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史跡頼山陽居室

印刷用ページを表示する掲載日2015年6月25日

国史跡 頼山陽居室
 寛政12年(1800),当時21歳の頼山陽が脱藩の罪によって幽閉された居室。幽閉期間は3年にも及びましたが,山陽はその間,代表作の歴史書『日本外史』の執筆に着手しました。この居室は昭和11年(1936)に国の史跡に指定されましたが,被爆によって焼失しました。現在の居室は,昭和33年(1958)に広島県が復原したものです。
 当時の地図をもとに同様の位置に居室が復元されています。 平成26年11月に三桝正典氏によるくろがねもちの襖絵が公開されました。 
居室両側の襖絵を直接御覧になることができます。

 三桝正典氏は,現代美術作家で広島女学院大学教授。被爆当時,根株だけを残して焼けたが,5年後に不思議にも株から芽が生えたクロガネモチの木。その被爆樹木クロガネモチの持つ生命力と居室から放たれた頼山陽の力という不思議なつながりが感じられる,などの説明が作者である三桝氏から紹介されている。平成26年11月13日公開。

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