広島快人伝

明治のバンカラ快人

中村春吉

なかむら・はるきち●豊田郡豊町出身●明治5年(1872)年〜昭和19(1944)年

瀬戸内海の中央に位置し、国立公園に指定された美しい景観を誇る豊町。
大長みかんで知られるこののどかな島にも、幕末には激動の嵐が吹き荒れた。
七卿落ちや長州藩と芸州藩との盟約など、
歴史の転機となる事件が次々と起こったのだ。
こうした時代の雰囲気に育まれてか、
明治初頭に一人の「快人」がこの町に産声を上げた。
世界を自転車で無銭旅行した「バンカラ快人」、中村春吉である。





中村春吉は「五賃将軍」とも呼ばれた。五賃とは汽車賃、船賃、宿賃、家賃、地賃(地代)のことで、春吉はこれなしで海外旅行をやり遂げたのだ。写真は明治38(1905)年頃に金鉱探しのため韓国を旅行した時のもの。
独学で武芸を習得

 中村春吉は明治5(1872)年に豊町の御手洗(みたらい)に生まれた。父親が西南戦争の際に西郷隆盛(さいごうたかもり)側について敗れたため、学校にも行けず、少年時代から各地を転々とし、独学で各種武芸を習得したという。当時から放浪癖があったようで、わずか12歳で朝鮮半島への無銭旅行を試み「死ね目に遭った事もある」と本人は語っている。
 春吉はその後も何回か海外渡航を試み明治26(1893)年から数年間はハワイに移住。帰国後は各地を渡り歩き、通訳や翻訳の仕事をしていたというが、突然自転車で世界一周無銭旅行をすることを思い立つ。


自転車で世界を無銭旅行

 旅行の目的は海外貿易振興に向けての視察だというが、世界を何でも見てやろうという好奇心からだというのが本当のところだろう。ただ歩くのだけでは面白くないので、自転車を使うことにした。明治34(1901)年に出発し、中国、東南アジア、インド、中近東、ヨーロッパ、アメリカを一年半で巡るが、その旅たるや小説顔負けの奇談・冒険談の連続である。
 狼(おおかみ)の大群に襲われるが高野豆腐の油で作った手製火炎弾で難を逃れたり、抵抗するハイエナの口を糸で縫いつけたり、黒豹(くろひょう)と素手で戦ったり、トルコでスパイと間違えられ死刑にされそうになったりと、「バンカラ」ここに極まれりの大活躍ぶり。SFの元祖とされる押川春浪(おしかわしゅんろう)がその冒険話を『中村春吉世界無銭旅行』という本にまとめ、「春吉は日本のドンキホーテ」として一躍人気者となった。彼はバンカラなだけでなくかなりの趣味人で八雲琴を弾き語り、ビリヤードもなかなかの腕前だったという。
 無銭旅行のヒーローとして一時はスターとなった春吉だが、後半生は一転して霊能力者として活躍した。心臓マッサージ「霊動法」の普及に努め、野口英世(のぐちひでよ)の前でも実験を行い高い評価を得ている。日清・日露戦争から第2次世界大戦に至る、激動の時代を生きた人間ならではの振幅の大きな人生だったといえるだろう。

● 参考資料=横田順彌(よこたじゅんや)『明治バンカラ快人伝』(光風社)/横田順彌『明治不可思議堂』(筑摩書房)



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