ミヤジマトンボは,世界にたった2ケ所,宮島(廿日市市宮島町)と香港にしか生息しない,非常に希少なトンボで,体調は5cmあまり。その姿はシオカラトンボに良く似ています。
ミヤジマトンボは,広島県では,条例で緊急に保護を必要とする「特定野生生物種」に指定され,採集が禁止されており,環境省及び県のレッドデータでは,絶滅危惧I類に分類され,絶滅が心配される種の一つとなっています。
また,自然公園法でも瀬戸内海国立公園の「指定動物」となっており,採集が禁止されています。
1 国際自然保護連合(IUSN)⇒絶滅危惧2類
2 環境省⇒絶滅危惧I類,国立・国定公園内の特別地区で捕獲を禁止する種(指定種)
3 広島県⇒絶滅危惧I類,広島県条例指定種(特定野生生物種)
ミヤジマトンボはヒトモトススキの生えた満潮時に海水が出入りする,※汽水域(きすいいき)の海浜湿地に生息しています。
こうした環境は,江戸時代以降,多くが塩田や田畑として開発され,現在の瀬戸内海海域では宮島町以外ほとんど見当たりません。
宮島が古くから「神の島」として崇められ,開発が禁止された結果,ミヤジマトンボが生息できる環境が残ったと考えられています。
※汽水域とは,河川・湖沼および沿海などの水域のうち,汽水が占める区域のこと。
漢字の「汽」は「水気を帯びた」という意味を含蓄し,「汽水」は,淡水と海水が混在した状態の液体を指します。
当時,広島山岳会という登山愛好家のクラブがあり,結城氏はその一員として宮島一周ハイキングに参加していました。
その途中に採集したトンボが,ミヤジマトンボです。
結城氏は,当時の広島工業学校(現在の県立広島工業高校)の数学の教師をしながら昆虫や,民俗学のアマチュア研究家として知られていました。
1995年に,学識経験者及び行政関係者からなる「ミヤジマトンボ保護管理対策検討会」が設置され,「ミヤジマトンボ保護管理計画」が策定されました。
保護管理計画には,個体群の保護管理(採集規制,保護増殖),生息地環境の保全・整備,保護区のあり方,生息地の開発規制と普及・啓発に係る今後の方向性が取りまとめられています。
ミヤジマトンボの保護については,1996年以降,保護管理計画に基づき,野生生物保護推進員(条例に基づき任命)による巡視活動や,県と広島虫の会など関係者の協力による生息環境整備活動などが実施されました。
巡視活動や保護活動の実施にもかかわらず,ミヤジマトンボの生息環境は徐々に環境の悪化が進んでいました。
さらに,その環境悪化は,2004年ごろから急激に進み,『このままの状態が推移すると,近い将来,本当に絶滅してしまうのではないか。』と関係者の間で危惧されるようになりました。
2005年1月,日本蜻蛉学会の鍵本氏が,ミヤジマトンボの生息地を調査し,廃船の放置からの油の流出や水路が砂で埋まり湿地の水が流出できないなど壊滅的な状況が確認されました。
学会では,ミヤジマトンボの幼虫の生存が危機的な状況にあると判断され,県に報告がされ,県が調査に乗り出しました。
県の関係者への聞き取り調査を行った結果,水路への砂の堆積は,2004年9月に来襲した台風に起因することが明らかとなり,廃船については2005年2月に海上保安庁により撤収が行われました。
また,2005年7月にはミヤジマトンボが密猟され,個体数が激減する事件が発生し,新聞にも大きく掲載されました。
このような状況を踏まえて,2005年9月日本蜻蛉学会会長から県宛に「ミヤジマトンボ生息環境改善要望書」が提出されました。
県では,ミヤジマトンボを保護するための検討が行われましたが,日本蜻蛉学学会の要望にある生息環境の改善については,生息地への車輌や大型船による到達が困難であり,環境改善を行うにも小型船で輸送可能な範囲の人力作業に頼らざるを得ないことから,抜本的な解決策を見出すことが出来ませんでした。
そこで,まずは,専門家や保護活動家,関係行政機関が一同に介し,お互いに知恵を出し合い出来ることから始めていこうという判断のもとに,2005年9月,広島県を事務局とする「ミヤジマトンボ保護管理連絡協議会」が設立されました。