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尾関 高文さん(お笑いコンビ「THE GEESE(ザ・ギース)」)

印刷用ページを表示する掲載日2016年2月20日

 

 尾関さん

  

愛しのカープにあったかいひろしま県人。
僕の原点は故郷ひろしま。

 <プロフィール>
 尾関  高文(おぜき たかふみ)さん

 東広島市出身。THE GEESE(ザ・ギース) ASH&Dコーポレーション所属。
 キングオブコント2008・2015ファイナリスト。
出演 アメトーク・爆笑レッドカーペット・エンタの神様・オンエアバトル・ぐるナイ・飛び出せ科学くん他ラジオ、舞台などでも活動。
 好きな歴代カーププレイヤーはチェコ。

<インタビューの映像(概要)はこちら!>

カープ好きが高じて お笑いの世界へ。 

 尾関さんカープはメジャーじゃないけど頑張っていて、魅力があって愛することをやめられないチームなんですよね。10年以上も前からお笑いコンビを結成して活動をしていましたが、「カープ好き」として認知して頂いたのは、深夜のバラエティ番組でした。
 僕は幼い頃から野球が好きで、カープが好きで、プロフィールに“特技・カープを語る”という文言があっただけで番組のオーディションに呼ばれ、カープ芸人として注目されるように。ホント、何がきっかけになるかわかりませんね。

でも中学以来ひろしまを離れていると、カープの情報が全然手に入らなくなったんです。唯一、巨人戦はラジオで放送されるのでずっとラジオに耳を傾けていました。今まではカープが身近にあったけど、今はカープの情報もない。その時、ひろしまと離れてしまったんだということを強く感じましたね。

8月6日に生まれた僕という人間。

僕は8月6日に生まれました。ひろしまに原爆が落とされたのと同じ日です。
それもあって、毎年8月6日になると自分の誕生日であり「平和記念日」なので、黙とうをすることが習慣になっています。ひろしまを離れても8月6日は自分の事を含めて、ひろしまを思い出しますし強く意識します。

 小学校まで東広島市西条町で過ごしました。家の前の川で、大きいカメや水カマキリ、鯉を毎日捕って遊び、美しい自然に囲まれて暮らしていたんです。
 その頃、僕たち小学生の間で流行っていたのが“酒蓋集め”です。西条は酒処といわれるだけあって酒蔵が何軒もあります。酒蔵の酒蓋を集めまくっていたわけです。その理由が“蓋のデザイン”! とてもキレイなんです。いろんな種類の蓋を集めてただ眺めるっていう不思議な遊び(笑)。見たことない酒蓋を持ってくるとヒーローになれるんです。未だにキレイな酒蓋を見るとドキドキしますし、一升瓶の蓋を見るだけでひろしまを感じます。

 いま西条は都市的な街に変わってしまい昔の面影はないんですけど、未だに夢に見るんですよね。その頃遊んでいた場所とか。風景が未だに僕の心に焼き付いているんです。僕の中で一番濃い時間だったのかも。それをもう1度確認する目的で西条を歩いたりすることもあるんです。

 東京にいて感じるのは「匂い」の違いです。ひろしまの空気というか野山の匂いを感じると自分が生きてる感じがするし、匂いも含めて自然の一部だなって感じます。東京には街に匂いがないんです。そういう意味で、ひろしまの方が、人間的に生きていることを感じるというか(笑)。今は生きていくために仕事で東京にいますけど。歳をとったらその土地としっかり密着した暮らしをしたいので、ひろしまにはいつか帰ると思います。祖母の家が庄原市西城にあるのですが、今はその家に誰も住んでいないので、そこを改修して住みたいという夢もあります。

たくさんの応援に支えられて――
ひろしまを発信するお笑い芸人であり続けたい。

尾関さん 今、お笑い芸人として僕は、東京の人とひろしまの人から幅広いたくさん応援のメッセージをもらっています。東京でも周囲にひろしま出身者が多いので、同じひろしま出身の僕たちに愛着が湧くのでしょうかね。ありがたいことです。

 お笑い芸人なんて全国津々浦々、大勢出てきます。そういう時にはやっぱりひろしま出身であるということが武器になりますね。誇りというかアイデンティティというか、自分はひろしまから出てきた芸人だ、あそこの血を受け継いでいるぞという意識は常にあります。それでカラーが分かるので誇りに感じます。

 また、ひろしま県人はめちゃくちゃ人懐っこい。田舎のおじさんと話している感じというか、そういうほっとした感があるというか、わりと人の事を考えてくれるんです。こっち(東京)は、結局、物や番組がメインで、一人一人にちゃんとした対応をしてくれるところが少ないんです。一方ひろしまは、人と人が話してテレビ番組などいろんなもの作っているんです。番組のアシスタントディレクターさんなども、こっち(東京)では死んだ目をしてる人が多いんですけど、ひろしまでそんな人は見ません。楽しそうにしている人ばかり。ひろしまの人は、あったかい、ほっとする人が多いんですね。

 野山を駆け巡ったひろしま時代、小学校の友達との楽しい日々、あそこで生きてきたことが今の僕を作っていると言っても過言ではないかしれません。郷土愛もほかの人より強いしあの時代が僕の原点なのかも。

私にとってひろしまとは、今の私を支えてくれる街です。

 

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