【解説】
湯ノ山温泉の湧出は,富士山が大爆発した宝永4年(1707)のことである。寛延元年(1748)には盛んに涌き出たので藩主浅野吉長(よしなが)の知るところとなり,翌2年(1749)には,藩儒堀正脩(ほりせいしゅう)も来遊して「霊泉記」を著わした。霊験著しく,領内領外よりの入湯者は旬間千人に達することも少なくなく,37軒の宿屋があわただしく建築されるなど活況を呈した。藩も湯所役人を任命して入湯の監督,湯所の保全にあたっていた。
現在では,旅館は数軒に減じているが,岩壁を掘削した湯ぶねからは,温度20度のラジウム泉が涌き出ており,旧来の湯坪,湯屋,湯ノ山神社の諸施設は当時の姿をよく伝え保存されている。
名称 | 湯之山旧湯治場 | |
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よみがな | ゆのやまきゅうとうじば | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 広島市佐伯区湯来町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和33年8月1日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○「広島バスセンター」から「湯来線」バスで「大橋」下車,東へ約1km | |
関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |