【解説】
倉橋島と呉市警固屋(けごや)町との間にある海峡を音戸の瀬戸というが,この幅150mの狭い海峡を,平清盛(たいらのきよもり)が開削して航行の便をはかったと伝えられる。平清盛の供養塔と伝える清盛塚は,音戸の瀬戸の西岸倉橋島に近接した岩礁の上に石垣を築き,小島となしたもので,宝篋印塔(ほうきょういんとう)1基(高さ2.05m,室町時代(1333~1572)の作)が建てられている。今日清盛塚は埋立てのため,倉橋島に接するばかりとなり,昔日の面影はないが,潮流の速い音戸の瀬戸は今も変わらず瀬戸内海の要路となっている。
名称 | 伝清盛塚 | |
---|---|---|
よみがな | でんきよもりづか | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 呉市音戸町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和26年4月6日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○JR「呉駅」から「倉橋行」バスで「清盛塚」下車,約100m(音戸町役場前) | |
関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |