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広島県の山林の歴史

印刷用ページを表示する掲載日2012年9月1日

 広島の山林の荒廃について

明治以降の広島県の山林は瀬戸内沿岸を中心に,はげ山が多くみられました。 

山林の植生を左右する主な原因である「気候・地質・人為」について,広島県におけるその特徴を説明し,近年において,この3要素の影響により,はげ山になるまで荒廃していた山林が「どのようにして復旧したのか」をご紹介します。 

はげ山状況

【過去の広島県のはげ山】 

広島県の気候 

  • 県南部瀬戸内に面したところは,年平均気温が16℃ありますが,北部中国山地付近は10℃程度です。降雨量は,東南部に少なく西北部に多い傾向があります。年間降水量は少ないところで1200ミリ程度ですが,多いところでは2600ミリに達するところもあります。分布面積でいうと,全国平均の1800ミリ以下のところが県内のほとんどを占めており,特に沿岸部は全国的に見て降雨量の少ない地域といえます。一方,降雪については中国山地を中心に多く,冬期では南部と北部の降水量の差が大きい特徴があります。

広島県の地質 

  • 中生代の噴出貫入により形成された火成岩類が広く分布しており,岩石は深成岩と半深成岩の花崗岩類が県下のほとんどを占めます。土壌は花崗岩の主成分鉱物である石英が分解しにくいため,花崗岩の風化産物は砂質となるものが多く,花崗岩が風化してできた土を一般的に真砂土と呼び,県下に広く分布しています。

人による乱伐・森林火災

  • 近代の森林の荒廃については,江戸末期から本格的に発達した,製塩業と大きく関わりがあります。瀬戸内海沿岸部に開拓した塩田では,製塩に必要な燃料を得るために,森林を乱伐したからです。これは燃料が石炭にかわるまで続きました。また戦中戦後には,燃料物資の確保のための乱伐がありました。
  • 森林火災の主な原因は,たき火などの人為的な火の不始末です。降雨量が少ない瀬戸内海沿岸部では,空気が乾燥する冬期や春になり人が山へ出かける3,4月に森林火災が多く発生しており,全国的にも非常に森林火災の多い地域です。

荒廃森林の復旧工事の着手 

明治44年から始まった第一期森林治水事業,昭和12年から始まった第二期森林治水事業により,広島県の荒廃森林の復旧工事が本格的に開始されました。 

昭和5年はげ山復旧事業

【昭和5年はげ山復旧事業(広島県東広島市黒瀬町)】

しかしその後は,戦争がはじまるなど,事業実施は困難を極めました。

終戦後,昭和23年度から第一次治山五ヶ年計画が樹立し,ここで初めて「治山事業」が始まりました。

治山事業による,はげ山復旧のための森林整備事業を実施している最中にも,森林火災がたびたび起こり,せっかく復旧した森林が燃えてしまったりするなど,平坦ではありませんでした。

 

緑豊かな森林へ 

現在の緑豊かな森林を見ていると,当時の荒廃した山林が信じられないですが,実は昭和20年代までは,瀬戸内海沿岸には,はげ山が沢山あったのです。

今日,土砂災害の予防に貢献し水を蓄え供給してくれる森林の恩恵を受けていることは,人力で山を削り木を植えた先人たちの努力のおかげであることと,植えた木が生長するまでの長い年月の上に成り立っているのです。

工事直後   →  現状

【昭和20年代のはげ山復旧工事の施行直後】 → 【平成23年の状況】

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