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大下 容子さん(テレビ朝日アナウンサー)

印刷用ページを表示する掲載日2015年12月19日

大下さん

離れているからこそ、感じること。
遠くからヒロシマを伝えることも、もうひとつの責務。

 <プロフィール>
 大下 容子(おおした ようこ)さん

   広島市南区出身。平成5(1993)年テレビ朝日入社。アナウンサーとして数々の番組に出演。
   現在『ワイド!スクランブル』『SmaSTATION!!』を担当。
   カープの大ファンで昭和50(1975)年初優勝のスターティングメンバーもスラリと言えるほど。
   モットーは「明るく元気に真摯に」。

<インタビューの映像(概要)はこちら!>

いつも気になるのは、
故郷 ひろしまのニュース。

ひろしまを離れて27年。昼の番組で旬の情報を伝えていますが、いつも気になるのは、ひろしまのニュースですね大下さんの画像
最近嬉しかったニュースの1つが黒田投手の話題です。ヤンキースの20何億円を蹴ってひろしまに帰ってきた男気と、やっぱり最後はカープのユニフォームで投げたいというあの言葉に感激。私自身カープの大ファンなのでとっても嬉しいですね。東京のスポーツ紙の一面でもガンガン取り上げられていますよ。

7年前、広島市民球場最後の試合を番組で取材させてもらって、その時、完成前のマツダスタジアムを見ました。市民球場が変わるということは、ひろしまの人にとって大きな変化だと思いますが、新しいスタジアムは、天然芝で観客席にも緩やかな傾斜がつけられていて観戦しやすく、バーベキューシートや砂かぶり席とかいろんなアイデアがちりばめられていて、とても素敵だと感じましたね。 

幼い頃駆け巡った野山、新鮮な小イワシの行商、美しい平和大通。
ひろしまは離れてわかる魅力あふれる街。

 実家が南区だったのと父の出身が島だったので、幼少期は野山を駆け巡って遊んでばっかり。はっきり言って野生児でした。中学・高校はバレーボール部で練習に明け暮れる傍ら、部の仲間で女の子バンドを作って文化祭で演奏して、とにかく友達といっぱい動いて遊んだことが思い出されます。

 ひろしまに帰ると、まずお好み焼きを食べに行きますね。実家の目の前にお好み焼き屋さんがあるんですけど。かばん置いたら、とりあえず食べに行く!というくらい大好きなんです。お好み焼きは、東京で食べると高いんですけど、そこだと500円とかで肉玉そばがボリュームたっぷり!

 魚はホントに美味しいですよね。食卓には毎日魚がありました。それが当たり前だと思っていた子どもの頃は、なんでうちは肉とかハンバーグではなくて、魚なんだろうって思っていたんです。でも、それは本当に恵まれていたんだということに上京して初めて気づきました。行商の人がリヤカーにイワシをいっぱい積んできて、その場で小さなコイワシを捌いてくれるんですよ。それをビニール袋に入れて持ち帰る。夜、ショウガ醤油で食べたりしていました。子どもの頃は、ありがたさがわからなかったんですが、実は幸せだったんですね。

 ひろしまには、宮島と原爆ドーム、世界遺産が2つあります。しかも、平和公園周辺のあたりは道路が一直線で、川沿いに橋がたくさんかかっていて美しい街ですよね。たまに帰ると、パリにも負けてないな!セーヌ川にかかる橋にも負けてないな!って感じます。私は当たり前だと思っていたんですけど、観光客からもそう言われることがあって。あっ!そうだなって気づかされますね。

先日、日本文学に精通された文学者ドナルド・キーンさんとお食事する機会がありました。その時、日本でどこが1番好きですか?と私が伺うと、キーンさんは、『鞆の浦』と。その理由は、日本の原風景が残っているからだといわれました。実はその後、私は初めて鞆の浦に行ったという。恥ずかしい限りなんですけど。ひろしまの魅力って、離れてはじめてわかるのかもしれませんね。

 戦後70年、ひろしま出身のアナウンサーとして、
 ヒロシマを伝え続けたい

 上京して渋谷のセンター街で『今日8月6日が何の日か知っていますか?』という街頭インタビューをしたことがあるんです。『学校の登校日?』などの答えが返ってきて。8月6日を知らない人があまりに多くて衝撃を受けたんです。特に若い方が。すごいギャップを感じましたね。ひろしまは8月になると空気が変わる感じがありますが、東京では8月6日が普通に通り過ぎてしまうんです。大下さん画像

 今年は戦後70年。被爆地ヒロシマに生まれた者の責務というと大げさですけど。歳を重ねれば重ねるほど、私ももっと伝えないといけないなと感じています。被爆者の方もどんどん高齢化していますので、本当に私達が継承しないといけないんだということは危機感を強く持っています。

 ひろしまの皆さんには、被爆地ヒロシマにしか発信できないこと、被爆地だからこそ言えることがあると思いますので、それをもっともっと発信してほしいと思っています。ひろしまの人が当たり前だと思っていることも、他から見るとそうでもないんです。そこにすごく情報のギヤップもあります。しかし、東京をはじめ全国の人達も、もっと聞きたいと思っているはずですので、そういうことをどんどん発信をして欲しいですね

 私はひろしま出身のアナウンサーとして、自分の役割をちゃんと持って続けていかなきゃいけないですね。70年という節目だけでなく71年、72年と、ずっとずっと伝えていかなければならないなと思います。なぜなら、ひろしまは私の原点ですから。

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