リレーメッセージ ~第5回 市立三次中央病院~
現在のお仕事について教えてください
当院は県北で唯一の公立の総合病院(基幹病院)で、救急、分娩、がん治療、災害対応などの役割を果たしています。病院のミッションが果たせるように、看護で地域に貢献するための戦略を考え、具体的に実践していくことが看護部長としての私の仕事だと思っています。 「看護の質」と「働く質」の向上のため、「人材育成」と「働き続けられる環境つくり」に力を入れています。
今のお仕事を志望された動機は何ですか
私の母は専業主婦だったので、私も同じように結婚して主婦をするつもりでいました。が、その母から「これからの女性は手に職をつけて自立したほうがいい」と勧められました。進学を控え何処の学校に行こうかと、田舎からの脱出作戦を考えていた高校3年生の春、住んでいる町に看護学校が開設されました。親の勧めを断れなくて看護学校に進学したのがこの道の始まりです。親から勧められたとはいえ、一生の仕事として選んだのだから一生懸命働こうと思いました。だから「看護とは何か」「看護の仕事とはどういうものか」「私がどう行動することがそうなのか」といつも考えています。
お仕事のどんなところにやりがいや魅力を感じますか
仕事の日常に【うれしい】を感じる瞬間が沢山あることです。「人は働くことで、人の役に立ち、ほめられ、人から必要とされるからこそ生きる喜びを感じることができる。」といわれています。自分の行ったケアで「熱が下がった、痛みが和らいだ、食べられた、眠れた」と、症状が良くなった時【うれしい】を感じ、患者さんからいただく笑顔やありがとうの言葉はストレートに【うれしい】を実感します。それが日々の活力になっているのだと思います。
母校で学んだこと・経験したことが今のお仕事にどんな風に活かされていますか
教務主任の先生が言われていた「安全」「安楽」「目的達成」の言葉が私たちのクラスでは合言葉のようになっていました。ナイチンゲールの看護覚え書きと一緒で、何年の時を経ても、患者さんへのケアを考える時の基本となっています。
就活や進学の際,どのように進路を決めましたか
私たちの時代は、まず急性期の病院に勤めることが普通だと思っていました。地元に残ることが親の希望でもありましたし、結局この三次が好きで今の病院に勤めて32年になります。しかし、今は看護職が色々な場所で必要とされていますし、新人教育はどのような職場においても実施されるようになってきたので、「自分に適している場所」を探すことも必要だと思います。
患者さんと接するなかで,忘れられない思い出について教えてください
20年前、40代後半の脳出血左半身麻痺の男性患者さんがリハビリをして杖歩行で退院される日のことです。「歩けるようになりたい」と言いながら一生懸命リハビリをしておられましたが、かなり大きな出血で車いす生活がゴールかなと思っていた人でした。下肢装具を付け、杖を突きながらでも歩いて帰っていただけることがうれしくて、「おめでとうございます」といったとき、笑顔もなく、「これからよね」と言われた一言に愕然としました。歩くこと(退院すること)はこの人のゴールではなくスタートであり、夫として父として家族を守っていくこれからのことに、とてつもない不安を感じておられることが伝わってきました。これからがこの人の本番なのだと、この先の憂いは容易に想像がつきました。看護師が患者さんの生活に寄り添うことの必要性を教えて下さった方です。
お仕事での今後の目標・ビジョン等を教えてください
看護外来を設置して治療的健康教育(生活アセスメント&指導)を行い、患者さんに慢性疾患と上手に付き合っていただいて、少しでも長く住み慣れた家で暮らしていただくことです。そのためには病院や看護部のミッションをスタッフに伝え人材を育成すること、地域の医療職とつながることが大切だと考えています。「患者と共に」をモットーに、三次には中央病院があるから安心といわれる医療の提供を目指していきます。
これから看護職員を目指す皆さんにメッセージをお願いします
四苦八苦の四苦「生病老死」に寄り添う仕事ですから、看護は楽しい、うれしいばかりの仕事ではありません。しかし、しんどくても山の頂にたどり着いた時達成感や爽快感、心地よい疲労感を感じるのと同じように、必ずいつかうれしい、楽しい、やりがいを感じることができる仕事です。心が躍る看護を一緒にしましょう。
ひろしまナースネットでは,リレーメッセージを随時更新していきます。 次回のメッセージをお楽しみに!