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猿猴橋(えんこうばし)

印刷用ページを表示する掲載日2016年4月6日
猿猴橋(復元後)
 復元された猿猴橋 

諸元

路線広島市道(旧西国街道)
所在地広島市南区猿猴橋町~広島市南区的場町(猿猴川)
完成大正15年3月16日(供用開始)
橋長62.5m
最大支間長12.65m
上部工形式3径間連続+2径間連続鉄筋コンクリートT桁橋
有効幅員8.5m
管理者広島市

大正ロマン漂う悲運の被爆橋梁

猿猴橋(復元前) 猿猴橋は,広島城下の西国街道に架かり,広島の「東の玄関口」として,古くから交通の要衝であった。

 明治時代に入ってからは,この街道は国道へと変遷し,明治19年には旧橋である木橋へと架け替えられたが,いつの時代も交通量の増加や車両の大型化など交通環境は刻々と変化してゆくのであろう,旧橋は老朽化とも相まって架け替えを迫られたのであった。

 こうした背景の中,大正14年6月に着工された現在の猿猴橋は,鉄筋コンクリート連続桁となり,橋台には地杭52本,橋脚にはケーソン基礎を施工したほか,表面には石張りをあしらい美観にも配慮した。

 さらには,総花崗岩造りの高欄には,巨大な親柱・束柱も備わり照明燈まで内蔵されるという,重厚なものであった。

 極め付きは,親柱上に施されたブロンズ製の大鷹や,束柱上のシャンデリア風の電飾燈,高欄には橋名の由来ともなっている,2匹の猿が桃を持ちあう透彫り風のデザインパネルがはめ込まれるなど,絢爛豪華な橋は大正15年3月に完成した。

 その後,戦火が激しくなる中,金属回収令によってこれら装飾品は供出され,さらに原爆投下により被爆するものの,幸いにも原形をとどめた猿猴橋は,国道の路線変更に加え上流に完成した駅前大橋への交通転換など,時代の移り変わりとともに「東の玄関口」としての役割を終えるのである。

 以来,橋の交通量はめっきり少なくなってはしまったが,「被爆に耐えた装飾的橋梁」として,平成23年度に土木学会において土木遺産に選奨された。

そして,復元へ

親柱の大鷹の像 戦争や被爆の記憶を伝えてきた猿猴橋が,建造時の優美な姿によみがえった。

 往時の姿を復元しようと、平成20年7月に地元住民らが「猿猴橋復元の会」を発足。寄付金活動を行いながら,広島市に橋の復元を働きかけ,それに広島市が応えた。

 復元されたのは,四隅の親柱に設置された、地球儀をつかんで羽ばたく大鷹の像(左写真)と、欄干の桃を掲げる2匹の猿の装飾など。

 平成28年3月28日にあった完成式典では,大勢の市民が詰めかけ,川の街・広島の古くて新しいシンボルの完成を喜んだ。

位置図

 

アクセス情報

電車

  • JR広島駅南口より,徒歩約300m

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