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昭和42年7月豪雨災害(呉市)

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年12月1日更新

(最大時間雨量74.7ミリメートル,死者・行方不明者159人)

概要

気象概況

当時梅雨前線は西日本に停滞していて,5日に降り始めた雨も8日の午前2時ごろまでに約18ミリメートル程度であったが,台風7号が南西諸島の宮古島付近を通過して,東シナ海を北上しはじめ,8日朝から前線の活動が活発になった。8日の夜明け前から雷を伴って強い雨が降り始め,昼過ぎまで続き,呉市では8日6時から12時までに49.6ミリメートルの雨が降った。その後も停滞した梅雨前線のため8日午後から夜にかけて断続的な雨が降った。台風7号は,8日9時にはすでに弱い熱帯低気圧となり,9日になるとさらに衰え温帯低気圧となったが,折りから北上してきた梅雨前線に沿って移動し,朝から再び雨が強くなった。低気圧は15時には九州北部に達しているが,このころ呉市では急激に強い雨が降り,16時から17時にかけての雨量は74.7ミリメートルにも達した。

被害状況

呉市は,昭和20年災害時程度の降雨量に対応する復興計画をたてていたため,昭和20年災害に比べ,被害が少なかったが,豪雨の前日の降水量は,昭和20年より多く地盤がゆるんでいたところへ,本格的な豪雨となり,山崩れ,がけ崩れ,河川の決壊,はんらんが全市にわたり,生埋め171名,死者88名の大災害をもたらした。また,広島県全体では死者が159名にも及んだ。

雨量グラフ

雨量グラフの画像

「呉市の42年災害 (昭和50年3月 広島県)」より

浜田川の被害の様子の写真
浜田川 昭和42年7月 土石流の土砂があふれて下流の小学校の校舎を突き破り,勢いを弱めて,下流の家は被害が少なくて済んだ。

警固屋8丁目の被害の様子の写真

警固屋8丁目 昭和42年7月9日16時30分ごろ警固屋8丁目の土砂崖が50メートル×50メートル×1.5崩壊,木造平屋建56平方メートルを全壊し3名がその下敷きになる。消防隊員により救出作業中,二次崩壊が起り,消防隊員1名殉職ほか重傷者6名軽傷者5名を出した。

警固屋2丁目地区の被害の様子の写真
警固屋2丁目地区

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