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1-2-3.江の川本川ブロック河川環境に関する現状と課題

印刷用ページを表示する掲載日2011年12月1日

 江の川本川ブロックには,多種多様な動植物の生息・生育環境があり,また生活環境博物館エコミュージアム川根に代表されるように地域住民の河川環境に対する関心が高い地域です。この河川環境を維持・継続していくとともに,人と川がふれあうことのできる川づくりを進めていく必要があります。
 以下に,江の川本川ブロックの河川環境の現状について示します。

(1)水質

 水質は,江の川本川のほか,支川の多治比川,本村川,生田川,板木川,志路原川で,生活環境の保全に関する環境基準がA類型(BOD75%値 2mg/l以下)に指定されています。これらの観測点における平成元年から平成10年の10ヵ年のBOD(75%値)は,概ね0.5~1.3 mg/lで推移しており,環境基準を達成しています。
 BOD(75%値)の推移を下図に示します。

図1-2 BOD(75%値)の推移のグラフ
図1-2 BOD(75%値)の推移

(2)動植物

 土師ダムより上流域は,江の川の源流域であり,小~中起伏の丘陵や小山地からなる高田高原に属しており,その流れは水源から約10キロメートルで急激に緩やかになります。その山間部を流れる江の川本川や各支川においては,川沿いに集落も少なく豊かな自然環境が残されており,国指定特別天然記念物であるオオサンショウウオのほか,ヤマメ,ゴギ,アカザ,カジカ,オヤニラミなどの魚類やヒョウモンモドキなどの昆虫が生息しています。また,ヒメザゼンソウの生育も確認されています。
 土師ダムから下流三次市に至る中流域では,沿川に農耕地が広がっており,川は湾曲によって瀬や淵を形成しており,そこにはアユ,ウグイ,オイカワ,カワムツのほかシマドジョウなどの魚類が生息しています。その川原には,ヨシ・ススキなどの植物が繁茂し,所々ヤナギや竹林も点在しており,小動物,鳥たちの生息の場として貴重な空間を形成しています。
 三次市から県境に至る下流域は,江の川が中国山地を横断する区間であり,本川は,その山あいを瀬と淵の連続する形で流れ,雄大な流れが急峻な谷斜面とあいまって四季折々の美しい峡谷景観を見せています。この地域には,動物の保護のため鳥獣保護区に指定されている区域が多数あり,ブロック全体で生息が確認されている,ブッポウソウ,クマタカをはじめオオタカなどの鳥類の生息も確認されています。また,支川の長瀬川では,アカザ,カジカなどの魚類のほか,ゲンジボタルなどの昆虫類の生息も確認されています。

(3)河川空間及び利用状況など

 土師ダムより上流区間は,その地形から丘陵地を比較的緩やかに流れる里山的風景を醸し出しており,休日には魚釣りや河川敷を利用してキャンプをする人の光景がよく見られます。また,本川上流部の大朝町には田原温泉があり,神楽大会などのイベントが開かれ,県内外からの訪問客で活況を呈しています。
 三次市から県境に至る下流域は,中国山地が2分する地点に位置することから,江の川関門とも呼ばれ雄大な渓谷(けいこく)美を展開しています。支川の作木川にある常清滝(じょうせいたき)には年間を通じ豊かな自然の観察や,散策を楽しむ人々が訪れます。
 広島県と島根県の県境付近に位置する長瀬川では,あじさい公園,河畔のキャンプ場エコビレッジかわね,生活環境博物館エコミュージアム川根などの川と一体となった施設の整備が図られており,ホタル祭り,自然生態学習などのイベントが行われています。

(4)歴史・文化財・伝統芸能

 江の川本川ブロックは古くから開けた土地で,奈良時代にはすでに計画的な農地整理が行われており,吉田町や千代田町などで当時の条里制の遺構が確認されています。また,川の利用とつながりが強い農耕文化を忍ばせる風俗・伝統芸能として,笛や踊りをともなったはなやかな田植え行事であるはやし田や数多くの神楽などが各地で継承されており,国・県指定の無形民俗文化財にも指定されています。
 土師ダム上流の江の川と志路原川の合流点付近における農耕文化の隆盛を示すものとして数多くの城跡や寺院跡が残っており,現存する古保利(こぼり)薬師堂には国重要文化財に指定されている弘法大師ゆかりの薬師如来座像ほか11躯が安置されています。土師ダムより下流域では,大土川下流に位置する古刹(こさつ)高林坊(甲田町)に県重要文化財に指定されている銅鐘があるほか,本村川下流には県指定天然記念物である唯称庵(ゆいしょうあん)跡のカエデ林や県史跡である五龍城跡があります。また,長瀬川下流には姫子淵(ひめこぶち)伝説などが残されています。
 江の川本川やその支川において,かつては多数の人々が江の川独特の漁法で漁を行い,生活を営んでいました。これらの漁法は,現在でも江の川の魚撈(ぎょろう)文化として継承されています。また,本ブロックは山陰,山陽の中継地に位置するという地理的要因もあり,大正時代末期までは舟運が盛んでしたが,道路や鉄道の整備により終焉を迎え,現在は行われておりません。

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