1998年広島大学医学部卒業後、同学脳神経外科教室に入局。2006年に広島大学大学院医歯薬学総合研究科脳神経外科博士課程を修了。脳神経外科及びリハビリテーション科にて、17年の臨床を経験。
2016年より公衆衛生医師に転向。2024年に広島県に入庁。2020年に広島大学大学院医系科学研究科公衆衛生学(MPH)コース(社会人枠)修了。医学博士、公衆衛生学修士(MPH)
1998年広島大学医学部卒業後、同学脳神経外科教室に入局。2006年に広島大学大学院医歯薬学総合研究科脳神経外科博士課程を修了。脳神経外科及びリハビリテーション科にて、17年の臨床を経験。
2016年より公衆衛生医師に転向。2024年に広島県に入庁。2020年に広島大学大学院医系科学研究科公衆衛生学(MPH)コース(社会人枠)修了。医学博士、公衆衛生学修士(MPH)
私は元々、脳神経外科の臨床医として18年間働いていました。しかし、子育てと介護が重なり、臨床を続けることが難しくなったとき、広島大学の脳外科教授に相談したんです。その際に、「行政で医師として働く」という選択肢を初めて教えてもらいました。それまで行政に医師がいるという発想すらなく、非常に驚いたのを覚えています。
公衆衛生医師という働き方に心が動かされました。母子保健や感染症対策など、地域に密接に関わる仕事の内容が具体的に伝えられたことで、自分の未来が少し見えた気がしたんです。
公衆衛生医師として最初に赴任した日のことは今でも鮮明に覚えています。それまで私は、病院という閉じた空間で、病気の人だけを相手にしていました。でも、保健センターに着いた瞬間、昼間の街の明るさや、信号を渡る人々の姿に「こんな世界があったんだ」と気づかされました。
それはまるで、自分が新しいステージに立ったような感覚でした。個人としての自分、母親としての自分、そして医師としての自分を改めて見つめ直す機会にもなりました。
行政医師としての仕事に携わる中で、社会には見えない「病」が数多くあることを知りました。たとえば、登校拒否や虐待、孤独死など、臨床医時代には考えもしなかった課題です。これらの問題に向き合うことで、医師としての視野が広がり、人としての成長も促されました。
平成30年の豪雨災害や新型コロナウイルスのパンデミックの際には、地域住民のために何ができるのか、目に見えない困難に対応する力が求められました。避難所や在宅での支援、感染症対策など、多岐にわたる業務を通じて、行政医師としての使命感を深めました。
私は公衆衛生医師として働く中で、広島大学の大学院に進学し、社会医学系専門プログラムを受講しました。そこで学んだのは、人体の病だけでなく「社会の病」を扱う視点です。災害時の医療体制や薬事法、倫理学、広報戦略など、幅広い分野の知識を得ることで、社会全体を俯瞰する力が身につきました。
特に印象深かったのは、「つながりの価値」を学んだことです。公衆衛生医師としての役割は、一人では何もできません。多職種や地域住民との信頼関係を築き、連携することで初めて成果を上げられる仕事です。この「つながり」を育むことが、私たちの最大の使命だと感じています。
公衆衛生医師に求められる最も重要な資質は、「アイデア力」と「ポジティブな心」です。公衆衛生の仕事には、目に見えない問題や危機的状況がつきものです。そんなとき、柔軟な発想と前向きな姿勢が大きな力を発揮します。
私は、これまで多くの課題に直面してきましたが、どんなときも「解決できる方法は必ずある」という信念を持ち続けてきました。そして、そのために必要なのは、読書や学びを通じて多様な視点を得ることです。特に、小説やエッセイから学ぶ人間の多様性や物語の力は、私の仕事の大きな支えとなっています。
私の目標は、公衆衛生医師を増やし、育てることです。そして、一緒に働く仲間たちと協力しながら、地域の健康を支える新しい仕組みをつくりたいと考えています。公衆衛生医師はまだまだ社会での認知が低く、十分な人数も確保されているわけではありません。しかし、少しずつでもその重要性を広め、未来を担う若い医師たちがこの道に進むきっかけをつくりたいと願っています。
また、これからの公衆衛生医師は、単に行政の一員として働くだけでなく、地域住民ともっと近い距離で活動していく必要があると感じています。地域の人々が「保健所」や「公衆衛生医師」を身近に感じ、困ったときに真っ先に頼れる存在になること。それが私の理想とする未来の姿です。