戦没者追悼式について
沖縄「ひろしまの塔」戦没者追悼式について
慰霊の目的
追悼式の沿革
第1回昭和43年5月に、除幕式及び慰霊祭を挙行。
第2回以降昭和47年11月に、沖縄の本土復帰を記念し追悼式を挙行し、これ以降毎年10月または11月に広島県が主催して、御遺族代表の参列のもとに追悼式を行っています。
追悼式の開催日について
令和2年度 令和2年11月9日(月曜日)
令和3年度 中止(新型コロナウイルス感染拡大防止対策対応のため)
令和4年度 令和4年11月15日(火曜日)
令和5年度 令和5年11月14日(火曜日)
令和6年度 令和6年11月15日(金曜日)
戦後75周年沖縄「ひろしまの塔」戦没者追悼式について
ひろしまの塔について
ひろしまの塔とは
その後、昭和44年4月30日に広島県が寄付を受け、管理を行っています。
概要
敷地面積 1,594.2平方メートル(約480坪)
設計・作成者 円鍔勝三先生(文化勲章受章,名誉県民)
塔石及び石材 倉橋産の御影石
玉砂利 太田川産の玉砂利
設計者圓鍔勝三先生の「ひろしまの塔」設計構想
ア 全体を沖縄県の古い民家に見受けられる塀[ヒンプン(外敵を防ぐため)]からヒントを得て近代的構想とし、塔本体を郷土広島県に向けることにした。
イ 中央3本の黒御影石の柱は、国の御盾となられた英霊の御柱を意味するようにした。
ウ ヒンプンは、広島県倉橋産の石を用い、線彫の鉄兜2個を沖縄県の県花デイゴの花や仏桑華の花、広島県の県花もみじ、そのほか菊、蓮の花、勾玉で護り、厳島神社の国宝・平家納経を連想するようにした。
エ 副体には、残された子供達が太陽に向かって、永遠の平和を祈り、英 霊の魂が金色の鳥となり、空高く昇天する情景を表現した。
オ 献花台の地下には、34,600余柱の英霊に思いを寄せ、各ご遺族からお名前を記した霊石をお納めするようにした。
カ 本体下部そのほかの玉砂利は、郷土の思い出深い太田川の砂利を使用し、 英霊のご冥福をお祈りする意味を表現した。
塔に合祀されている戦没者
・フィリピン 9,988柱
・東部ニューギニア 9,165柱
・ビスマーク・ソロモン諸島 8,841柱
・ミャンマー・インド 1,462柱
・沖縄 1,271柱
・ベトナムなど 3,908柱
(地名は戦没された地域を表しています。)
合祀名簿について
昭和60年に戦後40周年を記念し、作成、奉納されました。
戦没者の本籍市町村ごとに、1)陸・海軍の別,2)氏名,3)戦死年月日を記載しています。
