広島県庁舎 中庭のご紹介
広島県庁舎敷地有効活用事業の一環として、来庁者や県民の皆様に県庁舎中庭を鑑賞しながらくつろいでいただく憩いの場とするため、ウッドデッキを開放しています。
このページでは、中庭の歴史、構成、作庭者の思い等について紹介していますので、ぜひ参考にしていただき、中庭鑑賞をお楽しみください。
広島県庁舎中庭のプロフィール
広島県庁舎は、1956年(昭和31年)に竣工したスケールの大きなモダニズム建築です。被爆後10年が経った復興期に建築されました。それ以降、大きな改修や増築などが行われておらず、建設時の姿をほぼそのまま維持しています。1998年(平成10年)には、「公共建築100選」(国交省が設立50周年を機に選定)に選ばれています。
■竣工時(本館・南館・議事堂)写真(1956撮影)
中庭は、県庁舎建設時に「建物ならびに環境と調和した庭園計画をたて、平和的で県民に親しみ深いものとすること」を設計指針として整備されました。
この中庭を作庭したのは、国際的にも多くの作品を手掛けた造園家の荒木芳邦(あらき よしくに)です。
荒木が活躍した戦後から高度経済成長期は、伝統的な造園と近代ランドスケープデザインを融合した公共造園が各地で施工された時期です。このような時代背景の中で、機能性を有しながらも大胆な仕掛けを施し、従来の日本庭園にはみられない試みを行った特徴的な作品を残しています。
広島県庁舎中庭の歴史的な位置付け
広島は、毛利輝元が広島城を築城して約350年に渡り城下町として発展していました。そこには、縮景園に代表されるような文化財的な価値のある庭園もあったものと推察されます。しかし、それらは原爆によって消失したため、現在、広島市内に現存する庭園は、戦後に復元されたり、新たに造られたりしたものが主なものとなっています。
中庭は原爆で焦土となった広島の復興期の主な庭園
広島市内の主な庭園は下の表のとおりです。重森三玲や中根金作など関西圏で活躍した作庭家の作品が多く掲載されています。いずれも、被爆による復興が落ち着いてきた1960年以降のものです。
その中で、中庭は1956年に造られており、広島市内の復興期(1945年~1957年)に造られた庭園の一つであると考えられます。
名称 | 形式等 | 作庭年 | 作成者 |
---|---|---|---|
縮景園 | 池泉回遊式庭園 | 1620年(元和6年) | 上田宗箇 |
1788年(天明8年) | 清水七郎右衛門 | ||
1974年(昭和49年) | (復元) | ||
海蔵寺庭園 | 池泉回遊式庭園 | 1689年(元禄2年) | 不明 |
広島県庁舎中庭 | 枯山水庭園 | 1956年(昭和31年) | 荒木芳邦 |
桜花亭庭園 | 伝統的日本庭園 (モダニズム融合) |
1960年(昭和35年) | 重森三玲 |
半べえ庭園 聚花山(シュウカザン)の庭 |
池泉回遊式庭園 | 1970年(昭和45年) | 重森三玲 |
渝華園(ユカエン) | 中国式庭園 | 1992年(平成4年) | - |
頼山陽史跡資料館庭園 | 文人庭 | 1995年(平成7年) | 中根金作 |
被爆地HIROSHIMAとゆかりのある作庭者
中庭の作庭者である荒木芳邦は、関西の造園家であり、広島の名園を多く作った重森三玲や中根金作と同時期に活躍しています。日本庭園への造詣がある一方、国内外で公園などの公共造園も多く手掛けてきました。また、数寄屋建築の巨匠である吉田五十八との協働による作庭も多く行っています。
ただ、氏の初期の作品として、宝ビール迎賓館庭園(1963年)や将校会館庭園などがありますが、いずれも現存していません。したがって、本中庭は、荒木の活動の原点となる数少ない作品の一つと位置づけられます。
■建設時の広島県庁舎と荒木芳邦(資料提供:(株)荒木造園設計)
氏が活躍を行う中で、中庭と関わる心情として「被爆時に、工兵隊の一員として広島の街の隅々まで調査した関係上、その復興とか計画には、誰よりも強い情熱をもつものである。」と、被爆地広島との縁を回想しています。このことから、広島の苦しみや悲しみや復興時の風景をよく理解した作庭家であったのではないかと思われます。
以下、荒木が中庭の設計当時を振り返った想いを記録した文章を掲載します(資料提供:(株)荒木造園設計)。
広島県庁舎中庭の構成
中庭は、植栽で囲われた中に白砂の曲線の空間とそれを囲む芝生地、赤石による石組み、低く管理された松と青石貼りの突堤という極めてシンプルな造形要素で構成されており、日本庭園における枯山水の形態となっています。
中庭の設計意図
中庭がどのような考えで作られたかは、先に示した荒木の回想資料に示されています。その設計意図を要約すると、以下の2点になります。
1 瀬戸内海を想わせる景観の形成
- 白砂に浜松を植栽
- 建物際から突堤の如く石畳を出して修景
2 中庭の見せ方の工夫
- エレベーターのある庁舎であるため、各階からの眺めに配慮
設計意図に基づく鑑賞のポイント
上記の設計意図を基に、鑑賞のポイントを解説します。
1 瀬戸内海を想わせる景観の形成
県庁舎本館ロビーから望まれる白砂の屈曲した流れと、緩く起伏のある芝生地は、瀬戸内海を想わせる造形となっています。
- 白砂に浜松を植栽
風景の奥の方から流れてきた白砂が途切れる建物前に松が植栽されており、海辺の松越しに広がる穏やかな瀬戸内海の雰囲気が表現されています。
- 建物際から突堤の如く石畳を出して修景
建物の際から青石張りの堤が突き出しています。この突堤が、眺望空間の奥に向かって視線を誘導する効果を発揮しており、中庭に奥行き感を作り出しています。
そして、誘導された視線の奥に赤石による石組みが、視線を受け止めるように配置されています。
■1階正面ロビー中央からの景観
■1階正面ロビー北側からの景観
2 中庭の見せ方への意図
エレベーターのある庁舎であるため、各階から眺めても立体感があり、伏観(見下ろす景観)においても陰影の出るよう考慮されています。
上から俯瞰すると、瀬戸内海の広がりが眺望できるようになり、1階レベルの落ち着いた風景から、視点の高さを変えることによって、いろいろな要素が散りばめられた動きのある風景に変化します。
■2階正面ロビー中央からの景観
■2階正面ロビー北側からの景観
作庭者が触れていない鑑賞のポイント
以上、作庭者の設計意図に基づく中庭の鑑賞ポイントを見てきましたが、それ以外に作庭者が触れていない要素がいくつかありますので、併せてご紹介します。
1 亀の石組み
荒木は、中庭の石組みについて何も語っていませんが、亀をかたどった石組みがあります。
日本庭園の構成において、水辺や池に石組みの亀や亀島を置く構成はよくあります。「瀬戸内海を想わせる景観の形成」の意図において、水に関連する庭園要素として亀の石組みを置いたという理解ができます。加えて、「被爆からの復興」との思いから、広島の末永い平和な将来を祈念したとも想像されます。
2 雲間を飛翔する鶴
瀬戸内海を想わせる景観の形成要素として「白砂に浜松を植栽し、建物際から突堤の如く石畳を出して修景」された場所です。注目するのは、低く仕立てられた松と特徴的な形を持つ突堤です。
日本庭園では、低く仕立てた松を「鶴」に見立てることがよくあります。突堤についても、単なる堤防の形状ではなく水墨画などに描かれる雲の形状(瑞雲)が想起できます。これらのことから、雲間に飛翔する鶴を表現しているとも考えられます。
「亀の石組み」と「雲間を飛翔する鶴」の組み合わせから、「鶴亀の庭」が作為されたのではないかと考えられます。「鶴亀の庭」には「天下泰平、国家の長久を祈念し、祝福する」「不老長寿の願い」などの意味があるとされていることから、原爆で破壊された広島の復興と、その末永い安泰を願う意味が込められた造形かもしれません。
3 鳴門の渦潮
瀬戸内海を現す白砂空間の奥に、青石を張り付けたサークル状のへこみがあります。これは、渦潮を表現しているとされています。
この造形があることにより、白砂が瀬戸内の海を表現しているということが分かります。
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