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小法師 隆平さん(ファッションデザイナー)

印刷用ページを表示する掲載日2016年4月2日

小法師隆平さん

世界中で愛される服をデザインする。それがひろしまから出来ると思っています。

<プロフィール>
小法師 隆平(こぼし りゅうへい)さん 

広島市生まれ。大阪のファッション専門学校卒業後、セレクトショップに入社。
販売スタッフとして6年ほどキャリアを積み、平成21(2009)年に独立。
平成22(2010)年シーズンから自身のブランド「ナゲッツ」を立ち上げる。
Tシャツのみに特化する「ナゲッティ」では広島東洋カープとビームスとのトリプルコラボアイテムも展開した。

<インタビューの映像(概要)はこちら!>

僕が生まれ育ったのは広島市の西部、古江です。家が山沿いだったので「自然が近いな」というイメージがありました。もちろん、山でよく遊んだんですが、自転車に乗って海にも行っていました。商工センターなんかもよく釣りに行った記憶があります。全然釣れなかったですけど(笑)


高校時代にファッションの世界へ進みたいと思い始めました。そのころは、とにかくいろんなモノが見たくて仕方ありませんでした。東京をはじめとした大都市に行って、最先端のモノにずっと触れていれば、自分もその世界へ行けると思っていたんです。なので「とにかく、ひろしまに居てはダメ」っていう考え方でしたね。ひろしまを出たくて仕方なかった。
専門学校へ入学するのを機に大阪へ行きました。ひろしまを離れただけで「勝負しているぜ!」って感じがしたのを覚えています。

憧れだったファッション業界に身を置き、東京であるブランドの販売員をしていました。そこで先輩に連れられ何度か海外へ行かせてもらったんですが、その後ろ姿を見ていて「すごいなぁ」と。先輩は世界的に活躍されたデザイナーだったのですが、彼の姿を見ていて自分もやってみたいなって思いはじめました。

ファッションショー

 デザイナーとして独立したのは28歳。今思えば、もう無謀としか思えないくらい何も考えていませんでした。でも、根拠のない自信を持っていました。そんな中で、初めてデザインした服のサンプルを手にした時の感動は、今でも忘れられません。本当に我が子のようでした。そしてみずから立ち上げたブランドの初めての展示会を開いたんです。「さあ、これからだ!」と奮い立ちました。

これまでのつてを頼って招待状を出したんですが、朝から晩まで全然、人が来なくて。販売経験があったし、何となくやれると思っていたのです。けれど、いざ一人になってみると、ノウハウとか全く持ってなかったんですね。情けないというか悔しいというか。毎日のように泣いていました。初めてボキッと折れた感じがしましたね。
その時、気に掛けてくれていた広島の友だちから電話がかかってきました。「俺らが買うよ。オーダーするから」って。優しさ溢れる言葉でさらに号泣したのを憶えています。地元の有り難みを感じた瞬間でした。

 

ファッショナブルに楽しむ服をつくるのが、みずからのブランドコンセプトです。常に時代を象徴するものというか、“時代感”や“空気感”をまとえる服っていうのを心掛けています。良い服ってハンガーでかけていた時に、見ているだけで楽しくなるんです。そんなワクワクさせるような、存在感を放つ服をつくりたいなって思いますね。

ひろしまの若い世代もずいぶんオシャレになったなって思いますね。みんな感度もいいですし、流行の取り込みも早いなと思いました。僕らが10代の時は東京から大阪、名古屋とかで流行ってから、その後ひろしまだった。なので“結構遅い”っていう印象だったんですけど。今は“結構早い”というイメージがありますね。

歳を重ねるほどひろしま好きの度合いは増しています。仕事柄海外によく行かせてもらうようになって、なんかその海外の良い部分がひろしまにあるというか。僕がよく思うのがノルウェーやデンマークのような北欧は、あえて拡張しない町並みの良さがあることです。その良さは、ひろしまにも通ずるところがあるなぁと。

 2020年の東京オリンピックを終えると、僕は40歳を超えます。ちょっと先の話なんですけど…オリンピックまでは東京にいて、その後は、ひろしまを中心に活動したいなぁと。冗談のようで本気のようなところもあるんですけど。去年くらいから、結構、口に出して言うようになりました。オリンピックが決まった時に、自分で勝手に思い込んだのもあるんですけど。40歳がちょうどきりがいいなって、そろそろ帰る時かなって。

風景

今の時代は首都圏だけで動いていなくて、それぞれの地域で動いているっていう感もあります。僕もいろいろな地域に出張することが増えました。実際、いろんな街が、そういう風になっているなっていうのを肌で感じます。あと、良いタイミングでひろしまからの仕事が増えてきた時期だったんで、どんどんそっちの考えに変わりましたね。
“帰る場所”っていうんですか?鮭の感覚ですよね(笑) DNAに組み込まれている。僕のイメージですけど。ぐるっと回って、いろいろ見て、最後に帰る場ところがひろしまというか。

東京に迎合しなくても、そのままひろしまから世界に出て行くことは可能なんです。以前は「東京で結果を残して世界で勝負!」という感じでしたが、もうそういう時代じゃないですね。これだけSnsも発達しているんで、常に世の中の動向はチェックできますし。そういう意味でも、ひろしまへ帰ってもデザイナーはできるかなと思っています。

  

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