【解説】
この城跡は,室町・戦国時代(14~16世紀)に倉橋多賀谷氏が拠った伝えられ,現倉橋町本浦の火山南斜面の尾根に位置する。安芸・芸予諸島辺が防長両国に拠る大内氏と備後・伊予東部辺までその勢威を伸長していた中央の幕府・細川氏との拮抗地帯となっていた関係上,倉橋島は,安芸国支配の拠点を東西条鏡山城におく大内氏にとっては,広島湾東岸から黒瀬を経由していくうえに重要な地点であったと考えられ,また大内氏麾下の警固衆としての倉橋多賀谷氏の動きを示す史料も見られる。
この城跡の一の郭は標高約50m(東西約20m,南北約30m)で,周囲は鋭く切落されている。二の郭はそれより南側約10m低く(東西17m,南北25m),三の郭はさらに南側約1m低く(東西15m,南北24m)で,ともにゆるやかな斜面になっている。このほか,外郭の一部と考えられるものや,階段状の石積などが認められる。
名称 | 丸子山城跡 | |
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よみがな | まるこやまじょうあと | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 呉市倉橋町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和63年12月26日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○JR「呉駅」から「倉橋方面行き」バスで「本浦」下車 ○広島市からは,車で国道33号線を南下,約40km |
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関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
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入館料 | ||
所在地 | ||
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交通案内 |