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広島県の文化財 - 備後国府跡

備後国府跡大型掘立柱建物跡

ツジ地区大型掘立柱建物跡

【解説】
古代備後国の国の行政施設である国府の跡。府中市一帯は旧葦田郡に属し,10世紀の漢語辞書『和名類聚抄』に「国府在り」と記述されている。昭和42年度から行われてきた発掘調査によって,国府を構成する多様な遺跡が確認され,8~12世紀の国府の成立から衰退までの変遷など,古代国家の地方支配の実態を知る上で極めて重要な知見が得られた。平成28年にツジ地区と金龍寺東地区の2地区が,令和元年に伝吉田寺地区が指定されている。

ツジ地区は8世紀を中心に方一町(約109m四方)の区画溝に囲まれて大型掘立柱建物群が建ち並び,大型建物は9世紀に区画溝を失った以降も10世紀末まで存続した。出土遺物は,国府系瓦(国が建設した行政施設共通の文様が施された,軒先を飾る瓦),腰帯具(ようたいぐ,古代官人の正装の帯に縫い付けた,留具や装飾具),硯や備後国内では他に例を見ない量の国産・輸入品の高級な陶磁器が,12世紀まで連綿と出土しており,文書行政や饗応などに用いられた,備後国内で最も格式高い施設の一つである。

金龍寺東地区は,7世紀に天智天皇が創建したとされる川原寺(奈良県明日香村所在)の中金堂に匹敵する規模で,国府系瓦が用いられている極めて格式の高い礎石建物跡や苑池(池を伴う庭園)遺構が検出されている。国府における宗教政策あるいは饗宴のための施設と推定され,国府の多様な構成要素の一つである。

伝吉田寺地区では,伝吉田寺跡(広島県史跡)に関連する遺構(8~12世紀の門跡と考えられる建物跡等)が確認された。伝吉田寺は,7世紀後半に創建され備後国府における宗教行事を担ったと考えられている。当該寺院の存続期間や構造の移り変わりの一端が判明するとともに,備後国府の実態を知る新たな知見が加わった。

名称 備後国府跡
よみがな びんごこくふあと
指定 国指定
種別 史跡
種類  
所在地

府中市元町(ツジ地区,金龍寺東地区),府中市府中町(伝吉田寺地区)

員数 指定面積20,068.78平方メートル(ツジ地区14,128.40平方メートル,金龍寺東地区5,359.96平方メートル,伝吉田寺地区580.42平方メートル)
指定年月日

平成28年10月3日 【ツジ地区,金龍寺東地区】

令和元年10月16日(地域追加) 【伝吉田寺地区】

構造形式  
法量  
公開状況 現地に説明看板あり。遺構は埋め戻し保存されており,見ることはできません。
交通案内 ツジ地区…JR府中駅から北へ約0.8km,金龍寺東地区…JR府中駅から北西へ約0.9km,伝吉田寺地区…JR府中駅から北西へ約1.0km
関連施設 名称 府中市歴史民俗資料館
開館時間 午前10時~午後5時(ただし,入館は午後4時45分まで)
休館日 月曜日・祝日,12月29日~1月3日
入館料 無料
所在地 府中市土生町882番地2
電話番号 0847-43-4646
交通案内 JR府中駅から南へ約1.5km

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