8-14 退職後に同業他社に就職した場合,退職金を不支給とする規定は有効か|労働相談Q&A
8-14 退職後に同業他社に就職した場合,退職金を不支給とする規定は有効か
質問
私は,美容室に長年勤めていたのですが,この度,独立して隣の市に開業することにしました。このことを店の経営者に話すと,就業規則に「従業員は,退職後10年間は,同一県内の同業他店に就職したり,独立開業してはならない。」との規定があり,これに違反するので退職金は全額不支給とすると言われました。憲法には職業選択の自由が保障されているのに納得がいきません。このような規定は有効なのでしょうか。
回答
- 労働者が退職後に独立開業したり同業他社に就職することは,原則として自由です。
- 競業禁止の特約が合理的な内容のものである場合に限り,競業禁止が有効とされる場合があります。
- 競業禁止義務に違反したことだけをもって退職金の全額を不支給とすることはできないという見解が一般的です。
競業は原則自由
原則として,労働者が退職後に独立開業したり同業他社に再就職したりして,競合する業務に従事することは,憲法に職業選択の自由が保障されている以上,何ら差し支えありません。
この点,裁判所は,「労働者が雇傭関係継続中……に習得した業務上の知識,経験,技術は労働者の人格的財産の一部をなすもので,これを退職後に各人がどのように生かし利用していくかは各人の自由に属し,特約もなしにこの自由を拘束することはできない。」としています(中部機械製作所事件・金沢地判昭和43年3月27日)。
特約のある場合
- あらかじめ競業禁止の合意が正当な手続を経て成立しており,それが在職中,勤務継続の前提とされていたこと。
- 労働者が営業秘密に直接関わるなど,会社側に競業禁止以外の方法では保護することが困難な正当な利益が存在すること。
- 事業の性質や従業員の任務の内容などに照らして,競業を禁止する期間・地域・職種などの範囲が必要かつ相当な限度を超えておらず,労働者にとって重大な制約とならないこと。
- 競業禁止により受ける不利益に対して,相当な代償措置が取られていること。
具体的な判断例を一つ挙げておきましょう。日本コンベンションサービス(退職金)事件・大阪地判平成8年12月25日は,ほぼ同様の判断基準を採用した上で,退職後,もとの会社(国際会議等の企画・運営を主たる業務とする会社)と同種の事業を営む新会社の設立に参加した前支社次長らには退職後の競業禁止を定める就業規則は適用されないと判示しています。このような結論になった理由を同判決は,
- もとの会社が競業禁止規定によって守ろうとしたのは従来の取引先の維持ということであるが(コンベンション業務は取引先と従業員との個人的な関係により継続的に受注を得るという特質があり,従業員が他社に移れば得意先もそれにつれて移っていく),これは営業秘密といった性質のものではないこと。
- もとの会社は各種手当を支給するなどして競業禁止の代償措置を講じておくべきであったが,労働時間に応じた時間外手当を支払わない
競業避止と退職金減額
競業避止義務との関係でよく問題となるのは,義務違反を理由とする退職金の不支給や減額です。
この点,最高裁は,退職後に同業他社に就職した広告会社の従業員について,退職金支給額を自己都合の場合の半額とした事例について,次のとおり判示しました。
「会社が退職金規則において,競業避止義務に反した退職社員の退職金を一般の自己都合による場合の半額と定めることも,退職金が功労報償的な性格を併せ有することにかんがみれば,合理性のない措置であるとすることはできない。すなわち,この場合の退職金の定めは,制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて,退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額しか発生しないこととする趣旨であると解すべきであるから,その定めは,その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても,違法ではない。」(三晃社事件・最二小判昭和52年8月9日)
競業避止と退職金不支給
これに対し,退職金を全額不支給としたケースについて,名古屋高裁は,次のように判示し,結論的には本件退職金不支給を違法としています。上記の事件と結論を異にしたのは,退職金の減額の程度のほか,当該従業員の退職に至る経緯の違い(上記事件では虚偽の理由により自ら退職したのに対し,本件では事実上,会社によって退職に追い込まれたなど)によるところが大きいようです。
「退職金が労働の対償である賃金の性質を有することや,退職金の減額にとどまらず全額の不支給という,退職従業員の職業選択の自由に重大な制限を加える結果となる極めて厳しいものであることを考慮すると,退職金を支給しないことが許容されるのは,単に競業避止義務違反のみでは足りず,退職従業員に,労働の対償を失わせることが相当であるほどの顕著な背信性がある場合に限られる。このような背信性の存在を判断するに当たっては,会社にとっての不支給条項の必要性,従業員の退職に至る経緯,退職の目的,競業する業務に従事したことによって会社の被った損害などの諸般の事情を総合的に考慮すべきである。」(中部日本広告社事件・平成2年8月31日)
こんな対応を!
上に述べたように,競業禁止の特約があったとしても,その内容が合理的なものでなければ,無効とされます。また,競業禁止の特約の合理性が認められたとしても,退職金の全額不支給が認められるのは,労働者の側に退職金が支給されなくても仕方がないと認められるような顕著な背信性がある場合に限られます。この旨を経営者に説明し,退職金を支給してもらうよう求めましょう。
更に詳しく
守秘義務
守秘義務については,就業規則や特別の合意がなくても,労働契約に付随するものとして信義則上認められています。問題は退職後も守秘義務は存続するかということですが,この点については意見が分かれています。
なお,問題となるのは「秘密」の意味ですが,不正競争防止法では「営業秘密」が保護されていますが,そこでは「営業秘密」は「秘密として管理され」(「管理性」),「事業活動に有用」であり(「有用性」),かつ「公然と知られていない」(「非公知性」)「生産方法,販売方法又は営業上の情報」をさすものと定義されています(同法第2条第6項)。労働契約上の「秘密」はこの「営業秘密」に限定されず,より広範な使用者の利害関係事項に及ぶものと解されています。
引き抜き
独立開業するような場合,もといた会社の同僚を引き抜くケースも見られます。通常の引き抜きについては,直ちに違法であるとはいえませんが,大量一斉の引き抜きなど社会的相当性を逸脱している場合には,競業避止義務規定がなくても,損害賠償責任が問われることとなります。
すなわち,ラクソン事件で東京地裁は,「会社の従業員は,雇用契約に付随する信義則上の義務として,労働契約上の債務を忠実に履行し,使用者の正当な利益を不当に侵害してはならない義務を負う。ところで,個人の転職の自由は最大限に保障されなければならないから,引抜行為のうち単なる転職の勧誘に留まるものは違法とはいえない。しかし,一斉かつ大量に従業員を引き抜く等,その引抜きが単なる転職の勧誘の域を越え,社会的相当性を逸脱し極めて背信的方法で行われた場合には,雇用契約上の誠実義務に違反し,債務不履行あるいは不法行為責任を負う。社会的相当性を逸脱した引抜行為であるか否かは,転職する従業員の会社に占める地位,会社内部における待遇及び人数,従業員の転職が会社に及ぼす影響,転職の勧誘に用いた方法(退職時期の予告の有無,秘密性,計画性等)等諸般の事情を総合考慮して判断すべきである。」としています(平成3年2月25日)。