【解説】
本城跡は,明応9年(1500)に毛利弘元が郡山城を嫡子興元(おきもと)に譲り,二男元就をつれて猿掛城に隠居し、以後元就が郡山城に移るまで過ごした城と伝えられる。
城跡は多くの郭が残り,山頂の「物見丸」,丘陵先端の中心部郭群,中心部郭群から60m下がった斜面中腹の「寺屋敷」郭群,平野部に半島状に突き出した「出丸」の4群に分けられる。
名称 | 多治比猿掛城跡 | |
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よみがな | たじひさるかけじょうあと | |
指定 | 国指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 安芸高田市吉田町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和63年2月16日(追加指定) | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | ○常時一般公開 :急峻な山道を本丸まで登ると、遠くに郡山城跡が望める |
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交通案内 | ○JR芸備線「向原駅」下車 タクシーにて20km ○中国自動車道「高田インター」より吉田方面へ5km |
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関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |