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陶磁器類

中国陶磁

 技術の上でも美術的な面でも、世界に冠たる中国陶磁は、1200年前から貿易商品として東アジアから西アジア一帯に輸出されるようになった。日本でも奈良時代から平安時代はじめには輸入され始めるが、幅広い階層、とりわけ瀬戸内地域の民衆生活の中に受容されてくるのは、平安時代末から鎌倉時代はじめ頃(12世紀末から13世紀前半)のことである。
 続く鎌倉時代後半から南北朝時代には多様な製品が大量に輸入され、草戸千軒町遺跡や尾道遺跡など沿岸部の都市遺跡をはじめ、質・量の差はあるものの内陸部の農村集落にも普及していった。
 以後江戸時代はじめまで、時代によってさまざまな製品が中国からもたらされ、わが国の窯業にも大きな影響を与えている。

朝鮮陶磁

 朝鮮の陶磁器が貿易商品として日本にもたらされるようになるのは、平安時代後半からのことである。博多や大宰府からは、11世紀後半から12世紀にかけての高麗青磁(こうらいせいじ)が出土しており、最も早い出土例である。
 鎌倉時代になると、量的には少ないが高麗象嵌青磁(こうらいぞうがんせいじ)の輸入が顕著となる。草戸千軒町遺跡では、13世紀後半の遺構から象嵌青磁碗が出土しており、瀬戸内地域に受容された朝鮮陶磁としては早い例となる。
 室町時代の15世紀になると、象嵌青磁に代わって、わが国で三島・刷毛目(はけめ)・粉引(ごびき)などと称される粉青沙器や、青灰色の釉薬(ゆうやく)を施した陶器が輸入されている。その後、次第に白磁が多くなり、江戸時代初め頃まで朝鮮陶磁の輸入は続いている。

  • 青磁象嵌雲鶴文鉢(せいじぞうがんうんかくもんはち)
  • 粉青沙器皿(ふんせいさきさら)