昭和47年7月豪雨災害(三次市・庄原市)
(最大時間雨量40.0ミリメートル,死者・行方不明者39人)
概要
気象概況
梅雨前線は,9日から10日朝にかけて山陰沖から中国地方を通って瀬戸内付近まで南下した。このため広島県では9日午前中から所々で雨が降り始め,夕刻ごろには全域にわたって雨が降り出し,9日夜に入って所々で1時間雨量が10ミリメートルを超える雨になった。そして10日早朝には沿岸部の一部で1時間雨量が20~30ミリメートルを超える強い雨も降った。その後,梅雨前線は12日朝まで瀬戸内付近から九州北部にかけて停滞し,その前線上を低気圧が東進したため,雷を伴う断続的な大雨が降り続いた。その間の県内における24時間ごとの雨量分布をみると10日午前9時から11日午前9時までの総雨量は県中部以北100~230ミリメートル,沿岸部で70ミリメートル前後,11日午前9時から12日午前9時までの総雨量は県中部以北で100ミリメートル~240ミリメートル,沿岸部は50ミリメートル内外で,いずれも県中部以北に集中している。この後,翌13日の朝にかけては,前線がさらに四国南岸まで南下したため,12日夕刻ごろからは広島県の雨も全般に小降りになり,また13日から14日にかけても前線は多少南北の動きはあったが,ほぼ四国南部に停滞し,次第に弱まりをみせた。このため13日に入ってからは県北部では雨の止み間も多くなり,14日の夜に入ってからは全般にわたって,ほとんど雨は止んだ。9日午前9時から15日午前9時までの総雨量は三次の622ミリメートルを筆頭に県北部一帯では500ミリメートル以上,沿岸部でも200ミリメートルを超える記録的な大雨であった。
被害状況
記録的な大雨により,被害は広島県下全域に及んだが,特に県北部を中心として河川のはんらん,山・がけ崩れなどが発生し,各地で多数の死傷者をはじめ,家屋の倒壊,流出,河川の決壊,橋梁の流出,道路及び鉄道の損壊,田畑の流出,冠水などの被害が続出し,その被害は広島県史上未曾有のものとなった。
被害の概況は,次のとおりであるが,死者・行方不明者39人,負傷者105人の人的被害のほか,住家の被害19,208棟をはじめとして,農林地・公共施設などの被害総額は,約640億円に達した。
官署 区分 | 広島 | 呉 | 福山 |
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日降水量の 最大値 | 100.0ミリメートル | 116.5ミリメートル | 88.5ミリメートル |
同起時 | 7月11日 | 7月10日 | 7月10日 |
1時間 降水量の最大値 | 30.0ミリメートル | 40.0ミリメートル | 26.0ミリメートル |
同起時 | 7月12日 12時00分~13時00分 | 7月10日 02時50分~03時50分 | 7月10日 03時20分~04時20分 |
10分間 降水量の最大値 | 11.0ミリメートル | 14.0ミリメートル | 12.0ミリメートル |
同起時 | 7月12日 12時30分~12時40分 | 7月12日 02時50分~03時00分 | 7月12日 19時40分~19時50分 |
三次市 山崩れで不通となった芸備線(西三次~志和地間)
三次市 江の川,馬洗川,西城川のはんらんにより市街地水没
(市役所庁舎から三次駅方面を望見)
砂防指定地嵯峨川(現 府中市上下町有福)
被災後
完成後