃんさいしょはすてられて、食べるものもさがせなくて、おなかがすいていたんだね。でもおじさんおばさんにひろわれて、魚のほねとか食べさせてもらったね。とてもしあわせだったんだね。
 でも君が車にはねられてかなしかったね。また天国でもしあわせにね。
 2年生
天国の奈菜ちゃんへ
奈菜ちゃんお手紙読んだよ。 ときどき「けがをしないように」と思ってくれてありがとう。私はたぶんそこを通っていないけど、通っていた子は奈菜ちゃんの気持ちが伝わったんじゃないかな。私たち人間のせいで動物がどんどん死んでいくのはとても悲しいことだと私は思います。茶太郎くんたちもけがをしないように気をつけてください。
4年生
奈菜ちゃんへ
 奈菜ちゃんの家のおじさんが、奈菜ちゃんのことを書いた文を知っていますか。ぼくは3月6日水曜日に読みました。1年も生きられなかったらしいけれど、茶太郎やぼくちゃんより先に死んで悲しいことでしょう。今からも天国で登校する子どもを見ていてください。
4年生
天国の奈菜ちゃんへ
 茶太郎がたおれていたとき、通りがかりのおねえさんがひろって病院へ連れて行ってくれてよかったね。奈菜ちゃんもかるいけがですめばよかったのに。ぼくも車に気をつけるからね。 いっぱい いっぱい楽しい思い出は出来たと思います。それにやさしいおじさん、おばさんにひろわれてよかったね。天国で楽しい楽しい思い出を作っていっぱいいっぱいがんばってください。茶太郎も元気でいるといいね。
4年生
奈菜ちゃんへ
 天国では楽しくくらしていますか。さみしいですか。私はねこではないけど、車にはねられた犬をかわいがっています。奈菜ちゃんと同じようにノラでした。名前はジャンといいます。のらいぬだったけど、今は楽しくくらしています。天国で楽しくすごしてください。
4年生

きょう「心のやさいい東志和小学校の児童のみなさんへ」というお手紙をもらい、先生に読んでもらって感動しました。持って帰って家で何回呼んでも感動しました。最後の最後には感動して泣いてしまいました。ねこの奈菜ちゃんは「私は生まれてから、まだ1年も生きられなかったけど茶太郎やぼくちゃん、そして多くの人間にかわいがられて、とても幸せでした。」と書いてあったので奈菜ちゃんは、いろいろな人やねこに出会ってしあわせだっただろうなと思いました。 奈菜ちゃんは捨てられていたけど育ててもらえて本当に幸せだろうなと思いました。本当に感動しました。奈菜ちゃん短い間だったけれど本当によかったね。
5年生
お手紙
 きょう 学校で先生が、あるお手紙をみんなに配ってくださいました。それを先生に読んでもらうと、奈菜ちゃんは、まだ生まれて1年もたっていなかったこと、奈菜ちゃんには友達のねこがいたこと、よくおじさん、おばさんにかわいがられていたことが、よく伝わってきました。私はあの日、奈菜ちゃんがひかれたとき、見える位置にいました。どうして良いのか分らずに、私が迷っている間に死んでしまったのでとても苦しかったです。そばに寄せてあげておばさんに知らせました。 奈菜ちゃんは死んだけど茶太郎は助かってよかったです。うちのねこ「ニャム」は車にはねられました。でも何とか自力で帰ってきました。このごろの人は冷たいですね。 私はねこが好きだし、あのままだとかわいそうだから移動させたけど、やっぱりかわいそうだったな。
 このごろは、ねこの死体などをたまに見かけますが、いったいどうなっているのだろう。もうこれ以上生きものが車にひかれたり、はねられたりしないようにと思います。
5年生

ありがとうございました。
 今日天国へ旅立った奈菜ちゃんからのお手紙を先生が読んでくださいました。その中で奈菜ちゃんはとても楽しい日々を送っていたことがよく判りました。でも車にはねられて死んでしまって、すごくかわいそうだと思って涙が出てきそうになりました。
 だからおじさんやおばさんの淋しい気持ちはわかるような気がします。わざわざこのお手紙をねこの奈菜ちゃんの気持ちになって書いて持ってきてくださった方に「ありがとうございました。」と言いたいです。ここまでねこの気持ちがわかっておられるのは、奈菜ちゃんなどのめんどうをとてもよく見ておられて、生き物をとてもかわいがる、やさしい方たちだからだと思いました。
このお手紙を読んで、生き物の命は大切にしないといけないあと思いました。 お手紙を書いてくださった方に本当にお礼を言いたいです。

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心のやさしい東志和小学校のみなさんへ

年齢 :60代以上 性別 :男性 職業 :その他 住所:東広島市

 小川の水もぬるみ,ねこやなぎの芽もふくらみ,つくしの坊やが芽を出す3月になりました。
 私はきょ年の7月ごろ,なか中かねもち兼持のバス停の下の家の近くに捨てられました。生まれてまだ1か月ぐらいしかたっていなかったので,食べるものもどこを探していいかわからなくて,とてもおなかがすいていました。
 近くの家のおじさん,おばさんが私をみつけて,食べるものや水をそっと置いてくださいました。初めのうちは,すきをみては食べていましたが,だんだんとなれてきて,首をなでられたり,ひざにだっこをしてもらったり,天気のよい日にはおばさんが畑でしごとをするのを見にいくようになりました。
 9月の終わりごろおじさんの近くの小屋へ1匹の小さな茶色いねこが,まよいこんできて,時々私のいる家に遊びに来るようになり,2匹でいっしょに魚のほねやごはんを食べるようになり,庭でなかよくボールを追いかけてあそぶようになりました。
 そのうちに,おじさんの家の近くのYさんという家の「ぼくちゃん」という大きな茶色のねこが,遊びに来るようになりました。3匹で柿の木にのぼったり石のへいにあがって,日なたぼっこをして,とても幸せな毎日でした。
 柿の実が赤くうれるようになり,寒くなってきたので,おじさんがねどこにこたつを買ってきてくれて,私と茶色のねこは毎晩仲良くねるようになりました。
 おじさんは,茶色のねこに男の子なので「茶太郎」という名前をつけてあげました。茶太郎は私より小さいので,弟のようにいつもいっしょにごはんをたべたり,遊んだりしました。
 Yさんのおうちの「ぼくちゃん」は,道路の下を通っている土管の中を通って私の家に遊びに来ることを知り,私もそれを習って,ぼくちゃんの家にいくときは土管の下を通っていくようになりました。
 朝と夕方,東志和小学校のみなさんが私の家の近くを元気に行ったり帰ったりするのをみることもたびたびでした。
 私の家のすぐそばの道路は,自動車がスピードを出してたくさん通るので,みんなけがをしないようにといつも思っていました。
 お正月に,おじさんのまごが2人帰ってきて,私たちをなでてくれたり,こわごわだっこをしてくれてとてもうれしかったです。
 2日の日には,「またあたたかくなったら帰ってくるからね」「けがをしないように茶太郎くんやぼくちゃんと仲よく遊んでね」 といって帰っていきました。
 雪のふる寒い夜も,茶太郎と私は,いつものとおりあたたかいこたつの中へ入ってすやすやねむりました。おじさんとおばさんが,かい中でんとうをともして,私たちを見にきてくれ,もうふをかけてくれました。
 庭の木にいろんな小鳥さんが遊びに来て,えさ台でいろんなものを食べるのを見ながら,私たちはよく空をとんでみたいと思うこともありました。
 1月31日の朝,大変なことがおこりました。弟の茶太郎が車にはねられたのです。けがをしているところを東志和小学校のおともだちが見つけてくれました。通りがかりの,やさしいおねえさんが車をとめて,茶太郎をわざわざ西条の動物病院につれて行ってくださいました。
 2日たって,おじさんとおばさんが,西条の病院から,うしろの右足がおれ,こしをけがした茶太郎をつれて帰りました。私はそれまで,ひとりぼっちで,茶太郎はどうしてかえってこないのかと心配でねむることもできませんでした。
 おじさんがあたえた牛乳を少しのみ,ごはんも少しずつ食べ始めました。1メートルあまりあるねどこにあがるのが痛いだろうと,おばさんが低いところにねどこをうつしてくれました。
 私は茶太郎の体に消毒のアルコールのにおいがついているので,しばらくのあいだ別のねどこでねました。10日ぐらいたったら茶太郎が私のねどこに来てねるようになり食事もいっしょにしたり,となりのぼくちゃんとも遊べるようになりました。
 私とぼくちゃんが木にのぼったり楽しく遊んでいると,茶太郎は木にのぼれないので,うらめしそうに木の下でながめていました。少しあたたかくなったので,私と茶太郎は畑に行って,おばさんが大根をぬくのをみながら日なたぼっこをしました。
 東志和小学校のお友だちが,楽しそうな声をあげて学校から帰ってくるのもみえました。
 おじさんもおばさんも,となりのぼくちゃん方のおばさんも,私たち3匹がけがをしないかといつも心配してくれました。となりのおばさんも時々私のうちに来て3匹で遊んでいる,私たちをみながら「奈菜ちゃん,茶太郎くん,いつもぼくちゃんと遊んでくれてありがとうね」といってくれました。
 2月24日の日曜日の夜,私はおばさんがつくってくれた毛布のしきもののうえで,久しぶりにテレビをみました。
 おじさんは「奈菜や」「奈菜」といって私の首をさすりながらおいしそうにお酒をのみました。おばさんはNHKの大河ドラマをみながら「奈菜も大きくなったね」「茶太郎も元気になったね」と話していました。茶太郎は家の中に入らないので,おじさんが私をだいてねどこにつれていき,茶太郎といっしょにねさせてくれました。
 この日が,わたしが,おじさん,おばさん,茶太郎といっしょに過ごした最後の日となりました。
 2月26日の朝,私は車にはねられました。道路のまん中で口から血を出して息をしない私を,・・・・かぶさかから通っている東志和小学校のお友だちが見つけ,道路のそばによせ,ぼくちゃん方のおばさんにしらせてくれました。
 私をはねた人はだまって行ったそうです。ちょうどおじさんもおばさんも家にいなくて,ぼくちゃん方のおばさんは,まだ体のあたたかい,息のとだえた私をだいてタオルにくるんでねどこにねかせてくれたそうです。
 27日の夕方,ぼくちゃん方のおばさんがおじさんに電話をして,私がなくなったことを知らせてくれました。おじさんは息をしない私をみて,大粒のなみだを流しました。おじさんは,広島から帰ってきたおばさんに私が死んだことを話しました。おじさんとおばさんは,「さみしい」「さみしい」「可哀想に」といいながら,雨の降る中を私をだいて歩きました。2人は,川のそばにある,夏の日になったらももの色の美しい花を咲かせる「ねむ」の木の根もとに私をうめてくれました。おじさんとおばさんは,そっと手を合わせてないていました。
 次の日,おじさんとおばさんは,四国から持って帰った美しい石でおはかを作り,きれいなろうそくをともしてくれました。
 私は生まれてから,1年も生きられなかったけど,茶太郎やぼくちゃんと出会い,そして多くのやさしい人間にかわいがられてとても幸せでした。
 いつまでもいつまでもおじさんやおばさん,茶太郎やぼくちゃん,東志和小学校のお友だちのことは忘れません。
 本当にありがとう。
 東志和小学校のみなさん,車に気をつけてくださいね。遠い天国からいつまでも,
いつまでもみなさんがけがをしないよう祈っています。ほんとうにありがとう。

平成14年3月4日
天国へ旅立った奈菜より

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息子に感謝

年齢 :50代 性別 :男性 職業 :公務員 住所:海田町

 長男が中学校2年生、次男が小学校4年生の時です。
 長男が父親の私に「お父さん、子どもが親と一緒に何かをやりたいとか、何処かに行きたいと思うのは5年生までじゃけんね。僕はもういいけど、カズ(次男)はあと1年しかないんじゃけんね。」とポツリと話したことを今でもはっきりと覚えています。当時、家庭や子どもたちのことよりも、自分自身のやりたいことだけに目が向いていた私にとっては強烈な言葉でした。「この子は小さい頃から何一つ言わなかったけど、父親の私と一緒にキャッチボールをしたり、遊んだりしたかったのか。」と本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、これまで心の隅にずっとこの長男の言葉が残っていたのです。
 あれから早いもので十数年の年月が流れ、長男も結婚、昨年待望の孫が誕生しました。私は子どもにしてやれなかったことをこの孫に・・・という思いでいたのです。
 初めて孫を連れて帰省した日のこと、長男が私にこう話すのです。
 「お父さん。こいつに野球を教えることは,父さんにまかせるけんね。」私はその時ドキッとしました。「この子はやっぱり子どもの頃の寂しさを覚えていて、孫で罪滅ぼしをさせようと・・・」と思ったのです。
 そのあと長男はこう続けたのです。「僕は子どもの頃、父さんに色んなところに連れてってもらった。野球やスキーや釣りや、ボートで海水浴。キャンプにも行ったよね。はっきり覚えとるよ。僕も同じようにこの子に色んな経験をさせてやりたいと思うとるんよ。」
 私は、息子のこの言葉を聞いて返す言葉もありませんでした。確かに一回ぐらいずつは申し訳程度に子どもと一緒に行った記憶はあるものの、それまで私がずっと抱いてきた後悔の念とは余りにもかけ離れた予想外の息子の言葉に穴があったら入りたい気持ちでいっぱいでした。
 作家五木寛之さんの著書の中のこんな一節を思い出します。
 「この暗愁にみちた人生をはげましてくれるものは、日々のよろこびです。それ以外にはありません。年老いて老人ホームで孤独な生活を送っていても、数多くの過去のよろこびを思い出としてたくさんためこんでいる人は幸せです。くり返し思い出しても、それはすりへるどころか、歳月とともにますます輝かしく感じられるにちがいない。」
 年老いていく私たちだけではなく、子どもたちも同じです。寂しかったこと、腹が立ったこと、悔しかったことなど嫌なことは歳月がたつにつれてだんだんと薄れていきます。反面、「よろこびの思い出」は歳月とともにますます増幅し輝きを増していくのです。
 平成14年4月から完全学校週5日制が始まります。
 子どもたちの心に「よろこびの思い出」という輝く宝物をつくってやれるのは親でしかありません。同時にそれが親にとっても大切な人生の宝物になるのではないかと思います。
 親子(特に父子)がゆっくりと過ごせる時間はあっというまに過ぎていってしまいます。
 どうか与えられたこの貴重な時間を親子の時間として大切にして欲しいものです。
 「だめ親父」にこんなことばをかけてくれた息子に感謝・・・・・

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ちょっと早いバレンタインデー

年齢 :50代 性別 :男性 職業 :教職員 住所:向島町

 「あっ,ハートのにんじんが入ってる。」「あっ,ぼくにも入ってる。」方々からうれしそうな子どもたちの声が聞こえてきます。
 この日の給食のメニューのミネストロンスープの中にハート形のにんじんが入っていたのです。たまたまハートの形になったものではないようです。スープの底から次々と真っ赤なハートが現れてきます。にんじんハートに見とれていると子ども達の声がまた聞こえてきました。「これはちょっと早いバレンタインだ。きっと給食の先生がみんなにくれたバレンタインのプレゼントだ。」
 200人近くの給食にもかかわらず,にんじんを切って面取りをしてかわいいハートを作って入れてくださったのです。子ども達の喜ぶ顔を想像しながら作業をしてくださった調理員さんの姿が目に浮かんで来るようでした。

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かわいい手紙 

年齢 :40代 性別 :女性 職業 :その他 住所:広島市南区 

 我が家は小学校の通学路に面しています。普段、パートに出ているので休みの土曜日は布団干しでベランダは超満員(布団たちが)です。そんなわけで、枕は隅にちょこんと置かれています。
 ある風の強い土曜日、いつものように布団を干し、少し出かけていました。帰ってくると、干していたはずの枕が一つ、ポストの上に置いてあるではないですか?「きっと、風で下に落ちたんだ。親切な人がポストの上に置いてくれたんだな。」…と、感心していたところ、ポストに手紙がはさんでありました。それは、小学生が毎日の時間割や宿題を書き、家の方と先生との連絡にも使える『生活ノート』の1ページでした。
 手紙の内容は「すいませんそこのところのまくらがおちたのでひろいました。」(初めに名前と学年・組が書いてあり、文章はそのままです。)とてもうれしくなったひとときでした。

「多くの出会いから学んだこと」

年齢 :20代 性別 :男性 職業 :学生 住所:熊野町

 私は間もなく学生生活を終える大学4年生です。生まれ育った広島を離れて、大阪で4年間の大学生活を経験しました。最初は、これからはじまる大学生活への期待よりも不安のほうがいっぱいでした。もちろん、初めての一人暮らしですから、家事もすべてこなさなければなりませんし、仕送りなどをしっかり頭の中で計算しながら、その月の生計も立てなければなりません。
そんなこんなで、大学生活は始まりました。文化会所属のクラブに参加し、野外活動や地域ボランティア活動にも積極的に取り組みました。勉学に支障をきたさない程度の時間を見つけ、学習塾でアルバイトもしました。母校で教育実習もして、生徒や先生方とともに、2週間勉強しました。
最初は長いようにも思えた4年間も、あと数ヶ月を残すのみとなれば、非常に短かったと思えてきます。それだけ、多くを経験し充実していたのでしょう。
 私の経験から、みなさんにお伝えしたいことは、多くの人々に出会うことの素晴らしさです。私は本当に多くの人に出会いました。学部の友人はもちろんクラブ活動を通じて、学部学科を超えた友人もたくさんできました。夜間のコースも開校されている関係で、夜に授業をとられている方々とも仲良くさせて頂きました。中には、高齢でありながら、向学心を持ち続け、がんばっておられる方にお会いし、「私も負けてはいられない」と発奮したこともありました。教育実習でも、多くの出会いがありました。数年ぶりの母校で、学校の様子も変わっていて、戸惑うことも多かったのですが、いっしょに2週間すごした実習生や、先生方、そして明るい生徒の皆さんによって励まされました。
いろいろな人と出会った中で、親友とも出会えました。進路のこと、人間関係のこと、クラブのこと、勉強のこと、いろいろ相談に乗ってくれますし、逆に相談を聞いたりもしました。
 多くの友人知人は、長い人生において、大きな大きな自分にとっての応援団のような感じがしてきました。人的ネットワークを大切にしながら、これからがんばっていこうと思います。一期一会大切にしたいものですね。 

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ありがとう

年齢 :10代まで 性別 :女性 職業 :学生 住所:府中町

 2001年8月,受験生の私にとって夏休みは遊ぶ暇もなく,毎日が勉強の連続でした。塾にも通っていなかった私は,朝9時~夕方5時まで公民館の学習室を利用して,家に帰ってからも再び2時間ほど勉強。そんな息がつまった生活に私も次第にストレスを感じ始め,ほんの小さな事が私の神経を刺激し,身近な人にヤツあたりをしてしまうようになりました。勉強していても,私の頭の中には「早く,自由になりたい。早く受験なんて終わってほしい」の文句ばかりがさまよっていました。
 夏休み最後の8月31日。私はいつものように,勉強をしに,朝9時に学習室に行きました。すると,数人のおばさんが楽しそうに学習室を掃除していました。正直「早く,掃除して出ていってよ」と,私は勉強時間が減ることを不服に思いました。ドアのそばにつっ立っている私を見て,「ごめんねー,そこに座っていいよ」とあるおばさんが笑顔で言いました。私は無愛想におばさんが磨いた机と椅子に座り,おばさん達が出て行くのを横目にさっさと勉強をはじめていました。
 数分後,数人のおばさん方は出て行ったけど,先ほど「そこに座っていいよ」と言ったおばさんだけは1人残って,窓をぞうきんで磨いていました。学習室には私とそのおばさんの2人だけになりました。「早く出ていってよ・・・」と思っている私に,何の気なしに,そのおばさんが話しかけてきました。
 「大学目指してるの?」
おばさんの突然の質問に,私は戸惑いながらも答えました。
 「・・・いえ,専門学校です」
 「そう,専門学校かあ。頑張ってね。」
 「はい,ありがとうございます」
内心,私は,受験の辛さがわかってたまるか,そんな気持ちでした。
すると,おばさんは窓を磨きつつ,ポツリといいました。
 「がんばれ,がんばれ,がんばれ,がんばれ・・・」
 私のシャーペンを握っていた手が止まりました。一気に緊張がほどけて,すぅっと身体が楽になったような気がしました。と同時に目頭が熱くなり,涙がこぼれそうになりました。・・・嬉しかった。本当に嬉しかった。たった4つの「がんばれ」。だからこそ・・・嬉しかった。ガチガチに身を固め,精神を固め,私は何を考えて勉強をしていたのだろう。ただただ,「解放」を求めていたのかもしれない。「意欲」とか「将来」とか忘れ,無心に勉強しているよう見せていたのかもしれません。しかし,おばさんが言ってくれた「がんばれ」が私のカラカラの心にエネルギーを与えてくれたのです。マッチ売りの少女がマッチの火をつけたような気持ちでした。
 それから,私は必死で勉強しました。「将来」の自分を何度も思い描きながら。それでもくじけそうな時は,そう,おばさんの「がんばれ」を思いだしました。そして,先月,私は無事推薦に合格しました。頑張った自分と,あの時のおばさんの「がんばれ」のおかげです。二言,三言くらいしか会話したことのないおばさん。でも私にとって,とってもすごいおばさんなんです。8月31日以来,公民館でおばさんに会うことはありません。おばさんは私のことを,きっと覚えていないでしょう。でもいつか,合格の報告をしたいと思っています。そしていつか,言いたいと思っています。
「おばさん,ありがとう(^-^)」

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「よかった,みんながよろこぶぞ」

年齢 :50代 性別 :男性 職業 :教職員 住所:向島町

 2年生が生活科の学習で,同じクラスのAちゃんの家の畑を見学に行きました。野菜畑の見学の後,「キウイも作っているのよ,収穫してしまったからキウイは見えないけど,よく見ると採りこぼしもあるのよ。採ってもいいわよ。」Aちゃんのお母さんが言われました。子ども達は大喜びでキウイ畑に散らばっていきました。「あった」「見つけたよ」あちこちから歓声が聞こえてきます。しばらくして,B君がポケットにいっぱいキウイを入れてやってきました。ちょっと心配そうな顔をして「おばちゃん,このキウイ持って帰ってもいいですか」と尋ねました。「いいわよ」それを聞いたB君は「おばちゃんありがとう。」とお礼を言った後,目を輝かせながら「よかった,みんなが喜ぶぞ」と独り言を言いました。
学校へ帰る途中,「B君,さっき『よかった,みんながよろこぶぞ』と言っていたけど,みんなってだれのこと」と聞いてみました。すると「家族です。うちの家族はみんなキウイが大好きなんです。でも高いからなかなか買って食べるわけにはいきません。キウイをもらって帰ったらお父さんやお母さん,お兄ちゃん,みんなが喜んでくれると思います。」と答えました。うれしそうに答える彼の言葉から温かい家族のぬくもりが感じられました。物が豊かになった時代にあってほっとするようなステキな言葉でした。

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ゴミ拾いをする人

年齢:30代 性別:男性 職業:その他 住所:福山

 福山市のグリーンラインは自動車で山上の道路を走りながら,鞆の浦や瀬戸内海の景観を見渡せる観光道路です。所どころの展望台から見渡す瀬戸の海は絶景です。その展望台のすぐ下を見るとゴミや古布団やテレビが捨ててあり唖然としたことがあります。ある時,中年のご婦人がそれらの不法投棄されたゴミを拾い集めビニール袋にいれ乗用車で運んでおられる姿を見,思わず近寄って「ありがとうございます」とお礼を言いました。グリーンラインは福山市民みんなの道路です。自分の家の庭のように綺麗にするよう心がけねばならないものであろうと思います。
 私立中学の生徒達が,時々学校外の通学道路のゴミ拾いを全員で行っているのを見て感心しますが,道路はみんなのものであるという認識が大切と思います。

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息子のため,懸命に働くお母さん

年齢:50代 性別:男性 職業:会社員 住所:三原

 同級生で友人のK君は京都の大学に合格した。兄弟の多い彼の家庭では彼の学費捻出のため,お母さんは毎日,日雇い労務者として仕事に出はじめた。しかし,彼のお母さんは「毎日,過酷な仕事をしても辛いとは思わない。息子のKが京都で毎日一生懸命勉強してくれていると思えば・・」と語ってくれた。彼のお母さんの言葉はいつまでも忘れることのできないものとして私の心に残った。

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開発途上国の医療活動を志す医学部生

年齢 :40代 性別 :男性 職業 :会社員 住所:福山

 小家の息子は大学進学に際し,理工学部にするか医学部にするか決めかねている。それで,友人の息子さんで医学部生がいたのでお願いをしてうちの息子に会っていただいた。その医学部生は商社マンのお父さんが海外赴任をしていた時,ともに開発途上国で生活をしたことがあり,途上国の医療水準が劣悪な状況下にあることをよく知っており,医者になったら開発途上国の医療活動に従事したいとその意欲を語ってくれた。シュバイツァーのような崇高な志に頭が下がる思いでその医学部生の話を聞いた。
 私が高校生の頃,近所に下宿していた同じ高校の受験生は毎夜遅くまで勉強していたが,彼は下宿のおばさんに「僕は医者になって美人のお嫁さんをもらうため今は刻苦勉強に励むんだ」と言っていた。同じ医者を志すにしても前者と後者ではその価値は天地の隔たりがあるように思う。

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現在小4の娘が学校に行けなくなったのが2年前

年齢:30代 性別:女性 職業:その他 住所:岡山県

 入学当初から物がなくなることが多く、初めはかなりのんきな性格の娘が落としてるんだろうと思っていたのですが、ある日、筆箱の中を開けると中がからっぽ!その日からだんだん失くし物は増える一方でした。
 1年の3学期、算数の授業中、それまで使っていたはずの算数セットの時計がなくなってしまいました。
担任の先生も事の状況をやっと理解してくれたようでしたが、学校に行くと、吐き気がしたり、下痢になったり、手のひらにジクジクの湿疹が出て物も持てなくなってしまいました。
 それでも、学校は行くもの!!と私達親は思っていたので、泣く娘を引きずって連れていっていました。
でも、2年生の夏、ストレスからそうでなくっても小さい子が4キロも痩せて骨と皮のような姿になってしまい、通院していたお医者様に、
「このままでは衰弱して動けなくなる、転校を考えたほうがいいですよ。」
と言われました。
決めたなら早い方がいい・・と、2年生の3学期から今の小学校に転校しました。
 その頃の私達親は、娘のそんな状態が恥ずかしくって、転校に際しても教育委員会や学校に本当のことが言えませんでした。
体力の落ちた状態の娘でしたので、学校を毎日、送り迎えをしていたのですが、2週間後くらいでしたでしょうか、担任の先生と立って待っていました。
「お母さん、子供の体に大人の顔がのっているようです。毎日、ビクビクしてるんです。おうちでは、どうですか?」
 担任の先生と一緒にお友達と遊ぶことから始めました。
3年生になって、表情がすごくよくなってきました。
友達も、たくさん出来てきたようでした。
 ある日、先生から電話がありました。
学級会でのことだそうです。
討論をしていたら、熱が入りすぎてケンカが始まってしまいました。
それまでおとなしかった娘が、
「こんなケンカはイヤ!」
と叫ぶなり、教室を飛び出していってしまいました。
クラスの子達がどうするか、先生はほおっておいたそうです。
誰かが、
「みんなで探しに行こう」
と一言言ったら、みんなダァーっと教室を出て学校中探してくれました。
娘が言うには、校舎の裏にいたところ、クラスのみんなが名前を呼びながら走ってきてくれたそうです。
「もう、ケンカはせんからな。一緒にかえろ。」
その言葉は、すごくうれしかったそうです。
「私には、友達がいっぱいいるんよ。」
そうだね、いっぱいだね。
お母さんは、あなたがお友達のお話をたくさんしてくれるのが
とっても、とっても、うれしいよ。

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世の中まだまだイケる。と,思わせてくれた子供たちに感謝

年齢 :20代 性別 :女性 職業 :その他 住所:東区 光が丘

 私は20代の3歳の子供を持つお母さんです。実際,自分が母親という認識を持ちはじめたのは最近の事で,それまでは子供に対してどう接してよいのかハッキリ言ってわかりませんでした。それというのも私は,私が我が子を産むまでは子供と接した経験は無く,しいて言えば自分が子供の時に友達と遊んだくらい…。ですから,「子供」と言えば,「わがまま」とか「大人や回りに対して冷たい」など,かなりイヤなイメージしか持っていませんでした。(今思い返せば,それが全て自分自身への評価だったと思います。)そんな私が子供を産み,驚き,戸惑いながらもやっと「子供」,という世代の人間を認め,好きになったきっかけは…。つい,2週間前,我が子と一緒に森林公園に行った時のことです。
 オムツが外れて間もない我が子が遊んでいる最中,突然「オシッコー。」と言い出したので,急いで公園内のトイレに連れて行きました。オシッコは無事間に合い,さあ手を洗いに行こうと思った時,なんだか私もトイレにいきたくなり,我が子に「ママもオシッコ行ってくるからトイレの外側で待っていてね。」と告げると「うん,いいよー。」と言ってくれたのでトイレの外側で待っていてもらいました。
 …私と子供の行動の一部始終を見ていた人がいました…。それが小学生の子供たちだったのです。私が用を済ませ,トイレから出てきたら,我が子が手洗い場からブンブン濡れた手を振ってこちらに向かってくるのです。「はて?この子は手洗い場に手はたわないハズだが。」と,私は不思議に思い,「どうしたん?」と聞くと,「あそこのお姉ちゃん達が抱っこして手を洗ってくれたんじゃ~。」 我が子の指さす方向に目をやると,小学生たち。聞けば,その小学生達の中に我が子と同じくらいの兄弟がいる女の子がいたのです。その子にとっては毎日兄弟の世話をするのは当たり前の事だったらしく,子供が一人,トイレを済ませて突っ立っていたので手を洗うのを手伝ってあげることは彼女にとっては当たり前だったそうです。正直,感動しました。そして,今まで嫌なイメージしか持っていなかった私をとても腑甲斐なく思いました。
 どうして私はそんなイメージしか持つことが出来なかったのでしょう。私には子供に接する機会が全く無く,子供というのを大人の尺度でしか見ていなかった。子供だけではありません,赤ちゃん,おじいさん,おばあさんもそうです。……感謝

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