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草戸千軒町遺跡出土資料

 草戸千軒町遺跡は、芦田川の中州という地下水の豊富な場所に立地しており、通常の遺跡では残りにくい木製品などの有機質の遺物も数多く残されていた。出土資料の総点数は百万点を越えるものと思われ、現在も整理・分析作業が継続されている。
 これまでの研究によって、集落は次のような4段階の変遷を遂げていたことが明らかになっている。

時期暦年代(西暦)
1期13世紀中葉から14世紀初頭
2期14世紀前半から14世紀後半
3期15世紀前半から15世紀中葉
4期15世紀後半から16世紀初頭

土師質土器

 遺跡から最も大量に出土しているのが、土師質土器(はじしつどき)と呼んでいる素焼きの土器である。文献などにみられる「かわらけ(土器)」という記載が、これら土師質土器に相当するものだと考えられる。土師質土器の椀や皿は、井戸や溝・ごみ捨て穴などの遺構にまとまって捨てられており、草戸千軒の集落で大量に消費されていたことがわかる。
 時代によって器種の組み合わせや寸法が変化しており、その他の資料の年代を決定する上での基準資料として重要な役割を果たしている。

国産陶器

 中世の日本列島には、遠隔地を結ぶ広範な交易ルート網が存在していた。海上交通を中心とするこうした輸送ルートを通じて、各地の国産陶器が草戸千軒の町にもたらされていた。愛知県の常滑(とこなめ)瀬戸、兵庫県の魚住(うおずみ)、岡山県の備前亀山などが確認されている。
 もたらされた陶器の器種は産地ごとに異なっており、常滑は大甕、瀬戸は瓶子・皿など、魚住は擂鉢(すりばち)、備前は大甕・壺、亀山は壺・擂鉢などが中心的な器種となっている。

漆器

 草戸千軒町遺跡では、漆器(しっき)・箸状木製品(はしじょうもくせいひん)・折敷(おしき)が飲食の際に広く用いられていたようである。出土した遺構の時期や分布から、時期的な変遷などの様相が明らかになりつつある。なかでも漆器の椀・皿類は、各時期にわたり、遺構の各所から広範に出土しており、日常的に食器として用いられていたことが想定される。


※草戸千軒町遺跡の時期を示す「1~4期」の数字は,本来,ローマ数字を使用しています。

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