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昭和63年7月豪雨災害(加計町(現安芸太田町))

印刷用ページを表示する掲載日2011年12月1日

(最大時間雨量57.0ミリメートル,死者・行方不明者15人)

概要

気象概況

 県内では,20日の午後から局地的に1時間に20ミリメートル前後の強い雨が降ったところもあったが,全般的に強い雨が継続して降っていた。しかし,夜になって前線活動が活発となり,急激に発達した雨雲が島根県三隅町付近から県北西部に入り,加計町を中心に雨が強まった。県北西部の八幡,大朝では20日21時すぎから雨が強まり22時に1時間に30ミリメートル以上の雨が降り出した。その後,強い雨域は南下し,加計(現安芸太田町加計)では23時に1時間に29ミリメートルの雨量を記録し,その後5時間の間に1時間20ミリメートル以上の強雨が断続的に降った。総雨量(7月20日9時~21日9時まで)は,内黒山276ミリメートル,加計270ミリメートル,八幡245ミリメートルとなり,特に内黒山では,21日2時~3時に56ミリメートル,加計では,3時~4時に55ミリメートルの記録的短時間強雨となった。特に加計では,21日1時~4時の3時間に131ミリメートルの大雨が降るなど,集中豪雨の特徴とも言える短時間に集中した大雨をもたらした。

被害状況

 この災害の特徴は,集中豪雨による土石流災害である。被災地は,広島県北西部の主に加計町,戸河内町,筒賀村の一部に集中した。この地域一帯の地質は,黒粗粒雲母花崗岩を基盤岩としており,これが風化してできたいわゆる「マサ土」である。水を通しやすくもろいマサ土になりきれない岩が点々と残っており,短時間の豪雨で谷を下る水は,渓床に堆積した土砂とともに渓岸をえぐり,立木をなぎ倒し,砂防ダムを乗り越えて山裾の集落を襲った。このため,民家は,流出し,埋没し,また死傷者25人という大きな被害を被った。さらに,農林業,土木,鉄道などにも大きな被害を受けた。

7月20日~7月21日県下主要地点の雨量は次の通り。(観測所は当時の名称)

観測所 連続雨量 最大24時間雨量 最大時間雨量
雨量
(ミリメートル)
日時 雨量
(ミリメートル)
日時 雨量
(ミリメートル)
日時
加計土木事務所 264.0ミリメートル 20日 21日
14時~6時
264.0ミリメートル 20日 21日
14時~14時
57.0ミリメートル

21日 21日
3時~4時

筒賀村役場 234.5ミリメートル

20日 21日
11時~8時

234.5ミリメートル

20日 21日
11時~11時

54.0ミリメートル

21日 21日
2時~3時

戸河内町役場 261.0ミリメートル

20日 21日
14時~6時

261.0ミリメートル

20日 21日
14時~14時

50.0ミリメートル 21日 21日
1時~2時
芸北町役場 140.0ミリメートル

20日 21日
12時~5時

140.0ミリメートル 20日 21日
12時~12時
29.5ミリメートル 21日 21日
0時~1時
千代田町役場 123.0ミリメートル 20日 21日
14時~6時
123.0ミリメートル 20日 21日
14時~14時
30.0ミリメートル 21日 21日
3時~4時
豊平町役場 111.5ミリメートル 20日 21日
14時~6時
111.5ミリメートル 20日 21日
14時~14時
43.5ミリメートル 21日 21日
3時~4時
 

雨量グラフ

■過去のおもな降雨との比較
雨量グラフの画像

■加計町(西調子地区);現 安芸太田町 加計

被害の様子の写真 

殿賀駅ホームより江河内方面を望む

江河内谷川の両岸を削り取った濁流は,駅ホーム下の土手に突き当たり,大量の土砂が堆積した。しかし,この土手のお陰で下流の住民や加計町立病院は,最小限の被害に救われている。

 被害の様子の写真1被害の様子の写真2

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