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「東京R不動産」仕掛け人・馬場正尊氏×「尾道空き家再生プロジェクト」豊田雅子氏トークセッションin TAU

印刷用ページを表示する掲載日2022年8月8日

エリアリノベーションってなんだ?!

■日時:平成28年7月9日(土曜日) 15時00分~17時00分
■場所:広島ブランドショップTAU(東京都中央区銀座1-6-10 銀座上一ビルディング)
■出演:馬場正尊氏((株)オープン・エー代表取締役/ 東京R不動産 ディレクター),豊田雅子氏(NPO法人尾道空き家再生プロジェクト代表理事)
■参加者:50名
 今や全国にエリア展開している『R不動産』。馬場氏からは、地域資源を活かしてリノベーションを地域全体に広げていく、エリアリノベーションの仕組みと今後広島(三次市)で取組むプロジェクトについてご紹介いただきました。
 豊田氏は、坂のまち・尾道で、空き家の再生という視点からまちや人の魅力を発掘・再発見するしくみにより地域とともに次々とプロジェクトを進めています。
 馬場氏と豊田氏の近著「エリアリノベーション」にも登場する尾道で今なにが起こっているのか?町の変化なども交えながら,これから“ひろしま”で展開する取組みについて語っていただきました。
 《 当日のイベント動画はこちら↓ 》


 

【エリアリノベーションとは】(馬場氏)エリアリノ

 僕がエリアリノベーションを実感したのは,日本橋・神田のエリアです。空き物件がすごいたくさんあったんですよ。その空き物件をギャラリー,街自体をギャラリー化するイベントを「東京R不動産」で10年間続けました。そうすると,「R不動産」が有名になっていって,今や東京中の面白い空き物件を仲介するサイトになっているんですが,最初はCETリアの空き物件を紹介してたのが切っ掛けです。そうこうずっと続けてたら,その空き物件にどんどんお店が入ってですね,クラブをやっていたところがギャラリーになり,カフェになり。お店やっていたところに本当にお店が入りっていうふうにして,非日常が日常に定着していったっていうのがその僕が神田で経験したことでした。10年間のうちに100ヶ所くらいの建物が,空き物件がギャラリーとかカフェ,美容室とかそういうのに変わって,東京でも有数にサブカルが集まるようなエリアにじわーっと変わっていったんですね,僕は最初街づくりとかいう感覚が全然なくて,そのエリア自体をアートで面白くするということが楽しくて仕方なくてやっていました。でも10年経ってみるとそのエリアの雰囲気が変わってきたから,実はこれが今の時代の町づくりなんじゃないかと。計画通りになる計画じゃなく,いろんな偶然性に満ち溢れてて,ただ面白い店,面白い人を集めてきて,点がつながっていっていつしか面になる,こういうことが起こったんですよね。ここに僕は次の都市の計画の可能性みたいなものを感じたんですよね。で,ここから意識するようになりました。TAUイベント写真

【馬場氏から見た尾道~計画主義的な都市計画の逆】(馬場氏)

 そんな目線を持って尾道に行ったのですが,僕から見た尾道の面白いところは地形が独特,ローカライズポイントは圧倒的にこの地形ですよね。この地形だからあり得たということがたくさんありました。僕が面白いと思ったのは,坂道ゆえに車が入っていけない。だからリノベーションをしたりするときに協力せざるを得ない。資材をみんなで運ばざるを得ない。だからこの不便さが尾道の変化を妨げていたかもしれない,この不便さが尾道の未来を守ったとか,未来の風景を守ったんじゃないかと思います。みんなで作らなきゃいけないことはある種のつながりを作ったんじゃないかと思いました。

 僕は、どちらかというと建築の教育を受けておりピカピカでピシっと作られている空間がかっこいいと染みついてましたが,尾道のパッチーワークのように即興的に作ったこの空間は,何かものすごい迫力を持ってて,僕が今までやってきたリノベーションはちゃんとしすぎてるなって逆に思って,この感覚みたいなのは何なんだってちょっと思ったところがあります。

 今まで僕たちの時代は計画してそれから作ってそれから使う。これが近代のまちづくりであり都市計画だったと思うんですけれども,尾道とか見ていると順番が全く逆で,まず,使おうと思う人がいる。使う構想がされていると,そしていかに作るかを考えると。それがいつの間にか計画になっている。順番も全く逆転していたんですよ。そういう意味では都市や空間が作り上げる計画主義的な都市みたいなものが,都市の時代が終わりを迎えていて特に地方都市においては。逆の発想,要は使う側の構想力をいかに都市化していくかっていうような状況を作っていかなければいけないと考えました。

 まさにそれを尾道という町をフィールドにしてリアルに生々しくアーティストでも建築家でも自分はないって言う,豊田さんがどういうようなことをして,どういうことを思い,どういう苦労をしてどんなことが起こっているかということをお聞きしたいと思います。

【尾道という地で始めたきっかけ】(豊田氏)

 平地が少ないので,斜面の方にわーっと家がへばりつくように広がっていて,これが坂の町尾道と呼ばれる風景となっています。戦前戦後すぐくらいまでに建てられた建物ばかりでですね,道も狭くて車が入らないというような所です。

 でも私はこういった,ちょっと取り残されたような一昔前の坂と路地というのが尾道の一番の魅力だと思っています。駅から歩いて回れるようなそんな便利なところなんですが,500軒以上空き家・空き店舗があるというような状況でした。大林監督とかの映画のロケで使われたような素敵なお屋敷とか洋館なんかももう20年空き家とかですね,自分の思っている以上にひどい状態の空き家がたくさんあり,今から15年,20年くらい前でしょうか。そういうのを知りまして,非常に私も尾道出身でありながらショックを受けました。

 私はこの活動をする前に海外旅行の添乗員という仕事をしていて,すごくヨーロッパの街並みが好きで,尾道は戦災にも会ってないですし,今の所大きな災害もなく昔ながらの自然の地形の中に今までずっと積み重ねてできてきた家とか街並みとかがせっかく残っているのにも拘らず,不便だからって言ってどんどん壊したり,空き家のまま放置していたりっていうので,すごく良い資源を持っているのにもったいないじゃないかと思っていました。ずっと尾道にいたら気付かなかったかもしれないんですけど,一度やっぱり外に出て,それからいろいろ海外からの視点で見て日本の良さとか尾道の良さっていうのにすごく気付くことがあり,それを強く思っていまして,いずれは尾道に帰ろうと思っていました。帰ったら何か空き家でやりたいなと,空き家探しを6年ほどしていました。普通,空き家を探すとなると多分みなさん不動産屋さんに行くと思うんですね。尾道も何軒か不動産屋さんがあって行くんですけど,こういう私が求めているような坂の町の古い建物っていう物件はほとんど扱ってない。いろいろ話を聞くとやっぱり割に合わないということでした。自分でもう歩いて探そうと思って,日々路地とか坂道を歩いては気になる物件があったら近所の人とか地主さんとか町内会長さんに声かけて,大家さんどこにいるんですかとかいろいろ情報を集めて回ったというような6年間を過ごしていました。そうこうしているうちに1軒の空き家と出会いました。

ガウディハウス これが通称「ガウディハウス」と勝手に呼んでいるんですけど。もともと地元でそんな感じで呼ばれていて,これも大林監督の映画に二度ほど出たような家で,坂の途中にある10坪くらいの小さな家なんですけれども,昭和8年に一人の大工さんが3年コツコツかけて建てたと言われている建物で,この建物の中を見せてもらう機会がありました。外からも面白い家なんですけど,中もすごく面白くてですね,大家さんに聞いたらもう壊そうかと思っているという話で,これは町の共有財産だと思うので,とにかく私に管理させて下さいと説得してですね,結局私が個人的にこの家を壊されないように買い取ったことから活動が始まっています。 

【プロジェクト始動~もう,いろいろやりました】(豊田氏)

 私は全然建築の専門ではありません。物を作るというのはすごく好きだったし,すごく妄想家でもあるので,勝手にこうなったらいいなとか私だったらこうするのにみたいな思いがこういう形になってきたのかなと思っています。専門家ではないので,逆に発想がおかしいというか,既成概念が全然なくてこれを建材に使うの?みたいなものを使ったりとか,いろんなアイデアを出して空き家の再生につながることは何でもかんでもやってみました。もう場所さえあればできることで「空き家談議」ってみんなで集まってあれこれ話をしたり。

 それから尾道ならではかもしれないんですが,やっぱり坂の町の空き家でどうしてそんなに放っておかれてるのかなっていう理由の一つに,荷物がそのまま置いてある家がすごく多いんですね。こたつを敷いたままとか冷蔵庫の中身そのままとか。猫とかネズミのミイラは当たり前のように出てきますし,一回白骨化した死体も出てきたことも。結局トラックとか横づけできないので,ごみを出すのが非常に大変なエリアなんですね。片づけられないままにそのまま残っていて10年20年経っていたりするんですね。そういったタイムスリップしたようなものがたくさんあるんですけど,逆に若い人たちの目から見ると昔の物っていうのは非常にレトロだったりとかして逆にデザインが可愛かったりとか見えますし,古本とか着物とかリメイクされる方もいるし,家具とかも木材を使っていて良いものも結構あるので,全部捨てるのももったいないし持って降りるのも大変ですので,その家でその場で現地で「チャリティ蚤の市」っていうのを開催して,好きなものを好きなだけ持って降りてください,そして投げ銭を入れてくださいっていうシステムでたぶん30軒くらいの家でこれをやりました。非常に助かっていて,家を軽くしてリノベーションのビフォーも見てもらえるということでやっています。街歩きの“建物探訪編”と実際の再生してる建物の一部のリノベーションをワークショップでやる建築塾もしました。

【「あなごのねどこ」「みはらし亭」~地域の中も外も巻き込んで】(豊田氏)

 若い人で,田舎に移住したい人とかは今結構多いと思うんですけど,やっぱり仕事の問題が大きいかなというのはありまして,あとそれから尾道の場合は小さい空き家は結構どんどん移住者さんで埋まっていったりお店になっいたりしてるんですが,大型のものが手つかずのまま残っているみたいな課題がありました。それをどうにかできないかなっていうので,これは商店街にある長細い町屋なんですが,それを再生して若者の仕事にしていこうという思いと,もっと外国の人に来てほしいなということでゲストハウス「あなごのねどこ」という全部ベッドもシャワー室も手作りの宿泊施設を作りました。

みはらし亭 最近一番大がかりだったのはこの「みはらし亭」という断崖絶壁の上にある大正10年,築100年くらい経つ,もともと別荘として建てられて旅館として使われていた建物を1年3ヶ月かけてですね,やっとこの春直り,こんな感じでオープンしています。すごい大変でした,これ。車が入らないんですよ,上からも下からも。なので,全部直すときは屋根も直したので,足場を組んだんですね。その足場の単管をみんな50人くらいのリレーで運ぶとかやりましたし,さすがにここは構造補強をかなりしましてお金もかなりかかったので,クラウドファンディングとかも初めてさせてもらったりとか。市の方からも初めて助成金がおりたりとかですね,すごくたくさんの方に支援していただいて地元の小学生もワークショップをしてくれたり,600人以上の方の手を借りながら何とか完成して今運営に至っているというような感じです。

 「空き家」って言うと負の遺産のように感じられるかもしれないですが,私たちはこういうのがあったら良いなっていうのを空き家を使いながら一個ずつあと町の機能を少しずつ手作りしていってるというような感じですね。本当にいろいろいろんな人のアイデアといろんな人の力を借りながらですね,こんな感じでやってきてます。 

(馬場氏)

 今日も改めて話を聞いてあらゆるマイナスを全部プラスにひっくり返しているんだと感じました。逆にそれだけマイナスがあったということでもあるとも。まずあれだけ空き家が残っていたのは車が入れない,接道がないから解体すると解体費用がものすごくかかるんですよ。だって壊して運ぶだけだから。だから壊せてないんですよね。もしもあれが,もうちょっと壊しやすかったらもっと壊れてるはずなんですけど,結果外形は残ってると。

 それは何を意味しているかっていうと,町の風景は外形としてはかなり残っていたんですよね。だからそれは残っていって,今の世代はその風景に価値を見出すジェネレーションが育ってきているから,壊されずに済んでいたことが価値だった。だからもしかすると,どんなにボロボロでも何か町の風景の外形が残っているところは,価値に変えられるかもしれないということをまず示していると思うんですよ。

 もう一つは,荷物だらけだったじゃないですか。持って帰って良いっていうマーケットを開催しているわけですよね。なので,その持って行って良いよということで,片付けをお祭りにしているわけですよね。片付けられないことを武器にしたっていうところはすごい。あと工事が大変で,逆に工務店とかに頼むと一番嫌がって見積が跳ね上がるのは,車が横付けできないから全部手運びになるので,建設コストが跳ね上がるんですよね。豊田さんはその大変さを武器にして,「みんな集まれ!」って言って呼ぶわけじゃないですか。事実上その人たちがファンですよ。だって,自分が町を作るプロセスに自分たちが参加するわけじゃないですか。だからああいう人たちってリピーターになると思いました。どうやって呼んでいますか?

 (豊田氏)

 実際移住してきてこれから何かしようとしている人たちとかNPOの会員さんになってくださっている方とかは普通にフェイスブックとかに出して。でも県外からとか結構いろんな人が集まります。

 (馬場氏)

 情報発信の仕方も全然今までと違って,オフィシャルな情報発信が結構なくって,極めてゲリラ的にメディアすら工作的だなと思ったんだけど,フェイスブックとあと口コミと。フェイスブックとかの影響も大きかったと思うんだけど,口コミで集まっているからなんか価値観とか世界観がフィルタリングされていますよね。

 なんかね,お金払ってないんですよね。ほとんどね。今までは貨幣を中心にコミュニケーションするのが戦後日本というか近代で,何かの対価は大体貨幣であるっていうのは今までの資本主義だったと思うんですけど,お金ではない貨幣ではない何かを貰っているんですよ。人間って何か交換価値があるからコミットするわけで,面白い町ってやっぱりその仕組みがありますよね。ボランティアっぽくはないんですよ。何かを貰いに来ているんですよね。その新しい交換価値を多分発明しているような気がします。

 学びに来ているんですね。

 【三次のこと】

(馬場氏)

三次本通り ここで三次の話をちょっと。今なんか結構広島は熱い感じなんですよね?なんか大きい変化,変化に対して積極的な県もそうだし自治体・市町村もたくさんあるような気がします。広島カープも強いし,なんか今イケイケだなっていう感じでいっぱいですよね。

 その中の三次市,そこは尾道は尾道なりの方法といわゆるローカライズ的な方法で進んでいて,三次もまた特徴的な場所で三次も三次なりの方法で一体どんな変化の仕方があるのか,まあ変化の入り口にちょうど立ったような段階です。

(三次市職員)

 三次はですね,中国地方のど真ん中ですね。銀山街道の宿場町で歴史的・文化的に非常に発展をしていた町で,歴史的な街並みで石畳とかを整備して電柱を地中化してすごくきれいな景観には見えるんですけど,実際やっぱり高齢化が進んでいて,きれいになっているのに実は空き家っていうのが今たくさんあります。そこを我々は何とかしたいなって。 

(馬場氏)

 結構宿場町だから建物のハードウェアとしては魅力的なところは結構ありますね。

(馬場氏)

 豊田さんみたいな人は地元にいますかね?すごく重要ですよ,それ。結局そこだと思います。豊田さんがあの情熱を持って町に関わろうと思った原動力みたいなものって何ですか? 

(豊田氏)

 何でしょうね。よく言われるんですけど,やっぱり最初は尾道離れてみて,尾道の良さもわかってああいう状況でもうもったいないなっていう強い思いから始まり,やっぱり住みたいなと思う町に住みたいなと思って。また,尾道らしい風景もっと残してくれてたら良いのにってすごく思ったんですね。だから自分は子どもたちに「これが尾道だよ」っていうのをちゃんと残してやりたいなっていう思いもありました。今は若い移住者の人とか若い人たちが結構頑張って支えてくれているので,そういう若いエネルギーを原動力にというかやっぱりアイデアを持ったいろんな人がどんどん現れてくれるので,そういう人たちが活躍できる環境というか場所をせっせと手伝って作っていきたいなっていうのがあります。

 (馬場氏)

 だから,自分たち自身が地元の魅力を忘れていたりして,多分豊田さんとかは海外とかもうだいぶ行ったので,改めて見て「あれ?」っていうことが多いですよね。僕も佐賀出身で41歳くらいになって,今47ですけど,40くらいになってから「あれ?俺の田舎結構良かったんだ。」って思ったりしたんですよね。世代的に遅い方だと思うんだけど。そういう機会をいかに作れるか。地元の人&里帰りしてもらって何かするみたいな企画とか,そういう人こそもう一回三次の魅力を再発見するとかあり得るかもしれませんよね。

 「あなごのねどこ」はできるまで,豊田さんが戻ってきてから6年くらいかかってるんですけど。もうちょっとかかってる。かかるんだ,時間はかかるんですよね。国が2~3年で結果を出せってとか言ったけど,そんなわけないじゃないですか。確実にそれにつながるような土台を作らなければいけませんね。

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