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平成28年7月1日(金曜日)福山市市制施行100周年記念式典に出席しました

印刷用ページを表示する掲載日2016年7月1日

10時37分,福山市市制施行100周年記念式典に出席しました。はじめに,先月の大雨による河川の氾濫あるいは崖崩れ等により,被害に遭われました多くの皆様,また不便な生活を強いられている皆様に,心よりお見舞い申し上げます。県といたしましては,市と協力して,被災箇所の早期復旧と,災害防止のための措置を講じるとともに,「災害に強い広島県」の実現に向けて,全力で取り組んでまいります。さて,このたび,福山市が市制施行100周年の節目を迎えられましたことをお祝い申し上げますとともに,盛大に記念式典が開催されますことを,心からお慶び申し上げます。また,福山市発展への御尽力により,表彰の栄に浴された方々の御功績に対しまして,心からお祝い申し上げますとともに,これまで福山市発展に尽力してこられた多くの方々の御功績に対しまして,深く敬意を表する次第であります。福山市は大正5年7月,県内では4番目に市制を施行して以来,第二次世界大戦では市街地の8割を焼失する甚大な被害を受けながらも,復興に努め,道路等の基盤整備を進めることによって,山陽と山陰・四国を結ぶ要衝都市へと発展してこられました。特に産業面では,地場産業である繊維産業を基盤とする産業構造から,鉄鋼業を中心に,関連産業の集積を進めることで,重工業を主体とする産業構造へと転換を図るとともに,独自の技術力を保有する,シェア率等でトップに位置するといった,さまざまなモノづくり分野におけるオンリーワン・ナンバーワンの有力企業が数多く集積する瀬戸内海地方でも有数の産業都市へと大きく成長を遂げられました。この間,昭和30年代から50年にかけての近隣地域との合併によって,市域,人口とも拡大し,備後地域における中核的な都市となられました。さらに平成に入ってからは,平成5年に福山地方拠点都市地域の指定,平成10年に中核市への移行を経て,平成15年には内海町・新市町,平成17年には沼隈町,平成18年には神辺町とそれぞれ合併をされたことで,今日では人口約47万人を擁する県内2番目の都市として,更なる飛躍と県全体の発展を牽引する役割を大いに期待されているところでございます。また,福山市におかれましては,昭和31年から,市民の皆様とともに,「ばら」の花によるまちづくりを推進してこられ,市を代表する都市ブランドとして「ばら」を位置付けて取り組み,このたび「100万本のばらのまち福山」を実現されました。一方,地方行政を取り巻く環境は,人口減少・少子高齢化の急速な進行,東京一極集中の加速化,グローバル化の新たな局面の到来など大きく変化し,こうした状況に対応するための多くの課題に直面しており,福山市におかれましても,将来の人口展望を示す「人口ビジョン」に基づき,今後5か年の目標・施策の基本的方向を示す「総合戦略」,さらには,備後圏域の一体的な発展に向けた「びんご圏域ビジョン」を策定され,各種施 策を展開しておられます。県といたしましても,地方創生の実現に向けた様々な取組を通じて,福山市との連携をより強固なものとし,将来にわたって,『広島に生まれ,育ち,住み,働いて良かった』と心から思える広島県の実現に向けてまい進してまいりたいと考えております。この市制100周年を契機として,市民の皆様をはじめとする関係者の皆様が一丸となり,今後とも,福山市が備後圏域の中枢都市として,リーダーシップを発揮されながら,さらに大きく飛躍をされますことを祈念いたします。

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